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1119号

NO.1119     Ryo Onishi              10/22/2017

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雑貨屋のひとり言

10月に入ってから雨がよく降ります。超大型台風21号が近畿に近づいてきていて朝から雨が降っている中、投票に行きました。選挙の投票率が気になるところです。行楽の季節ですからいろんなところでこの台風の影響を受けていると思います。
ドジャーズが29年ぶりにワールドシリーズ進出となりました。残念ながらヤンキーズは進出を逃し、期待された日本人投手対決 は成りませんでした。≪R.O≫

 

 本を読む

私は当地ロサンゼルスを中心とする日系バイリンガル新聞である羅府新報の『磁針』欄に、ほぼ月一度寄稿をしています。ここで磁針寄稿250回を迎え、これまでの寄稿文を整理しています。

ほとんどの文章は当、雑貨屋ウイークリーに投稿しているコメントですが、『磁針』のほうはロサンゼルスを中心に滞在している日本人や日系人を対象にしており、また紙面の都合上、文字数に制限があり(860文字)、雑貨屋用とは若干ニュアンスが異なった書き方、内容になっています。そこで過去の磁針寄稿文をここにも連載させていただき、ご参考に供します。

『本を読む』(羅府新報、1999年10月掲載)
 灯火親しむ読書の秋になった。最近はマルチメディア時代と言われ、本より映像・イメージの方がブームであり、パソコンが手軽に情報を得る手段になっている。

かく言う私も最近は読書量が少なくなった。今まで読書に使っていた時間の大半をパソコン(インターネット、E-Mail)にまわしているからだ。

 確かにパソコン上でも活字を追いかけ、また文字を読んではいるが、その内容はどうも奥行きのない薄っペらなものが多い。
 
パソコン時代を代表するビル・ゲイツ氏(マイクロソフト社会長)が日本のある新聞で「本」に関する読者の質問に答えて、「本は偉大だ。私はあらゆる種類の本が好きだし、本の重要性はこれからも変わることはないだろう。」と述べていたのを思い出す。

あのコンピュータ・オタクの権化とも言える彼でさえ、と言うよりコンピュータ・オタクであるからこそ、本の重要性を良く認識しているのだろう。

 最近は書店、特に大手の書店へ行くと店内の様子が以前と様変わりしていることに気付く。

棚に並んだ本を自由に読めるコーナーがあったり、店内に喫茶コーナーまで設けて「立ち読み」ならぬ「腰掛け読み」まで出来るサービスをしている書店さえ目に付くようになった。本屋さんも顧客獲得に智恵を絞る時代のようだ。

 近頃の日本の子供達が忍耐力に欠け、チョットした事でもすぐにキレてしまう傾向にあるのも、今の時代があまりにも与えられる情報、それもイメージを中心とした安易で考察不要の情報が多すぎ、じっくり本を読んで自分から自主的・能動的に人生を思索する習慣を忘れてしまったことも一つの原因ではないだろうか。

 本、特に古今の名作・名著と言われるものは、人間の貴重な文化遺産であり人生の道しるべとも言えるものだろう。

 受身と安易の世界からの脱皮、自分で考え切り開く人生の道を示す道標、長い人類の英知の積み重ね、それが本であり、私ももっと本と仲良く付き合う工夫をしなければと思う今日この頃だ。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


さてどっち愛とダイヤに揺れている

やはり夢だったガラスの靴が割れ

愛の字が哀に変換キー無情

iPSでも無理恋の熱さまし

義理チョコの誤解に粋なキューピット



( ニュースひとりよがり )


「投票日」
雨にも負けず 風にも負けず −有権者

「社会主義強国に」
チャイナファースト −習総書記

「日産 出荷停止」
全車にブレーキをかけちゃった −無資格点検者


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(496)「セラフィオーレ展」

芸術の秋――東京駅・大丸東京店で開催された『セラフィオーレ展』を観に行った(18日〜22日)。主宰はセラフィオーレ界の第1人者・高津美子先生。出展者は(高津先生以下)53人。うち講師陣22人(いずれも高津美子主宰セラフィオーレ師範認定取得者。中にはシンガポールやアメリカで活躍している講師もいる)。今季展示会のテーマは“エレガント・オータム”。その名にふさわしい優美で気品溢れる作品揃い。セラフィオーレとは、イタリア語で『蝋(ろう)の花』という意味だそうだ。今年の春、旧友の作家(当展示会出品者の1人・山口理佳子さん)の作品を見せて貰った時、初めてセラフィオーレを知り、そのクリスタルな輝き、鮮やかな発色の透明感、まるで陶器のような質感に大いに魅せられ、この『セラフィオーレ展』を楽しみにしていた。(上の写真は山口さんからいただいた案内ハガキの写真)

