私の友人H氏(日本在住)が、これまで経営(小さな工場)してきた会社を息子に引き継ぎ、悠々自適の引退生活を送ることになりました。働き人間だった彼は、特にこれといった特定の趣味はなかったので、しばらくは見知らぬ外国を一人旅してみようと思い立ったそうです。現役時代に苦労をともに分かちあった最愛の妻はすでに亡くし、心残りでさびしさはあるものゝ、亡き夫人に対する感謝と慰 労も兼ねた心の旅にしようと思ったそうです。
第一回目の一人旅は北米大陸を東から西まで横断することにし、まずはニューヨークをかわきりに、フィラデルフィア、ワシントンDC経由でシカゴに飛びました。シカゴからはレンタカーで「ルート66」沿いにドライブを試みたそうです。このドライブではシカゴで偶然出あった日本人夫婦が一緒で、このご夫妻も引退生活を楽しみに気ままな旅行中だったので意気投合し、3人旅となりました。(Hさんご本人は亡き奥様も含め、4人旅といっていました)
ちなみに「ルート66(正式には“US
Highway66”)」とは、アメリカ中部のシカゴからカリフォルニア西部のロサンゼルス(サンタモニカ海岸)までの約2,500マイル(約4,000キロメートル)
にわたる州をまたぐハイウエイですが、現在ではその殆どが州間高速道路
(インターステイツ・フリーウエイ)にとって代わられ、正式にはアメリカ合衆国の地図には記載されていない幻の道路です。それだけにかえって、昔(1960年代ころまで)を懐かしむ世代にとってこの「ルート66」は望郷の念にかられるものがあるのです。
今から40年以上も前、1960年(昭和35年)年代初め、アメリカ製のテレビ・ドラマに同じ題名の「ルート66」というのがあり、当時日本でも放映されました。この頃の日本はようやく戦後の荒廃期を脱出したばかりでしたが、アメリカは既にモータリゼーション(自動車社会)時代に入り、きらびやかで黄金時代を迎えていました。
このテレビ・ドラマでは、そんなアメリカで決して裕福とはいえない若者2人が自動車(シボレー・コルベット)で「ルート66」の旅を謳歌するのです。それは当時の私にとって驚きと憧れ以外の何物でもなく、日本で白黒テレビ画面に目を凝らし、胸をときめかしたものでした。
さて、Hさんたち3人の「ルート66」ドライブ旅行はシカゴ(イリノイ州)からミズーリ州、ミシシッピ州、カンサス州、オクラホマ州、テキサス州、ニューメキシコ州、アリゾナ州と7つの州をまたぐ大ドライブ旅行になりました。このドライブで約10日間、最終的には「ルート66」から少々外れ、ラスベガス(ネバダ州)でレンタカーを返却したそうです。この後、Hさんは同行夫妻と別れて再び一人旅にもどり、アメリカ西部の国立公園をめぐり、最終的にはロサンゼルスで4日間を過ごし、日本へ帰国されました。
このようにニューヨークからスタートし、東海岸の諸都市、さらにシカゴからラスベガスまでのレンタカー・ドライブ、国立公園めぐり、ロサンゼルスと、約1ヵ月余りにわたる一人旅(現実はレンタカー・ドライブは3人旅)は無事終了しました。
その間、訪れた名所・名跡は数知れず、感動したそうですが、彼がいうには「名所や名跡は訪れて、自分の目で見て感動して、カメラにおさめればそれで終わりだけれど、訪ねたそれぞれの場所で見聞きしたり、体験した異文化経験はカメラに保存できないだけに、私にとってなにものにも変えがたい貴重な宝であり、これからの私の人生の指針の源泉になるでしょう」ということでした。そして、「とにかくアメリカは広い、大きい」といっていました。
以下は、このHさんがロサンゼルス滞在中に私に語ってくれた、今回の異文化体験にもとづく日米文化比較とでもいうべきものです。Hさんは前述のとおり、これまで日本で小さな工場を経営しており、息子に会社を引き継ぎ引退しました。これまでは働くこと意外に趣味もなく、海外経験も無い、典型的な団塊の世代といえるでしょう。
Hさんのコメントは、今回が初めての海外体験であり、異文化の何たるかを理解していない偏見、誤解、独断がみられ、必ずしも全面的に同意できるものではありませんが、それはそれで、そんな一面的見方もあるのだと、素直に受け取ることも必要かと思います。以下、Hさんのコメントを私なりに編集したものを、シリーズでご紹介いたします。
― 続く ――
河合 将介( skawai@earthlink.net ) |