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1134号

NO.1134     Ryo Onishi              2/4/2018

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雑貨屋のひとり言

先週土曜日、修繕工事の一環でエアコン室外機のガスを抜くため作業者が家に来てエアコン操作を行うことになりました。部屋が散らかっていたので、ちょうど良い機会と思い前日まで時間をかけて部屋の断捨離をしました。ところが当日は整理した部屋に入ることはなく別の部屋のエアコン作業だけで終わり拍子抜けしました。
でも以前からなんとかしなければと思っていた部屋を整理するきっかけになり気分も良くなりました。とても良かったと思っています。なにかをしようとするとき、行動するきっかけが欲しいときがあります。どんな形でもいいからきっかけに反応し行動できる自分でありつづけたいと思います。 ≪R.O≫

 

どうなる、21世紀

私は当地ロサンゼルスを中心とする日系バイリンガル新聞である羅府新報の『磁針』欄に、ほぼ月一度寄稿をしています。ここで磁針寄稿250回を迎え、これまでの寄稿文を整理しています。

ほとんどの文章は当、雑貨屋ウイークリーに投稿しているコメントですが、『磁針』のほうはロサンゼルスを中心に滞在している日本人や日系人を対象にしており、また紙面の都合上、文字数に制限があり(860文字)、雑貨屋用とは若干ニュアンスが異なった書き方、内容になっています。

そこで過去の磁針寄稿文をここにも連載させていただき、ご参考に供します。

『どうなる、21世紀』(羅府新報、2001年1月掲載)
 還暦を過ぎて3年半、そんな私にとって子供の頃は、21世紀とは遠い未来の“空想の世界”でしかなかった。そんな“空想の世界”であった21世紀が何と今始まり、私はその世界に生きている。

 私が21世紀を現実のものと認識したのは今から5年前の正月の初夢だった。

夢の中は5年後の2001年元旦、即ち21世紀の初日の朝だったのだ。

夢の中で私はパソコンを操作してその日のニュースを知り、友人・知人とE-Mailで年賀の挨拶を交わしていた。そして、あれから5年後の今日、私はあの時の初夢と同じ事をしている。

 5年前の1996年正月当時、私は情報機器関係の会社に勤務していながら、私生活ではパソコンとは全く無縁であり、またそれで何の不都合もない日常生活だった。

私だけでなく、当時は一般向けインターネットやE-Mailはまだ初期の段階だった筈だ。

たった5年でこれほど変化してしまう世の中と自分に驚くばかりだ。
 
当紙にも一部紹介されていたが、日本の科学技術庁の研究所が先月公表した「21世紀の科学技術の展望とそのあり方」という報告書を読んだ。そこには研究者が回答した、21世紀の科学技術に関する展望がまとめられていた。

遺伝子技術の発展により人間改造がなされ難病を治し、寿命を伸ばしてくれるという。

中には「徐々に人類の大きさは小型化してゆき、食料・人口問題は解決する」という記述もあり、ようやく私のようなチビ・コンプレックス人間にも未来が開けそうだ。

 ただ、技術の発展がすべて人類の幸福につながるとは限らず、人がこれをどのように自然と調和させるかが重要だろう。

過去100年の変化も激しかったが、これからの一世紀の変化は到底過去の比ではなく、私にはとても予測は不可能で末恐ろしい。

「どうなる、21世紀」なんて気負ずに、明日のために今日は何が出来るか、そんな事を考えながら自分のペースで生きてゆこう、―― そんなところが私の年頭所感としてはふさわしいのかもしれない。


河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


雑魚数多集め余裕の多数決

昇竜の驕りちらりと蛇尾を見せ

濡れ衣の無念野次馬容赦ない

俎板の鯉にはなれぬガン告知

鯨幕億の遺産が気を揉ます



( ニュースひとりよがり )


