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1149号

NO.1149     Ryo Onishi              5/20/2018

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雑貨屋のひとり言

今日は朝から住宅の総会がありました。大規模修繕委員長として大規模修繕が無事終わったのでこれまでの経緯を報告しました。今回は積立金で賄えましたが、2回目の大規模修繕はもっと修繕費用が掛かることが予想されることを住民のみなさんに説明しました。全国にすでに建っている1300棟超のタワーマンション(概ね21階以上)のほとんどが積立金を適正に設定しているところは少なく、修繕金不足が問題になっているようです。私たちも次はこの問題に取り組むことになりそうです。≪R.O≫

 

 塞翁が馬

私は当地ロサンゼルスを中心とする日系バイリンガル新聞である羅府新報の『磁針』欄に、ほぼ月一度寄稿をしています。ここで磁針寄稿250回を迎え、これまでの寄稿文を整理しています。

ほとんどの文章は当、雑貨屋ウイークリーに投稿しているコメントですが、『磁針』のほうはロサンゼルスを中心に滞在している日本人や日系人を対象にしており、また紙面の都合上、文字数に制限があり(860文字)、雑貨屋用とは若干ニュアンスが異なった書き方、内容になっています。

そこで過去の磁針寄稿文をここにも連載させていただき、ご参考に供します。

『塞翁が馬 』(羅府新報、2002年1月掲載)
 一年前、私達は21世紀を“新しい夢と希望と期待”を持って迎えた。

そしてあれから一年、昨年のアメリカ十大ニュース(AP通信社)のトップ3は(1)アメリカ中枢同時テロ、(2)アフガンなど対テロ戦争、(3)炭そ菌事件という忌まわしい出来事で占められてしまった。

 百年後、千年後の歴史書に「それまでの国家対国家の戦争から“国境無き戦争時代”になったのが 21世紀の特徴である」などとは書かれたくないものだ。
 
「人間万事塞翁が馬」と言う格言がある。この「塞翁が馬」に関する故事は前漢の時代、『淮南子(えなんじ)』という書物に書かれているものだそうだ。 
 
この「塞翁が馬」の故事とは、おおよそ次の通りである。辺境の砦近くに住む翁の馬が、どうしたことか北方の異民族の地へと逃げ出してしまった(禍)。数ヶ月後その馬が異民族の地から駿馬を引き連れて帰って来た(福)。ところが駿馬に乗った翁の息子が馬から落ちて大怪我をしてしまう(禍)。やがて隣国との戦いが始まり、怪我した息子は足が不自由だったために戦争に駆り出されずにすんだ(福)。
 
「塞翁が馬」とは、“人生は吉凶・禍福が予測できない”ことの喩えだ。禍に遭遇しても決して落ち込まない、同時に、少しくらい良いことがあっても決して有頂天にならないことが大切だとの教えと言えよう。

かの戦国時代の悲運の名将、山中鹿之助は三日月に向かって、「願わくば我に艱難辛苦を与えたまえ」と祈ったそうだが、私のような俗世間の人間は、こちらから敢えて「艱難辛苦」を求めようとは思わないが、振りかかってくる「艱難辛苦」なら、しっかりと前向きに受けとめれば、その“苦しみ”が次に“楽しみ”を運んでくれると信じたい。

 昨年の世相・景気は全体的に厳しく、「下り坂」だったが、「下り坂」があれば必ず次は「上り坂」の筈だ。(尤も時々「マサカ!」と言う坂もあるけれど)
 
午(馬)年の今年は、上記「塞翁が馬」をじっくりかみ締めて、期待を込めて頑張りたいものだ。


河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


三分で今日も昼飯出来上がり

三次会までは知ってる二日酔い

窓三日開かず孤老が案じられ

天性の三分生かした汗七分

戦国の三代を知るホトトギス



( ニュースひとりよがり )


「大谷二刀流、藤井七段」
“今年の漢字”候補です −翔

「遠藤休場」
痛い! −相撲協会

アメリカ 国連で孤立」
入りが悪いなあ −トランプ劇場


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(525)「六甲山」

『六甲山』は標高931m、神戸市の市街地の西から北にかけて位置する瀬戸内海国立公園の山塊。日本三百名山の1つでもある。今号は、その『六甲山』にまつわる「翁の少年時代のエピソード」と「日本初のゴルフ場開設」の話題――

翁、15歳で故郷(大分県)を離れ単身、神戸へ遊学。中学後半から高校卒業までの4年間を神戸の叔父(翁の母親の実弟)宅に下宿させて貰った。生来、物怖じしない“わんぱく坊主”だった翁、田舎だろうが都会だろうが“住めば都”、神戸もまるで“我が町”の如く自由奔放に過ごした。当時はまだ戦災の傷跡が随所に残り、三宮・元町・新開地などの繁華街で真っ赤な口紅のパンパン(街娼=現在は死語)を引き連れ、我がもの顔で闊歩する進駐軍(アメリカ兵)に腹を立て、悪童たち(叔父宅の近所の仲良し組)数人でケンカを売ったりした。ケンカと言っても力ではかなわないので、少し離れた場所から「ヘ〜イ・ヤンキー・ゴー・ホーム」と罵声を浴びせるだけ。追っかけられそうになると逃げ回り、商店や出店(バラック小屋の店)のオヤジさんたちに匿って貰ったり、それが縁で(匿ってくれた)オヤジさんたちと仲良しになり、時々、戦時中(戦禍)の神戸の有りさまを話して貰ったり、昼飯をご馳走になったり、お返しに商店や出店の仕事を手伝ったり・・・
多感な少年期、学校の授業のほかに多くの社会勉強をさせて貰った神戸――その後の翁の人生に大きな糧(かて)を与えてくれた神戸は、まさに翁の“第2の故郷”である。高校生活も、それなりに充実していた。田舎者、とバカにされたくない気持ちがどこかにあったのだろう、やたら“九州男児”を誇示した。後年、親友の1人から「“九州男児”を振りかざす君に多少の抵抗感があったが、君の迫力には勝てなかった」と告白されたこともある。“迫力”は多分お世辞だろうが、いい校友たちに恵まれたことは確かだ。

神戸時代の、もう1つの思い出『六甲山登山』も懐かしい。高校2年に進級した春休みの某日早朝、あの新開地でヤンキー野郎にケンカを売ったり逃げ回ったりした近所の悪童たち5人と連れ立って三宮駅から阪急電車に乗り「岡本駅」(東灘区)で下車して登山を開始した。“登山”と言ってもハイキング気分で行ける易しいコースだから、身なりは普段、街に出かける程度の軽装。「岡本駅」から山に向かって住宅街をしばらく歩くと「保久良山」(ほくらさん)の中腹に鎮座する「保久良神社」に辿り着く。子供の頃、田舎の神社仏閣で遊び回った翁は、こういう場所が大好きで何となく落ち着く。この神社は確か梅の名所でスサノオノミコト、オオクニヌシノミコトなどがご祭神だったと思う。実は、それから先(六甲山に向かって)かなり歩いたような気がするが、正直、六甲山頂まで登ったという記憶はない。いや、昼前には「岡本駅」近くの中華店で“豚まん”(関東では“肉まん”)を食ったので、時間的に山頂までは行けるはずはない、どこかでUターンしたのだろう。したがって正確には『六甲山登山』ではなく『六甲山中腹ハイキング』だ。しかし、登りか下りの途中、眼下に見た東灘区や灘区の美しい街並みと神戸港に行き交う船々の情景が実に絵画的であったことは今でもはっきりと覚えている。(1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災で兵庫区・長田区・須磨区と同様に東灘区・灘区も甚大な被害を蒙った。震災後の東灘区も灘区も街並みが一変したことであろう。)

『六甲山中腹ハイキング』からしばらくして、本当に六甲山頂へ行く機会を得た。それは高校2年夏休みの某日、叔父の運転で(叔父の家族と一緒に)ドライブに連れて行って貰ったのだ。それも“夜景見物”に――「六甲山は函館・長崎に並ぶ日本三大夜景の1つだ」と叔父が自慢した。まるでダイヤモンドをちりばめたような輝きの眼下の神戸の街の夜景は、確かに“100万ドルの夜景”(いや、現在では1,000万ドルの夜景かも知れない)の形容にふさわしい見事な“幻想の世界”であった。余談だが翁、(日本三大夜景の)神戸・長崎は見たが、残念ながら函館にはまだ行ったことがない。

さて、『六甲山』にまつわる(もう1つの)話題――「日本で最初のゴルフ場が建設されたのが六甲山」と教えてくれたのは(翁48歳の時)翁をゴルフに誘い込んだ某広告代理店の社長であった。彼から更に「イギリス人のアーサー・グルームという貿易商人が六甲山に別荘を持ち、別荘の周辺に3年がかりで(日本初の)ゴルフ場を造った、そのゴルフ場を“神戸ゴルフ倶楽部”と命名し、オープンの日が1903年(明治36年)5月24日、したがってその日を『ゴルフ場記念日』とすることにした」との話を聞かされた。今号にそのことを書くに際して調べてみると、“神戸ゴルフ倶楽部”は通常のゴルフコースとは異なり、パー3(ショート・ホール)とパー4(ミドル・ホール)だけでパー5(ロング・ホール)がない合計パー61(通常のゴルフコースは、パー71〜72)だから、極めて距離の短いコース。いわば“トーナメントには適さないコース”と言うことになるのだが、それにしては料金は一般のゴルフ場並み(平日は15,000円、土日祭日は23,000円)。やはり“観光地ゴルフ場”料金だ。とは言え、翁“日本初のゴルフ場”でプレーをしたいし、生きているうちにもう一度“第2の故郷”を訪ね、少年期の思い出に浸りたい気持ちに駆られている。

ゴルフの話もさることながら、実は翁、「アーサー・グルーム」と言う男に興味関心を抱いている。アーサーは、今でも長崎にその名を残す「グラバー商会」の社員だった。そもそも「グラバー商会」はトーマス・グラバーと(アーサーの兄)フランシス・グルームが共同して設立した商社。アーサーは兄の誘いで「グラバー商会」社員になり、1868年(明治元年)神戸支店開設のため神戸に移住したのだが、長崎時代は土佐藩の坂本龍馬や岩崎弥太郎(三菱財閥創始者)、薩摩藩の五代友厚(大阪商工会議所・大阪証券取引所設立)、森有礼(初代文部大臣・一橋大学創始者)らと交流した記録が残されており「アーサー研究」が(翁がまだ知らない)幕末史の霧の部分にスポットを当ててくれるかも知れないと思うのだ。翁にまた新たな学習テーマが生まれた・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。
 

 

茶子のスパイス研究

ツキ

LAの友人からメールが来た。何だかその日は運が悪く友人は車の接触事故を起こしてしまったらしい。ちょうど相手は自分の車の保険が切れていたようで、お前が悪いと一方的に気が狂ったように文句を言って来たそうだ。こんな場合は当人同士が話し合っても収集がつかなくなる。その為に間に入って話し合ってくれるのが保険会社の役割というもので、毎月保険のお金を払っているわけだから、さっさと後は保険会社に働いてもらった方がいい。自分の非を少しでも有利に働かそうと逆切れする、どこかの国に似ている人もいるものだ。とりあえず保険会社の情報を交換して、さっさとその場を立ち去ったのだそうだ。そしていつもであれば自分の駐車場に停められるはずであったらしいけれど生憎、数日間、駐車場の屋根の工事の為にそこに車を駐車出来なかったので目の前の道を渡った向こう側の道路に車を停めたらしい。そして家に戻って気が付いたら何と車の鍵をどこかに落としてしまったのだそうだ。不安を感じながらも車のスペア―キーがあったのでひとまず、それを使う事にしたそうだ。人間、不運な事が続くと何かに頼りたくもなるものだ。たまたまTVでその日の占いを見たら自分の星座が最悪の日だったらしい。“やっぱり、そうだったのか”そう友人は驚いたらしい。そして運を変える食べ物はステーキと言っていたので、すぐにオーガニックのいい肉を奮発して買ってきて食べたそうだ。明日はきっと素晴らしい日になるようにと、、、そこでメールは終わっていた。私も実は日本に帰ってくる数日前にマーケットのショッピングカートに車の鍵を落としてしまい20分後に自分で見つけたのだが大いに慌てた経験がある。だから、その後が気になって鍵はどうなったかをメールした。そうしたら翌日、車のダッシュボードにメモがあり拾い主が友人の鍵を預かっているから取に来てくださいと書いてあったそうだ。何とラッキーな事だろう。拾った人はご近所の人だったらしい。どうやらステーキがツキを呼んでくれたのかもしれない。友人のメールは、これからケーキを買って、お礼に行ってきますと書いてあった。捨てる神あれば拾う神もあり、私も何だか
ホットした。さて、車の保険が切れていた、婆さん(友人が言うには)との決着はどうなったのだろうか、、、、いい日もあれば悪い日もある。負のスパイラルに陥った時は
その流れを止められるように、風水やちょっとした占いのアドバイスに従うのもいいのかもしれない。ツキを信じて前向きに明日はいい日がやってくると、、、、

茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言

今週はお休みです。

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

Amazon Primeの出現でこれまでなかなか見つからなかったアーティストのジャズが見つかるようになってとてもハッピーです。でもこれまでTSUTAYAで借りて音楽データベースにあるジャズだけでも聴き切れないほどの数があります。今回はそのデータベースからアルバムを紹介します。Lee Konitz & The Brazilian Bandの"Brazilian Rhapsody"です。
ブラジルと言えばサンバです。Samba Tristeという曲から始まるこのアルバムは、テンポの良い曲ばかりです。

"Lee Konitz & The Brazilian Band" Brazilian Rhapsody

01-Samba Triste 7:28
02-Berimbau 7:27
03-Menina Moca 6:10
04-Triste 6:32
05-A Felicidade 6:27
06-Lunasea 5:59
07-Manha De Carnaval 4:07
08-Insensatez 6:14

Acoustic Guitar:Romero Lubambo
Alto Saxophone, Soprano Saxophone:Lee Konitz
Bass:Dave Fink
Drums:Duduka Da Fonseca
Engineer:Bob Katz
Executive-Producer:Tetsuo Hara
Painting:Chiaki Okada
Percussion:Waltinho Anastacio
Photography By:John Abbott (7)
Piano:Peggy Stern
Vocals:Adela Dalto (tracks: 3)


ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

 

編集後記

私のメールの迷惑メール フォルダをチェックしたらAppleからのメールを装っ たフィッシングメールがたくさん入っていました 。怖いですねー。スマホは今や持ち歩けるPC、いやそれ以上ですから、手放せません。利便性とリスクは背中合わせになっていますので気を付けましょうね。


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雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1149

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com