世界遺産 日光東照宮
友人から誘われて東京から日帰りでも行けるからと栃木県にある日光東照宮に先週の月曜日に出かけてきた。週末の混雑をさけたつもりが人人人、東京の混雑ぶりと変わらないほど街は賑わっていて驚いた。ちょうどその日は東照大権現400年大祭とかで百者揃千人武者行列がありそれを見る為に観光客がたくさん集まっていた。駅から東照宮までのバスも一杯だったので私達は30分ほど日光街道の道をテクテク歩いて行った。両脇には歴史を感じさせる昔からの茶屋やレストラン、お土産屋がズラリと並んでいて見ながら歩くのも楽しい。江戸時代から明治、大正そして今日までどれだけの人がこの道をどんな思いを抱きながら歩いて東照宮にお参りしたのだろうとイメージを膨らませながら歩いた。
日光東照宮の入り口が見えてくると商店街が終わりその堺は大谷川が流れていて川を渡ると神聖な世界、手前は娑婆世界という感じだ。その手前に立っている銅像が誰なのか眺めていたら地元の人と思われる人が声をかけてきた。“ あっちにも銅像があるよ。あれは板垣退助の銅像だよ。戊申戦争の時、あの人がいたからこの東照宮が今も存在して守られてきたんだよ。”と。 友人は戊辰戦争の背景についても良く覚えていた。恥ずかしながら私などは歴史の時間は居眠りでもしていたのか戦争の名前は憶えていても頭の中には何も残っていなかった。いよいよ東照宮の入り口にたどり着くと長い石段がある。一つ一つの石段も高く両脇には手すりも無いのでお年寄りには危ない。今回、友人は東照宮よりもパワースポットである徳川家康の御遺骨が納められている奥社宝塔を訪れたいというのが希望だったので千人行列が終
わるとすぐにそこに向かった。
人が押し寄せる前に少しでも静寂な中でお参りしたいと思ったので私たちは人をかき分けながらそのスポットを目指して東照宮を見る前に先にそちらの方へ急いだ。奥社殿へは、息が切れそうな長い石段が山の上の方に続いている。上にたどり着くと徳川家康の宝塔が見えた。その脇に叶杉という御神木があり私たちは、そこでお参りをして混雑する前にそのパワースポットを離れた。
ところでこの世界遺産に指定されている日光東照宮、先月下旬ごろ参道に白い粉が20か所あまり、撒かれたそうだが、その頃、日本の神社や歴史的な建造物をターゲットに一斉に油が撒かれるという被害があった。その事件を聞いて少し前に日本のあちこちの図書館で一斉にアンネの日記が破られた事を思い出した。そういう組織的なグループが日本に存在するのかどうかはわからないが残念だ。
茶子 スパイス研究家 |