weekly

1008号
 

NO.1008        Ryo Onishi              9/6/2015

 weekly
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雑貨屋のひとり言

東京オリンピックの国立競技場のやり直し、エンブレムのやり直し、次から次に失態を起こしています。しかし誰も責任をとらず、名誉職(迷惑職?)の人たちの他人事のような発言を聞いていると本当にシラケてしまいます。
こんなことで日本はうまくオリンピックの準備ができるのでしょうか?≪R.O≫

 

秋こそ感染症に注意

9月になりました。多くの日米の地域にくらべ、比較的しのぎやすいとされる当地ロサンゼルスで「暑い夏」などと言ったらバチがあたりそうですが、それでもここ数年、ロサンゼルス周辺でも夏期は異常なほど暑く感じています。

近年、このように暑い夏を感じるようになったのは私自身の年齢と体調によるところも多いのかもしれません。数年前までの私には、多少の暑さなど気にせず吹き飛ばしてしまうだけの気力・体力・迫力があったのですが、最近はちょっとしたことで血圧や血糖値などの低下を生じ、めまいや倦怠感に襲われます。

でも、最近の酷暑や異常気象は私自身の体調だけの問題ではないようで、地球規模の異常現象がその主要要因のひとつなのかもしれません。

当地、南カリフォルニアでは一般に夏というと、独立記念日から始まり、レイバー・デイで終わるとされています。今年も9月7日がレイバー・デイで学校も新学年に入ります。

暦の上ではすでに秋となっているロサンゼルス周辺は先週くらいまで日中の気温が30℃台半ばを超えた日もあり、厳しい残暑の日々でした。これまで冷房施設なしで外気だけで凌いできた我が家の夏でしたが、年々耐えられない状況です。どんなに暑い夏の日中でも窓から外気を取り入れればじゅうぶん凌げていたはずが、このところ湿度までが体感温度に逆らってくれるようです。9月に入ってもこの状態は続いており、一日も早くこの酷暑から解放され秋の清々しさを実感したいものです。

秋といえば、以前は旅行、運動、読書、食欲など、前向きな行動の響きが連想されましたが、このところ、ニュース報道ではエボラ出血熱やデング熱、インフルエンザ、西ナイル熱等の感染症が世界的蔓延のおそれや、日本における発見があり、すでに暑い夏のうちから広まりつゝあるこのウイルスが、これからもまだ猛威をふるうおそれがあるのだそうです。

今年も各種感染病に世界各地に発生し、蔓延しつつあります。オバマ大統領も西アフリカで拡大するエボラ出血熱の封じ込めに向け、真剣に取り組む方針を明らかにしています。

私は6年前、日本へ行った際、新型インフルエンザの世界的大流行時であったため、成田空港で機内検疫を受けたり、日本滞在中はホテルまで追跡調査された経験がありましたが、それでも当時は残念ながら日本中にこのウイルスは蔓延してしまいました。空港の水際検疫による努力も無駄になるほどの脅威のインフルエンザだったわけです。

これらの感染病の菌やウイルスを媒介するとされる蚊は涼しい季節になっても活発に活動するのだそうで、交通手段が進み、交流の機会が多い今では感染は容易であり、決して楽観は許されません。今のところエボラ出血熱は日本では感染者はいないようですが油断は禁物です。またデング熱は毒性が弱いようでも流行が心配です。

この季節は日常から適切な栄養と休養を心掛け、免疫力の強化をはかり、同時に「旅行、運動、読書、食欲の秋」だけでなく「マスク、手洗い、うがいの秋」という項目も加えなければならないようです。
河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


10万人ライブに妻のペンライト

変身のママが浅草カーニバル

夫婦善哉浪花女の土性骨

深水のモデルでしたと言ううなじ

モナリザの笑みより地蔵さんの笑み


( ニュースやぶにらみ )


「民主 維新野党再編へ」

くっつけばいいってもんじゃない −スズキ

「壊し屋」

橋下もなかなかやるな −小沢一郎

「女性活躍推進法」

と言われてもねえ −日本相撲協会


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(391)「重陽の節句」

『能』の名曲の1つに『菊慈童(きくじどう)』と言うのがある(観世流以外は『枕慈童』と言うそうだが)。周の時代(紀元前1000年?中国古代王朝)、時の王の寵愛を受けていた
慈童という名の少年がいた。ある時、その少年は王の意に反する大罪を犯し某山に幽閉される。某山は鳥も鳴かない虎狼の棲む所で、とうてい生きては帰れない地獄山。ところが、そこは菊花が咲き乱れる山。慈童は菊の水を飲んで700年も生きた、と言う伝説を、能の演目にしたもの。この話、十数年前、翁が栃木県佐野市惣宗寺(そうしゅうじ=佐野厄除け大師)に参拝した時、境内にある“不老長寿の神“『菊慈童像』についてご住職に聞いた話である。