「開会式に出席」
平昌はリオよりも遠い −安倍首相

「国技」
モンゴルが駄目ならジョージアが −大相撲

「納豆購入額3位に転落」
粘りが足りなかった −水戸市


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(510)「お稲荷さん」

2月最初の午(うま)の日『初午』は(2018年は)2月7日。この日、全国の稲荷寺社が仏前や神前に油揚げを供え稲荷寿司などを食して稲荷祭礼を行なう。「午」は「馬」のはずなのに何故「狐」のお祭りをするのか、どうも分かりにくい。調べたら「奈良時代(711年頃)のこの日、稲荷社の総本山である京都の伏見稲荷大社に“稲荷大神(神の使いの狐)”が鎮座された、それを記念して(初午の日に)全国の稲荷寺社が稲荷祭礼を催すようになった」と伝えられている。もう1つ分かりにくいのが“お稲荷さん”には神道系と仏教系があるということ。全国3万2千社の“お稲荷さん”の総本山は伏見稲荷大社で神道系。佐賀県佐賀市の祐徳稲荷神社や茨城県笠間市の笠間稲荷神社も(その名の通り)神道系の稲荷。一方、愛知県豊川市の豊川稲荷(1441年頃の室町時代に創建、本尊は千手観音)は曹洞宗のお寺であり、北海道・東京都・神奈川県・大阪府・福岡県に別院を持っている。神道系稲荷も仏教系稲荷も共通しているのは、普通の寺社では本殿前の両脇に一対で向き合う“狛犬”が悪いものが侵入して来ないように寺社を護っているのだが、稲荷寺社の本殿前には“神の使いの狐”すなわち“狛狐”が守護獣として座していること。稲荷(いなり)の語源が“稲生(いねなり)”であり、元々は五穀豊穣を司る食物の神様を祀ったもので、それが後年、商売繁盛・開運祈願の社(やしろ)になった、という点である。

先日、所用で赤坂に出かけた際、ついでに赤坂見附から国道246号(通称・青山通り)を渋谷方面に(緩やかな上り坂を)歩いて5分くらいの右側にある(1年中、赤い提灯が敷地内いっぱいにぶら下がっている)『豊川稲荷東京別院』の山門をくぐった(写真左)。長年、東京に住んでいるのに初めての参詣だ。なるほど拝殿前の両脇には一対の“狛犬”ならぬ“狛狐”が参拝者を迎える(写真右)。ここはお寺(曹洞宗)なので“2礼2拍1礼”ではなく、ただ“合掌”して我が身の健康を祈願した。

由緒では「一般的に“稲荷”と言えば、狐を祀った神社を想像されるが、当院は平安時代の僧・空海(弘法大師)によって普及された”吒枳尼真天( だきにしんてん=密教の教主・大日如来の化身)“を祀っている」とある。その由緒を読んで翁、ふと疑問を抱いた。空海は“真言宗”の開祖であるのに何故、豊川稲荷は“曹洞宗”なのか?曹洞宗の開祖は鎌倉時代初期の禅僧・道元である。と言うことは、道元は平安時代に空海がもたらした吒枳尼真天を学び、鎌倉時代初期に独自の宗派(曹洞宗)を興したのだろうか? 時代は下って豊川稲荷は室町時代の創建だから(道元の)”曹洞宗“を導入し、本尊は空海の”吒枳尼真天“にしたと言うことだろうか?しかし本山(愛知県)の豊川稲荷の本尊は”千手観音“、ややこしい話だ。更に由緒には「”豊川吒枳尼真天“が稲穂を荷い、白狐にまたがっていることから”豊川稲荷“と称され現在に至っている」と記されている。

さて、本殿参拝の後、“融通稲荷”(財宝を生む尊天=神仏を超えた宇宙全体の真理)、“叶稲荷”(魔除け、開運招福の神)、“弁財天”(貧困を救い財物を与える天女)、そして“奥の院”(開山祖師の霊像や神霊を祀った祠)(写真左)を回って最後に“大岡廟”(写真右)を参拝した。ここは、将軍・吉宗時代の名奉行・大岡越前守(忠相)の霊廟である。

