龍翁余話(195)「震災日誌」
1923年(大正12年)9月1日午前11時58分44秒、相模湾を震源地とするマグニチュード7.9、震度6の大地震が東京・神奈川・千葉・埼玉・静岡・山梨・茨城を襲い死者・行方不明者約14万3千人、全半壊家屋約25万4千件、焼失家屋約44万7千件、いわゆる
『関東大震災』である。政府は1960年(昭和35年)にこの日を『防災の日』と制定した。
また9月1日付近は台風襲来が多いとされる二百十日(立春を起算日として210日目)にあたり、制定の前年(1959年、昭和34年)の9月26日には伊勢湾台風が襲来、紀伊半島から東海地方にかけて死者約4700人、行方不明者約400人、負傷者約4000人を出した。つまり『防災の日』は地震・台風・津波・豪雨・竜巻・洪水・豪雪・高潮・山崩れ・火山爆発・干害・冷害・塩害など“全ての自然災害への備えを怠らないように”との防災意識を高める日である。
翁の親友の一人に、神保忠司さん(元・某大手広告会社専務取締役)という御仁がいる。
領土問題を中心とする外交(対中国・韓国・北朝鮮・ロシア・アメリカ)問題、靖国問題、国歌・国旗問題、教育(日教組)問題、そして政治(家)批判など、殆んどのテーマについて翁の考えに協調してくれる“よき理解者”であるが、今号の話題の中心は神保夫人・紀子さんの祖父・染川藍泉(春彦)氏の関東大震災体験記録『震災日誌』(日本評論社刊)である。(以下、敬称略、引用文章は現代語に変換)
染川藍泉(藍泉は俳号、本名・春彦、1879年=明治12年、鹿児島市生まれ、1934年=昭和9年没、享年55)は東京高商(現・一橋大学)卒業後、十五銀行に就職。十五銀行とは岩倉具視(維新の立役者の一人、元公家)の呼びかけで尾張藩徳川、土佐藩山内、福岡藩黒田、岡山藩池田、南部藩南部など旧藩主ら(華族)が発起人となり旧長州藩主毛利元徳が初代頭取を務めた“華族銀行”であった(1944年=昭和19年に帝国銀行と合併、その後、三井住友銀行に吸収)。藍泉が1923年9月1日の関東大震災に遭ったのは、銀座8丁目にあった十五銀行本店の庶務課長をしていた44歳の時だった。当時、彼は日暮里に居を構え、妻セイ、長女スミ(当時、仏英和高等女学校、のちの白百合高等女学校学生=紀子さんのお母様)、長男静夫(当時東京帝大学生=紀子さんの叔父様)及び書生2人、女中2人と共に居住していたから、かなり裕福な上層サラリーマンだったと言えようが、藍泉は、震災による個人的被害については殆んど語っておらず『震災日誌』は、前半は地震発生時の職場の人間模様――持ち場を離れない女子行員や重要書類を避難させてから逃げる責任感の強い若手行員、家族を案じさっさと帰宅してしまう無責任な幹部行員など、さまざまな反応を、称賛と批判を込めて記している。また、銀行が直ちに被害状況を探り、今後の営業戦略を練る様子や、1日の休みもなく業務再開の目途が立てられていく経過を細かく記している。後半は、倒壊を免れた本店への行き帰りに観察した“都心被害”に焦点を当てた記録となっている。242ページに亘る『日誌』は、どのページも生々しいドキュメントばかりで今でも応用(活用)出来る内容が多いが、その中でも翁が特に着目したのは・・・
「関東大震災は大震火災である。東京・横浜の死者(12万人余)の殆んどは焼死、家屋やビルの被害の80%以上が火災によるもの。東京では日本橋が100%焼失、浅草98%、本所93%、京橋・銀座88%、深川87%が焼失した」・・・今年3月11日の東日本大震災の被害=死者16,103人、行方不明者4764人、重軽傷者約6000人、建物被害(全半壊)約24万6千件(いずれも7月末現在)、これらの被害の90%以上が“津波被害”であったのでは、と翁は想像する。だとすれば東日本大震災は“東日本大震津波災“と言えよう。(福島原発事故による放射能被害は別問題とする)
藍泉は、日暮里の自宅から銀座8丁目の十五銀行本店への通勤の行き帰りを毎日歩いて上野・神田・日本橋・丸の内・京橋・銀座の被災現場をつぶさに観察し、記録した。道端や堀の中に積まれた焼死体の山、廃墟と化した大都会の街並み「それはまさに地獄絵そのものだった」。藍泉は『日誌』の中で都市機能の破壊、ライフラインの損壊、食料・医薬品・
ガソリン等の不足、流言飛語(朝鮮人暴動説)の拡大、自警団の編成、ボランティア団体の活動、被災者の東京脱出、日本国内からは勿論、アメリカ・フランス・イギリスなど諸外国からの義援金、救済物資の提供、政府の救済・復旧(復興)対策の遅れなど、72年後の阪神淡路大震災、88年後の東日本大震災の状況に何と酷似していることか、藍泉は今に通じる大災害時の多くの教訓をすでに提唱していたことになる。翁、藍泉の着眼力・観察力に瞠目した反面、この88年間、政治家も学者も関東大震災を少しも学習していなかった、ということが腹立たしい。『防災の日』は国民の防災意識を高める日であることは結構だが、政治家自身の防災・復旧・復興の意識と迅速な行動力を訓練する日とするがよかろう。
未曾有の大震災(関東大震災)を体験し被災の実態と公と民の人間模様を記録した藍泉は言う「いかに学あり財あり地位ありとて、愛と義を知らざる者は愚者なり」翁の好きな上杉謙信、直江兼続、西郷隆盛の仁愛思想に通じる言葉だ。更に彼は言う「頭脳の良い人が直ちに有益なる人物であるということではない。要は大局を見る明と、それに素早く的確に処する度胸(胆)である」――政治家諸君、染川藍泉のこの言葉を何と聞く?
マグニチュード7級の首都直下地震の発生率は70%、かなり切迫性が高まっている。専門家は死者1万1千人、負傷者21万人と想定しているが、そんなもんじゃない、翁はそれぞれその10倍と予測する。政治家も行政マンも学者もマスメディアも、そして国民も今こそ藍泉著『震災日誌』を読み大災害に備えて貰いたい。この本はそういう思いを強くさせられる珠玉の書であることを神保夫妻にお伝えしたい、そして(この本を読む機会を与えていただいたことに)感謝したい・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |