最近、気がついたのですが、私には若いころから難聴の気があるようです。特に最近少々目立つようになったのですが、誰かと会話をしても、2、3度聞き返して相手の意味するところを理解している始末です。家庭内でも突然妻が想定外の話題について話しかけてきたとき、その声は充分大きく、よく聞こえるのに内容が理解できず、「エッ、ナニ?」と聞き返しています。
これは高齢による体力減退に伴う難聴現象もあるでしょうが、私の場合は自分でも気がつかなかっただけで、若いころから兆候があったといえるかもしれません。私がまだ30代、40代のサラリーマンの頃、社内業務報告で上司役員や社長に呼ばれてゆくと、「河合君、きみの声は少し大きすぎる。もう少し声を落として話してくれないか」と苦い顔で注意を受けたことが幾度もあったのを覚えています。
どうも当時から自分が難聴気味であったゆえに、他人に対してつい大きな声で話しかける癖があったようです。加えて、私の声がどちらかというと甲高い部類に属するので、聞くほうにとっては耳障りだったのでしょう。でも、私は無意識のうちに自身の欠点を理解し、話し言葉は歯切れよく、明瞭な話し方をしたつもりで、「声がよく通る」ことには自信がありました。今にして思えば、これも単なる難聴対策の大声によってもたらされた成果なのでした。当時、私は自己紹介のとき、自嘲気味に「声は通るが、意見が通らぬ河合です」を連発していました。
ひとは高齢になると加齢が原因の聴覚障害を引き起こすそうです。加齢性(老人性)難聴ともいわれ、一般的には「耳が遠い」といういい方をされます。私の場合は、もともとからあった難聴に加えて最近はこの加齢性難聴が加わったようです。
加齢性難聴は通常、50歳を超えると聴力が急激に低下し、60歳以上になると会話の面で不便になり始めるようです。しかし、進行状況は個人差があり、中には80代を超えてもほとんど聴力が低下しない人もいるのだそうです。
加齢性難聴は、音域により聞こえる程度が異なり、特に高音域の聴力低下が顕著となるのだそうです。そのため子音を含む人間の言葉のうち、特に「あ」行や「さ」行が正しく聞き取れないことが多いとか。また雑踏の中などのように、複数の音が錯乱している中での会話などが聞きづらくなったり、ぼやけて聞こえるなどの現象も自覚するようになるようです。
最近の私が人と会話しているとき、音は充分聞こえるのに内容が理解できないことがあるのは。相手の言葉の音域のうち、例えば高音域の部分が聞きづらいので、折角、相手が正しく発音してくれても、発音どおりには聞こえなくなっているのだと思います。これがさらに進行すれば、補聴器のお世話にならなければならないようです。
テレビのバライティなどを観ていると、司会者はよどみのない見事なトークをして視聴者を厭きさせません。舌の回りが速くとどまるところがありません。事前にどれほどの準備をしているのか知りませんが、クイズ番組などのバライティの場合、綿密な台本があっても、本番が台本どおりに進行しないのが普通です。
このような司会者は持って生まれた才能、これまでの経験、努力などに支えられ、臨機応変にその場面にふさわしい言葉を発します。こういうのを「滑舌が良い」というようです。ビジネス引退前の私は「滑舌」には少しは自信がありました。調子に乗ると「立て板に水」のごとく、「よどみなく」会話が出来ました。しかしビジネスやコミにティから遠のいた今は「滑舌」にもすっかり自信がなくなりました。最近は「見ざる、聞かざる、云わざる」の心境に近付いたようです。
河合 将介( skawai@earthlink.net ) |