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1139号

NO.1139     Ryo Onishi              3/11/2018

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雑貨屋のひとり言

年初から計画していた、長男と長女家族との一泊旅行が実現しました。先週金曜日、二台の車で白浜に行きとても楽しい時間を過ごせました。2年前に宿泊したホテルの隣にある愉快リゾート白浜彩朝楽に宿泊しました。客室は古いホテルを再生したものですがキッズコーナーが充実していて3人の孫たちは遊びまくっていました。
一歳のY君は初めての温泉でちょっと驚いていましたが、お風呂は大好きなようです。ビュッフェで夕食の後、夜遅くまでカラオケでワイワイと賑やかな旅行でした。≪R.O≫

 

 千葉県からの新風

私は当地ロサンゼルスを中心とする日系バイリンガル新聞である羅府新報の『磁針』欄に、ほぼ月一度寄稿をしています。ここで磁針寄稿250回を迎え、これまでの寄稿文を整理しています。

ほとんどの文章は当、雑貨屋ウイークリーに投稿しているコメントですが、『磁針』のほうはロサンゼルスを中心に滞在している日本人や日系人を対象にしており、また紙面の都合上、文字数に制限があり(860文字)、雑貨屋用とは若干ニュアンスが異なった書き方、内容になっています。

そこで過去の磁針寄稿文をここにも連載させていただき、ご参考に供します。

『千葉県からの新風 』(羅府新報、2001年4月掲載)
 日本ではまたまた「無党派」の知事が千葉県で誕生した。昨年の長野、栃木両県に続く「無党派県民」の勝利となった。

 今回の千葉県知事選では自民、民主、共産の主要政党がそれぞれ推薦候補を立てたが、県民はそれら既成政党にまとめて「NO」を突きつけたわけだ。

新聞報道によると当選した前参院議員の堂本暁子氏は、市民団体の要請を受け、投票日のわずか一か月前の出馬表明だったにもかかわらず、選挙戦期間中に県内各地に続々と結成された“勝手連”などの市民運動に支えられ、勝利したという。

 今回の千葉県知事選の投票率は前回を上回ったものの、37%と低く、また堂本氏の獲得票が投票総数の29%であるので、有権者全体の11%程度の支持を得たにすぎず、決して大勝利とは言えない。

しかし、それでもこの選挙結果は、利権や権力を背景とする業界団体や後援会・組織に依存した“民意なき”選挙がもはや時代遅れになりつつあることを充分示していると思う。

昨年の国政選挙の時、森首相は「いっそ無党派層はこのまゝ寝ててくれれば良い」とうっかり失言をしていたが、日本の無党派の市民もようやく目覚め始めたと言えるだろう。
 
ところが、中央の既存大政党は依然として旧弊の枠から出ようとしていない。政府の官房長官まで「政策にあまり強い関心を持たずに投票される方が多い。こういう傾向が果たしていいものかどうか」とコメントしている。

 政権与党の中心である自民党のある幹部は、ことある毎に“解党的出直し”という言葉を使っているが、それならば『ジミントウ(自民党)』を『シミントウ(市民党)』に変えるくらいの“解党的出直し”をしてみたらどうであろうか。

 テレビで放映された、当選翌日の記者会見で堂本新知事は「今回の選挙は純粋な市民、県民の選挙だった」、「権力ではなく、県民のために権限を行使するのが知事の仕事」などと語っていたのが印象的だった。

保守王国といわれる千葉県政の行方に日本全体の政治を重ね合わせて今後の行方を注目したい。


河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


庭欲しいなとベランダの植木鉢

一戸建て庭の雑草にもローン

金のなる木とかローンの庭に植え

離婚したとか お隣の青い芝

定年の庭にミミズの出る畑



( ニュースひとりよがり )


「佐川国税庁長官辞任」
正しく申告をしなかったからだな −森友文書

「トランプ占い」
吉とでるか凶とでるか −金正恩

「会社での評価」
横綱といわれてる −休みの多い社員


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(515)「新撰組のふるさと歴史館」

先週号の『龍翁余話』(514)「江戸城明け渡しの前奏――山岡鉄舟・西郷隆盛の駿府会談」
に続き、また今号も“幕末・明治維新史”。実は3月13日は『新選組の日』。新選組への評価はさまざまだが、翁に言わせれば“新選組は我が国最後のサムライ(テロ)集団”である。しかし、彼らの徳川幕府(直接的には京都守護職・会津藩主松平容保)への純粋な忠誠心と誇り、寄せ集め武装集団の統括策と人事、治安活動の戦術、故郷(家族)への想いなど、特筆すべき興味深いテーマがいくつかある。そこで翁(それらを学習したくて)先日、日野市の「新選組のふるさと歴史館」へ行って来た。

