数日前、日本の友人から我々共通の友の訃報が届きました。亡くなったのは私たちの幼馴染で、学校はいつも違っていましたが、小さい頃からいつも一緒に遊びまわったワルガキ仲間の一人でした。最近、東京名所となっている“東京スカイツリー”の敷地は以前、私鉄(東武鉄道)の貨物駅や操車場の跡地でしたが、同時に我々ワルガキの遊び場でもありました。
『F君が亡くなりました。インドネシア旅行中の客死でした』 ――― ごく短いE-メールの文章でしたが、私とF君とは子どものころ特に親しくしていたのを知っている親友が教えてくれたのです。私が海外生活のため長い間F君とは疎遠になってしまい、いまさらF君との交友の数々が脳裏を横切りました。このところ、友人、知人の訃報が多く届くようになり、年齢を感じざるをえません。
今回のメールにあった“客死”という文言にも少々ひっかかりました。“客死(かくし、又はきゃくし)”という言葉は最近あまり聞かなくなったような気がしています。“客死”とは手もとの国語辞典(広辞苑、第二版)によると、
* 客死(かくし、きゃくし):旅先で死ぬこと。よその土地で死ぬこと。
とあります。要するにその人が普段の生活を送っている場所から離れているところで亡くなることといえます。特に著名人が外国訪問先で死亡した場合は「客死」と表現されるようです。
私が最初に“客死”という文言に接したのは、古い話ですが、元NHKのアナウンサーの和田
信賢(わだのぶかた、通称わだしんけん)氏がパリで客死した時でした。
和田さんは戦前から戦後にかけて活躍したNHKのアナウンサーだった人で、1945年8月15日の終戦放送では進行役を担当し、全国に向けて終戦の詔勅を朗読しました。戦後1946年からはNHKラジオで放送された日本初のクイズ・
ゲーム番組『話の泉』の司会者として一世を風靡し、私もラジオに耳を傾けたものでした。
中でも和田さんを日本中に有名にしたのが、1939年の大相撲1月場所の実況中継で、70連勝を目指していた双葉山が、結びの一番で安藝ノ海に敗れ、連勝が69で止まったときの中継だったといわれます。残念ながら私はこのときの録音テープを聞いていませんが、「双葉敗る! 双葉敗る! 双葉敗る!! 時、昭和14年1月15日! 旭日昇天、まさに69連勝。70勝を目指して躍進する双葉山、出羽一門の新鋭・安芸ノ海に屈す! 双葉70勝ならず!!」と絶叫したそうです。
この和田さんが1952年、ヘルシンキ・オリンピックの実況を終えて帰国する途中、フランス・パリで急病に倒れ亡くなったとき、日本の新聞各紙は『和田信賢氏、パリで客死!』と報じました。私が14歳、中学2年生の時で、この記事はなぜか私の印象に残っています。私は小学生の頃から新聞の切抜きをし、スクラップ・ブックに貼り付けるのが趣味で、日本の自宅に保存しているスクラップ・ブックを開けばこの時の記事はまだあるはずです。
こんな経緯で、私はその後ずっと“客死”とは外国で不慮の死を遂げること、と認識していました。はじめに書いた私の親友も『F君が亡くなりました。インドネシア旅行中の客死でした』とあったのも『F君が海外旅行中に亡くなりました』という意味だったのかもしれません。
“客死”の本来の意味は上記の国語辞典の通り、旅先で死ぬこと。よその土地で死ぬことであり、その人が普段の生活を送っている場所から離れているところで亡くなることですから、必ずしも外国でなくとも国内でも“客死”を使えそうです。
しかし、今や、グローバル化した社会では、国内か海外か厳密に区別する意義はなくなりつつあるようです。アメリカ人の友人に聞いてみても英語で“客死”に相当する特別単語表現はないようです。
私のような日本人がここアメリカで死んでも“客死”といえるのでしょうか。多分“ノー”でしょう。特に私の場合は、日本人といってもアメリカでの永住権を取得し、アメリカで普段から日常生活を送っているのですから、アメリカで死んでも“客死”でなく、“自宅死”(そんな表現は聞きませんが)ということになりましょう。
河合 将介( skawai@earthlink.net ) |