90+
 
 
weekly

NO.803               Ryo Onishi              10/2/2011  

 weekly
LAの観光スポット ホームページ バックナンバー
 
雑貨屋のひとり言

10月に入りました。本格的な秋になりました。涼しさを飛び越して寒く感じるくらいです。爽やかで気持ちが良いですね。残念ながら、爽やかな気候というのは長く続かないので、今のうちにおおいに楽しみたいものです。
この週末、土日は久しぶりに休みです。そうです、節電のための代替休日がおわり、通常に戻ったからです。≪R.O≫

 

人事を尽くして天命を俟(待)つ

  人には常に前向き発想のポジティブ人間と、後ろ向き発想のネガティブ人間がいます。前者は森羅万象を前進的にとらえ、自分にとって、または世の中にとって良いほうへ解釈・認識するものであり、後者はその逆です。人間のもって生まれた性格もあり、あるところまでは先天的なのかもしれません。

 ネガティブ人間は常日頃、自分より上級なもの、優れたものと比べる癖がついているので、決して満足しません。何で自分はあの人より貧乏なのだろう、能力がないのだろう、恵まれていないのだろう・・・と不平不満で毎日を過ごします。

 世の中を見渡せば上があれば下も無限です。すべての点で自分より気の毒な境遇のひとは無数います。病気で苦しんでいる多くの人たちに比べ、自分が健康であればそれだけでたいへんな幸せでしょう。仮に自分が病気であったとしても、もっと重い瀕死の患者よりはましです。同じ人間として生きてゆく以上、ポジティブ人間でありたいと希望する次第です。

私は腎臓障害のため週3回、一回3時間の透析を受けに透析センターに通っています。3時間の透析といっても、現実には往復のドライブ、センターでの待ち時間、準備・後処理などで時間がかかり透析日はほぼ終日拘束されます。妻が運転手として付き添ってくれるので、夫婦で時間を拘束されています。透析時には太い注射針を2本も腕に差し込まれ身動きもとれず耐えねばなりません。健康時にくらべ、たいへんなハンデです。

しかし、私の通う透析センターに治療を受けに来る人々の中には、ベッドに寝かされて運び込まれる人、車椅子で来る人、歩行器に頼る人などがほとんどで、私のように自分の足だけで通うのはごく少数派です。機器に頼る多くの人たちにくらべ、私はありがたいと感謝しています。中には足元もおぼつかないようなお年寄りが自ら車を運転して来るのも見かけます。妻に頼れる私は不平不満のいえるはずがありません。

以前、この欄で、この世の森羅万象はすべて必然の結果であり、初めから筋書きの決まっているドラマに過ぎない、と書きました。例えば私が生まれてから死ぬまでのすべての行動と出来事が自分の意志ではどうにもならない力(神、運命、宿命、サムシング・グレート)に支配され、しかもその筋書きがはじめから全部決まっているとしたら、何かの行為の結果が期待に反したとしても、それは始めから決まっていたことであり、避け得ない流れだったとあきらめがつき、納得できます。

「人事を尽す」のが自分の運命の筋書きであると信じ、そして「天命を待った」 結果がどんなであっても これまた同じ筋書きだと思えば納得出来ます。人事さえ尽せば後はその結果がどんなになるのか楽しみに待つ心境にもなれるし、それによって生じるどんな結果でも感謝の念すら生まれるのではないでしょうか。ただし「人事を尽くす」時点では、人間として出来るかぎりのことをし、ベストを尽くすことが大前提であることは当然のことでしょう。
 河合 将介( skawai@earthlink.net )

za

さくらの独り 言

今週はお休みです。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

脳味噌の頑固がデジタルに惑う

最新のソフトに替えて持て余し

正装に以下同文の感謝状

欲捨てて頷くだけの首となり

副題は「汗」自分史に悔い少し


( ニュースやぶにらみ )

