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1123号

NO.1123     Ryo Onishi              11/19/2017

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雑貨屋のひとり言

土曜日、市の消防署による救急蘇生法の体験講習があり参加しました。生まれて初めて受けました。胸骨圧迫による心肺蘇生とAEDを使った電気ショックまでの一連の救急蘇生法を体験しました。とても貴重で有意義な経験ができました。救急車を呼ぶと来るまでに7-8分くらいかかるそうです。それまでに蘇生対処をすれば助かる率が高くなります。実際に緊急の場面に遭遇したとき、冷静に対処できるかどうかわかりませんが、この体験を活かせるようにしたいと思います。≪R.O≫

 

 異常か正常か

私は当地ロサンゼルスを中心とする日系バイリンガル新聞である羅府新報の『磁針』欄に、ほぼ月一度寄稿をしています。ここで磁針寄稿250回を迎え、これまでの寄稿文を整理しています。

ほとんどの文章は当、雑貨屋ウイークリーに投稿しているコメントですが、『磁針』のほうはロサンゼルスを中心に滞在している日本人や日系人を対象にしており、また紙面の都合上、文字数に制限があり(860文字)、雑貨屋用とは若干ニュアンスが異なった書き方、内容になっています。

そこで過去の磁針寄稿文をここにも連載させていただき、ご参考に供します。

『 異常か正常か』(羅府新報、2000年1月掲載)
  大手都市銀行をはじめ、旧財閥系列が入り乱れての合従連衡(がっしょうれんこう)、自動車始め主要大手企業の相次ぐ外国企業との提携、資本導入、実質傘下入り等々、昨年の日本経済界は将来への生き残りを賭け、なりふりなどかまっていられないと言った感があり、経済・金融ビックバンもまさに待ったなしの時代に突入している様子が実感された年だった。
  
先日、日本からのニュースを聞いていたら、ニュースキャスターが日本の経済・金融の現状について盛んに「異常事態」という表現を使い、解説しているのを耳にした。

  確かに日本にとってこれまで経験しなかった事なのだから「異常事態」には違いない。

でも、アメリカという外から祖国を眺めている私には「異常事態」という表現こそ「異常」ではないかと思えてならなかった。

  第二次世界大戦後、日本は強力な官僚主導のもと、「官・財・民」がそれこそ一体となり、経済復興に努め、世界の歴史上にも例を見ないほどの急速な発展を遂げ、経済大国の仲間入りを果した。

それはそれで日本が世界に誇るべき偉業であったと言えるだろう。

  しかし他方、いわゆる護送船団に守られ、世界の荒波に身をさらすことも少なく、親方日の丸的に恩恵をこうむって成長してきた日本の金融・経済界はいつのまにか国際競争原理から取り残されてしまったこともまた事実であり、この取り残された事実こそ「異常」だったのではないだろうか。

  国際化と世界の荒波という観点からすれば、日本は現在のような「事態」は10年以上も前に経験してしかるべきだった。

別の言い方をすれば、現在の状態は決して「異常事態」ではなく、むしろここで、ようやく「正常な状態になりつつある」と考えるのがそれこそ「正常」というものだろう。

  私は、今の日本の厳しい状況を日本人全員が「正常」と理解した時、はじめて日本がこれまでの日本から脱皮し、2000年代という新しい時代において国際社会の中で「名誉ある地位」を確保できる日本になる時だと思っている。

  それにしても、「正常になる」とは何と厳しい苦行であることだろうか。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


日曜をごろり司馬遼読んでいる

ドラマには遠い私の放浪記

猫五匹飼い漱石の才がない

眼裏に夢二の人が老いてなお

富士山を見たいと庭の月見草



( ニュースひとりよがり )


「ドタバタ劇」
お粗末でした −小池劇場

「TPP米抜きで新協定」
コメ抜きと読みたい −米作農家

「ワクチン不足」
追いカゼ −インフルエンザ


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(500)「さらば、愛車よ!」(記念号拡大版)

“慶びの500号”という記念すべき回に“愛車との別れ”(消し難き寂寞の念)を書かなければならない皮肉なめぐり合わせに、翁、いささか戸惑いを感じて、別のテーマに差し替えようと思ったが、ふと、考え直して(この記念すべき回にこそ)18年間もの長きに亘って翁の“相棒”を務めてくれた“我が愛車”に感謝の気持ちを捧げようと思って筆を執ることにした。

