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NO.982         Ryo Onishi              3/8/2015

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雑貨屋のひとり言

3月3日の朝、父がこの世を去りました。平均寿命よりは長い95歳でした。
先月末に介護施設から体調が悪化してきたと連絡を受けて妹と様子を見に行きました。食欲がなくなり、血圧が通常より高くなって来ていたので心配していました 。心の準備をしていたとはいえ、会いに行った3日後でしかも一泊旅行をしていて旅館で連絡を受けたので、ちょっと慌てました。葬儀が済み、今はいろんな手続きに追われているところです。肉親の死に直面して自分たちの時にはどうしたいか、どうしてもらいたいか今から整理しておく必要があると思いました。≪R.O≫

 

客 死

数日前、日本の友人から我々共通の友の訃報が届きました。亡くなったのは私たちの幼馴染で、学校はいつも違っていましたが、小さい頃からいつも一緒に遊びまわったワルガキ仲間の一人でした。最近、東京名所となっている“東京スカイツリー”の敷地は以前、私鉄(東武鉄道)の貨物駅や操車場の跡地でしたが、同時に我々ワルガキの遊び場でもありました。

『F君が亡くなりました。インドネシア旅行中の客死でした』 ――― ごく短いE-メールの文章でしたが、私とF君とは子どものころ特に親しくしていたのを知っている親友が教えてくれたのです。私が海外生活のため長い間F君とは疎遠になってしまい、いまさらF君との交友の数々が脳裏を横切りました。このところ、友人、知人の訃報が多く届くようになり、年齢を感じざるをえません。

今回のメールにあった“客死”という文言にも少々ひっかかりました。“客死(かくし、又はきゃくし)”という言葉は最近あまり聞かなくなったような気がしています。“客死”とは手もとの国語辞典(広辞苑、第二版)によると、

* 客死(かくし、きゃくし):旅先で死ぬこと。よその土地で死ぬこと。

とあります。要するにその人が普段の生活を送っている場所から離れているところで亡くなることといえます。特に著名人が外国訪問先で死亡した場合は「客死」と表現されるようです。

 私が最初に“客死”という文言に接したのは、古い話ですが、元NHKのアナウンサーの和田 信賢(わだのぶかた、通称わだしんけん)氏がパリで客死した時でした。

和田さんは戦前から戦後にかけて活躍したNHKのアナウンサーだった人で、1945年8月15日の終戦放送では進行役を担当し、全国に向けて終戦の詔勅を朗読しました。戦後1946年からはNHKラジオで放送された日本初のクイズ・ ゲーム番組『話の泉』の司会者として一世を風靡し、私もラジオに耳を傾けたものでした。

中でも和田さんを日本中に有名にしたのが、1939年の大相撲1月場所の実況中継で、70連勝を目指していた双葉山が、結びの一番で安藝ノ海に敗れ、連勝が69で止まったときの中継だったといわれます。残念ながら私はこのときの録音テープを聞いていませんが、「双葉敗る! 双葉敗る! 双葉敗る!! 時、昭和14年1月15日! 旭日昇天、まさに69連勝。70勝を目指して躍進する双葉山、出羽一門の新鋭・安芸ノ海に屈す! 双葉70勝ならず!!」と絶叫したそうです。

この和田さんが1952年、ヘルシンキ・オリンピックの実況を終えて帰国する途中、フランス・パリで急病に倒れ亡くなったとき、日本の新聞各紙は『和田信賢氏、パリで客死!』と報じました。私が14歳、中学2年生の時で、この記事はなぜか私の印象に残っています。私は小学生の頃から新聞の切抜きをし、スクラップ・ブックに貼り付けるのが趣味で、日本の自宅に保存しているスクラップ・ブックを開けばこの時の記事はまだあるはずです。

 こんな経緯で、私はその後ずっと“客死”とは外国で不慮の死を遂げること、と認識していました。はじめに書いた私の親友も『F君が亡くなりました。インドネシア旅行中の客死でした』とあったのも『F君が海外旅行中に亡くなりました』という意味だったのかもしれません。

 “客死”の本来の意味は上記の国語辞典の通り、旅先で死ぬこと。よその土地で死ぬことであり、その人が普段の生活を送っている場所から離れているところで亡くなることですから、必ずしも外国でなくとも国内でも“客死”を使えそうです。

しかし、今や、グローバル化した社会では、国内か海外か厳密に区別する意義はなくなりつつあるようです。アメリカ人の友人に聞いてみても英語で“客死”に相当する特別単語表現はないようです。
 
私のような日本人がここアメリカで死んでも“客死”といえるのでしょうか。多分“ノー”でしょう。特に私の場合は、日本人といってもアメリカでの永住権を取得し、アメリカで普段から日常生活を送っているのですから、アメリカで死んでも“客死”でなく、“自宅死”(そんな表現は聞きませんが)ということになりましょう。
河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


あんみつに今日も負けてるダイエット

パリコレを短い脚が悪びれず

厚化粧脱いで自分を取り戻す

更年期通過 青春カムバック

バスツアー後期青春真っ盛り


( ニュースやぶにらみ )


「岡田代表目の手術」

見通しがよくなりますように −民主党

「スマホ販売アップルが首位に」

リンゴに齧られた −サムスン

「70年ぶりに発見される」

平和な世になっているかなあ −海底の武蔵


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(365)「3月あれこれ」

「1月往(い)ぬる 2月逃げる 3月去る」――昔の人は、うまいことを言ったものだ。
1月は正月(新年)行事あり、2月は普通の月より短く、3月は年度末整理や4月からの新年度計画などでやらなければならないことが多く、また、やることが多いのに思うように進まず日ばかりが無情に過ぎ去って行く様(さま)を表したもので、これは一般的な世相。すでに現役を引退して久しい翁は、一般的な世相ほど急(せ)き立てられる思いは強くはないものの、それでも己れの“残り日”を考えると(1,2,3月に限ったことではないが)“やり残し”を(少しでも)片づけて“生きた証”を(少しでも)残しておきたい、と思う焦りが(少しは)ある。ちなみに3月の別名は『弥生』=いよいよ生い茂る月。ならば(翁の場合は“生い茂る”程の勢いは望めないが)せっかく“生かされている”のだから「今、やれることをやって精一杯生きよう」と“少しばかり”奮起の月にしたいと思う。

「今、やれることをやる」には、何と言っても健康でなければならない。翁は、今世紀に入って大小7回の手術をしたが、有り難いことに週1回のゴルフが出来るくらい元気だ。その源は(自分流に分析すれば)早寝早起き、禁酒(生来の下戸)、禁煙(6年目)、粗食などが好因と思われる。しかし、油断は出来ない。粗食と言っても実際は貧しい食生活、おまけに偏食気味の翁が気を付けなければならないことの1つに“野菜不足”がある。たびたび主治医からも指摘されている。別段、野菜が嫌い、というわけではない。たまにスーパーから(ナマで食べられる)野菜を買って来てマヨネーズで食べるが1日に必要な野菜の摂取量350gにはとうてい達するはずもない。昔から「春は苦い野菜を食べよ」と言われている。苦味のある山菜にはミネラルやポリフェノールなど細胞を活性化させる成分が多く含まれており、活動期のこの時期にふさわしい食材だと言われているのに、翁は、この“苦味”野菜は子どもの頃から敬遠、今でもウド・春菊・三つ葉などは“大苦手”。

話は変わる――年々マスク着用者が増えているように思える。翁も10年くらい前から外出時(特に電車や飛行機などの乗り物、スーパーなど人混みの中では)必ずマスクを着用する習慣になっている。ゴルフ場でも2月以降、マスク人間が目立つようになった。ほとんどの人が『花粉症』だ。翁も3年前に秋花粉に悩まされたことがあったので、その辛さはよく分かるし、それでもゴルフがしたい気持ちも理解出来る。翁がそうだったから・・・
翁の症状は、鼻水、鼻づまり、くしゃみ、目のかゆみ、などだった。翁はそれまで花粉症などというものにかかったことが無かったので最初は風邪かなと思って“富山の置き薬”の風邪薬を飲みまくったが、いっこうに治らない。そこで近くのクリニックで診て貰ったら何と花粉症と診断。(患者にとって)重要なことは治療方法だ。治療には対症療法と根治療法がある。但し、確実な根治療法は(今はどうか知らないが、3年前の時点では)まだ開発されておらず、花粉症の各症状を抑える対症療法が一般的だった。医師は言った「症状が出る前から予防的に薬を服用する“初期療法”つまり、スギ・ヒノキ花粉飛散開始時期の予測が出されるので、それを目安に2週間ほど前に受診し適切な薬の処方を受けることが重要です」と。どういう訳か翁は“初期療法”をするまでもなく、昨年の秋から現在において花粉症が現われない。いつの間にか治ったのだろうか――気象庁が発表した『2015年春のスギ・ヒノキ花粉のピーク予想』では、福岡は2月下旬からすでにスギ花粉のピークを迎えており、仙台、金沢のスギ花粉は3月中旬から下旬にかけて。東京、名古屋、大阪、広島、高松は、まさに今がスギ花粉のピーク。一方、ヒノキ花粉は福岡(3月下旬)以外、ほとんどの地域は4月上旬からピークを迎える、とされている。

さて『3月あれこれ』もう1つの話題は『4年目の3.11』――本当は、このテーマを一番先に書きたかったのだが、個人として、これまでに何1つ具体的な支援活動が出来なかったことを申しわけなく思っているので(小さな声で)呟くことにする――東日本大震災で被災した青森・岩手・宮城・福島の4県知事が、このほど「2015年までとなっている“集中復興期間”を延長し、充分に財源を確保して貰いたい」と政府・与党に要望した。震災から4年、避難者は今も23万人にのぼる。なのに「政府が決めた復興計画5年、残り1年」の記事を読んで翁は驚いたり呆れたり・・・あれだけの大震災及び原発の大事故で、政府は何を根拠に、わずか5年の復興計画を立てたのだろうか?(財源問題もあるが・・・)

この4年の間、国内外からの支援と被災地自らの努力によって多くの地域で復旧復興が進展しつつあるのは確かだが、各地の被害規模や自治体の取り組み状況などにより、その進捗状況に差が生じていることも事実だ。震災後、いち早く事業再開を果たした事業者が、土地のかさ上げや土地区画整理事業の進展に伴い移転を余儀なくされるなど、当初は予想もしていなかった問題も発生している。福島では今なお12万人もの住民が避難生活を続けているほか、除染・汚染水処理の問題、住民の健康管理などの深刻な課題が尾を引いている。そんなことぐらいは、あれほど被災地視察を行なっている政治家たちが読み取れないはずはないのに、彼らから積極的な(復興促進の)声が上がらないのは、彼らの被災地巡りは単なる“人気取りパフォーマンス”だったのか?いずれにしても「政府は(以前の)国の復興指針や自治体の復興計画の査定時とは異なる被災地の実情を踏まえ、従来の“集中復興計画5年“という枠組みに捉われることなく状況変化に応じた支援制度を見直すべきである」との日本商工会議所の提言を、翁は全面的に支持する。

3月14日から5日間、仙台市で『第3回国連防災世界会議』が開かれる。各国首脳や民間団体など約4万人が参加するという。その時、日本政府は“東日本復興と福島の再生”計画(工程)を具体的に示さなければならない。それは“原状回復”にとどまらず“新しい東北の創造”も念頭においた迅速・着実な“本腰計画”でなければならない。【被災地に
甘雨(かんう=慈愛の雨)注ぐか 弥生月】・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

A氏の熱い講演

先週の日曜日、サウスベイにあるホテルで開かれたA氏の講演は午後の2時から始まって何と夜の8時20分まで行われた。トータル6時間20分もの長い時間を同じ空間で共有したわけだ。異例ずくめの講演は300人近い人でほぼ満席、A氏の熱いパッションとここに集った人達の熱気に溢れかえっていた。
A氏の存在を知ったのはここ1年ぐらいだろうか…数年ぶりに、ビビビッと来た人物だったのがこのA氏だった。インターネットの動画から現在起きている不思議なニュースの裏読みや視点、考えを聞いて感銘していた。そのうち、どこかで講演を聞くチャンスがあったらと思っていたらこのサウスベイに来る事になってタイミング良く直接、A氏の話を聞けた。やはり思っていた通り強烈なインパクトだった。
講演中は1度も座る事が無く開場を歩きながら、一人一人の顔を見ながら、全身全霊を傾けて話されていた。講演が終わって用意した手紙をA氏に渡そうかどうしようか少し躊躇したが、これも一期一会と思い恥を覚悟で手紙をわたしに行った。その時、彼は椅子に座って穏やかな笑顔で一人一人の求めに応じて握手とサインをしていた。私の前にいた女性はA氏の本を2冊手に持っていてご両親から米国に送ってきてくれたそうでそこにサインをしてもらっていた。最後の方に私の番が回ってきて目が合った途端 “熱心に聞いてくれていたのは、わかっていましたよ”と言われた。
個人的に話すチャンスなど無いだろうと思っていたので色紙も本も用意していなく手元にあったA氏の講演のチラシの後ろ側の余白に失礼ながらサインをして頂いた。それなのに丁寧にご自分の名前をやや小さく私の名前をそれよりやや大きく日付は日本建国以来の2675日3月1日と書き添えA氏の座右の銘である“脱私即的”という言葉を書いてくださった。わたくしごころを常に脱しつつ、本来の目的に即(つ)く。という意味のようだ。ここアメリカは我先にという人が多いように思う。相手の言う事より自分の言いたい事や主張を押し付けるアメリカ人と比べ、相手の事を考え譲ったり、譲られたりする事が多いのが日本人の特徴のような気がする。これは私の偏見だろうか…主張しないと潰されるこの国で生きてきて、本来の大事な日本人の良さを忘れてしまう事もあるがそんな自分を戒める言葉だ。言うは易く行うは難しだが肝に刻んでおこうと思う。
A氏の奥様は船乗りで海洋博士でもある。そして彼女が初めて地球上でそれも日本の周りの海の付近でメタンハイドレードというクリーンな未来のエネルギーを見つけた。石炭や石油の時代は終わりを告げようとしている。A氏曰く、このメタンハイドレードはまさに天から日本に与えられたギフトだと言う。今はまだ混とんとした状況ではあるけれど二人の見つめる視線の先に明るい日本の未来が見えて嬉しくなった。

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズライフ−今週のお奨 めアルバム

バタバタしていて、アルバム選びに時間をかけられなかったので(いつもあまりかけてませんが)候補リストから選びました。誰でも知っているFrank Sinatraのアルバムです。
世界中で愛されているMy Wayはいつ聴いても素晴らしいですね。
2枚組のアルバムには聴き覚えのある曲がいっぱい詰まっています。
My Wayの作詞はポール・アンカ、作曲はクロード・フランソワ、ジャック・ルヴォー(英語版)。原曲は1967年のフランス語の歌「Comme d'habitude」(作詞:クロード・フランソワ、ジル・ティボ 作曲:クロード・フランソワ、ジャック・ルヴォー)であり、ポール・アンカが書いた詞の内容は原曲の内容とは無関係である。「マイ・ウェイ」は、カバーされた回数が史上第2位の曲(第1位はビートルズの「イエスタデイ」)だと言われている。
Wikipediaより引用
 
"My Way: The Best Of Frank Sinatra" Frank Sinatra  
Disc 1
1. My Way
2. Strangers In The Night
3. Theme From New York New York
4. I Get A Kick Out Of You
5. Somethin' Stupid
6. Moon River
7. What Now My Love
8. Summer Wind
9. For Once In My Life
10. Love And Marriage
11. They Can't Take That Away From Me
12. My Kind Of Town
13. Fly Me To The Moon
14. I've Got You Under My Skin
15. Best Is Yet To Come
16. It Was A Very Good Year
17. Come Fly With Me
18. That's Life
19. Girl From Ipanema
20. Lady Is A Tramp
21. Bad Bad Leroy Brown
22. Mack The Knife
23. Love's Been Good To Me
24. L.A. Is My Lady

Disc 2
01 Let's Face The Music & Dance
02 Come Rain or Come Shine
03 Night and Day
04 The Very Thought of You
05 Pennies from Heaven
06 Bewitched
07 America the Beautiful
08 All the Way
09 In the Wee Small Hours of the Morning
10 The Way You Look Tonight
11 Three Coins in the Fountain
12 Softly as I Leave You
13 All or Nothing At All
14 Yesterday
15 Moonlight Serenade
16 Somewhere My Love
17 Mrs. Robinson
18 Something
19 You Are The Sunshine Of My Life
20 Send In The Clowns
21 It Had to Be You
22 The Best Of Everything
ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

編集後記

田渕さんからメールで訃報を受信しました。永年、関西加州会の会場を提供してくれていた花菱のご主人、野口稔氏が3月3日にお亡くなりになったと知りました。来月の関西加州会でお会いするのを楽しみにしていたのですが残念です。ご冥福をお祈りします。《R.O.》
 


雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.982

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com