昨年暮れも押しつまった12月13日、私たちが詩吟の直接指導をしていただいていた奥村国鉦先生が病没されました。
私は当地ロサンゼルスで発行されている日系新聞である羅府新報の『磁針』コラムに先生の追悼文を書きました。(12月21日掲載)このコラムは860字という文字制限があり、想いを充分に述べられないところもありましたが、以下はその追悼文です。
南北カリフォルニアにわたって組織をもつ詩吟の会「尚道会」の総師・主席師範である奥村国鉦(本名:茂)先生が病のため、86歳をもって逝去された。五年前、最愛の奥様であった国城先生を亡くされ、寂しさをこらえて詩吟道の指導を続けられていたが、病には抗えなかった。訃報に接し、先生の詩吟クラスに毎週通う一人として、大星がまたひとつ消えてしまい、心の灯台を見失った思いだ。
奥村先生は米国において半世紀以上にわたり吟道をおさめられ、国峯流詩歌吟詠・峰月流吟舞尚道会総伝師範として詩吟の普及につとめ、吟士を数多く育てられた。また、漢詩つくりの面でも米国奥汲会を主宰され、漢詩作品集「飛翔」を日英両語で出版するなど「アメリカに根ざした漢詩、詩吟」の普及につとめ貢献された。先生の詩は本場中国でも優秀作品として入賞、表彰されているほどだ。また羅府新報紙上でも定期的に作品を発表されていた。
私は入門してまだ十五年の門下生だが、奥村先生ご夫妻の詩吟に対する真摯な想いを今更ながら思いおこしている。詩吟クラスでは厳しい指導の中にも、毎回、授業終了後のお茶の時間に、先生ご夫妻の新婚当時の微笑ましい話や、アメリカ移住後の苦労についてよく伺ったものだ。私は趣味のデジカメで年一度、自分たちの詩吟クラスの授業風景を撮影することにしていた。だがもう先生の笑顔を写せなくなってしまった。
毎年春秋に開催される会全員による吟詠大会では、奥様ご存命時、先生ご夫妻は連吟(一つの題を二人で吟ずる)を常とされていた。連吟はお互いのすべてが一致しなければ吟詠は不可能だ。ご夫妻の仲の良さは私たち会員一同認めるところだった。
その奥様が逝かれた後、先生の背中に一抹のさびしさを感じざるをえなかったが、今は極楽世界でまたご夫妻は再会され、仲良く手をとりあって連吟を楽しんでおられることだろう。
先生の告別式は二十日だったが、当日私は透析治療日のため参列できなかったことをお詫びしつつ、私たちに漢詩と詩吟の深遠を教えてくださった奥村先生のご冥福を心からお祈りしたい。 |
河合 将介( skawai@earthlink.net ) |