“我が愛車”については(3年前)2014年6月配信の『龍翁余話』(332)「愛しき古女房」で詳しく紹介した。1部を抜粋しよう【翁には15年も連れ添っている“愛しの古女房”がいる。その名を“クラウン・ロイヤル・サルーン”と言う。車の15年は人間の歳月に例えるなら50歳にはなるだろう。その間、翁の足となってくれた(時には翁の命を護ってくれた)“古女房”が愛おしくってたまらない。ちょっと東京を留守にして帰宅した時など、(マンション1Fの駐車場で)主人(翁)の帰りを待ってくれている“古女房”に真っ先に近寄り、軽くボディタッチして「帰ったぞ」と挨拶をしてからエレベーターに乗る、それほどに愛おしいのだ(中略)・・・(車は)バブル時代は3年ごとに買い替えていた。バブル崩壊後、買い替えが出来なくなった主な原因は経済事情だが、年数を重ねるうちにクラウンが翁の体の1部のようになり、歳月の流れと共に“愛おしさ”が増して来たことも(手放せなくなった)要因の1つ。車を愛する人には、その心情は容易に理解して貰えるだろう。10年経った頃「このクラウンの生命力(寿命)と翁の年齢を考えて、もしかしたら余生を共に過ごすことになるのでは?」ヤセ我慢ではなく、お互いを知り尽くした長年の相棒同士だ「お互いに老いて見映えは悪くなったが、元気でさえいたら、それでいいではないか」という気持ちが強くなって来た】――

そして――それから更に3年の歳月が流れた。車の18年は翁の年齢と同じくらい、かなりの高齢者(車)だ。その間「高齢ドライバーの運転事故」が、やたら多く目につくようになった。いや、翁がそう感じるだけではなく現実に増加しているのだ。警察庁の発表によると、平成27年中の交通事故死者数では75歳以上が36%を占めており「高齢化が進む中で“高齢者の交通事故対策の強化”が最重要課題だ」としている。

翁、今春「高齢者の運転免許証の更新」を受けた。そのことも今年4月配信の『龍翁余話』
(472)に書いた。講習には、認知症・視力・反射神経・運転実技などのチェックが行なわれた。幸いに翁は全て合格点を貰ったが、当日、翁と一緒に講習を受けた高齢者の中には“危険な高齢ドライバー”を印象付ける人もかなりいた。講習指導員は「近年の高齢者運転による交通事故多発は皆さんご承知の通りです。皆さんが被害者にも加害者にもならないために、どうぞ、ご家族とよくご相談なさって下さい」としきりに“運転免許証返納”を薦めていた。『龍翁余話』(472)のエピローグ(終章)には【運転が好きで、まだまだドライブを楽しむ気力・体力・技量は充分にある、と己惚れている翁ではあるが、実はこの正月に一大決心をした。それは平成30年末をもって長年連れ添った愛車(クラウン)とサヨナラし、翁のドライブ人生に終止符を打つ、というものだ。運転免許証の更新も今回が最後だろう。車が無くなる、運転しなくなることは想像しただけでも寂しいし、その後の翁の生活がどのように変わって行くか(今は)予想もつかないが、自分が自動車事故の加害者にならないことだけは確かだ。それを“よし”としよう】と結んだ。

ところで翁、70歳から高血圧の薬(当初は「カルブロック」、最近は「アジルバ」)を(朝2錠、夜1錠)を飲んでいる。自家用の血圧測定器でほとんど毎日(朝晩)測っており暖かい時季は朝160:75、夜150:70、寒い時季は朝170:80、夜160:75(いずれも平均)と(薬を飲んでいるのに)高いのだが、自分としては普段の生活も散歩やゴルフをしている時も、別に高血圧の症状(頭痛・目まい・耳鳴り・肩こり・動悸など)が出てくるわけではないので主治医と相談して“高値安定”を継続していた。ところが今夏の猛暑の某日、(週2回の)出勤のためいつもの時間(9時半頃)玄関からエレベータホールに出た時、突然、目まいが生じ、ふらつき出した。「これはいかん、こんな状態では運転は危ない」と判断して会社に電話、欠勤を告げた。ソファーに横になって休んでいたら1時間ほどで目まいもふらつきも治まったが、こんなことが7月、8月の2か月の間に3回も起きた。その都度、脳卒中や心筋梗塞などの心配が出て来る。それなのに“車を運転するのが怖い”という実感はわかない。しかし、冷静に、客観的に考えれば、いくら「俺は大丈夫だ」と思っていても“いつ、どこで、どんなトラブルが発生するか分からない年齢になっているのだから、「自信過剰もそろそろ終わりにしなければ」と(しきりに)反省するようになった。そして(悩みに悩んだ末)9月末に再度一大決心をした。『余話』472号で宣言した【平成30年末をもって長年連れ添った愛車(クラウン)とサヨナラし、翁のドライブ人生に終止符を打つ】を1年早めて今年11月(24日)遂に「さらば、愛車よ!」ということにした。

