龍翁余話(647)「鉄道の日」
今から148年前の1872年(明治5年)10月14日に我が国初の鉄道が開業した。1921年(大正10年)に鉄道開業50周年を記念して(当時の鉄道省が)10月14日を『鉄道記念日』に制定、1994年(平成6年)に運輸省(現・国土交通省)が「鉄道の日」と改称した。このテーマを最初に小欄で取り上げたのは2009年10月配信の『龍翁余話』(101号)「汽笛一声 新橋を」であった。
その号では主に「新橋駅」(後の汐留貨物駅・現在廃止)を中心に、「旧新橋駅」跡に保存されている当時のプラットホーム(写真左)、その脇に敷かれた当時のレール(写真中)、そのレールの上を最初に走った機関車・イギリスから輸入した蒸気機関車150形(写真右)(さいたま市大宮『鉄道博物館に展示』)などを紹介した。今号は「旧横浜駅」(現在のJR桜木町駅)構内に“鉄道歴史展示物”があると言うので、それを見学しながら往時を偲んでみようと思い立ち、先日、横浜へ向かった。
実は翁、「桜木町駅」に電車でやって来たのは初めてだ。“駅構内の鉄道歴史展示物”と言うが、構内のどこを探しても見当たらない。駅員に訊いたら「今年6月末に出来た新しい改札口・新南口を出て関内方面に歩くと駅と隣接した所に、これも今年6月末に開業した“シアル桜木町アネックス”と言う商業施設ビルがあり、その1階に幾つかの“鉄道歴史展示物”が展示されている」とのこと。“駅構内”と言えば、普通は駅の建物の内部を言うが、駅(建物)の外にあっても“構内”と言うのか、と翁、ブツブツ言いながら“アネックス・ビル”に入った。
1階の自動ドアを開けると“機関車”が目に飛び込んだ。説明板には「110形蒸気機関車」とある。開業時に走った機関車は(前述のように)「150形」だが、1909年(明治42年)の形式称号改正で「110形」となった、とある。後方に“中等客車”(再現)が連結されている。ちなみに開業当時(明治5年)の新橋―横浜間の運賃は上等客車1円12銭5厘、中等客車75銭、下等客車37銭5厘(いずれも片道料金)――当時、米30kg(現在単位)が1円(現・約12,000円)の時代だったから上等客車の乗客は米30kg分強、中等客車の乗客は米20kg分、下等客車でも米10kg分と、かなり高い運賃を払ったことになる。したがって「乗客のほとんどは貴族・政治家・高級官僚・商売人・外国人に占められ、庶民は沿線で、ただ機関車の通過を見物するのみであった」と記録されている。
「110形蒸気機関車」の奥の方に、開業当時の「旧横浜駅」のジオラマ(写真左)、1904年(明治37年)(日露戦争勃発時)の「旧横浜駅」前の賑わいの写真(写真中)が展示されており、“シアル桜木町アネックス”ビルを出て関内方面へ少し行った所に「鉄道発祥の地」の記念碑が建立されている(写真右)。説明板には「現在の横浜駅が1915年(大正4年)に開業する前までの43年間は、ここ桜木町駅が横浜駅だった」とある。なるほど「旧横浜駅」は、現在の「桜木町駅」より少し関内寄り(「鉄道発祥の碑」辺り)に建てられていた訳だ。なお「駅舎の形状は新橋駅(汐留)と同じ(アメリカ人の設計による)デザインで、機関車・客車・貨車などは全てイギリスから輸入されたものである」とも付記されている。
江戸時代の旅人は、1日10里(約40km)歩くのが普通だった。新橋・桜木町間の距離は約30km、歩けば10〜12時間、馬を小走りで走らせても約4時間、それが開業時の機関車だと新橋から品川・川崎・鶴見・神奈川・横浜(現・桜木町)までの所要時間は約53分だったそうだから(当時の人々にとっては)まさに“夢の超特急”だったに違いない。(ちなみに現在、JR京浜東北線の新橋・桜木町間は各駅停車で38分、運賃480円。)
当時、行政が布告した“町触”(まちぶれ=市民に対して出される法令)に次のような禁止事項がある。(1)線路を横切らない事、(2)線路上をさまよわない事、(3)線路上に荷物を置いたり落としたりしない事・・・これらは現在の「鉄道安全利用に関する法律」(第4節)の中でも同じように明記されている。すなわち「線路内に立ち入らない事」「線路上に列車走行妨害となる物を置かない事」など・・・「鉄道歴史展示物」を見て回っているうち翁、ふと“鉄道の父”井上勝(長州藩士)と、彼を支援した(鉄道推進派の)伊藤博文、大隈重信らの活躍ぶりを掘り下げて知りたくなった。特に、鉄道建設技術導入をめぐる対イギリス交渉の舞台裏を・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |