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1015号
 

NO.1015        Ryo Onishi              10/25/2015

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雑貨屋のひとり言

今年4月に二つの病院が統合された総合医療センターに、定期健診で数回行きましたが、行くたびにこれまで行っていた病院に比べ、サービスが悪くなっています。建物、設備は立派になったのですが、受診する人にとってはほとんどメリットはなくむしろストレスが溜まります。再診受付は混雑して、整理券を出すほど時間がかかる。診察は当然のように遅れ、アポイントは何のため?と言いたくなる。診察後の支払いも相当待たされうんざりです。症状を少しでも良くしようと思って来ているのに、これでは悪くさせてしまうのではないかと思ってしまいます。≪R.O≫

 

引退日本人H氏の旅(7)マジョリティとマイノリティ

「アメリカ人といえば圧倒的に多いのが“白人中心の国”というイメージだったのですが、実際は、中南米系、アフリカ系黒人、アジア系など有色人が目立ったのは意外でした」―――H氏のドライブ旅行がアメリカ東海岸、中西部、南部などを主にしたものだったこともあり、彼の目には予想外に映ったようです。

私もこちらに来る前は、なんとなくアメリカ=白人の国というイメージでした。終戦直後、私が小学生の頃、占領軍として日本へ進駐していたアメリカ兵たちの多くは黒人の兵隊さんだったことをよく記憶していますし、また、アメリカという国が世界の移民を受け入れ、多民族国家として成り立っていることは学んでいましたが、それでも白人が圧倒的にマジョリティ(多数派)であり、有色人がこれほど目立つとは思っていませんでした。

特にロサンゼルスとその周辺はヒスパニック系(スペイン語を母国語とする中南米出身者やその子孫)やアジア系の人口が多く目立ちます。私がH氏を案内してロサンゼルス・ダウンタウンとその郊外ガーディナ、トーランスなどをドライブしたとき、商店街の看板はスペイン語、中国語、ハングル文字などで溢れ、場所によっては英語の看板よりそれらのほうが多いくらいです。それも地域ごとに同じ種類の文字が集中しています。

そんな情景に接したH氏いわく「アメリカって“英語の国”だと思っていたのに違うんですね」と驚嘆していました。たとえば、メキシコ国境周辺でスペイン語が見られるのはある程度当然でしょうが、国境から離れたロサンゼルスでもこれほどスペイン語が氾濫していることが、この国の人口実態をよく示しているといえます。

「アメリカは人種の坩堝(るつぼ)」ともいわれていますが、“坩堝(るつぼ)”とは“均等に混ざり合っている状態”を指す言葉ですので、地域ごとに同じ種類の文字(言語)が集中している状態は“坩堝”というより“サラダボール”という表現が正しいとされています。現に街を歩くと、あるブロックは全店がハングル文字、次のブロックはスペイン語のみといった具合です。

先日発表された統計(カリフォルニア財務局、羅府新報掲載)によると、2014年までにカリフォルニア州のラテン系人口が白人を上回り、大多数派になることがわかったということです。

この統計によると、ラテン系の人口は2013年半ばごろに約39%で白人人口に並び、同年末までにはラテン系人口が白人を上回ると見込んでいるとのこと。また、白人 のベビーブーム世代がリタイアを迎えるにともない、その後、加州の労働力と経済は主にラテン系とアジア系が担うことになるとみているようです。

一方、2010年の国勢調査で3,730万人だったカリフォルニア州の人口は、2020年に4,000万人を超え、2050年には5,000万人に達し、2060年には5,270万人に達すると推定とのこと。その頃にはラテン系の人口が約半数の50%近くまで上昇し、白人は現在の40%弱から30%前後に縮小すると見込んでいるそうです。またアジア 系は現在の13%から大きな変動はなく、アフリカ系は現在の6%から4%程度へと縮小するとしています。

現在、ラテン系が最多数を占める州は全米でニューメキシコ州のみで、白人以外が多数を占めている州は同州とハワイ州のみになっています。

これらアメリカの現状についてH氏は「この国は何が“マジョリティ(多数派)”で“マイノリティ(少数派)”なのかよくわかりませんね」といっていました。いずれにしても日々変化しているアメリカです。このダイナミックな変化が多民族移民国家を宿命とするアメリカ合衆国の活力の一端なのではなのかもしれません。
河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


デジタルに俺の演歌が乗りきれず

駄目なもの駄目 生き下手を自認する

一睡の夢が木の葉の札に酔い

賞罰はなし破れ鍋と綴じ蓋と

情に棹差しうらうらと彼岸まで


( ニュースやぶにらみ )


「辛抱と分裂」

石の上と橋の下との違いです −維新の党

「12桁」

覚えられるかな −寿限無

「不祥事続き」

連日低頭コンクール −テレビニュース


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

 

龍翁余話

龍翁余話(398)「秋晴れの日比谷公園にて」

爽やかな秋晴れの10月21日(水)、五反田の友人・Tさんに誘われて『日比谷公園ガーデニングショー』を観に行った。案内チラシによると「第13回の今年のテーマは“未来(あした)へ繋ごう花と緑の輪”、期間10月17日(土)〜25日(日)」とある。趣向を凝らした小さな“庭”(40点)が公園中央の噴水池を取り囲むように展示されている。ガーデニングに疎い翁ではあるが数点ばかり“好みの庭”が目に留まった。羨望の念に駆られながらカメラのシャッターを切る。

写真では単なる平面絵にしか映らないが、その場に立つと“ああ、こんな庭でコーヒーを飲んだらうまかろう”と、つい、誘い込まれそうになる。翁は、素人だから論評を加えることは出来ないが、40点がそれぞれ展示に値する作品ばかりだ、との印象を濃くした。

歴史散策や音楽愛好などの趣味が翁と共通している友人Tさんは、もちろん翁の好み(歴史・懐古趣味)をよく知っている。1時間ほどガーデニングの展示を観て次に案内されたのが公園内の“みどりのインフォメーション・プラザ”で(11月28日まで)開催されている『長岡安平没後90周年記念展』。長岡安平(ながおかやすへい)は1842年(天保13年)肥前大村藩(現在の長崎県大村市)に生まれ、明治・大正にかけて各地の公園の発展に寄与した我が国ランドスケープの先駆者である。ランドスケープとは、その土地の資源・環境・歴史などの要素を総合的に採り入れて構成する社会的シンボル(空間)のこと。日本初の公園デザイナーであり公園行政のパイオニアであった長岡が関わった全国各地の公園の数は40か所にも及んでいる。たとえば日比谷公園・飛鳥山公園・浅草公園・湯島公園・虎の門公園・数寄屋橋公園・向島百花園など(以上は東京)、悠久山公園(長岡市)、岩手公園(盛岡市)、釜淵公園(花巻市)、合浦公園(青森市)、千秋公園(秋田市)、足羽山公園(福井市)、高知公園(高知市)、兼六園(金沢市)、金華山公園(岐阜市)、太田公園(甲府市)など・・・1925年(大正14年)83歳で死去、今年は没後90年。これらの知識は当日の『長岡安平没後90周年記念展』での“にわか学習“によって知り得たもの。

園内で軽食を済ませたあと、噴水池脇の小音楽堂で『タヒチダンス』を観た。予定外のプログラムではあったが(ポリネシアン文化に興味を持つ)翁を充分に楽しませてくれた。このダンスチームは“葛西ネヘネヘ・ティアレ”(タヒチダンサーズ・サークル)だそうで、出番前の数人のダンサーに5分インタビュー、「ネヘネヘの意味は可愛い」「ティアレとはタヒチを代表する(香りのいい)花」「サークルの目的はプロになるためのレッスンではなく軽快なリズムと踊りを楽しみながらシェイプアップやママ同士のグッドコミュニケーションを目的にしている」などを語ってくれた。“プロを目指してはいない”と言いながら、ハワイ・オアフ島北部にある“ポリネシアン・カルチュア・センター”のタヒチダンスに負けないくらいの踊りぶりであった。

