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NO.984         Ryo Onishi              3/22/2015

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雑貨屋のひとり言

先週は暖かい日が続き春を感じました。暖かいと服装も軽く身体の緊張が緩んでとても楽ですね。今週はじめは冬の寒さに戻りそうですが、この寒さを乗り越えたら本格的な春ですので楽しみにしたいと思います。鼻がムズムズするのだけが憂鬱ですがこれは仕方ないですね。

先日、ワイフの靴を買いにあるデパートの婦人靴売り場に行きました。そこにはシューフィッターの資格を持った人がいるので、その人にアドバイスを受けて買おうと思ったからです。靴のかかとや底が片減りしているのは歩き方もそうですが、身体の歪がそこに出てきていることがあります。足にうまくフィットしていない靴を履いていると足だけでなく腰にも影響が出てくるようです。シューフィッターの方に靴の選び方、履き方、補正の仕方など細かなアドバイスを受けピッタリの靴を選ぶことができました。
私も、次に靴を買う時はシューフィッターの方がいるところで買おうと思いました。≪R.O≫

 

短 歌

 当地ロサンゼルスで発刊されている日英バイリンガル新聞に「羅府新報」という日刊紙(現実には週5日発行)があります。この「羅府新報」は1903年創刊で、今では海外の日系新聞で最も歴史ある新聞といわれています。

私は1997年からこの新聞の日本語第1面にある『磁針』というコラムに寄稿を続け、前回で229回となりました。

羅府新報は世界、アメリカ、日本の一般ニュースに加え、地元の日系コミュニティに関する動向も取り上げています。日系各県人会の行事や、趣味の同好会をレポートしたりしてくれます。私たちの詩吟の会も春と秋の定期吟詠大会には取材に来てくれ、写真入りで大きく取り上げてもらっています。

この新聞には地域の皆さんの趣味のコーナーもあり、俳句、短歌、詩、川柳などの同好会員の作品が掲載され、このコーナーは私の楽しみの一つです。これら作品の作者の中には、戦前に日系移民として渡米し、多くの苦難の道を歩まれた方々も多く含まれ、作品の中にそんな想いが封じこめられているものを感じたりします。

先日、短歌のコーナーを見ていたら、作者の中に私の知ったお名前を見つけました。この方に私はまだお目にかかったことがなく、E-メールのやり取りだけなのですが、最初にE-メールを受信したのは私が消化器癌の手術を受けた時にいただいた見舞い文でしたので4年前になります。

それ以降、私の原稿が『磁針』に掲載されるたびに感想をおくってくださっています。ご自身も戦火を潜り抜けた時はまだ10代の学生だったそうで、前回の私の『磁針』の文章は、感極まる思いだったそうです。今回新聞に掲載された彼女の短歌は次のようなものでした。

☆歳重ね 細かな活字の 和英辞典
      老眼鏡かけても 尚読みにくし

彼女は現在、ロサンゼルスに住み、ニューヨークに滞在する娘さんと行き来しながら悠々自適の人生を過ごされているようで、そんな思いがこの短歌からにじみでてくるようです。

今回、新聞紙上に発表されたのは28首でしたが、どの作品も心に残るものばかりでした。以下はそれらの中からいくつかご紹介いたします。作者のご了解もなしにとりあげることをどうかご容赦ください。

☆初咲きの 水仙二本 寄り添いて
        香り放ちぬ 一人住む庭

☆春に咲き 夏に栄えて 秋実る
        後を託して 冬土になる

☆ささやかな 老後を願い 働きて
        神の褒美の 八十路を歩む

☆疼痛を 伝える単語 探しおり
        電子辞書引く 待合室に

☆六年後 さして先には 聞こえねど
        米寿の身には オリンピック遠し
河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


少年倶楽部世代にはいた火星人

生涯の友大喧嘩したあの日から

あの丘も今何丁目何番地

傷口の奥であの日がまだ疼き

交差点夢と現実すれ違い


( ニュースやぶにらみ )


「地価17%上昇」

加賀百十七万石 −金沢駅西口前

「8の次は10」

ウインドウズに先を越された −消費税

「オープン戦」

本物かメッキか試されている −金の卵


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(367)「春彼岸」

翁たち4人のゴルフ仲間は(雨天を除いてほとんど)毎週土曜日、揃って成田のゴルフ場に出かける。横浜市港北区日吉在住のT君、I君2人が(T君の車で)中原街道を走り、朝6時頃、翁のマンション前で翁を拾い、もう1人の仲間・M君をJR五反田駅前で乗せ、目黒インター(IC)から首都高速〜湾岸線〜東関道を走って成田インターへ。冬季は東関道の四街道ICあたりで(6時40分頃)やっと白んでくるのだが、3月に入ると6時頃に出会う“ゴルフ仲間たち”の笑顔が薄ぼんやり見えるようになる。“朝ぼらけ”(夜がほのぼのと明けるさま)の時刻だが、彼岸に入ってからの“朝ぼらけ”は、もう少し早まる。そう言えば、彼岸の頃は(春・秋彼岸とも)昼と夜の長さが、ほぼ同じになるそうだ(実際には昼間の方が少し長い、とのこと)。彼岸と言えば【暑さ寒さも彼岸まで】と言う慣用句がある。冬の寒さは春分頃まで、夏の暑さ(残暑)は秋分頃まで。この慣用句が転じて「辛いことも、いずれ時期が来れば去って行くので、諦めずに頑張ろうよ」と言う意味の諺に用いられることもある。

『彼岸』については以前にも(『余話』で)書いたことがある。人間の生死の境を河や海に喩え、今、我々が生きている(欲や煩悩にまみれた)世界を河のこちら側、つまり『此岸』(しがん)と言い、煩悩を克服して悟りの境地に達して渡る向こう岸の極楽浄土(死後の世界)を『彼岸』と言う(との説明が圧倒的に多い)。難しい仏教的説明は出来ないが、とにかく今を生きている(生かされている)我々は、すでに彼の岸に渡った人たちを偲び、供養する時期(それが年2回、春と秋にある)と言う程度の解釈でいいと思う。

ご承知のように『彼岸』の中日(ちゅうにち)を春は『春分の日』、秋は『秋分の日』と言う。今年の『春分の日』は3月21日(土)だった。この『春分の日』は(『秋分の日』同様)少しずれる年もある。国立天文台が発表している今後5か年の『春分の日』を調べてみると、2016年と2017年が3月20日、2018年と2019年が3月21日、そして東京五輪の2020年は3月20日と予測されている。『春分の日』『秋分の日』は(戦後間もなくの)1948年(昭和23年)に『国民の祝日』と定められた。『春分の日』の主旨は「厳しい冬を耐えてきた生き物が、前向きに、やる気に満ち溢れると共に、草木が芽吹き、春の訪れを感じる時期、すなわち“自然を讃え、生物を慈しむ日”とされている。ゴルフの話に置き換えると、寒さで体が回らなくて、いいスイングが出来なかった冬季と違って、これからは“厳しい冬を耐えてきた体がようやくラクに動くようになり、やる気に満ち溢れる季節になった”、と言うところか(やる気は年中同じだが・・・)。

『春分の日』とは、もともと1878年(明治11年)に制定された『春季皇霊祭』(『秋分の日』は『秋季皇霊祭』)に始まる。皇霊祭とは、歴代の天皇・皇后・皇族の霊を祀る儀式を言い“皇霊殿で行なわれる皇室のご先祖様まつり”のことだ。1944年(昭和23年)に『春分の日・秋分の日』が制定された以後も、宮中では従来通り春季・秋季の皇霊祭が行なわれている。なお、皇霊殿とは歴代天皇および皇族の霊が祀られている宮中三殿(賢所・神殿・皇霊殿)の1つ。天皇や皇族の霊は(お亡くなりになって)1年してからこの皇霊殿に合祀されるそうだ。一般的には現在の『春分の日』は(前述の)祝日の主旨を特別に意識することもなく、ましてや宮中祭祀(皇霊祭)とは全く関係なく休日を楽しんでいるだけだが、全国神社界においては春季・秋季共に“皇霊祭”を執り行なっている。翁もこれまでに幾度も靖国神社の皇霊祭(神殿祭)に出向き拝殿から皇室の弥栄(いやさか)を祈願し、併せて戦没者に対し慰霊と感謝のまことを捧げたものだ。今年の『春分の日』は21日の土曜日、通常、土曜日はゴルフ・デーだが、恩人の三十三回忌法要のためゴルフと靖国参拝は中止、マンションのベランダに日の丸を掲げ、国家の平和と繁栄、東北被災地の早期復興を祈念した。

甘党、特に“小豆餡(あずきあん)”が好きな翁、『彼岸』の時期でなくても、時々“ぼたもち”を買って食べる。最近は小豆餡だけでなく、きな粉をまぶした“ぼたもち”もある。先日(彼岸の入りに)スーパーで買った“ぼたもち”には(商品名)“おはぎ”のシールが貼ってあった。え?違うだろう?春は牡丹をイメージして“牡丹餅”すなわち“ぼたもち”、秋は萩をイメージして“ 萩餅”すなわち“おはぎ”、翁は、これが定説だと思い込んでいるのだが・・・それにしても最近の“ぼたもち”、甘味が抑えられていて翁には物足りない。それに小さ過ぎる。部屋の飾り棚の母・兄・叔母の遺影に朝(3個)お供えしてから昼には“お下げ“して2個、ペロッと平らげる。そして夕方、また買いに行く。もしかして彼岸の間、かなりの”ぼたもち“を食べるのではあるまいか。食べるたびに、翁が子どもの頃の(田舎の)大きくて小豆餡がいっぱい乗っかった甘い“ぼたもち”が思い出される。

田舎の思い出は“ぼたもち”ばかりではない、思い出の花に牡丹がある。牡丹は亡き母と翁の絆の花だ。30数年前(母のために)購入した“故郷の我が家”の庭に(兄が植えてくれたのだろう)背丈が150cmもある牡丹が、6本植えられていた。4月下旬から5月にかけて、それはそれは美しい大輪の花を咲かせた。牡丹の花の咲く頃、愛する息子が(東京から)帰って来る――「そろそろ牡丹の花が咲くよ、楽しみだね」母の電話の声が今も耳に残る。翁は、母が存命中は、必ず年に2回、GW(ゴールデンウイーク)とお盆に帰省していた。GWとお盆の間は短いが、お盆から翌年のGWまでが長かったのだろう、母は、庭の葉牡丹を眺めては指折り数えて息子との再会を待ちわびていたのだろう。

近くの花屋には、あいにく(冬)牡丹は無かったので、艶やかなカーネーションを牡丹花に見立て、母・兄・叔母の遺影に供え、1句を短冊にしたためた【在りし日の 母を偲びつ 牡丹花】・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

穏やかな時間

“今回のクライアントさんは貴方にとても合っている人達だと思うわ”そうオフィスのスタッフの人に言われて訪れたLさんの家の庭は素晴らしかった。今までいろんな自家菜園をやっている庭を見てきたがバナナやマンゴやパイナップルやキューイまで育てている所はお目にかからなかった。聞くと自宅のフルーツだけでも50種類以上はあると言う。野菜もケールからリーフレタスからブロッコリー、キャベツ、玉ねぎ、長ネギなど料理に使いたい野菜をリクエスとすれば殆どのものが出てくるのだ。庭を案内された時、カラフルな不思議な木を見つけた。その木はオレンジとレモンとライムが同じ1本の木に成っていて、まるで絵本の中から飛び出してきたような楽しい木だった。これは挿し木をしたのだと言っていたが初めて見る木に目が釘付になってしまった。温室の中にはこれから芽を出そうとしている鉢の中の植物もたくさん並んでいた。趣味でも、ここまで徹底してやっている人はそういないと思う。” I am crazy  “ (私はバカなんだよ)珍しい種を見るとすぐに買ってしまうんだ ”そう、この家のご主人は言っていた。彼も奥さんもハワイ生まれ、ご主人が21歳の時に19歳のHさんと結婚し仕事を求めて2人で1960年にアメリカ本土カリフォルニアに渡った。
 
カラフルフルーツ パイナップル パパイヤ

仕事を始めて数年後に自立し会社を作り45歳で引退し息子さんがそのビジネスを継いでいる。ご主人の方は早朝、ジムに行き汗を流し午前中は庭仕事、時々池の鯉にも餌をやる。お昼は友人たちとランチをしたりショッピングをしたり引退してもいつも何かをして体を動かしている。奥さんのHさんは数年前から病気が悪化して殆ど外出しなくなった。歩く時は歩行機でゆっくり歩く。外との接触が無いため、いつもTVを見て暮らしていたらしい。週末は娘さんがやってきて家族と一緒に過ごすのだそうだ。
 
