龍翁余話(337)「真夏日のアクシデント」
8月の別称に「葉月(はづき)」「萩月(はぎづき)」「月見月(つきみづき)」「雁来月(かりきづき)」「秋風月(あきかぜづき)」などいろいろあり、いずれも“涼”を感じさせる呼び名ばかり。それもそのはず、旧暦では8月は”秋“なのだ。しかし新暦(太陽暦)の8月は、まだまだ”夏“。この時期の挨拶文がややこしい。昨年の8月初めに配信した『龍翁余話』にも書いたが、8月6日頃までは「大暑」「酷暑」「猛暑」を使い、立秋(8月7日)からは「残暑」「晩夏」「立秋」が使われる。しかし現実には8月末までは”秋“の気分は味わえまい。したがって翁は「立秋とは名ばかりで」とか「秋の風音が待ち遠しい昨今」などを使うことにしている。気象庁の8月予報によると(関東以西は)8月23日頃まで30度以上の真夏日が(数日)あり、24日頃からでも27〜28度の夏日は続く、とのこと。但し、台風や集中豪雨などの気象異変が起きれば別だが・・・
ところで、気になるのが毎年繰り返される熱中症事故――今年も梅雨明けから猛暑日が続き、7月21日から27日までのわずか1週間で、熱中症で救急搬送された人は8,580人(年間2万人以上)、搬送先で死亡が確認された人は15人(年間500人以上)(7月29日総務省消防庁発表)。毎年、マスコミで“熱中症事故関連ニュース”が頻繁に報道されているのに、何故か事故は減らない。
7月末、それは、うだるような暑さの日だった。翁たち老人グループが集まって東京・新橋で昼食会を催した。2,3人は月に数回会っているのだが“全員集合”は年に4,5回。それも夏場はお互いに老体をいたわってお休みにしている。ところが、先日は翁の(7月中旬にK大学病院で総胆管結石の除去オペをした)“退院祝い”ということで幹事役のH君(翁の後輩)が呼びかけをしてくれ、8人のメンバーのうち翁を含め6人が集まるという。嬉しいことだ。翁が新橋や銀座に行く時は、いつも地下鉄を利用する。その日、11時前にマンションを出た。ジトッとした熱風が体にまとわりつく。「何だ?こりゃ、まるで蒸し風呂だよ」とブツブツ言いながら地下鉄へ。突き刺すような陽射し、戸越銀座商店街のコンクリート道からの反射熱、買い物客が発する体熱(?)などで(都営浅草線)『戸越』駅までの7分の間に、もう、汗びっしょり、頭が(多少)クラついた。駅のトイレで顔と首筋を洗い、汗を拭いてから(ショルダー・バッグに入れてある)ペットボトルの水を飲んで電車へ。新橋までは約15分、車内のエアコンのお蔭で汗は引いた。
昼食会と言っても、メンバーの中には食事制限をしている人もいる。おまけにこの暑さ、お互いに食欲は低下。幹事役のH君が事前に「龍翁さんお気に入りの“Dホテル”のロビー・ラウンジでいいですか?」の問い合わせがあったので翁は喜んでOKを伝えた。翁はこのホテルの『ライトミールセット』(クロワッサンサンド&ミックスサンド+ヨーグルト+フルーツ+サラダ+コーヒー)が好きだ。名のあるホテルだからちょっと高いが、雰囲気がいいのとコーヒーのおかわりが出来るので時々このロビー・ラウンジを使っている。皆もそれぞれ註文していたが、何故か、H君は、アイスティーだけの注文だった。「この暑さじゃ、食欲湧かないよね」の翁の話しかけにH君はちょっと顔をゆがめ「はい、朝からちょっと・・・」その時は、翁は気にも留めず、皆と談笑しながら『ライトミールセット』を味わった。ティ・タイムに入った頃、突然、H君の様子に異変が生じた。顔、首にかけて汗がびっしょり、顔が歪み呼吸が荒くなっている。翁、直ぐにラウンジのスタッフを呼んだ。2人のスタッフが駈けつけた。翁の「熱中症ではないか?」の問いにチーフらしいスタッフが頷いた。誰かが「救急車を呼ぼうか?」と言ったが、チーフスタッフはそれに応えず、部下と一緒にH君をゆっくりとソファーに寝かせ、用意していた冷たいおしぼりでH君の顔や首筋を拭きながら、耳元で「聞こえますか?私が見えますか?」と話しかけた。H君は蚊の鳴くような声で「ちょっと頭痛とめまいが・・・」チーフが勇気づけた「大丈夫ですよ、直ぐに治りますから」部下のスタッフが急いで奥に走った。チーフはH君に水の入ったコップを差し出した。H君はコップを受け取り自分で水を飲んだ。それを見たチーフが微笑んで翁に言った「軽い熱中症でしたが、もう大丈夫です。お1人で歩けるようになるまで、ここでごゆっくりなさってください」その間に部下のスタッフが氷・タオル・ポカリスエットなどを運んで来た。“商売柄”とは言え、素早い対応、適切な処置、翁たちは2人のスタッフの親切に心から感謝した。心配そうに見守っていた周辺の客たちも安堵した様子。翁は、その人たちに向かって「お騒がせしました」と頭を下げた。近くの人たちが口々に「お大事に」と言ってくれた。
それから30分程してH君の顔色と言葉が正常に戻った。彼はきまり悪そうに「せっかくの龍翁さんの退院祝いに」翁と仲間に詫びを入れた。翁は皆に言った「H君のアクシデントは、我々全員への警鐘でもある。お互いに気を付けようね」皆も(神妙に)頷いた。H君の自宅は(翁の五反田に近い)広尾なのでタクシーで送った。途中、アクシデントの(思い当たる)原因を訊いたら「昨夜の熱帯夜で、あまり眠れなかったのです」とのこと。彼、いつの間に奥さんに電話したのだろう、玄関先で出迎えた奥さんが、さかんに恐縮の挨拶をしてくれた。別れ際「今日のご迷惑の借りは、秋のゴルフでお返しします」の彼の“回復ぶり”が嬉しかった。と、同時に“熱中症は怖い。油断すべからず”の感を強めた。
さて、昨年の8月初めに配信した『龍翁余話』(290)で「8月は鎮魂と祈りの月」と書いた。6日の広島、9日の長崎の原爆記念(犠牲者の供養、みたび許すまじ原爆の誓い)、更には15日の終戦記念日、戦没者への慰霊と感謝、そして平和への祈り――今年もまた「鎮魂と祈りの8月」がやって来た。広島、長崎までは行けないが、毎年同様“その時間”に、西方に向かって合掌する。15日は靖国神社に参拝する。先日のH君のアクシデントを教訓に、熱中症に充分な注意を払いながら・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |