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1014号
 

NO.1014        Ryo Onishi              10/18/2015

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雑貨屋のひとり言

先週は初めての体験、新しい体験をした一週間でした。月曜日は大阪市北区にあるザ・フェニックスホールで開催された琴を中心とした邦楽オータムコンサート(片岡リサ & Students)に行きました。琴や尺八の音色を間近で聴いてその迫力に驚かされました。3時間半のコンサートは感動の連続でした。
水曜日は孫と一緒に有馬温泉に宿泊し有馬の秋を楽しみました。身近なところにこんな素晴らしい温泉があるのはうれしいことだと思いました。有馬温泉は人気のスポットなので中国人観光客も結構見かけました。翌日は三田市にあるプレミアムアウトレットに行き、広大な敷地内を走り回る孫を追いかけながら食事と買い物を楽しみました。秋らしさを感じる一週間でした。≪R.O≫

 

引退日本人H氏の旅(6)最愛の家族

アメリカ旅行中、滞在先で出来るだけ積極的に地元の人と接触することにつとめたH氏は、何度か現地の家族に招待され、夕食をご馳走になったそうです。はじめのころは言葉の問題から引っ込み思案だった彼だったようでしたが、旅に慣れるにしたがって、意思疎通は言葉だけではないことに気付いたそうです。結果的に7つの家族から招かれ、有意義で楽しい時間を過ごしたそうです。そしてアメリカの家庭を通して日米文化の違いを学んだそうです。

彼曰く、「アメリカ人の家庭に招かれて、いちばん感銘したのは“家庭”というものが夫婦中心に成り立っているということでしたね。私が招かれた家は平均的な中流家庭といえると思うんですが、夫婦共稼ぎで、家にいるときは夫も妻も対等に家事をこなしていました。夫婦が愛し合い、信頼しあっている様子が二人のしぐさ、言葉からひしひしと感じるんですよ。見ている私のほうが恥ずかしくなり、顔をそらしたりして・・」

日本で引退前の現役時代は働くことしか頭になく、引退した間もなく苦労をともにした奥方を亡くしてしまい、かつて“亭主”“主人”“専制君主”であったH氏は亡き奥様に対し、愛情溢れる言葉をかけた記憶がなく、今更ながら悔恨の情に駆られる思いだったようです。

夫婦間で“最愛の××”と呼び合ったり、他人に我が子を紹介するとき、いかにそこ子が優秀であるかを自慢したり、とにかく家族の“良いところ”を表面に出します。

日米文化の違いといえばそれまでですが、一般に日本人(特に夫や父親は)妻を含む自分の家族に対し蔑視した表現を使う傾向があります。最近はあまり聞かなくなりましたが“愚妻”、“愚息”、“豚児”など謙遜して使う表現はまさにそれに該当します。

日本において“愚妻”、“愚息”、“豚児”といったからといって、本当に“おろかな妻や息子”、“豚のような子ども”と思っているわけではなく、話し相手に敬意を表してこのように表現しているのであって、本当は心から家族を愛しているのだと理解されます。あまり自己主張をしないのが謙譲の美徳といわれる所以(ゆえん)であり、自分と家族をへりくだり、相手をたてるのが日本式の文化だからです。

また、一説には、本来、“愚”は“私”という意味の一人称代名詞だともいわれ、したがって“愚妻”はただ単に“私の妻”という意味ともいわれています。同様に“愚書”は“私の書翰”、“愚案”は“私の考え”なのだそうです。でも最近は“愚”が“おろか”と理解されやすいので、日本でも嫌われているのではないでしょうか。今ではこの種の表現はあまりいい感じはしません。

数年前、ノーベル医学・生理学賞を受賞した京都大学の山中伸弥教授が話題になりました。ノーベル賞受賞決定から一夜明けた翌朝(2012年10月9日)、山中教授は妻の知佳さんとともに記者会見し、次のように家族に感謝の言葉を述べていました。「米国留学など二十数年の研究生活は失敗が多く、ストレスを抱えたが、支えてくれたのは家族の存在だった。家に帰ったら笑顔で迎えてくれる。自分の仕事があるのに中断して渡米してくれた。家族の支えがなければ研究という仕事は続けられなかった・・」と。

山中教授の言葉には夫人や家族に対する率直な表現がみられ、もはや“愚妻”、“豚児”から解放されたさわやかさに満ちていました。私はテレビでこの記者会見の様子を観、感動しました。

家族以外でも日本には対人関係の謙遜・謙譲の面から、こちらを必要以上に低く表現する文化が存在します。「まことにつまらないものですが・・」、「粗食で、あなた様のお口にあいますかどうか・・」、「わたしが如き、ふつつか者が・・」といった感じです。

“愚妻”、“愚息”、“豚児”と同様、“つまらないもの”、“粗食”、“ふつつか者”も少々行き過ぎかもしれませんが、度を越さない程度の謙遜・謙譲は美徳といえましょう。「世界最高!」と叫びたいのをぐっとこらえ、他人様の前では少々控えめに表現すれば、言外の品位というものがにじみ出てくるでしょうから。でも、“好きなもの”には遠慮なく“好きだ!”と叫ぶほうが素直でよろしい、と感じる人が世界の多数派のようです。

アメリカ旅行を終え、日本へ戻ったH氏から届いたその後の便りに、「今では朝晩2回、亡き妻の霊前で、私は心の中で愛の言葉をかけています。仏壇の妻の写真が微笑んでくれている気がします」とありました。
河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


七十年よくぞ日本もこの俺も

千兆の赤字あっけらかんといる

汚染水の内緒話が恐ろしい

人間はつくづく馬鹿と核兵器

文明の積み木を狙う震度7


( ニュースやぶにらみ )


「平成維新」

東と西で喧嘩をしている時ではない −西郷隆盛

                          −勝海舟

「もうマイナンバー汚職」

どうですこの速さ −お役所仕事


「傾きマンション対策に」

当社の免震装置を −東洋ゴム


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

 

龍翁余話

龍翁余話(397)「非常識な “南京大虐殺”記憶遺産登録」

本論の前に――『龍翁余話』に対して、幾人かの読者諸氏から「龍翁さんは、中国・韓国を(感情的に)目の敵にして激しい言葉を投げかけている。もっと紳士的に穏便な論評をお願いしたい」と言うご批判を頂戴することがある。親中派・親韓派の人たちから見れば、翁の反中・反韓論評は確かに“感情的”に映るかも知れない。しかし翁は中国人、台湾人、韓国人の友人が沢山いる。断わっておくが、翁の反中・反韓は、人民に対してではなく、あくまでも為政者(政府)に対してである。彼らが日本に対して友好的であるならば、翁はけっして彼らを誹謗・攻撃することはしない。だが、近年の中韓の政治的反日扇動(言動)は、例を挙げるまでもなく激化の一途を辿っている。翁の“感情的論評”は可愛いいものだ。それでも「紳士的に穏便な論評を」と言われるなら、申し訳ないが、翁は(老人ではあるが)未だ“老熟の域”に達してはいないので、とても紳士的とか穏便にはなれない。翁が『余話』や巷間で吼えるのは、いわば軍事上ではない言論上の“個別的自衛権の行使”(攻撃または脅迫されたら徹底的に反撃する)である、とご理解いただきたい。

さて、本論に入ろう――かねてより中国が国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に申請していた“南京大虐殺の文書”が、このほど登録された。このことに対して日本政府は、「中国は国際機関を政治に利用している」と中国批判を強めている。また、ユネスコに対しても「“加盟国の国内管轄権(国内問題)に関する事項に干渉する(関わる)ことを禁止する”というユネスコ憲章に違反しており、世界記憶遺産の審査過程にも不透明さがある」として(日本政府は)ユネスコにも改善を働きかけている。ユネスコのイリナ事務局長も(16日)「選考方法には透明性が必要だ」と述べている。

『ユネスコ世界記憶遺産』とは何か――すでにお馴染みの『文化遺産』や『自然遺産』の世界遺産条約が出来たのは1972年、人類が後世に残すべき貴重な遺跡・景観・自然などを保護、保存することが目的である。これに対し『ユネスコ記憶遺産』の登録が始まったのは1997年からで(遺跡などと異なり)持ち運びが出来る“可動文化財”、例えば歴史的に価値の高い古文書・文献・写真・映像などである。これまでに『記憶遺産』に指定されたものを列記すると【アンデルセンの原稿筆写本と手紙】(デンマーク、1997年)、【人権宣言】(フランス、2003年)(1789年に発せられた“人及び市民の権利の宣言”)、【マグナ・カルタ】(イギリス、2009年)(国王の専制から国民主権、自由の典拠を謳った憲章=イギリス立憲制の支柱)、【アンネの日記】(オランダ、2009年)・・・日本からは【山本作兵衛による筑豊炭鉱の記録画】(2011年)、【慶長遣欧使節関係資料】(スペインとの共同推薦、2013年)、【御堂関白記」(2013年)(平安時代の貴族・藤原道長が記した日記)・・・これらは、いずれも「世界的に価値ある貴重な歴史資料である」と公式に認められたものばかりだ。
ところが中国は、(産経新聞によると)この事業(記憶遺産登録)を“反日プロパガンダ”(政治的意図をもって自国の主義主張を正当化し日本を陥れようとする宣伝活動)に利用することを考えた。その中心になって動いたのが南京市にある“南京大虐殺記念館”(それ自体がプロパガンダ施設)の館長だとされている。更に中国の(記憶遺産)申請には重大な問題点がある。最も根本的なことだが、中国の申請は(前述のように)ユネスコ憲章の精神に反する非常識な申請だということだ。更に、中国が提出した“南京大虐殺”なるものは、戦時プロパガンダとして捏造された事件であり(全てが)史実ではない。戦時プロパガンダをユネスコ記憶遺産に登録しようとすることは、自国民の間に(日本に対する)憎悪と憎しみを助長させる行為であると言っても過言ではない――この産経新聞の主張を翁は全面的に支持する。

翁は“南京事件”については詳しくはないが、これまで幾つかの文献で得た知識の範囲で言うと、戦争中のこと故、殺し合いがあったことは事実だが、中国が言うような大虐殺であったか、また中国が主張する死者30万人の数字の信憑性はどうか、など(国際的に)確たる結論は出ていないのに、中国は既成事実を作り上げ(前述の)プロパガンダに利用しているのだ。そしてもう1つの捏造疑惑は、ユネスコに提出された“南京大虐殺”に関する写真資料。これは(日本側の研究で)何ら証拠能力を持たないガセ写真であることが証明されている。もっとヒドイ話は、提出された写真の中には旧日本兵が撮影した(南京事件とは無関係の)写真を無断で使用しているという恥ずべき事実が明らかになった。(著作権所有者は福岡県在住の旧日本兵の娘=医師)。”自分・自国に利するものは、法も倫理も不要、何でもあり“の中国の欺瞞体質を如実に物語る話だ。それらの誤魔化しを見抜けなかった(黙認した?)”南京大虐殺登録“審査委員たちは、よほどのボンクラか、中国から、よほど美味しい北京ダックを食べさせて貰ったか、いずれにしても”公正・公平“が求められる国連機関の委員としては不見識な連中ばかりである、と言わざるを得ない。

「そんなユネスコに分担金を出すな」――政府や与党は、日本のユネスコへの分担金の停止や削減を検討する考えを示した。当然だろう。各国のユネスコ分担金を見ると(2014年)、1位アメリカ(22%)、と言ってもアメリカは過去2年間、滞納している。したがって現在は2位日本(10.83%)が事実上のトップであり、日本円にして約54億円もの日本国民の血税が毎年使われている。中国は9位で日本の5分の1(2.06%)、韓国は11位で日本の10分の1(1.85%)、(中韓も毎年、滞納しているとか)・・・ところで、あの“慰安婦問題”の元凶・河野洋平(元衆議院議長)が「南京大虐殺は事実だ。ユネスコ分担金の停止・削減は恥ずべきこと」と、いかにも親中・親韓派らしい発言をした。「黙れ!国賊・河野洋平」と翁は実に“感情的に”怒っているのだが、まあ“紳士的”に考えれば、いきなり“停止”は、加盟国(日本以外の195か国)の反発も起きよう。しかし、記憶遺産登録をプロパガンダに利用している中国の姑息さを世界に知らしめるためにも“削減”は考えるべきだ。そのことに中国は批判する資格はない・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

手創り

日系2世の方の家を訪れるようになっていつも感心する事は家に手作りのものが飾られていてその手先の器用さと創作力の素晴らしさだ。
その中でもKさんの作品は本当にセンスが良かった。料理を盛り付ける時にいろいろ出される器が素敵だったので尋ねると全て自分が焼いたものだと言う。家の中に置かれている花瓶や飾りも自分で作ったと言うので驚いてしまった。
Kさんがセラミックの焼き物教室に通い始めた動機は4人の娘さんの子育てをする合間のストレス解消で始めたそうだ。それがそのうち本格的な活動になり自宅の庭でもガス窯や轆轤を構え作品作りに夢中になったそうだ。やがて自分が先生になり2か所のスクールでセラミックを教えたり生徒や自分の作品をリトル東京の店で販売したりするようになっていったという。手元には、もうあまり残っていないとはいえ食器棚に納まりきれないたくさんの食器や作品が下の部屋の棚にもたくさんあった。
花瓶 花瓶 花瓶
作品 作品 人形
貼り絵 貼り絵と人形 家紋