「孔子平和賞選考中止」
巧言令色すくなし仁 −論語

[八草に」
琴奨菊も入れて −秋の七草

「トヨタも参入」
割り込み禁止です −軽自動車メーカー


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(200)「一日一生」

『龍翁余話』は、2009年10月11日の100回記念号「翁の生き甲斐」から約2年が過ぎて、
いよいよ200回目を迎えた。毎号読後感(時折、テーマに即した俳句)をお寄せ下さっている親友のH・Kさんから「200回記念号として『龍翁余話』の読者から“これからの余話に期待するもの”と題する寄稿をお願いしてはどうだろうか」というアイデアを頂戴した。ありがたいご提案だが、翁にしては少々面映いのと、もし、過分のお褒めや過重のご要望(ご期待)をいただくと(気の弱い翁?)そのプレッシャーに押し潰されて筆が止まってしまう怖れがあるので「300回記念号の時には是非」ということで今回は遠慮した。

『龍翁余話』の1号と100回記念号に『龍翁』命名の由来を書いた――2代目市川猿之助が昭和37年に孫・団子に3代目猿之助を譲り、自らは「猿翁」を名乗った。その時、彼は「翁の文字 まだ身にそはず 衣がへ」と詠った。74歳だったと記憶する。龍翁は68歳で翁を名乗った。その時、猿翁の句をもじって詠んだのが「翁とは まだ10年先の 呼び名かな」。だった、が昨今は「翁とは わが身にそえし 呼び名かな」を実感する齢(よわい)である。にもかかわらず、いまだ己れの生き甲斐、生存価値を、いかにして創出すべきか、を考えあぐねる始末。どうやら不惑の境地を脱し切れないまま、迷路を彷徨し続ける余生になりそうだ・・・(と書いた)

先日、3代目市川猿之助(71歳)が甥の市川亀治郎(35歳)に4代目を譲り、実子で俳優の香川照之(45歳)が9代目市川中車、香川の息子・政明(7歳)が5代目市川団子を襲名する、という発表が行なわれた。その時、3代目猿之助は“2代目猿翁”を名乗ることも披露し、その心境を、次のように詠んだ――「翁の文字 身にそうまでは 生きぬかん」。
『翁』とは、男の老人への敬称もあるが自称もある。龍翁は単なる自称(卑下表現)であるが、猿翁は多くの歌舞伎ファンからの敬称であるが故に「身にそうまでは」と謙遜したのであろう。龍翁から見れば、2代目猿翁はもうすでに敬称『翁』に相応しい人物と思われるのだが、残念なことに2003年に脳梗塞発症以降、俳優として舞台に立つことが出来なくなった。しかし1968年『義経千本桜・四ノ切』で宙返りを演じたのを皮切りに、ケレン(早替わりや宙返りなど観客の意表をつく演出)の歌舞伎で一世を風靡し、古劇の復活(古典の再創造)、スーパー歌舞伎の創造に至るまで舞台芸術の新しい領域を切り拓いた功績は大きい。歌舞伎界のためにも今後の病気克服と後進指導を期待したい。

ところで『龍翁余話』200回記念号のテーマを考えている時、大相撲の琴奨菊が大関に昇進、その伝達式の時の口上に彼は『万理一空』を用いた。『万理一空』とは、剣豪・宮本武蔵の『五輪書』の最終巻『空の巻』に説かれている思想、「世界はどこまで行っても空は1つ。全てのものは1つの世界に留まる。動揺せず、常に冷静な気持ちで目標に向け精進せよ」という意味に解釈されている。『五輪書』は所詮、兵法書だから万事が現代生活(思想)の参考・指標になるわけではないが、随所に“人生訓”を感知することが出来る。翁がこの『五輪書』で学びとする言葉は、『地の巻』では“朝鍛夕錬”(朝夕の鍛錬=翁の場合は“日々是学習”)、『水の巻』では“平常心”と“有構無構”(頑固に1つの構え(形)に固執するのではなく、目の配り方は“観”と“見”の2つがあり、大を見て小を観、小を見て大を観る、即ち相手によって臨機応変に対応すべし)、『火の巻』では“渡を越す”(危機の本質を知り己れの能力を正しく判断して危機を乗り越える技は優れた船頭が荒海を渡るに似たり)、『風の巻』では“他流の道を知る”(他者との差異を知ることで己れの現在値を知る)そして『空の巻』の“万理一空”である。

『龍翁余話』の記念すべき200回に相応しいテーマを(翁も)『五輪書』から頂戴しようとも考えたのだが、2代目猿翁は(不自由な体にも拘らず)「翁の文字 身にそうまでは 生きぬかん」と詠った、その意気に刺激されて龍翁も“残された己れの命が燃え尽きるまで、より人間らしく生きぬかん”の意を強くした。そこで、天台宗の僧侶・酒井雄哉(さかいゆうさい)師の『一日一生』を拝借することにした。酒井師は、比叡山延暦寺の千日回峰行を2度も成し遂げた超人的な僧侶(比叡山・飯室不動堂長寿院の大僧正)。この人の半生はユニークだ。1926年(大正15年)の大阪生まれ、旧制中学卒業後、1944年に予科練(特攻隊)に志願するも命拾い、戦後はラーメン屋、菓子屋、証券会社代理店など職を転々とするがいずれも失敗、ここまでは“落ちこぼれ人生”だったが40歳の時、得度(出家)し比叡山延暦寺に入り、前記のように2度に亘って“千日回峰”を満行した。

さて『一日一生』・・・翁は、若い頃は1日を長い一生の1コマくらいに軽く考えて生きてきたような気がする。ところが老域に入った今、1日、1刻がどんなに貴重な時間であるかを痛感するようになった。1年は1日の集まり、一生も1日の集まり。酒井師は“朝起きた時は生まれた時、昼間は人生、夜眠る時は死ぬ時”と言う。だが翁、まだ死を怖れぬほどの悟りの境地には到達していないし、やり残していること(欲望)が山ほどあるので、現実には死を意識することはない。就寝時は今日一日を省み、無事に生かされたことを感謝しながら翌朝の生を信じて眠りにつく。翌朝は新たな“生”を与えられたことを喜び、昼間の人生(の時間帯)で悔いを残さないように精一杯生き、生きる価値を追い求める。そして夜は再び今日1日の生と人生に感謝して眠りにつく。

“生きる価値を探求する”と言っても、翁は聖人君子になれる訳はなし、なりたくもなし。せっかくの人生、人間的な楽しみを得なければ意味はない。倫理を磨きながらも今までのように自由自在(我が侭)に振る舞い、世の矛盾、不正に対しても今まで同様『余話』で“独断的渇”を入れたい。酒井師の『一日一生』論とは少し違うかもしれないが、翁流の『一日一生』は“日々是好人生”でありたい・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

ウォークマンには最近仕入れたアルバムを入れています。最近よく聴いている良い感じの女性ジャズボーカルをご紹介します。
Nuenna FreelonのMaiden Voyageです。
うまく表現できませんが、彼女の声は安心感があります。何度聴いても飽きない、いい歌声です。バックのピアノはこの曲の作曲者である先週ご紹介したHerbie Hancockです。Nuenna Freelonの出世作となったアルバムです。

"Maiden Voyage"  Nuenna Freelon

1 Come into My Life (05:22)
2 Four Women (04:55)
3 Maiden Voyage (08:28)
4 Buy and Sell (05:32)
5 Future News Blues (04:46)
6 Until It's Time for You to Go (06:00)
7 Women Be Wise (08:06)
8 Sepia Wing (05:43)
9 Pick Yourself Up (04:07)
10 I Won't Dance (04:34)
11 Inside a Silent Tear (04:30)
12 Sing Me Down (04:22)

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

 

編集後記

今週はヨガクラスに3回、参加しました。ヨガの人気は高く、最近は男性の参加者も多くなりました。10月からスポーツジムのレッスンプログラムが変更され、ヨガクラスが増えました。その気になれば毎日ヨガクラスに参加できます。
≪iPad≫
神戸駅のホームでiPadを使っているとWiFiが自動的に検出されることがあります。おそらく駅の何処かにソフトバンクのショップがあるのではないかと思います。
iPadアプリ
なぞる距離測定
地図上を指でなぞると距離が測定できます。いちいち縮尺を見る必要はありません。地球規模から近所の距離まで測ることができます。
近所の地図を出して、指で目的地までをなぞると距離が出ます。
大まかにみたい時は便利です。

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.803

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com