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1122号

NO.1122     Ryo Onishi              11/12/2017

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雑貨屋のひとり言

11月11日は記念日が31もあるとネットで知りました。この数字にちなんだいろんなイベントが各地で行われたようです。私が住んでいる高層住居の受け渡し日の開始が平成11年11月11日だったということを昨日知りました。偶然とはいえ1が6つも並ぶ珍しい日でした。私はその時ロスで帰国準備をしていたところで11月2日にトーランスのホリデーインで雑貨屋の読者のみなさんに盛大な送別会をしていただいたことを今でも覚えています。(雑貨屋182号に掲載) お陰様でその雑貨屋は10週間前に1111号を発行できています。≪R.O≫

 

 救急車移送による入院

  齢(よわい)80を迎え、最近は体力・気力ともにすっかり減退を感じている私ですが、先日(11月1日)夕方、意識を失い、救急車で病院へ搬送され、1日入院する始末となりました。

 もともと高血糖症である私は、専門医から1日3回、食事前に手の指先から血液を採取し、血糖値を測り、必要量のインシュリンなど2種類の注射を打たなければなりません。そして降下させた血糖値に対し、20分以内に食事を摂ることになっています。

この日、夕方5時過ぎにいつものように検査をし、夕食に臨んだのでしたが、電源に異常があり(ひとつのコンセントから多量の電流を流したため)屋外に設置してある電源ブレーカーがショートし我が家が停電状態になってしまいました。

この時まさに妻は食事の準備中であり、マイクロウエーブなども使用中でした。そこで我々夫婦は庭に出て電源スイッチの回復を試みたのでしたが、思った以上に手間がかかり、意外と電源回復がうまくいきませんでした。

10分か15分ほどブレーカーをいじくりまわしているうちに、私は目がくらみだし、意識がうすくなりはじめました。それに気付いた妻が家から歩行器を取り出し、私を抱き起し、抱えるようにして家の中に運び入れてくれました。

居間に戻った私は、しばらくはソファに横になっていたのでしたが、そのうちに意識が薄れていきました。それに対し妻は私に呼びかけたり、汗でぬれた体を拭いたり下着を着替えさせたりしてくれたそうですが、そのうちに私に話しかけても返事もしなくなり、私の意識が完全になくなり、呼吸すら感じなくなってきたそうです。

ことここに至って妻は911(日本の119番)へ電話し、救急車の要請をしたそうです。

私がわずかに覚えているのは、制服を着た若者数人が私を取り巻き、何か騒がしい様子でいることでした。そのうちに担架にくくりつけられ我が家から外に出たことをなんとなく覚えています。我が家の前には赤いランプを点滅させている車、これが救急車と消防車だったのですが、停車している救急車へ運び込まれていました。

この時点で、ある程度意識は回復していたのでしたが、私自身はまだ夢の中状態で、これは夢を見ているのであって、そのうちに覚めるだろうと認識していたのでした。やがて救急車の振動や周囲の状況から夢ではなく現実であることがだんだんわかってきました。

しばらくして救急車は病院(U.C.L.A.付属メディカルセンター)へ到着し、救急外来病棟へ運び込まれてようやく意識がほぼ回復し、付き添ってきた妻とも会話でき、状況を把握しました。

病室へ移されてから医師、看護婦ほか何人もの関係者に世話になり、ようやく私の意識不明の原因がわかりました。それは夕食時の血糖値降下剤(インシュリン他)の直後に食事を摂らなかったことによる低血糖による意識低下によるものでした。現に意識を喪失した直後の糖の値は平常値100に対して30にまで低下していたそうです。

病室に移されて一晩過ごし、種々の検査や治療を受け、さらに翌日が透析該当日でもあったので3時間余りの透析も受け、ようやく翌日の夜に退院が認めれらました。24時間を超える入院でした。

最近は足腰もふらつき、歩行も完全ではなく、車の運転もできず、それほど重くない荷物まで持てない体調で、もっぱら妻に頼り切りの身であり、こんなことまで起こしてしまい誠に恥ずかしい限りです。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