9月9日は『重陽(ちょうよう)の節句』、別名『菊の節句』とも言う。『菊慈童』にあやかって盃に菊の花を浮かべ、長寿を祈願しながら酒を酌み交わす習慣があるそうだ。言うまでもなく『重陽の節句』は五節句の1つ。五節句とは(ご承知の通り)1月7日の『人日(じんじつ)の節句(七草粥)』、3月3日の『上巳(じょうし)の節句(桃の節句・雛祭り)』、5月5日の『端午の節句』(菖蒲の節句)、7月7日の『七夕の節句』、そして9月9日の『重陽の節句』。翁の印象では、一般的には(五節句の中で)この『重陽の節句』が一番、地味、と言うか、影が薄い節句のような気がする。ところが「江戸時代は重陽の節句こそが五節句を締めくくる最重要行事であった」と記録されている。

『菊慈童』伝説がもとになっているかどうかは定かではないが、昔から菊は“翁草(おきなくさ)”、“千代見草(ちよみくさ)”“齢草(よわいくさ)”と呼ばれ、邪気を祓い長生きする効能がある、と信じられていた。また、古来より偶数は縁起の悪い陰数、奇数は縁起のいい陽数と考えられ、陽数が連なる日をお祝いしたのが五節句の始まりだと言われている。“9”は最大の“陽”である。それが重なる9月9日を“重陽“と言い(前述のように)江戸時代は最も重要な行事であったそうな。しかし翁は、個人的には“9”は好きではない。何故なら“9”は“苦”の音に連なるから。そうは言っても日本人は、もともと奇数を好んだ。何といっても“1”が一番だが“3”“5”“7”は、あらゆる場面に用いられる。例えば子どもの成長を祝う“七五三”、婚礼時の“三三九度”、応援団の“三三七拍子”、もちろん(前述の)『節句』も奇数(陽数)が重なる。俳句は“五七五”、短歌は“五七五七七”、結婚式の祝儀も、葬儀の香典も奇数で施される。ひきかえ、偶数(陰数)は敬遠されることが多い。こじつけだろうが“2”は“二つに割れる(別れる)”、“4”は“死”(翁は今でも3カ月ごとに通院しているが、病院の駐車場や病室には“4”という数字ははずされている。別に科学的根拠があるとは思えないが“縁起担ぎ”も日本的だろう)。“6”は“ろくでなし”――敬遠されがちな偶数(陰数)でも、1つだけ例外がある。それは“8”だ。一般的に“八”は“末広がり”を意味し、中国や日本では幸運の数とされている。

ところで、9月は『重陽の節句』の前日(8日)が『白露』(本格的な秋季の始まり)、『秋彼岸』(20日〜26日)、『敬老の日』(21日)、『秋分の日』(23日)、『十五夜の月見』(27日)と歳事が続く。それぞれの歳事には必ず“花”が伴う。9月を代表する花と言えば、菊のほか彼岸花、ダリア、芙蓉、秋桜(コスモス)、女郎花(オミナエシ)、萩、金木犀(キンモクセイ)、桔梗(キキョウ)、銭葵(ゼニアオイ)・・・翁は近年、花を愛でるようになった。ろくに花の名や生態を知っている訳ではないが、花屋に陳列された多種の花々に目をやるのは勿論、道端や公園などの片隅に咲く野花にも癒されることが多い。

したがって翁は毎年『重陽の節句』には菊の花(白・黄・薄紫)をリビングに飾ることにしている。菊は言うまでもなく国花であり、花言葉の“高貴”のせいか、あまり整理整頓されていない翁の部屋の雰囲気を何となく引き締めてくれる。それに下戸の翁、菊酒の代わりに緑茶に菊の花を浮かべ(長寿を願って)飲む。その際、山形県米沢市在住の親友・Yさんから頂いた“晩菊”と言う漬物を“茶うけ”にする。これがまた実に美味い。“晩菊”とは、山形県内各地、青森県八戸などの東北地方、新潟県中越地方で栽培される食用菊、翁の大好物だ。主治医から「塩分は控え目に」と注意されているので、ほどほどに食しているつもりだが箸を止めるのにかなりの未練を残すほど“晩菊”が好きだ。

