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1274号

No.1274     Ryo Onishi              10/11/2020

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雑貨屋のひとり言

先週ワイフが腹痛が続いたので胃腸の専門医に診てもらったところ大腸憩室炎であることがわかりました。誰にでも起こる病気で重症化の危険もあります。腹痛は治りましたが、回復には少し時間がかかるようです。ワイフは元気ですが、食べ物に制限があるので、しばらく食事を別々に作って食べる生活をしています。家族の一人が病気や怪我をすると生活が一変します。これからは特に気をつけなければと思いますので、身体の変化を少しでも感じたら用心のために診てもらうことにします。《R.O.》

 

 

 

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )

ウエストとバストが同じですアハハ

齢のサバよんで鏡に叱られる

シリコンの胸アラフォーが闊歩する
 
シャネル5を付けたら肌がかぶれそう

コンビニがエプロンいらぬママにする


( ニュースひとりよがり )

「英文のレベル低すぎ」

アイ アム ソーリ −菅首相

「急募」

影武者 −トランプ大統領

「全日空、年収3割減、賞与ゼロ」

機長がやけ酒を飲んでないだろうな −乗客

河合成近
nakawai@kf7.so-net.ne.jp

 

龍翁余話

龍翁余話(647)「鉄道の日」

今から148年前の1872年(明治5年)10月14日に我が国初の鉄道が開業した。1921年(大正10年)に鉄道開業50周年を記念して(当時の鉄道省が)10月14日を『鉄道記念日』に制定、1994年(平成6年)に運輸省(現・国土交通省)が「鉄道の日」と改称した。このテーマを最初に小欄で取り上げたのは2009年10月配信の『龍翁余話』(101号)「汽笛一声 新橋を」であった。

その号では主に「新橋駅」(後の汐留貨物駅・現在廃止)を中心に、「旧新橋駅」跡に保存されている当時のプラットホーム(写真左)、その脇に敷かれた当時のレール(写真中)、そのレールの上を最初に走った機関車・イギリスから輸入した蒸気機関車150形(写真右)(さいたま市大宮『鉄道博物館に展示』)などを紹介した。今号は「旧横浜駅」(現在のJR桜木町駅)構内に“鉄道歴史展示物”があると言うので、それを見学しながら往時を偲んでみようと思い立ち、先日、横浜へ向かった。

実は翁、「桜木町駅」に電車でやって来たのは初めてだ。“駅構内の鉄道歴史展示物”と言うが、構内のどこを探しても見当たらない。駅員に訊いたら「今年6月末に出来た新しい改札口・新南口を出て関内方面に歩くと駅と隣接した所に、これも今年6月末に開業した“シアル桜木町アネックス”と言う商業施設ビルがあり、その1階に幾つかの“鉄道歴史展示物”が展示されている」とのこと。“駅構内”と言えば、普通は駅の建物の内部を言うが、駅(建物)の外にあっても“構内”と言うのか、と翁、ブツブツ言いながら“アネックス・ビル”に入った。

1階の自動ドアを開けると“機関車”が目に飛び込んだ。説明板には「110形蒸気機関車」とある。開業時に走った機関車は(前述のように)「150形」だが、1909年(明治42年)の形式称号改正で「110形」となった、とある。後方に“中等客車”(再現)が連結されている。ちなみに開業当時(明治5年)の新橋―横浜間の運賃は上等客車1円12銭5厘、中等客車75銭、下等客車37銭5厘(いずれも片道料金)――当時、米30kg(現在単位)が1円(現・約12,000円)の時代だったから上等客車の乗客は米30kg分強、中等客車の乗客は米20kg分、下等客車でも米10kg分と、かなり高い運賃を払ったことになる。したがって「乗客のほとんどは貴族・政治家・高級官僚・商売人・外国人に占められ、庶民は沿線で、ただ機関車の通過を見物するのみであった」と記録されている。

「110形蒸気機関車」の奥の方に、開業当時の「旧横浜駅」のジオラマ(写真左)、1904年(明治37年)(日露戦争勃発時)の「旧横浜駅」前の賑わいの写真(写真中)が展示されており、“シアル桜木町アネックス”ビルを出て関内方面へ少し行った所に「鉄道発祥の地」の記念碑が建立されている(写真右)。説明板には「現在の横浜駅が1915年(大正4年)に開業する前までの43年間は、ここ桜木町駅が横浜駅だった」とある。なるほど「旧横浜駅」は、現在の「桜木町駅」より少し関内寄り(「鉄道発祥の碑」辺り)に建てられていた訳だ。なお「駅舎の形状は新橋駅(汐留)と同じ(アメリカ人の設計による)デザインで、機関車・客車・貨車などは全てイギリスから輸入されたものである」とも付記されている。