“愛車との別れ”は予想以上に辛い。そこで、10月以降、出来るだけ愛車と一緒にいたい(未練)から、用事もないのに都内のアチコチや近郊をドライブする回数が増えた。今までは出かける際は「今日もよろしくネ」、車庫に戻った時は「今日もありがとうネ、お疲れさん」と心の中で呟いていたが、10月以降は声を出して語り掛けるようになった。ドライブの途中も声を出して“独り会話”している。車内カメラでもあれば、翁の状態(“独り会話“)が何とも奇妙に映るだろうが、翁自身は至って正常、でもないかな?愛車が翁の語り掛けを、ちゃんと聞いてくれていると信じてしゃべっているのだから、正常ではないのかも知れない。でも、それも、あと数日で終わる。愛おしさ、寂しさはますますつのるばかり・・・こう書いている間でも、愛車の白いボディがパソコン画面を走る。そして愛車との数え切れない”ドライブの思い出“が脳裡をよぎって翁の胸が熱くなる。そのたびに、筆運び(パソコンのキーを叩く指)が止まる。こんなことでは、愛車がいなくなる来週から翁はいったい、どういう心理状態になるのだろう?そして、どんな生活に変化して行くのだろう?と(だらしない話だが)今時点では、気持ちがかなりウツになっているのだ。

さて、今号は記念すべき500回。「よくもまあ、続いたものだ」と我ながら感心する。実は2015年11月配信の『龍翁余話』(400)で「400号〜格別な思い」を書いた。1部を抜粋しよう.【振り返れば10年前(今年からだと12年前)の2005年の春、(古希を目前に控え)そろそろ“世の中のこと、自然のこと、家族のこと、友のこと、そして自分のことを自由奔放(正直)に語ってみたい、そうすることによって自分の生きざまを顧み(省み)、今の自分の”立ち位置“を確認したい、いわば自分史を綴ることによって余生の”自分探し“を試みたい――そんな思いで“気まぐれエッセイ”『龍翁の独り言』(『龍翁余話』の前身)を書き始めた。『龍翁』命名の由来については(これまでにも書いたが)2代目市川猿之助が昭和37年に孫の(当時)市川団子に3代目猿之助を譲り、自らを『猿翁』と名乗った。その時、彼は「翁の文字、まだ身にそはず、衣がへ」と詠った。2代目猿之助がたしか74歳だったと記憶する。翁が『龍翁』を名乗ったのは68歳。その時、翁は『猿翁』の句をもじって「翁とは、まだ10年先の呼び名かな」と詠んだが、今となれば「翁とは、我が身にそへし 呼び名かな」である。(中略)翁の余生訓「“人生下り坂”でも、けっして焦らず急がず“足る”を知り、喜び、“感謝”の気持ちを忘れない――これから先、500号への道程はかなり苦しい“上り坂”だろうが、気力・体力・知力が持続する限り目指したい、読者各位のご声援をいただきながら・・・】と、結んだ。そして、今日、その500号を迎えた。感慨ひとしおである。

先日、久しぶりに親友のJさんにお会いした。その時“愛車との別れ”について翁の寂しい心情を吐露し、「ドライブも出来ない、ゴルフの回数も減る、これから先、私は何を楽しみにすればいいのだろう」と泣き言を呟いたら、Jさんいわく「最近、私も免許証を返上したばかりなので龍翁さんの寂しい、辛い気持ちはとてもよく分かる。しかし龍翁さんにはエッセイ(『余話』)がある。600号、700号を目指して更に磨きをかければ」と励ましてくれた。嬉しかった。これから先、気力・体力・知力は衰えるばかりで600号への道程は一段と険しいものになるだろうし、納得出来る文章が綴れるかどうか全く自信はないが、取り敢えず(週1が無理なら隔週でも)書けるリズムで書き続けようと(Jさんのお蔭で)気持ちを新たにすることが出来た。感謝!

“愛車との別れ”に際し、(いつもはガソリンスタンドで洗車しているのだが)せめて最後は自分の手で洗車してやりたい。そして、最後の“お礼”を言いたい「長い間、本当に、本当に、ありがとう!君の英姿は、別れてもなお、常に我と共に在る。さらば、愛車よ!けっして忘れまじ、君との想い出を!」・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

