ひと雨ごとに、空の高さや清さに変化を感じ、紫色の野の花、露草が美しく頭を傾げている。3年に一度の大祭で燃え盛った佃の町も、傾く夕陽の中、鈴虫の音に一息ついている。またひとつ、夏が終わり、またひとつ結実の秋がやってきそうな気配。いまだ祭りの余韻が冷めやらぬこの街角に、船頭たちの“木遣り唄”(きやりうた)が耳に残る。私は“木遣り唄”の潔さが大好き。そしてその潔さの響く隅田川河口の島・佃も大好きだ。大都会の一隅・江戸の香りを残すこの島に住んで、本当によかったと、幸せのため息をつく・・・。
今でも覚えている、高校受験科目のひとつ、国語の最後の設問に“潔い”の読みがあった。読めなかった。“きよい”と書いてしまった。試験場を出る時に気がついたが、後の祭り、やっぱり落ちた。それから数年後、県の教員採用試験の国語教科教養試験問題に、“いさぎよい”の漢字書きがあった。書けた。見事合格できた。その頃から私は、“潔い”に憧れ、“潔い”人や出来事を愛するようになった。しかし、今の自分の生き様や心のありようは、“潔い”からほど遠く、心も淀み、思いきりもよくないなぁ・・・っと、忸怩たるものを感じる。日本の、片田舎の、小さな、小さな漁師町に生まれ、そこで幼少期を過ごした私は、漁師達とその妻たちの潔さが、今でも忘れられない。そして、漁師町でありながら、稀にではあったが、町に流れる“木遣り唄”に聞き惚れたことも。その歌は、町の青年団・消防団の男衆の息吹だったように思う。
ところで、私が潔いと感じる“木遣り唄“、教室へ通ってみようと衝動にかられたこともあった。男性だけのものだと諦めていたが、今では女性も参加できるという。『木遣りには2種類があり、材木などの重量物を移動する時に唄われる木引き木遣りと、土地を突き固めるいわゆる地形の際に唄われる木遣り唄がある』といい、『木遣りは"兄木遣り"と"弟木遣り"、”側受”(がわうけ)が居り、木遣りは曲の出だしと肝心な聞かせ所を一人で受け持ち、側受は他の所をなるべく大勢で唄って曲を盛り上げる。木遣りは、徳川時代中期頃から鳶職人などによる自衛消防団ができた頃から唄われていたものが、次第に現在のようなものに作り上げられて行ったと思われ、地業、上棟式、結婚式や葬式、記念行事など庶民の間に広まった。命をかけて庶民の家などを火災から守る火消しは"金銭にこだわらない"粋といなせ"を誇りとした。“江戸木遣り”の1つに“真鶴”がある。哀愁を帯びた曲調の出だしは♪よお〜〜〜〜〜えんや〜〜〜〜りょお〜〜〜〜〜♪、その場にいる木遣りの心得がある人達に対して、これから木遣りを始めようよ、といった呼びかけの意味で"よう、おい、木遣りやろうよ"という文句が唄われ、この"遣り声"は、ある意味、号令のようなもので、大勢の人達の中で、(鶴のように)非常に甲高い声で唄いあげられる。だから、昔からの"鶴の一声"という諺に因んで、真鶴と命名された』そうである(『日本火消し保存会』HPより一部抜粋)。
最近、日本国内の様々な業界・分野で、残念なニュースを耳にする。その度に、子どもでもわかるような誤ったプロセスと判断、遅すぎる決断と選択、そして責任回避と傲慢な言動の多い“専門家?”や“担当・関係者?”に「五寸釘をぶち込むぞ!」と叫びたくなる。日本の、日本人のおもてなしの心は“潔い”ものではなかったか・・・っと呟く、さくらの独り言。 |