敵味方分ける踏み絵という驕り

その先の先が見えない風見鶏

追い風の先にまさかの乱気流

だんご虫不覚坂道とは知らず

ドングリの野望ころころ池に落ち



( ニュースひとりよがり )


「誇大広告」
4横綱時代 −相撲協会

「キャッチコピー」
鉄の天井を破ろう −野田女性政治塾

「25年10ケ月ぶりの高値」
昭和が近づいた −日経平均株価


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(499)「危険・迷惑な“歩きスマホ”」

世はまさに“スマホ狂騒時代”――スマホ所有率は(大手広告代理店・博報堂メディア環境研究所によると)2017年6月現在で78%。つまり10人中、7〜8人がスマホを持っているということになる。スマホ(スマートフォン)とはパソコンの機能を取り込んでいる携帯電話の1種で、電話・電話帳・メール・カメラ・ビデオ・アルバム・ワンセグ(テレビ)・ラジオ・スケジュール・電卓・天気予報・ゲーム・音楽・マップ・ナビ・歩数計・翻訳・買い物など多くの情報検索機能を持つインターネット(世界中のコンピュータなどとの情報接続を可能とする)機器である。翁も、もうだいぶ前からスマホ利用者になっているが、何10種類もある機能のうち、使いこなせるのは(必要なのは)せいぜい2割くらい。だが(かつて『余話』に書いたこともあるが)このスマホをいつも所持していないと落ち着かないし、事実、不都合なことも起きる。スマホ利用者のほとんどが翁と同じだろう。

スマホは、親しい友人や家族とのコミュニケーション、正しい情報取得、自己研鑽(学習)のために使うなら、我々の生活クオリティを高める上で極めて有効的なツールであるが、あまりに“スマホ・オタク”になると、スマホが無くては何も出来ない“スマホ依存症”になったり、際限なく時間や体力を消耗させる“生活習慣の乱れ”を起こしたり、正しい日本語での直接会話が出来なくなるなどの弊害が生じる。個人レベルでの弊害なら自己責任の範囲だから勝手と言えば勝手だが、1つ使い方を間違えると“イジメ”、“プライバシーの流出・侵害”、“架空請求詐欺”、“出会い系サイトやツイッターによる事件・事故”などの社会問題を引き起こす“犯罪源”となる(怖れもある)。

さて、翁が今号にスマホを取り上げたのは“歩きスマホの危険・迷惑”についてである。駅のプラットホームやその他の構内で、エレベーターやエスカレーターで、階段で、そして歩道や、商店街などでの“歩きスマホ”・・・更にけしからんのは自転車に乗りながらのスマホ操作、などなどが、どれだけ多くの人に迷惑をかけているか――マナー知らずの“スマホ狂人間”に警告を発するのが目的である。断わっておくが翁は(その辺のマナーは勿論、心得ているので)絶対に“歩きスマホ”はやらない、と言うか、マナー以前に翁は(そのような)危険行動が出来ない体なのだ。万一“歩きスマホ”で人や物に激しくぶつかったり、転倒したりすれば(1つしか残っていない)片腎臓に衝撃を与え透析を余儀なくされる体になってしまうからだ。だから“歩きスマホ”をしている連中がぶつかって来ないように、どれだけ用心しなければならないか――間もなく愛車と別れなければならないので、そうなると翁の移動手段は電車・バス・歩きになり、なおのこと“歩きスマホ人間”を避ける苦労をしなければならなくなる。何ともムカつく話だ。