何故、大岡越前を祀っているのか――寺務所の男性職員に訊ねた。大岡越前守が、晩年に三河西大平(みかわにしおおひら・愛知県岡崎市)1万石の大名に任命された時、信仰していた三河の「豊川稲荷」を本山(ほんざん)から分霊(ぶんりょう)して、赤坂の自邸(現在の赤坂一ツ木通り辺り)の庭に祀ったのが、赤坂の豊川稲荷の起源となった(文政11年、1828年)。関東一円の信者の要望で(大岡家・豊川稲荷への)一般参拝が許され、
時代は流れて明治20年(1887年)に道路(青山通り)を隔てた現在の地に遷座された。
すなわち大岡忠相は『豊川稲荷東京別院』の開基であるという訳だ。余談だが翁は1970年から1999年にかけてTBS系列で放送された加藤 剛主演の『大岡越前』の大ファンだった。(どうでもいい話だが)現在放映中の『大岡越前』(NHK)は内容が軽く、主役俳優のセリフ下手、貫禄無し、で、ほとんど視ない。

2月7日は『初午』、1年のうち最も運気の高まる日とされているので翁、大好物の“稲荷寿司”を(午の時刻)正午前後に食べて(午の方位)南方に向かって参拝しようと思っているが、実は翁、この日は北方にも思いを寄せねばならない大切な日。何故なら2月7日は『北方領土の日』――1855年(安政2年)伊豆の下田で「日露和親条約」が締結され、北方領土が日本の領土であることを確認したのがこの日。しかしソ連(現ロシア)は昭和20年8月の終戦間際に日露不可侵条約を一方的に破って日本を攻撃、“終戦宣言”の後も武力攻撃を続け北方4島を不法占拠した。故に翁“ドロボー猫・ロスケ“への怒りが修まらない。「お稲荷さん、北方領土返還にもお力を」・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

今週はお休みです。

茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言「産 物」

玄関のインターフォンに応えてドアを開けた。そこに立っていたゆうパックの人、「干し芋が届きましたよぉ〜」と大きな声で言った。私は「待ってましたぁ〜」っと、負けない位大きな声で言った。思わず二人とも、さらに大きな声で笑った。私は受取の印鑑を押して、干し芋の箱を受け取った。荷物を渡すゆうパックの人も受け取る私も、まるで赤ん坊でも渡しし、また受け取るかのように、温かみと喜びの笑みでいっぱい。1年に1度、大寒を過ぎたこの時期に必ず届けられる先輩Iさんからの贈り物、茨城県ひたちなか市の産物である。

ひたちなか市の産物“干し芋”(平干・丸干)の存在を知ったのは、今から10年ほど前、先輩Iさんの住むひたちなか市を訪ねた時、先輩Iさんの奥さんが旅の帰りに持たせてくれたのが始まり。“干し芋”は、蒸かしたサツマイモを乾燥させて作るもので、他のサツマイモの産地でも作られてはいるものの、市場の約8割強は茨城県産だそうだ。私の故郷・熊本ではサツマイモのことをカライモと呼び、寒風が吹き始める晩秋の天草地方の農家では、7〜8ミリの厚味に輪切りしたカライモを、稲ワラで括り付けて干す。その干したカライモを天草では“こっぱ”と言い、干し上がった“こっぱ”はそのまま食べず、たいていは餅に混ぜる、これを“こっぱもち”と呼んでいる。だから、Iさんの奥さんから渡された“干し芋”を手にした時私は、「何ですか、これ!」と奇声を発し、食してこれまた「へぇぇ!」と感嘆の叫び。それ以来、“干し芋”を届けてくれる先輩夫妻は、保存方法から様々な食べ方まで伝授してくれている。天日干しされた“干し芋”は、コレステロールは含まず、植物繊維を多く含み、ビタミンB1、ビタミンC、そしてカリウム等にも富んだ健康に良いアルカリ性食品であること、だから災害時の備蓄としても最適であること、ひたちなか市の“干し芋”の(美味しさの)決めては“風”、きりっと寒く晴れた日の阿字ヶ浦の“浜風”だと話してくれた。自然の技、自然が産み出したひたちなか市産の“干し芋”が、他のそれより勝る逸品だと称されるのも、この“風”の産物、だと知る。