「新選組のふるさと歴史館」と言うからには総長(局長)近藤勇が出迎えてくれるのかと思ったら、何とエントランスには副長の土方歳三と、京都・壬生村の長老(八木某)宅に置かれた「新選組屯所」の写真が展示されていた。歴史館のスタッフに「近藤勇の写真や遺品は?」と訊いたら「近藤勇の生まれ在所は、土方歳三と同じ武州(武蔵国)多摩郡ですが、この日野宿から離れた上石原村(現・調布市野水)、歳三の生まれは、ここ(日野市神明)から近い多摩郡石田村(現・日野市石田)、地理的に、どうしても土方歳三がメインになります」。実は土方の写真は写真ではなく、地元の都立日野高校の生徒が爪楊枝20万本使って仕上げた“絵”である。近づいて(横から)見ると確かに爪楊枝がビッシリ埋め込まれている。製作日数は聞き漏らしたが、かなりの労作だ。高校生たちの郷土の偉人・土方歳三への敬愛の情と誇りが爪楊枝1本1本に込められているように思え、感心した。
館内はそれほど広くはないが「幕末の江戸と日野」、「八王子千人同心と日野」、「天然理心流と多摩」、「日野人、京都へ」、「新選組、京都の日々」、「戊辰戦争の中の新選組」、「新選組のその後」の7つのコーナーに分かれており、幕末の幕府の動きや江戸町民の暮らし、日野人(近藤勇・土方歳三・井上源三郎ら10数人)の“浪士組”参加のいきさつ、新選組結成の経緯、京都での治安活動(特に池田屋事件)、戊辰戦争後の近藤や土方らの動静と最期など(概要)が判りやすく解説されている(スペースの都合で詳細は省略)。

ところで“新選組成り立ち“のコーナーに書かれている「山岡鉄舟や清河八郎がいなければ新選組は生まれなかった」のタイトルを見て、翁、少し違和感を覚えた――清河八郎と言う庄内藩(現・山形県東田川郡庄内町)の藩士が尊皇攘夷(君主を尊び外敵を排斥する)思想集団“虎尾の会”を主宰し、一時期、幕臣・山岡鉄舟も発起人に名を連ねていた。清河は、山岡鉄舟を通して(利用して)、上洛する第14代将軍・家茂の護衛と騒然たる京都の町の治安に当たる警備隊創設を幕府に提案、これが採用され江戸で浪士を募集、これに応募したのが“武州多摩の浪士”近藤勇以下、土方歳三、井上源三郎、沖田総司ら10数人(いずれも近藤勇が師範を務める天然理心流(日野道場)の門人及び縁故者たち)。将軍・家茂が3000人の行列を従え上洛したのは1863年(文久3年)2月下旬、清河が率いる浪士組(233人?)もまた“将軍護衛”の名目で行列3000人の中に加わっていたと想像する。なお、この時、山岡鉄舟ほかの幕臣たち数人が“浪士取締役”を担った。

浪士組は、まず京都中京区壬生(みぶ)の新徳寺に駐留したことから“壬生浪士組”と称した。ところが京都に着くなり清河は「壬生浪士組の目的は尊皇攘夷だ」と演説、暗に反幕府(討幕)を匂わせた。これには(幕臣の)山岡鉄舟が反発、清河との決別を決意した。公武合体(朝廷の権威と幕藩体制の再編強化)思想の近藤勇も真っ向から対立、(鉄舟から通報を受けた?)幕府は清河の尊王攘夷思想を危ぶみ江戸帰還命令を出した。清河とともに江戸に戻された浪士は209人?、近藤勇、土方歳三、沖田総司、井上源三郎など近藤一派と芹沢鴨(水戸藩士)一派ら合計24人?は京都に残り、山岡鉄舟の後押しで「新選組」を立ち上げ、京都守護職(会津藩主)松平容保から“会津藩預かり”とする旨の承認を得たのが3月13日、したがってこの日を(日野市観光協会が)『新選組の日』と制定した。前述の“翁の違和感“とは――確かに近藤らは清河八郎の浪士募集に応募したが、近藤らは清河の”尊皇攘夷““反幕府”思想に反発、したがって「新選組」立ち上げに協力したのは山岡鉄舟であったことを確認しておきたい。なお、江戸に戻った清河八郎は間もなく幕府の刺客に暗殺された。また『新選組』初代頭取(局長)芹沢鴨(一派)は、商人や町人から金品を強奪したり、婦女子を暴行するなどの乱行を繰り返した。「芹沢らの悪行は新選組の理念(赤誠に)反する」とばかり近藤一派は芹沢一派を粛清(暗殺)(慶応3年9月)、以後、近藤勇(局長)、土方歳三(副長)体制が確立、1番隊組長・沖田総司、2番隊組長・永倉新八、3番隊組長・斉藤一など10番隊編成と7人の監察方(隊員の監視役)を置いて厳しい法度(規律)を強制し隊の統制を図った。(にもかかわらず幹部及び隊員の中には反発したり問題を起したりして切腹させられたり、斬首されたり、脱走した者もいる。)

冒頭に「新選組の評価はさまざまだ」と書いた。“多摩の百姓で終わりたくない、最後は武士で終わりたい”という立身出世の夢を追った者もいただろう。また純粋に国家(幕府)に対する“報恩謝得”の精神の持ち主もいただろう。しかし(今の時代から見て)いくら彼ら流の大義名分があったにせよ彼らの残虐なテロ行為を肯定することは出来ない。だが「当時の時代背景からして彼らは正当な治安活動であった」と評価する歴史学者もいる。翁の個人的総体的論評は避けるが、近藤勇の最期の言葉「一死をもって主の恩に報いる」、土方歳三の「我が身は蝦夷地に果つるとも魂は東(あずま)の君を守らん」の2人の国家・主君への忠誠心だけは称賛したい・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

イエローマスタード

イエローマスタードと聞くと真っ先に頭に浮かぶのはホットドックに定番の辛子。
日本のおでんなどに使われる黄色い唐辛子とは、ちょっと味が違う。少し酸味があってあの鮮やかな黄色はターメリックが使われているそうだ。先日、クライアントさんの食卓テーブルにイエローマスタードの小袋が山のように置かれてあった。“このイエローマスタードは何の料理に使うの?”と聞いたら“これは足が攣った時に使うのよ”と言うので足に湿布でもするのかと思ったら食べるのだそうだ。ちょうど一袋ぶんがティースプーン一杯ぐらいなのだそうで、足が攣った時に口に入れると2分以内に筋肉の痙攣が収まるのだそうだ。初めて聞いた。日本でも昔から家庭のキッチンにあるもので体を治したり応急手当をするという事は知っていたけれどアメリカにもHome Remediesホームレメディーと言ってお婆ちゃんの知恵のようなものが伝わっているようだ。一般のお医者の中には、そんなものと全く興味を示さない人も多いと思う。イエローマスタードがどうして筋肉の痙攣に効くのだろうと、その因果関係を調べてみたら医学的な根拠が出ていた。近年、アメリカのスポーツ医学会とアカデミー神経学科が共同で行った実験でマスタードの成分のアリルイソチオシアネートという成分(わさびや大根にも含まれている)が脳に伝わってその刺激で筋肉の痙攣を軽減させるのだそうだ。医学的な英語の文章を読むのは時間がかかるので詳しい事は省くとしてスパイス系のものには筋肉の痙攣を和らげる効果があるのだそうだ。シナモン、唐辛子、ジンジャー、ターメリック(ショウガ科)等々…今ハウスオーナーがポットに一杯、紅茶と生の生姜を擦りおろし、そこに蜂蜜を入れたものを毎日飲んでいる。これを飲み始めてから体の調子がいいと言う。こんな話を聞くと、もう一度、薬になるものが無いかキッチンの食材を見直してみたくなるものだ。

茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言

今週はお休みです。 

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

名前だけは知っていたBobby Hutchersonですがこれまで聴いたことがありませんでした。Bobby Hutcherson(1941-2016)はカリフォルニア出身のVibraphone奏者です。アルバムHappeningにはHerbie HancockのピアノのMaiden Voyageが含まれています。Vibraphoneの耳障りの良い軽やかなサウンドが気分を和らげてくれます。

"Happenings" Bobby Hutcherson

01-Aquarian Moon
02-Bouquet
03-Rojo
04-Maiden Voyage
05-Head Start
06-When You Are Near
07-The Omen


Bobby Hutcherson(vib, marinba),
Herbie Hancock(p),
Bob Cranshaw(b), Joe Chambers(ds)
Recorded February 6, 1966.

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

 

編集後記

先週は河合さん宅の電話回線が何らかの原因で切断されて使用できず、原稿が送れなかったようです。河合将介さんから原稿が送られてきてほっとしています。

花粉症の症状がひどくなってきました。コンタックが欠かせなくなっています。今年は花粉が多いのでしばらくはこの症状が続くと思うと憂鬱になります。

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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1139

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com