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NO.951           Ryo Onishi              8/3/2014

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雑貨屋のひとり言

8月に入り、暑い日が続きます。家の中にいるとムワッとした空気に気分が悪くなります。こんな時だからと思い久しぶりにホットヨガに参加してみました。ホットヨガクラスのスタジオは普段やっているヨガのスタジオより少し小さめで天井に赤外線装置がついていて、室内を高温多湿にします。50分のクラスですが、身体を赤外線で温められ、ヨガの動きで体内から温めるので信じられないくらいの汗が出てきます。これで少しは身体から毒素が出たでしょうか?≪R.O≫

 

 ニコライの鐘

 第二次大戦直後にヒットした流行歌のひとつに「ニコライの鐘」(詞:門田ゆたか、曲:古関裕而)というのがあります。記録によると、昭和26年(1951年)11月にリリースされた曲です。藤山一郎の爽やかな歌声にのり、一世を風靡した名曲です。私も大好きな歌なので、今でも私のカラオケ持ち歌のひとつで、時々歌っています。

****************

♪ 青い空さえ 小さな谷間
日暮れはこぼれる 涙の夕陽
姿変われど 変わらぬ夢を
今日も歌うか 都の空に
ああ ニコライの鐘がなる
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 この歌は私個人にとっても思い出の曲であり、懐かしく忘れがたい一曲です。私はこのニコライの鐘の音とともに約一年間、青春時代を過ごしているのです。

 大学受験に失敗した私は、一浪(1年間の浪人)を余儀なくされ、翌年の受験に備え、東京・神田駿河台の駿台予備校に通いました。現在は移転しているようですが、当時はこの予備校はニコライ堂とは狭い石畳の道路を挟んでとなり同士でした。

ニコライ堂というのは通称で、正式には「東京復活大¬聖堂」というようですが、一般には親しみをこめて「ニコライ堂」と呼ばれています。ニコライの由来は明治時代にロシアから来た日本正¬教会の創建者カサーツキン・ニコライからなのだそうです。

緑青を纏った高さ35メートルのドーム屋根を持つ、日本で初めてにして最大級の本格的なビザンティン様式の教会建築といわれた特異な建物は、戦争中の空襲からも逃れ、駿河台から御茶ノ水周辺にその存在感を誇示していました。後に国の重要文化財にも指定された建物です。

毎日、正午にはドームの中の鐘がならされ、周囲に大きく響き渡っていました。当然、隣の予備校で学ぶ私たちには頭上から大音量の鐘の音が降り注ぎました。神聖なニコライ堂からの鐘の響きであり、荘厳な感じはするのでしたが、正直なところ、授業中の私たちにとっては「うるさい」、「やかましい」以外のなにものでもない騒音だったのが本音でした。

大学受験浪人中の私にとって、当時の予備校での毎日は、ひたすら翌年の受験勉強以外は頭になく、純真で勉強漬けの日々でした。墨田区の自宅から自転車で駿河台まで片道ほぼ一時間の道のりを通っていました。当時はまだまだ道路の交通量がゆるやかで、自転車に乗りながら片手で英語単語カードをめくって暗記するなどという、今では考えられない無茶もしました。それはそれで意味充実した毎日であったかと思います。

歌謡曲「ニコライの鐘」の歌詞は上記に続き、「♪思い出しても かえらぬ人の 胸もゆするか 雁啼く空に」とか、「♪誰が読んだか 悲しい詩集 恋に破れた乙女は今宵 何を祈るか 暮れゆく空に」などと、ロマンティックな詞が続いていますが、私にとっての「ニコライの鐘」は詞の内容とは関係なく、青春時代に受験勉強の邪魔をされた苦い記憶がよみがえる歌なのですが、今、カラオケで歌うたび、頭上に響き渡った鐘の音が遥か懐かしく、胸にきゅんと来る歌になっています。
河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

夏休みどこへ行ったかセミ トンボ

脱皮見てからセミ取りを子がやめる

蝉時雨 夏の7日を謳歌する

怠け癖7日のセミに叱られる

算数は苦手な子だが虫博士


( ニュースやぶにらみ )