江戸時代の旅人は、1日10里(約40km)歩くのが普通だった。新橋・桜木町間の距離は約30km、歩けば10〜12時間、馬を小走りで走らせても約4時間、それが開業時の機関車だと新橋から品川・川崎・鶴見・神奈川・横浜(現・桜木町)までの所要時間は約53分だったそうだから(当時の人々にとっては)まさに“夢の超特急”だったに違いない。(ちなみに現在、JR京浜東北線の新橋・桜木町間は各駅停車で38分、運賃480円。)

当時、行政が布告した“町触”(まちぶれ=市民に対して出される法令)に次のような禁止事項がある。(1)線路を横切らない事、(2)線路上をさまよわない事、(3)線路上に荷物を置いたり落としたりしない事・・・これらは現在の「鉄道安全利用に関する法律」(第4節)の中でも同じように明記されている。すなわち「線路内に立ち入らない事」「線路上に列車走行妨害となる物を置かない事」など・・・「鉄道歴史展示物」を見て回っているうち翁、ふと“鉄道の父”井上勝(長州藩士)と、彼を支援した(鉄道推進派の)伊藤博文、大隈重信らの活躍ぶりを掘り下げて知りたくなった。特に、鉄道建設技術導入をめぐる対イギリス交渉の舞台裏を・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

姉妹都市

数日前にドイツのベルリン市で、また慰安婦像が設置されたとのニュースが飛び込んできた。LA在住の日本人からしたらグレンデールの慰安婦像設置の時も大迷惑を受けてきているので見逃すわけにはいかない。すでに捏造だった証拠も提出され国際的に認知されつつある中で、まさか恥の上塗りをするほど幼稚な事はしないだろうと思っていたら、また、やらかしたのがベルリン市のミッテ区の慰安婦像設置だった。その事に友人の国防男子は怒って、このLAからドイツの総領事に手紙を書いてくれた。おそらく多くの海外に住む日本人やミッテ区と姉妹都市になっている東大阪市と津和野町の問題意識を持った日本人の方々からも抗議の意見が届いたのだと思う。
今回は、その声を聞いて茂木外務大臣も動いたらしく即刻、ミッテ区から慰安婦像の撤去命令が出たのだそうだ。平和の像と称してドイツと日本の分断を図ったようだが失敗に終わり、さぞかし慰安婦像を設置しようとした組織は悔しがっているだろう。世界の公共の施設にあんなものを設置しまくって景観を汚さないで欲しい。噂によると韓国国内には、すでに何百体も慰安婦像を作ってしまっているらしい。それならば自国の道端の分岐点に方向指示の目印として置くのもいい。お地蔵さんのように道端にずらりと並べて拝んでもいいし、自国民に使い道を考えてもらえば無駄にならなくていいかもしれない。

ところでカリフォルニアのグレンデール市にある慰安婦像はいまだに撤去されていない。日本人の名誉の為に私財を投げうって法廷の場でも戦われた目良浩一氏の事を考えるとやるせない気持ちになってくる。昨年、道半ばで亡くなられた。残念ながら、ここカリフォルニアとニューヨークは反日組織の活動家が活発に動いている場所だ。だいたいリトル東京の日系博物館で反日映画である韓国慰安婦の映画が上映される事自体どれだけ日系コミュニティーにも反日組織が入り込まれているかがわかる。この忌まわしい慰安婦像が設置されているグレンデールとドイツのミッテ区が姉妹都市になっている事も後から知った。グレンデールが上手くいったのでミッテ区もついでにと思ったのだろうか、、、この慰安婦像が米国に設置されはじめた頃だったかLAの日系ホームが売却された。たくさんの日本人、日系人達の善意と寄付とボランティアで作られた日系ホームが利益を追求する不動産会社に売られる事に納得しなかった多くの人達が反対運動をしていたが全く聞き入れてもらえなかった。

その裁判に関わったのは今話題になっているジョーバイデンの副大統領候補、カラマハリス。この女性の旦那様も弁護士で米国におけるチャイナビジネスのアドバイザーだとか、、そして、このカラマハリスがカリフォルニア州司法長官の時に強力に応援していたのがダイアンファインスタイン(故)という政治家。40年来、江沢民氏と深い関わりを持っていたのだそうで日本の親中派代表、二階氏のような人なのだろう。ところで慰安婦像撤去でホッとする間も無く、今度は中共人民解放軍エリート外国語学校が東香川市に来春設立されるらしい。一旦、住民の反対署名で没になったのにここの市長さんは、今の国際状況を全く知らないのだろうか、、、北海道が中国人に買い占められて危機的状況になっているのにも関わらず、こういう状況はやはりメディアでは取り扱われていない。
日中友好も姉妹都市も、その裏でどんな危険性をはらんでいるのか再度、見直す必要があるのではないだろうか、、、

茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言

さくらの独り言「Back 9」

金曜日の朝、いつも目覚めて最初に手にする新聞、平日よりかなり分厚い。広告と公告特集が多いからだ。“こんな広告に興味ある人ってどんな貴族?”っと、怒りを込めてごみ箱へ投げ込むのが常、庶民には興味ない高価な時計や服の冊子、それが日本経済新聞の“広告特集”だと思っていた。そんな私が今朝は、悔しいかな、「これいいわよ、最初の2ページだけど、貴方も読んでみて」と主人へ手渡した。その表紙こそ、なんとプロゴルファー藤田寛之トップの“Back 9”、マーケティング記事とはいえ、心惹かれる紙の一面だった。

ゴルフプレー経験のある人、もしくは、プレー経験がなくてもテレビや雑誌で見たり聞いたりした人は、ゴルフ競技が前半9ホールと後半9ホール、その18ホールのスコアーを競うとは知っているだろう。そして最終日最後の9ホールは、ゴルフドラマのクライマックス、想定外の何かが起こる。どんな競技でも最後まで分からないのが勝負、競技も人生も、似ているかもしれないとはよく耳にする。今週の日経新聞広告特集“Back 9”、その広告塔なる人物とコラムに注視、プロゴルファー・藤田寛之、”、人生はバックナインからが面白い“には、ゴルフと同じように人生も、ある一定の年齢や経験を越えた後にこそ、何が起こるかわからない、だからこそ工夫次第でもっと楽しく生きられると言っている。

紙面から抜粋して紹介をすると、『人生もゴルフに例えると 折り返し地点からの“バック9”が勝負です。充実したライフスタイルを送るためには、健康にも留意しなくてはなりません。ゴルフは飛距離も若干落ちていますし、パッティングのラインも読みづらく、距離感も狂ってきます。これまでと同じゴルフをしていたら、腰痛や肩こりも発症します。歳をとるというのは、寂しいものですが、ライフスタイルを見直すだけで、これからの人生は楽しくなります。さあ、人生のバック9を思う存分楽しみましょう』(日経新聞広告特集2020/10/09)。見出しには、『まだ、まけるわけにはいかない』、『目の衰えに真剣に向かい合ってみる』、『たまには負けず嫌いいなってみる』など。ページを開いてみると『40代後半を過ぎたあたりからボールの着弾地点やパッティングのラインが見えなくなってきた。自分が衰えてきている現実を否定なしに突き付けられますよね』と。コマーシャルに関連しているとはいえ、この紙面を共感のあまり握りしめるのは、私だけかしら。。。そういえば、藤田のスイング、トップからの折り返しには“一瞬”の“静”があるなとひらめいた。

さて、 “人生後半が面白い 味が出るのは これから これから”、額に入れてある私達夫婦の合言葉、リビングにある。私たち夫婦の心にある。そして私達夫婦の実生活の真ん中にある。プロゴルファー藤田寛之が大好きだという我が亭主、藤田と同じ九州男児ではないけれど、実直で粘り強く人生に前向きなところがよく似ているのかな。藤田の言葉『歳をとるのは寂しいものですが、ライフスタイルを見直すだけでこれからの人生は楽しくなります。さあ、人生のバックナインを思う存分楽しましょう』みたいな。年齢や職業に関係なく、人生のバックナインは訪れる。その時に、“味がでるのは、これから・これから”っと、云える自分、そして私達でありたいなと願う。とはいえ、実はまだ8ホールにいる私です・・・っと呟く、さくらの独り言。

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

長袖のシャツ一枚で外に出たらちょっと後悔する気候になりました。急に寒くなると暑さに慣らされていた身体の調子が狂います。朝方、少し血圧が高いのはこのせいだと思っています。
好きなアーティストの一人、Alan Broadbentのジャズを聴いています。ソロピアノの“To The Evening Star”です。家の中で爽やかに暮らせる季節、一人静かに聴くのにぴったりなアルバムです。


"To The Evening Star" Alan Broadbent  

01-As Morning Breaks (The Prize Song) 7:20
02-Amfortas 'Lament (Song of the Flower Maidens) 11:50
03-Song to the Evening Star 6:13
04-Bud Meets Carl 2:40
05-Opus Blue 5:03
06-Full Moon and Empty Arms 3:48
07-Strangers in Paradise 3:24
08-Baubles, Bangles and Beads 4:10
09-Since That Time 4:32
10-Candide (Indeed) 3:03
11-Brother Ralf 4:56



ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

 

編集後記

しばらく台風が来なかったと思ったら変則的な動きの台風14号が日本列島の南をものすごくゆっくり移動しています。本土上陸はありませんが太平洋側の各地に強風と大雨を降らせています。
降り続く大雨が地盤、家屋、住民の気持ちを弱らせてしまうのが気掛かりです。

インフルエンザのワクチンを摂取しました。コロナ禍のせいでワクチンを受けにくる人が多く、在庫がいつもより早いペースで減っているようです。

 

雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1274

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/indexY.htm

              tenshu@zakkayanews.com