温室 フルーツ 朝摘みベジタブル

そして週3回私はこのHさんと一緒に過ごす時間が私にとって穏やかで静かな癒しの時間になった。初めてこの家を尋ねた時に窓際につるしてあるハミングバードフィーダーが目に付いた。そろそろハミングバードが来る頃だからと言うと早速、ご主人は赤い色のジュースを入れてくれた。その途端、どこから嗅ぎつけたのかハミングバードがどんどん来るようになった。食卓テーブルの窓からいつも、このハミングバードがジュースを飲みに来るのをHさんと眺めるのがとても楽しかった。朝は大抵キッチンに旦那さんが朝摘みしたフレッシュな野菜と果物を用意してくれている。それらを使って今日は何を作ろうか考える。その日の気温や体調を考えながら料理するのも楽しかった。
キッチンの窓から見える庭の景色も気持ちが和む景色だった。太陽の光をサンサンと浴びた野菜たちや果物はいつも元気で見ていて気持ちが良かった。そしてその向こうに連なって見えると遠くの山々は小雨や寒いの翌日は雪がかぶったのが見えた。
 

窓からの景色 ハミングバード フードマガジン

2人でゆっくり食事をしながらHさんは徐々にいろんな話をしてくれるようになった。私は何の宗教にも属していないが信心深いHさんが食事をする前に神様にお祈りを捧げるのも好きだった。“ 準備はいい?”と聞くと目を閉じてお祈りを捧げる。食事の前のお祈りは幼稚園の頃やった記憶がある。その時の言葉を今も覚えている。“お父さん、お母さん、お百姓さん、美味しいお弁当ありがとう ” そう言って食べたのだ。そこにはお百姓さんに対する感謝の気持ちも忘れなかったのだな〜と今更ながらそういう習慣がとても大事な事だったのに気が付いた。 食事をとりながらHさんがハミングバードを見つめる眼差しはとても優しい眼差しだった。“ほら、あんなに小さいのがいるわ。まだ生まれたばかりかしら” “ あら、あの大きいのは他のを蹴散らして喧嘩をしているわ。”と…いつも熱心に見ていた。
もうすぐお誕生日を迎えるHさんの為に何かデザートを用意しようと思っていたらご主人が何冊かクッキングマガジンをくれた。その中から何か作ろうと考えていた矢先、突然彼女は旅立って行ってしまった。本当に急な事で私も驚いた。お悔やみの言葉を送って一週間後、躊躇しながら花だけでも届けようか考えていた時にご主人からいつでも電話をくださいと連絡が入った。折り返し電話をしたのが、家族が埋葬に向かう45分前、花だけでもと車を飛ばしてHさんの家にたどり着いたのは、その約15分前初めて会う娘さんから“お母さんは貴方の事がとても好きだったのよ”とお礼を言われた。私も彼女と過ごした穏やかな時間はけして忘れない。本当に、こちらこそありがとう、と初めて会う彼女とハグをして別れた。
そろそろ日本は桜の咲くシーズン、春到来だ。そして私も渡り鳥のようにまた日本に飛んでいく、、、、

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズライフ−今週のお奨 めアルバム

今回はこのコーナーで初めて紹介するアーティストです。Thelonious Monkは1940年代からジャズピアニストとして活動を始めたジャズ界最大の異端児として知られています。ちょっと風変わりなジャズなのでどのように紹介したらいいのかわからず、ずっと前から紹介をためらっていました。1956年に録音されたBrilliant Cornersは初めて聴くと「なんだこのジャズは?」と思うようなところがたくさんあります。独特なジャズです。でも何度も聴いていると慣れてきます。
 
"Brilliant Corners" Thelonious Monk  

01-Brilliant Corners
02-Ba-Lue Bolivar Ba-Lues Are
03-Pannonica
04-I Surrender, Dear
05-Bemsha Swing

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

編集後記

2月にインターネットのプロバイダーを変えました。変えた時に新しいプロバイダーからモデムが提供されるので古いモデムを返却する必要があります。変えてからだいぶ時間が経つのにこれまで使っていたプロバイダーからモデムの返却要領の連絡がなく、どうしたらいいのかわかりませんでした。仕方なくフリーコールで問い合わせると、自分で梱包して差出人払いで送ってくれとのことでした。そのプロバイダーはテレビでコマーシャルをしている有名な会社です。加入時は親切でさっさとやってくれたのですが、やめた時の対応はとても不親切でした。サービスというのは最後まできっちりするのが本物だと思うのですがそうはなっていないですね。《R.O.》
 


雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.984

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com