「男性寿命80歳超える」
みんな賛寿だといいなー傘寿

「伸びる余地」
あるー寿命。 ないー福祉

「大和魂」
モンゴルの言葉じゃなかったの? ―ヤング


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(337)「真夏日のアクシデント」

8月の別称に「葉月(はづき)」「萩月(はぎづき)」「月見月(つきみづき)」「雁来月(かりきづき)」「秋風月(あきかぜづき)」などいろいろあり、いずれも“涼”を感じさせる呼び名ばかり。それもそのはず、旧暦では8月は”秋“なのだ。しかし新暦(太陽暦)の8月は、まだまだ”夏“。この時期の挨拶文がややこしい。昨年の8月初めに配信した『龍翁余話』にも書いたが、8月6日頃までは「大暑」「酷暑」「猛暑」を使い、立秋(8月7日)からは「残暑」「晩夏」「立秋」が使われる。しかし現実には8月末までは”秋“の気分は味わえまい。したがって翁は「立秋とは名ばかりで」とか「秋の風音が待ち遠しい昨今」などを使うことにしている。気象庁の8月予報によると(関東以西は)8月23日頃まで30度以上の真夏日が(数日)あり、24日頃からでも27〜28度の夏日は続く、とのこと。但し、台風や集中豪雨などの気象異変が起きれば別だが・・・

ところで、気になるのが毎年繰り返される熱中症事故――今年も梅雨明けから猛暑日が続き、7月21日から27日までのわずか1週間で、熱中症で救急搬送された人は8,580人(年間2万人以上)、搬送先で死亡が確認された人は15人(年間500人以上)(7月29日総務省消防庁発表)。毎年、マスコミで“熱中症事故関連ニュース”が頻繁に報道されているのに、何故か事故は減らない。

7月末、それは、うだるような暑さの日だった。翁たち老人グループが集まって東京・新橋で昼食会を催した。2,3人は月に数回会っているのだが“全員集合”は年に4,5回。それも夏場はお互いに老体をいたわってお休みにしている。ところが、先日は翁の(7月中旬にK大学病院で総胆管結石の除去オペをした)“退院祝い”ということで幹事役のH君(翁の後輩)が呼びかけをしてくれ、8人のメンバーのうち翁を含め6人が集まるという。嬉しいことだ。翁が新橋や銀座に行く時は、いつも地下鉄を利用する。その日、11時前にマンションを出た。ジトッとした熱風が体にまとわりつく。「何だ?こりゃ、まるで蒸し風呂だよ」とブツブツ言いながら地下鉄へ。突き刺すような陽射し、戸越銀座商店街のコンクリート道からの反射熱、買い物客が発する体熱(?)などで(都営浅草線)『戸越』駅までの7分の間に、もう、汗びっしょり、頭が(多少)クラついた。駅のトイレで顔と首筋を洗い、汗を拭いてから(ショルダー・バッグに入れてある)ペットボトルの水を飲んで電車へ。新橋までは約15分、車内のエアコンのお蔭で汗は引いた。

