――― 前号からの続き ―――
SBMS(サウスベイ経営セミナー)の月例セミナーでは各界の先生方を講師にお招きし、講演をお願いしてきましたが、一度だけ私も皆さんの前で語る機会がありました。講師ということではなく、パネラーということでした。
日本の親会社から海外派遣されてくる駐在員はそれぞれの任期が終了すると、親会社の指示で日本へ帰国する(中にはまた別の赴任地へ転任する)のが普通です。しかし、中には種々の理由で日本帰国(または転任)せずに、当地に残るケースの人も出てくるようになりました。20世紀最後の年となった2000年、日本はバブルがはじけて経済は厳しいし、任期が終了して日本へ帰るよりこの地で自立もありでは、という風潮も出始めていました。
そこでこの年の6月のSBMSは米国残留をテーマに「頑張っているヤメ駐について」と掲げ、4人のパネラーによるパネル討論会を出席会員の前で行いました。「ヤメ駐」とは「駐在員をやめた」という意味です。
4人のパネラーは後藤 英彦氏(元時事通信社ロサンゼルス支局長)、武藤 秀毅氏(元米国トヨタ駐在員)、岩永
留美氏、それに私でした。岩永さんは当時、米国ホンダの駐在員だったご主人がアメリカでの任期終了したのですが、ご主人のみ日本へ帰国され、奥様の留美さんとお子さんはこちらに残られたという異色の方です。いわゆる逆単身赴任といわれるものでした。そして私は既に定年退職で日本にかえらず家族(妻)とこちらに残り悠々自適(?)の身分でした。この頃はまだ駐在員が定年退職後も赴任地のアメリカに残って暮らすという事例はまだ少なく、私も1997年に引退したとき、珍しいケースとして現地の日本語テレビ局のインタービューを受けたことがあったほどでした。
それぞれ異なる環境の下で、海外駐在員という立場をなげうち、いわゆる「ヤメ駐」を実行し活躍するパネラーたち(私は活躍ではない?)の実体験をふまえた話は、「ヤメ駐」を志す者にとっては勿論のこと、その他のセミナー出席者にとっても興味のある内容で合ったと思います。会社を辞めた時の動機と決断、ビザその他の問題、「ヤメ駐」を考えている人へのアドバイスなど、さすが経験者ならではの具体的・実際的な説明であり、つい見落としがちなポイントを改めて再認識させるものであり、たいへん良い勉強になったはずです。
現実問題としてはSBMS会員の中で駐在員の立場にいる会員の大半は任期終了とともに日本へ帰国することになる訳ですが、いわゆる「ヤメ駐」という人生の選択を知ることは決して無駄ではなく、参加者全員にとって参考になったと確信しています。
私を除くパネラーの方たちは、その後も当地で素晴らしい活躍ぶりで、後藤さんは著作(日本をダメにした官僚の大罪〈講談社〉など)に講演活動にと、こちらの日本人の指針ともいえる立場におられ、武藤さんはご自分でベンチャー企業(Vintage
Computer,
LLC.)を立ち上げ大成功しています。また、岩永さんはその後、ご主人が日本で定年退職されてロサンゼルスへ帰ってこられ、逆単身赴任状態から解放され、一家で当地に根をおろしておられます。そのうえ、留美さんはもう15年にわたり、JERC(Japanese
Educational Resource Center)の事務局長としてロサンゼルス周辺の教育ボランティアを続けていらっしゃいます。
このパネル討論会を聞いてどれほどの駐在員に影響を与えたかは定かではありませんが、その後定年後に当地に残留する仲間も増えてきました。
――― 以下、次号へ続く ―――
河合将介(skawai@earthlink.net) |