次に足を運んだのは、日比谷図書館文化館で(11月23日まで)開催されている『馬琴と月岑』(文化財特別展)。曲亭馬琴(滝沢馬琴)(1767年〜1848年)は江戸時代後期の読本作者で大長編作『南総里見八犬伝』と、【保元の乱】(崇徳上皇と後白河天皇の衝突)で崇徳上皇に属した(弓の名人)源為朝(別名・鎮西八郎為朝)は敗れて伊豆大島へ流され、その後、沖縄に渡り、為朝の子が琉球王家の始祖・舜天(しゅんてん1166年 〜1237年)となる、という物語『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』(挿絵に葛飾北斎の絵が使われている)が有名。一方『江戸名所図会』『武江年表』など、江戸の町についての基本資料を著述したことで知られる考証家・斎藤月岑(さいとうげっしん)=1804年〜1878年)のことは、翁はほとんど知らなかった。それにしても何故『馬琴と月岑』連名の特別展なのか?案内パンフには「二人がともに現在の千代田区に住んだ文化人、彼らが千代田の地に残した江戸文化の実態を明らかにしていきます」とあるが・・・

さて『秋晴れの日比谷公園』の締めくくりは、日比谷公会堂の1階にある『日比谷アーカイブ・カフェ』。レトロ好みの翁にとっては垂涎の憩いの店だ。床も壁もテーブルも椅子もレコードプレーヤー(蓄音機)もすべてが“昭和初期”である。店長の山田さんが翁のリクエストに快く応じて川田義雄(後の晴久)・坊屋三郎・益田喜頓・山茶花究ら“あきれたぼういず”が歌う『地球の上に朝が来る』や、アメリカのジャズトロンボーン奏者トミー・ドーシー(1905年〜1956年)のヒット曲『On the Sunny Side of the Street』のレコードを聴かせてくれた。蓄音機の“シャリシャリ音”が、よりレトロ感を盛り上げる。翁にとっては誠に至福のひと時であった。コーヒーも美味かった。たびたび行きたい場所だ。お誘い、ご案内をしてくれた友人のTさんに心からの感謝を・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

ターミナルアイランド 古里 @

先月、サンペドロ湾のボートでイタリア出身であるLibbyさんの85歳のお誕生日パーティーがあった。毎年、7月4日の(アメリカ建国記念日)の花火の時やハロウィン、クリスマスとサウスベイのハイキング仲間を彼のボートに招待してくれる。そしてこのLibbyさんのお誕生日も数年前から彼のボートで行われる恒例行事になった。サンペドロの丘から港に降りて歩いていくと約1時間とちょっとでLibbyさんのボートにたどり着く。帰りは先に何台か車を港の近くに置いておき乗合でまた集合場所の丘の方に戻る。こういう日は多少ワインも飲むし、帰りに、降りてきた坂道を登って車まで戻るのは大変なのでいつもOne Wayのハイキングになる。
San Pedoro Libby's Father
Wakayama Libby DVD Furusato