『重陽の節句』(菊の節句)では(前述のように)菊酒・菊茶・菊漬物のほか菊湯、菊枕と言う“菊づくし”の楽しみ方があるが、ほかに、この時期は(江戸時代から)栗ご飯を食べる慣わしもある。また秋ナスも『重陽の節句』に欠かせない食べ物。「おくんちに秋ナスを食べると中風にならない」の言い伝えもある。“おくんち”とは九州地方(長崎県・福岡県・佐賀県)で、9日の“くにち”が訛って“くんち”、または“おくんち”になったのだろう、収穫に感謝する秋祭りの呼称にもなった。“くんち”の名がつく秋祭りには“長崎くんち”をはじめ“唐津くんち”、“平戸くんち”、“博多おくんち“などがある。秋ナス、と言えば「秋ナスは嫁に食わすな」と言うのもある。「秋ナスは体を冷やすから大切な嫁に食べさせるな」とか「秋ナスは種が少ないので子種が出来にくくなると困るから」と、まるで”嫁をいたわる“ような理由をくっつけているが、本当の意味は「こんな美味しい秋ナスを、憎たらしい嫁に食べさせるのはもったいない」ではないだろうか?そうだとしたら(現代なら、たちまち)”嫁イビリ”で訴えられそうだ。

9月は別名“長月(ながつき)”と言う。これから、だんだんと夜が長くなる“夜長月(よながつき)の略であろう。翁はゴルフに行く朝は、だいたい4時ごろ起きる。夏場の日の出は4時半前後だが、昨日(5日)は5時過ぎに空がやっと白んだ。”秋の夜長“の気配を感じた。東京地方の『重陽の節句』の日の出は5:20、日没6:00(国立天文台情報センター)。さて、重陽の夜は、菊茶と晩菊を味わいながら健康と長寿を祈願するも、己れの余生の在りようを考える夜にしよう・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

End of Summer (夏の終わり)

先週は珍しくこのサウスベイも蒸し暑い日が続き、ついに今年初めてクーラーを使用した。昔からLAに住んでいる人は ”今までLAの夏は暑くなってもカラリとしていたのに、こんなジメジメとした暑さは経験した事がないよ”と言っていた。
その暑い日が続く先週末の日曜日に田中ファームのワゴンツアーに参加してきた。 
この田中ファームは1940年からビジネスをスタートさせたようでオレンジカウンティーで苺と言えば田中ファームと言われるくらい名前が知れわたっていて農業では成功したファームの一つだ。このサウスベイからは405のフリーウェイでオレンジカウンティを南に向けて走る事、約1時間、アーバインのユニバーシティで降りてすぐ右に3分ほど走ると左手に田中ファームの入り口が見えてくる。

以前から、1度この田中ファームのワゴンツアーには参加してみたかった。ここのスタンドで売る野菜や果物が美味しいとの評判も聞いていた。 今回はたまたま知り合いの主催するグループツアーで田中ファームに行くと聞いたので楽しみにしていた。この田中ファームでは1年を通して春はストロベリーツアー、夏はウオーターメロンツアー、秋にはハロウィン用のカボチャツアー、冬にはクリスマスツリーツアーを行っている。また、そこで収穫された野菜を使った料理教室などのイベントも企画している。私たちは夏の最後になるウオーターメロンツアーに参加した。ワゴンに乗せられ30エーカーほどの田中ファームをゆっくり回った。何度か畑の角に置いてあるアイスクーラーボックスの前で停まってはボックスの中から、すでに収穫された人参やチェリートマト、インゲンを配ってくれた。それを食べながらワゴンに揺られて最後はスイカの味見をするテントに向かった。赤いスイカは普通だったが黄色いスイカはびっくりするくらい甘くて美味しかった。この数日の暑さで一層、糖度が増したのだろうか…帰りに一人一個のスイカのお土産をもらい、ついでに野菜スタンドでホワイトトウモロコシを購入した。赤いスイカはやっぱりインパクトが無かったけれど期待していなかったトウモロコシは久しぶりに甘くて美味しいトウモロコシだった。3時間ほど野外で太陽に照らされたせいか汗が出て東京の夏を思い出した。帰り際に田中ファームから見上げた空がいつもより高く感じた。その青い空と赤い鶏頭の花のコントラストが印象的だった。今週からはようやくLAもずいぶん涼しくなった。あとは突然インディアンサマーがやってきて1週間ぐらい猛烈に暑い夏がぶり返す。それが終わるとLAは本格的な秋がやってくる。

茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言「潔」

ひと雨ごとに、空の高さや清さに変化を感じ、紫色の野の花、露草が美しく頭を傾げている。3年に一度の大祭で燃え盛った佃の町も、傾く夕陽の中、鈴虫の音に一息ついている。またひとつ、夏が終わり、またひとつ結実の秋がやってきそうな気配。いまだ祭りの余韻が冷めやらぬこの街角に、船頭たちの“木遣り唄”(きやりうた)が耳に残る。私は“木遣り唄”の潔さが大好き。そしてその潔さの響く隅田川河口の島・佃も大好きだ。大都会の一隅・江戸の香りを残すこの島に住んで、本当によかったと、幸せのため息をつく・・・。 