湯呑一つとっても人の手で作られたものは特別な、ぬくもりがある。それがたった一つしかないというのもいい。それに不思議に飽きがこない。
ある友人にとって、轆轤を回している時は、まるで瞑想をしているような気分でアルファー波でも出ているようだと言っていた。まさか自分がこんなに、はまると思わなかったし面白いので貴方もやってみたらと勧められた。自分にとって陶芸の世界は、まだ未知の世界ではあるけれど自分の作る料理を気に入った器で飾り付ける事も楽しいかもしれない。
もう一人の創作者Kさんの家に飾られている家紋や貼絵は着物のあまり切れや布を利用して作ったそうだ。日本人形も同じように家にある材料を工夫して作ったそうだ。
作品を作り始めた切っ掛けを尋ねると“旦那が相手にしてくれなかったからよ‘と笑って言った。無口そうだけれど人の良さそうなご主人様の写真は穏やかな笑みを浮かべて笑っていた。
数年前に、上野で“尊厳の芸術展”というのがあって行き損ねたのだがそれは戦争中に米国で日系人が収容されていた時に日系人によって作られた手作りの作品展だった。廃材の木やガラス、拾った石や土の中から掘り出した貝殻で工夫して家具やブローチや日用品が作られた。手先の器用さやアイディアに加えてコツコツと粘り強くやれる根気と集中力には敬服してしまう。
そう言えば母も昔は自分の服をほどいて私の服を作ってくれたりした事もあった。
小学校の行事で避暑地に行く時に着て行った水色のワンピースは今も覚えている。それは母とお揃いのワンピースだった。雑誌から型紙を起こしファブリックストアーに母と布やボタン選びに行った事も今は懐かしい。4,5階建の路地を挟んだビル2つの大きな店も今はもう閉店で無くなってしまった。
だんだん、手作りのものを目にする事が少なくなってきている事に何だか少し寂しい思いがする。
茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言

今週はお休みです。

 

 

 

 

   

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

八尾に行くことがなくなってからウォークマンでジャズを聴く機会が減りました。使わなくてもバッテリー量が減っていくので気がついた時に充電することにしています。ちょっと出かけるときはスマホに入れてある曲をBluetoothのインナーフォーンで聴いています。スマホは私たちにとって便利で万能な機器です。
さて今週はどのアルバムを紹介しようかとデータベースをチェックしていたら、Scott Jarrettのアルバムが目に留まりました。このアルバムは私がロスにいたころ購入したものでリリースが1980年になっています。正直なところこれまであまり聴いたことがなかったアルバムです。あのころフュージョン系の曲が好きだったので、このアルバムはシンプル過ぎたからだと思います。でも今聴くとさわやかな歌声とギターでなかなかいい感じのアルバムだと思います。このScott JarrettはKeith Jarrettの弟で、彼が唯一残したCDアルバムなのです。こんなアルバムがあったんだと新しい発見をしたような気分でうれしくなりました。

"Without Rhyme or Reason" Scott Jarrett

01-Miles of Sea
02-I was a Fool
03-Never My Fault
04-Without Rhyme or Reason
05-On Looking Back
06-Doctor_Nurse
07-Lady
08-The Image of You
09-Pictures

Buddy Williams(Drums), Chris Parker(Drums), Dave Grusin(Percussion), Dave Grusin(Piano), Eddie Gomez(Bass), Keith Jarrett(Piano), Ralph Macdonald(Percussion), Scott Jarrett(Guitar), Scott Jarrett(Vocals), Barry Finclair(Strings), Charles

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

編集後記

世界中で水害が起こっています。ロス近郊で大洪水があったと報じられていましたが、どのあたりだったのかがわかりません。ロスのみなさんは大丈夫でしょうか?

ベランダから見えるショッピングセンターの屋上の緑地は雑草がものすごく生い茂っていました。そろそろかなと思っていたら、連休最終日に草刈りをやってました。スッキリしました。
《R.O.》


雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1014

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com