同じ医者でも

同じ質問を医者にしても其々全く違う答えが返ってくるものなのだな〜と感心した事があった。先週、久しぶりに目医者に行った。10月の下旬、日本に帰国した途端に気候や環境の変化のせいかクシャミや鼻水が出て目まで痒く赤くなった。時々行くご近所のドクターに行ってみたところ今年はいつもより多く10月の下旬からそんな患者さんが多いとの事。早速、痒みやアレルギー用の薬と涙に近い成分の点眼薬を頂いた。
ついでに鼻水用のスプレーも出してくれた。このお医者さんは患者さんの質問に一つ一つ丁寧に答えてくれる。今回は、ついでに米国のクライアントさんの目の事も聞いてみた。なかなか普段、お医者様と話す機会が無いので、せっかくだから何でも聞いてみたいと思うので手短に質問をしてみた。大抵のお医者様は聞かれなければ余計な話はしないものだけれど聞けばわかる限り何でも医療知識を話してくれる。そこで12月に目の手術を控えているクライアントさんの事を聞いたらやっぱり米国の眼科の先生とは見解が違っていた。これに関してはどちらの考え方も正しいと思うけれど私の見解も日本の先生と同じだったので、それなりに納得出来る回答だった。
それから数日後、今度は母の定期健診で母が通っている眼医者に付き添いで行った。
母も今年の秋は目の痒みがあったと言う。以前それを言っても点眼薬を出してもらえなかったと言っていたので今回、健診後、面談の時に先生に母の目の痒みの症状を伝えると“痒い時はこうやって掻けばいいんです。“と瞼の上から手で、こすって見せた。私は”眼に傷がついたりしませんか?“と聞くと”瞼の裏は何もないですから,ほらっ“と瞼をひっくり返して見せた。そしてつかさずそのお医者様は言った。“目を掻く時に目を開けて掻く人はいないでしょう?だから何も問題はないんです”と真顔で言うので思わず笑いそうになってしまった。それでも私が他で処方箋の点眼薬をもらった名前を言うと“ま〜どうしてもって言うならその点眼薬を出してもいいんですけどね、、、”と言うと今度は、つかさず母が“お願いします!”と言ったのでその医者は面倒くさそうに仕方がないな〜という感じで“は〜い、それではその点眼薬を出しておきますから〜”と甲高い声で言った。何だかふざけた感じの医者だな〜と思った。以前、飛蚊症かもしれないと母が相談した時にも“年ですからね〜それは目の皺みたいなもんですから仕方がありませんね〜“と言う回答が返ってきて、その返答にその時も笑いそうになったのを覚えている。対策が無いと言うので後日、睡眠と栄養に気を付けるようになってから母の飛蚊症はだいぶ軽くなった。日本でも米国でもこの数年だいぶいろいろな分野の様々なお医者様に会う機会があってそれなりに見ていると格差が大きい。確かに不向きだけれど親が医者だったので仕方がなく医院を継いで医者という立場になっている人もいるし人と接するのが苦手な人もいるし時間に追われて余裕がなさそうな医者や勉強不足の医者もいる。自分の体や身内の体を預けるからには、こちらも、それなりに勉強し医者を見定める目を持っていなければ大変な事になると思う。この数年、たくさんの素晴らしいお医者様やそうでないお医者様にも会ってきて生意気なようだけれど目が肥えてきたような気がする。

茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言

今週はお休みです。前回の記事は「風景・・・小さな写真館」です。http://www.zakkayanews.com/zw/zw1119.htm

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

Jazz Pianoを集めたThe Ballad On Jazz Piano TrioやThe Standard On Jazz Piano Trioのアルバムをこのコーナーでも紹介したことがあります。Jazzを片っ端から聴き始めたころに、これらのアルバムに収録されているアーティストのアルバムを探しました。ポピュラーなJazzなのでTsutayaやGeoでも容易に探せましたが限界がありました。Amazon Prime Musicで探すと簡単に見つかることがわかりました。John Hicksのピアノが聴きたくなったのでAmazon Prime Musicで探したらすぐに見つかりました。今週はJohn Hicks Trioのアルバム"Cry Me A Liver"を紹介します。Jazz Pianoの中でもJohn Hicksのピアノがとても気に入っています。
 

“Cry Me A Liver"  John Hicks Trio

01-Witchcraft 7:33
02-Softly As In A Morning Sunrise 6:40
03-Beautiful Love 6:19
04-I'm Getting Sentimental Over You 5:33
05-Cry Me A River 8:01
06-Alone Together 8:02
07-You Don't Know What Love Is 6:29
08-Moon And Sand 6:58
09-"C" Jam Blues 4:45

Bass:Dwayne Burno
Drums:Victor Lewis
Piano:John Hicks
Producer:Todd Barkan

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

 

編集後記

会うたびに成長している孫たちを観るのは楽しくうれしいものです。孫3人が我が家に集まると保育園のようににぎやかです。小さい孫に眼が向くので自分が先頭に立って動き回る4歳の孫、歩けるようになり、うれしくてしようがない1歳5か月の孫、二人の行動を興味津々で観ながら、つかまり立ちをしようとする9か月の孫、1年経ったらどうなっているのかなあとニヤニヤしながら想像しています。

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雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1123

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com