実は翁、この種の展示会のプロデュースにはかなりの実績を持つ経験者だ。昔々の自慢話で恐縮だが、およそ30年前、(映像製作会社経営のかたわら)生涯学習推進団体(文科省認可の財団法人)の役員を兼任していた時期があった。その頃(数年かけて)『日本の心・日本美術手工芸展』をプロデュースした。展示品のジャンルは、フレスコペーパーアート(盆栽)・パンフラワー・竹工芸・籐工芸・七宝・押し花・袋物・刺繍・皮工芸・木目込み人形・和紙絵など約40グループに及んだ。国内では東京・千葉・宮城・愛知・京都・新潟・大分など、いずれも全国生涯学習フェスティバル(愛称:まなびピア)の発足期、海外ではオーストラリア(ブリスベン=1988年国際レジャー博覧会)、ベルギー(ブリュッセル=1989年ユーロパリア・ジャパン祭――1969年以来、2年に1度、ブリュッセルで開催されるヨーロッパ各国の文化交流祭であるが、1989年はヨーロッパ諸国以外の国で初めて日本がテーマ国に選ばれた記念すべき祭典であった)、アメリカ(ハワイ=1992年日米文化交流イベント)、イタリア(ジェノヴァ=1994年日伊文化交流イベント)などを手掛けた、いわば“ハンドクラフト・エキシビション(手工芸品の展示会)”のプロ、を自負している翁ではあるが、このたびの『セラフィオーレ展』は初めて。久しぶりに新鮮な感動を覚えた。それは作品の1つ1つに作者の確たるフィロソフィ(理念)と磨かれたテクノロジー(技術)を垣間見ることが出来たからだ。平たく言うと、どの作品にも花びら・葉・茎・入れ物に至るまで作者の芸術的センスが行き届いており、そのこだわりの分、かなりの時間を要したであろうことが想像出来る。その労苦が1級の芸術作品を生み観る人に強烈なインパクトを与えるのだ。
(前述の)初めて“セラフィオーレ作品”を見せて貰った時、製作者の山口さんに“一般的な作り方”を聞いた。(概要は)「まず、テーマを決めてからクレープペーパー(細かな縮みシワのある薄紙)で花を作り、溶かした特殊な蝋に入れて成形し、彩色した後、仕上げの蝋に入れて仕上げる。ベース蝋や仕上げ蝋の温度の調整が難しい」とのこと。話を聞いただけで、製作工程における繊細な神経の使いようと労苦のほどが素人の翁にも分かる。「しかし、製作中の苦労は、けっして苦痛ではなく、むしろ楽しみます。何故なら作品完成時の喜びが待っていますから・・・」とは山口さんの弁。“モノづくり”をする人の共通する心理であろう。では、作品の1部を紹介しよう。(高津先生の許可を得て撮影した)
<高津美子先生作品>

<山口理佳子さん作品>

高津先生にご挨拶したあと、もう一度、観て回った。1回り2回りしても、なお観飽きない。それは華麗とか優美などの言葉を超えて(翁は)観れば観るほどセラフィオーレの奥の深さに魅了させられるからだ。これらの作品を観ているうちに(コーヒー好きの翁)ふと“セラフィオーレの花々に囲まれてエスプレッソを飲んだら、さぞ美味しいだろう”と思った。エスプレッソはイタリアが本場。エスプレッソは(イタリアでは)ストレートでなく、たっぷり砂糖を入れて(あまりかき回さず)飲む。砂糖を加えることで本来のエスプレッソは完成するとのこと。飲み終わった後、カップの底に残った砂糖をスプーンですくって食べるのがイタリア・スタイルだそうだ。翁は普段、カプチーノやカフェラテを好む。カプチーノもカフェラテも元はエスプレッソ。ミルクの混入量によって名称が変わる。話がそれた。鬱陶しい天候不順が続く昨今、『セラフィオーレ展』のおかげで“芸術の秋”を満喫することが出来た。その夜、作品の1つ1つを思い浮かべながら飲んだ(イタリア風)エスプレッソの美味かったこと・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