昼食会と言っても、メンバーの中には食事制限をしている人もいる。おまけにこの暑さ、お互いに食欲は低下。幹事役のH君が事前に「龍翁さんお気に入りの“Dホテル”のロビー・ラウンジでいいですか?」の問い合わせがあったので翁は喜んでOKを伝えた。翁はこのホテルの『ライトミールセット』(クロワッサンサンド&ミックスサンド+ヨーグルト+フルーツ+サラダ+コーヒー)が好きだ。名のあるホテルだからちょっと高いが、雰囲気がいいのとコーヒーのおかわりが出来るので時々このロビー・ラウンジを使っている。皆もそれぞれ註文していたが、何故か、H君は、アイスティーだけの注文だった。「この暑さじゃ、食欲湧かないよね」の翁の話しかけにH君はちょっと顔をゆがめ「はい、朝からちょっと・・・」その時は、翁は気にも留めず、皆と談笑しながら『ライトミールセット』を味わった。ティ・タイムに入った頃、突然、H君の様子に異変が生じた。顔、首にかけて汗がびっしょり、顔が歪み呼吸が荒くなっている。翁、直ぐにラウンジのスタッフを呼んだ。2人のスタッフが駈けつけた。翁の「熱中症ではないか?」の問いにチーフらしいスタッフが頷いた。誰かが「救急車を呼ぼうか?」と言ったが、チーフスタッフはそれに応えず、部下と一緒にH君をゆっくりとソファーに寝かせ、用意していた冷たいおしぼりでH君の顔や首筋を拭きながら、耳元で「聞こえますか?私が見えますか?」と話しかけた。H君は蚊の鳴くような声で「ちょっと頭痛とめまいが・・・」チーフが勇気づけた「大丈夫ですよ、直ぐに治りますから」部下のスタッフが急いで奥に走った。チーフはH君に水の入ったコップを差し出した。H君はコップを受け取り自分で水を飲んだ。それを見たチーフが微笑んで翁に言った「軽い熱中症でしたが、もう大丈夫です。お1人で歩けるようになるまで、ここでごゆっくりなさってください」その間に部下のスタッフが氷・タオル・ポカリスエットなどを運んで来た。“商売柄”とは言え、素早い対応、適切な処置、翁たちは2人のスタッフの親切に心から感謝した。心配そうに見守っていた周辺の客たちも安堵した様子。翁は、その人たちに向かって「お騒がせしました」と頭を下げた。近くの人たちが口々に「お大事に」と言ってくれた。

それから30分程してH君の顔色と言葉が正常に戻った。彼はきまり悪そうに「せっかくの龍翁さんの退院祝いに」翁と仲間に詫びを入れた。翁は皆に言った「H君のアクシデントは、我々全員への警鐘でもある。お互いに気を付けようね」皆も(神妙に)頷いた。H君の自宅は(翁の五反田に近い)広尾なのでタクシーで送った。途中、アクシデントの(思い当たる)原因を訊いたら「昨夜の熱帯夜で、あまり眠れなかったのです」とのこと。彼、いつの間に奥さんに電話したのだろう、玄関先で出迎えた奥さんが、さかんに恐縮の挨拶をしてくれた。別れ際「今日のご迷惑の借りは、秋のゴルフでお返しします」の彼の“回復ぶり”が嬉しかった。と、同時に“熱中症は怖い。油断すべからず”の感を強めた。

さて、昨年の8月初めに配信した『龍翁余話』(290)で「8月は鎮魂と祈りの月」と書いた。6日の広島、9日の長崎の原爆記念(犠牲者の供養、みたび許すまじ原爆の誓い)、更には15日の終戦記念日、戦没者への慰霊と感謝、そして平和への祈り――今年もまた「鎮魂と祈りの8月」がやって来た。広島、長崎までは行けないが、毎年同様“その時間”に、西方に向かって合掌する。15日は靖国神社に参拝する。先日のH君のアクシデントを教訓に、熱中症に充分な注意を払いながら・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