9月初旬、Libbyさんのお誕生日お祝いの日、夏の盛りを過ぎたサンペドロの港は静かで穏やかだった。
このサンペドロの港の一角にターミナルアイランドがある。そこに一時、和歌山から移り住んだ日本の漁師たちとその家族が3000人も住んでいたという歴史を初めて聞いたのがこのLibbyさんからである。私が唯一の日本人だった事もあって度々その頃の事を話してくれた。“ 昨日の事は覚えていないのに、あの頃の事は今でも、はっきりと覚えているんだよ ”と笑った。そして、その日も何となくそのターミナルアイランドの話題になった。
日が沈むころになると夕日が空に反射してオレンジ色やピンク色やパープルに染まって綺麗だ。夕日は過去を思い出させる作用があるのだろうか…Libbyさんがしみじみと” あの頃は平和で良かった。特にターミナルアイランドの日本人町は泥棒も犯罪も無かったよ。 皆、正直で皆、とてもいい人ばかりだった ”と。そんな話を聞いているうちに私の中でこの日本人町のイメージがどんどん大きくなっていった。やっぱり近いうちにターミナルアイランドの日本人の歴史を描いたドキュメンタリーのDVDを探してLibbyさんに今のうち見せたいという気持ちが強くなっていった。 思い立ったらとすぐにと図書館に行って予約をして1週間後にそのDVDを持ってLibbyさんのオフィスに持って行った。Libbyさんは今も現役で不動産の会社をやっている。昔、若い頃に盲腸を患って入院していた頃、退屈で暇だったので、たまたま不動産のライセンスを取る勉強をしたのが彼の運命を変えた。それで彼は成功し家族を助けたのだ。1935年Libbyさんの家族がイタリアからこのアメリカの新天地サンペドロ湾に移り住んできた頃、彼はこのターミナルアイランドの日本町をよく父親に連れられて遊びに来たそうだ。そこにムラガマストアーという名前の日本人が経営していた店があったと言う。
覚えている限りの日本人の名前もこんな名前の人がいた。港では地引網を引きながら日本の男達が唄を唄っていた。こんな感じだったと意味不明な唄を唄って真似て見せてくれた。PCを立ち上げてDVDをスタートさせるとLibbyさんは顔を画面に近づけて食い入るように真剣に見始めた。その途端 “ あ〜っ!この船はお父さんの船だ。サンタマリアという名前だったんだ ” 彼は興奮して大きな声をあげた。(次回に続く)
茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言

今週はお休みです。

 

 

 

 

   

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

アルバムタイトルのDominoはフルートで始まります。フルートがメインなのかなと思ったら途中でテナーサックスの演奏に替わります。最後のほうにあまり聴いたことのない楽器も登場します。これらはすべてRoland Kirkが演奏しているのです。Roland Kirkのことをネットで調べると彼は奇人、変人でいくつかの楽器を一度に演奏するなど、頭では想像しにくいことが書かれています。しかも彼は盲目です。アルバムだけを聴いているとそんな違和感はないのですが、一味違うジャズだということはわかります。
6年以上も前にデータベースに登録していたアルバムですがどう紹介しようかと思案していました。

"Domino" Roland Kirk

01 Domino
02 Meeting On Termini's Corner
03 Time
04 Lament
05 A Strich In Time
06 3-In-1 Without The Oil
07 Get Out Of Town (From Leave I)
08 Roland
09 I Believe In You
10 E.D.
11 Where Monk And Mingus Live-Let
12 Domino (Alternate Take)
13 I Didn't Know What Time It Was
14 Someone To Watch Over Me

Rahsaan Roland Kirk
1962年録音/MERCURY

Roland Kirk Quartet :
1-6)
Roland Kirk (tenor sax,stritch,manzello,flute,siren)
Andrew Hill (piano,celeste)
Vernon Martin (bass)
Henry Duncan (drums)
7-14)
Wynton Kelly (piano)
Ernon Martin (bass)
Roy Haynes(drums)

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

編集後記

東洋ゴム、東芝、フォルクスワーゲンなど大企業が社会を騙す信じられない問題が相次ぐ中で、発覚した旭化成建材によるデータ改ざん事件はマンションに住んでいる人たち、これから購入しようとしている人たちに大きな不信感を抱かせています。情けないのはテレビの報道で経営幹部の記者会見を観ていても他人事のような説明の仕方はマンションを買った人たちの不安な気持ちを深く考えているようには思えなかったことです。お客さまに製品とサービスを提供し、それを通じて社会に貢献するという、基本的な考え方が欠如しているのはとても残念なことです。《R.O.》


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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1015

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com