ところで、産物の産という字の成り立ちは、『険しい崖から得た鉱物性顔料』と『草木が地上に生えてきた』という意味を持つ(漢和語源辞典より)。私たちが“産”を使う場合は、子どもが産まれる、何かが作り出される、何かが生じる、何かが出来上がる、何かが財産になる、などの意味で使う事が多い。私が知っているひたちなか市の“干し芋”農園(黒沢豊農園)、100年も続くその農家6代目は、「品質の違いは、地域的な自然条件と生産者の腕が大きく左右する。生育時の土壌が大切であり、良い土作りは短期間ではできないもので、自然と人の長年の積み重ねで出来るもので、それは農家の財産であること、育苗と作付けの良し悪しで作柄の6割が決まる重要な作業で畝間の形・間、1本の苗の角度・深さなど一定にして数万本も植えること、芋の生育最勢時には雑草も勢い強く、地道でたゆまない草と戦う作業が生育競争を勝ち抜くことにだということ、やっと収穫の季節を迎えると大切に土を掘り、数十トンもの自然の恵を頂くということ。そこから、恵みを熟成させ、平干は8日前後、丸干は30日前後100%天日干し作業、毎朝毎晩、干したり取り込んだりを繰り返しながらじっくり干していき、進化した文明の利器(乾燥機)で乾燥させる会社や農家もあるが、せっかくの自然の恵みと人間が調和しなければいいものは生まれないこと。だから大量生産は出来ないが、先祖から受け継いだものを守り続けたい、それこそが我が家の産物だと信じていること」を話してくれた。こうして、干し芋農家の6代目ご主人の話を聴いたり、産物の持つ意味に触れたりすると、自分自身の毎日が多種多様の産物、命、両親やきょうだい、友人や知人などの人、育った故郷や住んだ(いる)ところ、・与えられているモノやチャンス、こんなに沢山の恵みに囲まれ支えられていることを再認識、産物はモノばかりではないのだな、と気づく。

さて、先輩Iさんが送ってくれた芋をかじりながら、このエッセイを書いている。この季節、朝に夕に、家にいても外出時も、この芋の1片が私の手もとから離れない。災害時の備蓄にもしなさいと多めに送ってくれる先輩Iさんのアドバイスもよそに、私は“干し芋娘”になっている。そんな私だが、Iさんの教えを活かし、熊本大震災後からは、私も熊本の兄家族や娘家族に、ひたちなか市の黒沢豊農園から“干し芋”を一箱ずつ送るようにしている。Iさんが茨城で受けた東日本大地震時の被災体験の知恵や祈りが、同じ震災体験をした熊本の家族にも届き、大寒を忘れさせてくれることを願いながら――芋づるのように一人の心が多くの人に繋がっていく恵み、これも産物と呼べるかなぁ・・・っと呟く、さくらの独り言。

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

部屋を整理しリクライニングシートでリラックスして、ゆったりとジャズを聴けるようになりました。でもこういう状態で聴くと気持ち良くてウトウトしまいます。
今週はイタリアのピアノトリオGuido Santoniのアルバム"Inside A Dream"です。上品なピアノでまったりと聴けるジャズです。

"Inside a Dream" Guido Santoni

01-My Father
02-Travelling Through The Clouds
03-Chasing The Unreachable
04-Imoro I
05-Listen To Me Again
06-Life Through Your Eyes
07-A Song For Anto
08-Autumn Clours
09-Impro II
10-Pearl Games
11-Breathe Freely
12-Inside A Dream

Guido Santoni(p)
Danilo Gallo)b)
U.T.Gandhi(ds)



ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

 

編集後記

歩き始めたもうすぐ1歳になる孫Y君は、お姉ちゃんたちの後をついて同じことをやるようになってきました。
3人の孫が同時に家に来ることがあると、3人一緒の写真を撮っています。動き回るのでなかなか撮らせてもらえません。うまく?撮れた写真をPCやスマホの背景画面に使っています。ジージのひとり言です。

サザエさんのスポンサーがAmazonになったようですが、スマホもPCも登場しない昭和のサザエさんとAmazonとのギャップが大きいですね。どんなCMになるのでしょうか?

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雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1134

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com