東京消防庁が過去に(18歳以上のスマホ所有者に)行なった調査によると“歩きスマホ”(自転車走行中のスマホ操作を含む)の経験者が約50%。NTTドコモの調査では73%という高い数字が出た。そのうち66%が「他人にぶつかったことがある」、18%が「転んだことがある」、3.6%が「線路や側溝に落ちたことがある」と答えた。前述のように、自分が勝手に転んだり、側溝などに落ちたりは自己責任だから仕方ないが、線路に落ちれば少なからず当該鉄道や大勢の乗客に迷惑をかけるし、また他人にぶつかり、相手にケガをさせれば高額の賠償金を支払わなければならない事態になる。実際に起きた事例――当時15歳だった少年が自転車を走らせながらスマホを操作していた時、67歳(当時)の婦人に激突、神戸地裁は少年の母親(40歳=当時)に約9,500万円の賠償金支払いを命じた。被害女性は今も寝たきりで意識が戻らない状態が続いているとのこと。また最近、横浜市金沢区で起きた(夜間、無灯火の)自転車走行中、スマホ操作に夢中になっていた女子高校生が若い女性に追突、女性は歩行困難になり看護師の職を失った。横浜地裁は先日、女子高校生の過失を認め、5,000万円の賠償金支払いを命じた。警察庁の発表では「“歩きスマホ”によるトラブルは(大事件に至らないまでも)数えきれないほど起きている」とのこと。

我が国では1965年以降、急激な車社会の到来で、年間17,000人を超える交通事故死者を出し“交通戦争”と呼ばれていた時代があった。その頃、翁は(政府広報の番組で)交通事故防止キャンペーンを頻繁に行なっていたが(残念ながら)目に見える効果は得られなかった。当時、翁の友人で交通評論家集団のメンバーだったU氏らは「もはや、精神論に訴えても(ドライバーたちは)聞く耳を持たない。違反運転者にはもっと重い刑罰と経済的打撃を与えるしかない」と“交通違反の罰則拡大強化・罰金増額”を政府に答申した。その後の道交法改正でシートベルト装着の義務、飲酒運転の罰則強化、チャイルドシートの義務化、危険運転致傷罪の新設、運転違反罰金増額などで交通事故件数も死者数も減り出した。自動車会社もエアバッグや衝突安全ボディーの進歩・改良などで事故死亡率減少に貢献した(2016年度の交通事故死亡者は“交通戦争時代”の4分の1の約4,000人)。

“歩きスマホ”をするかしないかは、個人のマナーやモラルの問題だが“歩きスマホ”が深刻化して来ているのは事実。現在の“歩きスマホ狂騒時代”(歩きスマホ人間)に精神論が通用しないなら、翁は(前述の)交通事故死減少への具体的効果をもたらした「罰則拡大強化(罰金制導入)」を提言したい。現に米国ニュージャージー州では2012年から85ドルの罰金、ハワイ州では(今年10月から)15〜99ドルの罰金制を導入した。アホな学者や評論家は「見渡せば“歩きスマホ”だらけ。それを摘発するのは困難だから(罰則制は)無意味だ」と言うだろう。しかし翁は言う「ならば“歩きスマホ”をほっておくのか?罰金徴取が主目的ではなく“歩きスマホ人間”に“歩きスマホ”がいかに危険・迷惑であり恥ずべきマナー・モラル違反であるかを認識させるのが狙いだ」――大手携帯会社が研究している“歩きスマホ防止アプリ”の実用化も期待される。ともあれ1日も早い“危険・迷惑な歩きスマホ時代”の終焉を望んでやまない・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

武相荘(旧白洲邸)

白洲次郎、彼の名前を知ったのはソフトバンクのコマーシャル。その中で一匹だけ白い犬がいる。人間の家族の中で何故か犬なのにお父さんと呼ばれていて言葉をしゃべる。
その犬の名前は白戸次郎。ソフトバンクのオーナーが肝入りで作りたかったコマーシャルなのだそうで当然、白洲次郎を意識して作ったものなのだろう。ま〜どんな意図で作られたのかは、いろいろな見解があるようなので、それはそれで横に置いておく。
ともかくソフトバンクのコマーシャルが切っ掛けで白洲次郎の名前を知り犬にされた白洲次郎とは、どんな人物なのかに興味を持った。
白洲次郎はイギリスのケンブリッジ留学もしていたので戦後、吉田茂の側近としてGHQと交渉した人物なのだそうだ。
日本国憲法の草案者であるGHQの人から”日本人なのに英語がうまい“と褒められると”貴方も練習すれば、もっとうまくなりますよ“と米国英語を皮肉ったとか…マッカーサーから”従順ならざる唯一の日本人とも言われたらしい。Gパンを初めて履いた男とも言われている。背もスラリと高く容姿も日本人離れしている。まさに西洋貴族のダンディズムを感じさせる男というレッテルにふさわしい。一方的なサンフランシスコ条約を最後までGHQと渡り合ってそれでも譲歩せざるしかなかった白洲次郎氏は“今に見ていろ”とひそかに涙したという。彼のドキュメンタリーなども見ていくうちに、すっかり白洲次郎のファンになってしまった。
白州邸バー 白州次郎車
旧白州邸 白州邸