今でも覚えている、高校受験科目のひとつ、国語の最後の設問に“潔い”の読みがあった。読めなかった。“きよい”と書いてしまった。試験場を出る時に気がついたが、後の祭り、やっぱり落ちた。それから数年後、県の教員採用試験の国語教科教養試験問題に、“いさぎよい”の漢字書きがあった。書けた。見事合格できた。その頃から私は、“潔い”に憧れ、“潔い”人や出来事を愛するようになった。しかし、今の自分の生き様や心のありようは、“潔い”からほど遠く、心も淀み、思いきりもよくないなぁ・・・っと、忸怩たるものを感じる。日本の、片田舎の、小さな、小さな漁師町に生まれ、そこで幼少期を過ごした私は、漁師達とその妻たちの潔さが、今でも忘れられない。そして、漁師町でありながら、稀にではあったが、町に流れる“木遣り唄”に聞き惚れたことも。その歌は、町の青年団・消防団の男衆の息吹だったように思う。 

ところで、私が潔いと感じる“木遣り唄“、教室へ通ってみようと衝動にかられたこともあった。男性だけのものだと諦めていたが、今では女性も参加できるという。『木遣りには2種類があり、材木などの重量物を移動する時に唄われる木引き木遣りと、土地を突き固めるいわゆる地形の際に唄われる木遣り唄がある』といい、『木遣りは"兄木遣り""弟木遣り"、”側受”(がわうけ)が居り、木遣りは曲の出だしと肝心な聞かせ所を一人で受け持ち、側受は他の所をなるべく大勢で唄って曲を盛り上げる。木遣りは、徳川時代中期頃から鳶職人などによる自衛消防団ができた頃から唄われていたものが、次第に現在のようなものに作り上げられて行ったと思われ、地業、上棟式、結婚式や葬式、記念行事など庶民の間に広まった。命をかけて庶民の家などを火災から守る火消しは"金銭にこだわらない"粋といなせ"を誇りとした。“江戸木遣り”の1つに“真鶴”がある。哀愁を帯びた曲調の出だしは♪よお〜〜〜〜〜えんや〜〜〜〜りょお〜〜〜〜〜♪、その場にいる木遣りの心得がある人達に対して、これから木遣りを始めようよ、といった呼びかけの意味で"よう、おい、木遣りやろうよ"という文句が唄われ、この"遣り声"は、ある意味、号令のようなもので、大勢の人達の中で、(鶴のように)非常に甲高い声で唄いあげられる。だから、昔からの"鶴の一声"という諺に因んで、真鶴と命名された』そうである(『日本火消し保存会』HPより一部抜粋)。
 

最近、日本国内の様々な業界・分野で、残念なニュースを耳にする。その度に、子どもでもわかるような誤ったプロセスと判断、遅すぎる決断と選択、そして責任回避と傲慢な言動の多い“専門家?”や“担当・関係者?”に「五寸釘をぶち込むぞ!」と叫びたくなる。日本の、日本人のおもてなしの心は“潔い”ものではなかったか・・・っと呟く、さくらの独り言。

 

 

 

 

   

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

Yahooニュースのエンタメ欄でジャズ評論家の冨澤えいち氏が書いた"たなかりかは意外に知られていない"という記事を見つけました。たなかりかの素晴らしさが紹介されており、添付されていた動画を観ました。とても魅力的な歌い方だったので彼女のアルバムを聴いてみたくなりました。音楽データベースを探すとアルバムが3枚ありました。4年前に見つけたものでまだ紹介していませんでした。アルバム"When She Flows"は早川えみ(1006号に掲載)に続き魅力的なボーカルの再発見です。彼女のソフトでさわやかな歌声がとても魅力的でゆったりとした気分で聴けるアルバムです。

"When She Flows" たなかりか

01-I Wish You Love
02-Skylark
03-Cry Me A River
04-I Can't Help It
05-Sweet Thing
06-Don't Get Around Much Anymore
07-You And The Night And The Music
08-Vincent
09-More Than You Know
10-On A Clear Day
11-I'm Beginning To See The Light

たなかりか(vocal)
金子雄太(organ, rhodes, piano)
渥美幸裕(guitar)
安東昇(bass)
小森耕造(drums)

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

編集後記

あの猛暑のときの気温からずいぶん下がってきました。過ごしやすくなりましたね。気温が下がってきたのはうれしいですが同時に株式相場も急落しています。多額の年金基金を株式に投入していますが大丈夫なのでしょうか?《R.O.》


雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1008

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com