お爺ちゃんとお婆ちゃん

“早くお爺ちゃんになりたい!”
この言葉は将棋の天才、藤井聡太君が幼少の頃に母親に語った言葉だそうだ。お爺ちゃんに連れられて行った将棋場に一人で行った時“子供は駄目よ”断られたのが悔しかったらしく家に戻って母親に“早くおじいちゃんになりたい!”と言ったのだそうだ。
先日、藤井聡太君のドキュメンタリーを見ていて微笑ましくなった。
彼が将棋に目覚めた切欠は、お婆ちゃんが入門用のスタディー将棋というのを買い与えた事なのだそうだ。お婆ちゃんはお孫さん全員にそのスタディー将棋を与えたけれど聡太君一人が夢中になってのめり込んだのだそうだ。誰かが聡太君は全身のDNAが将棋で出来ているようだと表現していたが本来持って生まれた才能がピッタリ将棋にはまったのだろう。初めは祖母から将棋のルールを教えてもらい一週間でルールを覚えるとすぐに祖母を打ち負かし(聡太君曰く祖母はひどい初心者だったのですぐに勝てたそうだ)間もなく祖父も打ち負かされ対戦相手を求めて将棋会館に通うようになったと言う。
両親は将棋の事は殆ど知らないらしい。やはり聡太君のお婆ちゃん、お爺ちゃんの存在が彼の人生に与えた影響は大きい。子供にとって両親はかけがえのない存在である事はもちろんの事、祖父母の愛情も、また別格だ。真実はわからないけれど戦後GHQが進めた洗脳プログラムの一つに日本の伝統的家族制度の廃止もあったとか、、、、昔のように両親がいて祖父母がいる、または両親と祖父母の距離が近いというのが子供に豊かな愛情と知識を育む。私など祖父母がいなくなってからその存在の価値に気が付いた。祖父母の存在は、まさに陽だまりの温かさなのだ。
中学生の藤井聡太君の愛読書#1は百田直樹氏の”海賊と呼ばれた男”だそうだ。驚く事に小学校の頃の6つの興味の中に尖閣諸島問題、南海トラフ地震があったのには感心した。国技であるお相撲も好きらしい。やはりこのあたりも祖父母の影響があったのだろうか、、、、ともかく何とも頼もしく未来の日本を切り開いてくれるキラ星のような存在が現れた事にワクワク感を持って注目している。

茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言「風景・・・小さな写真館」

ふと立ち止まる、小さな写真館。知らない街を探索する時、歩き慣れた街を散歩する時、私の足が止まる、街の小さな写真館。住み始めて17年が過ぎたこの東京でも、自分の運転する車が信号待ちで停車する時、都営バスに乗って街中を通り過ぎる時、私の目を惹くもの、それは街の小さな写真館。そして私の育った故郷にもあった小さな写真館。私は、小さな写真館のウインドゥが、そしてその小さな写真館の風景そのものが大好き。今もあるだろうか、あの小さな街の、あの小さな写真館・・・故郷が恋しい秋の夕暮れに、はいチーズ!

小さな写真館の小さなウインドゥの中に、実は大きなものがいっぱい詰まっていると思う。生まれて間もない無垢な新生児、すやすやでお宮参りをしただろう赤ちゃん、入園や卒園であどけない笑顔が眩しい幼児、ピカピカで少し大きめの制服を着て、新入学の喜びを満面にたたえる小学児童、卒業したばかりの(ちょっと得意顔の)少年少女、晴れがましい振袖(和服)で成人を迎えた乙女、袴や背広で大人然とした大学生、人生の大きな選択に幸せいっぱいの新郎新婦、還暦か喜寿かわからないが集まった2世代・3世代にまたがる家族、などなど、どこそこの写真館にでもあるようなこの風景、どこの誰でもあったような風景。だからこそ、それぞれの写真の奥に流れている様々なストーリー、その色や音が聞こえてくるようで、なんとなく心が“やんわり”する。そんな小さな写真館には、写真の中の人も、それを観る人も、人生の光と影を、レンズを通して “憧れ”や“平安”の形にしてくれる風景があるように思う。

ところで、多趣味だった私の父は“写真機”つまりカメラも好きで、撮影することも、現像した写真をアルバムに収めることも趣味の一つとしていた。父の腕前はひいき目もいれてなかなかのもの、私が見たこともない風景でも目の前に存在し、親しみを感じるものだった。地方議員だった父は、公私共に国会には縁があり、田舎から自分の家族や友人と旅行で、または視察団を率いて上京の折は、必ず自分のカメラで国会議事堂を背景に、記念写真を撮っていた。国会議事堂正面、あのつま先上がりの坂道の、その街路樹は四季折々に美しく、そのまた奥にそびえたつ国会議事堂は凛々しく誇り高きものだった。躍動する日本の揺るぎない“今と未来”へのエネルギーが、幼い私の心臓にまで響いてくるようだった。その風景は建物に留まらず、その中で司られている政治の光と影さえも、垣間見ることが出来た。最近の議事堂周辺には高層ビルが建ち並び、父が残した写真の、あの議事堂とは、趣きがかなり違ってきた。特に正面からあのつま先上がりの坂道の美しい風景は、もうない。議事堂の背後の高層ビル群は議事堂を囲み、まるで金と権威の亡者が覆いかぶさっているみたいで秩序はなく、日本国家の美も、日本国家の物語も、そして日本国家の潔さも感じない。つまり、かつて私が父の写真で体感した、あの心の底に響くものがないのだ。いやいや、変わったものは国会議事堂やその周辺の風景だけではなく「国会中継も昔とはずいぶん変わったよな」と、今は亡き父が撮った国会議事堂の写真が私に語り掛けているようだ。そして今の私には、国会議事堂の建物も周辺景色も、そして議事堂に座る人たちも、もうセピア色にしか映らない。

そういえば、街の小さな写真館、私が育った時代には、立派な記念写真を撮ってくれるだけではなく、個人で撮った写真の全てを現像してくれていた。時は流れ、大きな写真機が小型カメラへ、小型カメラが使い捨てカメラへ、そしてカメラが携帯電話やスマホへと変わってきた。その変遷に伴い、写真は、かつての現像処理(作業)は姿を変え、量販店やスーパーなどでも簡単に印刷(現像)が出来るようになった。街の小さな写真館の数も減り、役目も変わったけれど、これからも立ち止まってみたいと私は思う場所、だって、変わらない日本人とその生活の風景が、そこにあるから。さてさて、私が住むこの国の“今と未来”の風景、それはこれからどうだろうか?・・・っと呟く、さくらの独り言。

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

ここのところフュージョン系のジャズの紹介が続いているので、オーソドックスなジャズを紹介します。独特な響きのピアノの音が好きなのでAl Haigのアルバムを選びました。1954年に録音されたアルバムでモノラルですが心地のいい音です。バーなどで流れていたらなかなか雰囲気のあるアルバムだと思います。Al HaigのピアノはもちろんAbrahamsのドラムのブラシの音も気に入っています。
Al Haigは1924年ニュージャージー生まれ1984年に永眠。

“On Period" Al Haig Trio  

01-Just One of Those Things 3:59
02-Yardbird Suite 3:06
03-Taboo 2:44
04-Mighty Like a Rose 4:51
05-'S Wonderful 3:37
06-Just You, Just Me 1:52
07-The Moon Was Yellow 2:48
06-Round About Midnight 5:20

Bass Bill Crow
Drums Abrahams*
Piano Al Haig

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

 

編集後記

いつ頃からか忘れましたが街の中でゴミ箱の数が減っています。街がゴミで汚れるのではないかと思いましたが、そんなことはないようです。たまに空き缶や空き袋が捨てられている(わざと置かれている)のを見かけますが、きれいに保ちたい人が多いのでゴミはすぐになくなり、総じて街にはゴミがなくきれいに保たれているようです。この良い状態がずっと続iいてもらいたいものです。

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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1119

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com