薬味

薬味と聞いて連想するものは夏の暑い日に食べる冷たい素麺にかかせないシソやミョウガや七味唐辛子。これがあると食欲の無い時でもツルツル入る。淡白な味の冷奴に醤油だけでなく生姜とネギを添えるだけで豆腐の味がぐっと引き立って美味しくなる。塩でもんだだけの白菜のお漬物でも柚子や一味唐辛子または生姜の刻んだものやシソをちょっと入れるだけで味のアクセントになる。
日本の薬味と言われるスパイスをスパイス辞典で調べてみると系統別に分類されてある。
和風スパイス
アブラナ科:大根、クレソン、ワサビ
セリ科:シソ、薄荷
ユリ科:玉ねぎ、にんにく、ネギ、分葱、アサツキ、ラッキョウ、にら、山百合
    ガーリック、エシャロット、リーク、チャイブス
生姜科:生姜、ミョウガ、ウコン
茄子科:ピーマン、パプリカ(甘唐辛子]、唐辛子、レッドペッパー
キク科:ヨモギ、フキ、タンポポ、春菊、菊、タラゴン
タデ科:タデ、スカンポ、オゼイユ
ミカン科:山椒
それにしても日本の薬味という言葉からして体に効能がありそうな呼び方だ。薬味に使われている野菜は昔から生薬にも使われていたようで乾燥したり煮たりして食べたり塗り薬としても使用されたらしい。
山椒に関しては昔、まぶたに物もらいが出来た時、宵に山椒  の実を5粒丸のまま飲んで寝ると翌朝できものが治っているという言い伝えを何かの本で読んだ事があって本当かどうかはわからないが山椒の効能にも興味を持った。民間薬にも、滋養強壮として、にんにくや生姜やウコンなどが今でも利用されている。野菜の薬効成分は昔から体験を通して日本人の生活の中に自然な形で取り入れられてきたのだ。生で刺身を食べる時に殺菌効果としても使われるワサビや生姜、肉の生臭い匂い消しに使われるニンニクの効用も利にかなっているものだ。
さて、今回LAに戻ってきて大活躍しているのがこの和風スパイスだ。今回は介護食や特別食を作る仕事を頼まれた。新しいクライアント(顧客)で一人は病院から退院してきたばかりの高齢の女性の介護食。病院で体力も気力も使い果たし極端に食が細くなってしまったようで病院食のまずさに食べる興味まで失ってしまっていた。食べないと力が出ないし歩けない。歩かないと益々筋肉がやせ細って転んだらまた骨が折れやすくなる。もう一人のクライアントは薬の副作用で吐き気が強く、食べ物の匂いや写真やTVを見るだけでも気分が悪くなるそうでフルーツ以外は食べにくいのだそうだ。どちらも、どうやったら失われた食欲を復活させてちゃんと食べてもらえるかレシピをいろいろ考えてみた。そして、そういった人に抜群の効果をもたらすのがこの和風スパイスである事が改めて今回この体験を通してわかった。まず、目で見て食欲をそそる盛り付け、飾りつけ、そして料理にあった器で少しずつ懐石料理のように、たくさんの種類を出すことにした。次に匂いを出さない事。食べる前に匂いが出ると薬の副作用で気分が悪くなることもあるのだ。そして消化が弱っている人たちにとってさっぱりと喉越しのいい、それでいて栄養のバランスがとれたものを考えてみた。味に変化をもたらせるように5味(甘味、苦み、酸味、辛味、塩味)のおかずを作ってみた。
私などはプロの料理人とは積み重ねてきた経験も知識も全くレベルが違うかもしれないけれど真心を込めて美味しく食べて元気になってもらいたい、、、そういう気持ちで自分なりに丁寧に作った。台所に5時間立ち尽くして帰る時にクライアントさんから
“今日は全部、どれも美味しく食べられました”と笑顔で言われた時は本当に嬉しかった。
どの料理にもスパイスを使ってみたのだが流石スパイス様様である。たかがスパイスされどスパイス、スパイスといえども侮れないのである。スパイスの力恐るべしだ。

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズが大好き−今週のお奨 めアルバム

Tony Bennettの歌を聴いてみたくなり、探したらBill Evansとのデュオアルバムがありました。1975年、Tony Bennettが48歳、Bill Evansが45歳のときに実現しました。Tony BennettのボーカルとBill Evansのピアノだけのアルバムです。Bill Evansは1980年に潰瘍を患い51歳でこの世を去りましたので、この二人のアルバムはとても貴重なものとなりました。

"The Tony Bennett/Bill Evans Album"

1. Young And Foolish
2. Touch Of Your Lips
3. Some Other Time
4. When In Rome
5. We’ll Be Together Again
6. My Foolish Heart
7. Waltz For Debby
8. But Beautiful
9. Days Of Wine And Roses

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

値段表示が内税表示から消費税別表示に変わってから、1円玉の出番が多くなりました。買い物に出かけるときにはポケットに1円、5円、10円硬貨をいれることにしています。小銭を使い切れたときはちょっとうれしくなります。でも消費税が10%になったら1円玉の出番が減ってしまうのでしょうね。

先週、中国の食の問題で中国人や中国に対して偏見的な表現を使ってしまいました。過去に同じようなことをしてきた日本は、今は良くなってきていると思いますが、まだまだ悪いことをする会社や人がいるのは事実ですので偉そうなことは言えませんね。《R.O.》

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.951

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com