東京都下の町田に彼が50年以上過ごした家があって一般公開されていると聞いた事があった。いつか訪れてみたいと思いつつその事を忘れていた。そして先週友人からドライブでたまたま白洲邸に行ってきた話を聞いた。友人は白洲次郎の事は全く知らなかったらしい。その話を聞いて今がチャンスと翌日、白洲次郎が名前を付けた“武相荘”に行ってきた。そんな名前を付けた事も彼の媚びを売らない姿勢とユーモアを感じさせるユニークな名前だ。
学生時代、私にとって歴史の時間は退屈でつまらない授業だった。何の興味も抱かないまま無駄に時間を過ごしてしまった。今になって歴史に埋もれてしまった、たくさんのキラ星のような人物がいた事を知って残念に思う。とくに近代史は触れられて欲しくなかったのか未だに軽んじられているような気がする。誰かが言っていた。歴史は近代史から教えるべきだと。ちゃんと歴史を教えられていない弱みをいい事につべこべ言いがかりをつけて金銭を要求してくる国もある。いつまでも頭を垂れて自虐史観に浸っていたら白洲次郎もあの世で嘆いているに違いない。白洲次郎氏は政界から身を引いた後はこの武相荘の自宅の庭で静かに農業をしながら暮らしていたらしい。農機具などもそのまま納屋に置かれてあった。その2階に作られたバーカウンターも著名人がたくさん訪れたらしい。ここで、どんな事を友人達と語り合ったのだろう…旧白洲邸のリビングルームに彼の書いた直筆があった。晩年、亡くなる前に白洲次郎が書いたとされる遺言書だった。“葬式無用、戒名無用”それを見た途端、思わず笑ってしまった。私の父も祖母も親子で同じ事を遺言状に書いていたからだ。

茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言

今週はお休みです。前回の記事は「風景・・・小さな写真館」です。http://www.zakkayanews.com/zw/zw1119.htm

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

最近はAmazon Prime Musicでどんな曲に出会えるか楽しみにしながら検索しています。聴いたことがある曲でもその良さを再発見できることもあります。
今回のアルバムはHerbie Hancock(ピアノ)がトランペットのFreddie Hubbard、テナーサックスのDexter Gordonと共演している"Takin' Off"といアルバムです。
そしてこのアルバムはHerbie Hancockが1962年に初めてBlue Noteでリリースした作品です。このアルバムのピアノは軽快で他のHerbie Hancockのとちょっと違う感じがします。
 

“Takin' Off"  Herbie Hancock

01-Watermelon Man
02-Three Bags Full
03-Empty Pockets
04-The Maze
05-Driftin'
06-Alone And I

Tp: Freddie Hubbard
Ts: Dexter Gordon
Pf: Herbie Hancock
Bas: Butch Warren
Drs: Billy Higgins
Recorded May 28th, 1962, New Jersey

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

 

編集後記

今日はショッピングモールにプリキュアがやってくるとのことで、孫のために私が順番待ちをしました。8月の経験から9時過ぎに会場に行きました。今回は整理券は配られず孫たちがくるまで会場で待つことになりました。会場は外で寒く、冬の服でないと身体が冷え切ってしまいます。いつのまにか寒い季節になっていましたね。

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雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1122

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com