weekly

NO.728                Ryo Onishi              4/25/2010  

 weekly
LAの観光スポット ホームページ バックナンバー
 
雑貨屋のひとり言

もう桜は散ってしまったというのになかなか暖かくなりません。4月は衣替えの時期ですが、軽い格好で出かけると身震いするような寒さだったりします。逆に暖かい格好をしていくと、汗だくになったりして毎日不安定な状態です。服装だけでなく身体の調子も狂いますのでくれぐれも気をつけていきたいものです。
≪R.O≫

アメリカ国勢調査

 日本と違い、戸籍制度のない米国では、国が行政の基礎資料を得るために、人口およびそれに関連する諸種の事項について行われる国勢調査(Census)は非常に重要であり、10年ごとに政府国勢調査局のもとで全国一斉に行われます。
 第1回のセンサスは1790年に実施されました。今年はその調査年にあたり、Census2010として3月からスタートしました。

 この国勢調査はアメリカ全住民(市民、永住権の有無にかかわらず)に法律にて義務付けられたものであり、私の家にも3月はじめに予告のはがきが郵送され、その1週間後に調査票が郵送されてきました。

 このところラジオ、テレビ、新聞などに毎日のように国勢調査局からの広告案内が大きく報じられ、フリーウエイ脇の広告ボードまで動員して調査票提出を喚起しています。この国がいかに国勢調査を重視しているかを知ることができます。

 手もとの日系新聞の1ページを使った広告欄には次のように書かれています。
 

10分程度で私たちのコミュニティーの教育の向上や交通機関の整備などに役立つことができます。10分程度で簡単にできる10問の国勢調査票に答えて年間4,000億ドルを超える地方交付税の私たち地域へのシェアを確保して大切な私たちコニュニティーの向上に協力しましょう。調査票に答えて必ず直ぐに送り返しましょう。
*国勢調査への参加はアメリカ全住民(市民、永住権の有無にかかわらず)に米国の法律にて義務付けられています。
*集めた皆様のデータ内容は法律によって厳守されますのでご安心ください。
*調査票を返送されなかったお宅へ国勢調査員がデータ収集に訪問いたします。その前に必ず送り返しましょう。
(広告スポンサー:米国国勢調査局)

 今回の調査は4月1日現在の実態を記入するものです。人口の分布・構成を把握し、連邦および州以下の議員定数を見直したり、学校・病院・交通網整備・シニアセンター・図書館などの公共施設に対する交付金を決める基として使用されます。
 
多民族、多言語の国であるこの国らしく、英語以外の多くの言語でも対応できるよう、多言語の電話による問い合わせ、インターネットによる調査票の翻訳など各種サービスが行き届いています。

我が家も早速調査票に記入し送り返しました。参考までに今回の国勢調査票に記載されていた調査項目をインターネットの日本語援助ガイドを参考にしながら、以下に書き記してみます。   ――― 以下次号へ続く ――― 
  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「」

今週はお休みです。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

青い山脈わが青春よ父母よ

お茶漬けに苦労苦労の母の詩

母さんの嬉し涙に詫びる過去

ご愁傷さまとも老いの誕生日

貧乏はしても先天性笑顔


( ニュースやぶにらみ )

「仕分け」
先ずマニフェストから −財源

「5月決着発言変えず」
現時点では −鳩山首相

「新標識」
迷走禁止 −高速道路

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

 

森田さんから

   妹
              森田のりえ
 桜が見たい。桜は桜でも吉野の桜である。毎年のように吉野へ入り、桜を詠んだ西行法師の足跡を辿りたいなどと大層なことを考えたのではない。数年前、友人が吉野山の桜を撮った写真を送ってくれたからである。尾根から谷へかけて、下千本、中千本、上千本、奥千本と順々に咲きつづけるという。春がくるたびに桜への郷愁がこみあげた。
所用のため四月に訪日することになった。こんどこそは行こうと思った。だが、まず広島の実家へ帰らねばならない。市の懸案であった道路建設がいよいよ始まる。ついては、亡くなった姉の家が半分引っかかる。立ち退きである。住む人のない姉の家を三人姉妹で片付けることになった。長姉は口より先に身体が動くタチである。ところが、ふたつ違いの妹は、十数年来、膠原病で苦しんでいる。家のなかでも杖をついて歩くのが精一杯で、家事全般は連れ合いがしている有様だ。近頃は驚くほど衰弱してきた。
「見舞いに行ったほうがいい」
 背を押された気がした。
 妹は、息子たちが独立した後は夫婦で登山を楽しんでいたほど健康体だったのにどこでどう狂ってしまったのだろう。子宮筋腫の手術をしたとき「もう子どもを産むこともないし、癌になったら困るから子宮を取ってもらったの」と、いっていた。
 手術後から叙々に体調を崩していったのは間違いのない事実である。
膠原病とは、皮膚、関節、筋肉などの結合組織や血管などの炎症により、全身組織に障害が生じる病気で、身体の免疫がやられてしまうと言う話もきいた。ともかく大変な病気には違いない。
 実家の敷地内に建っている亡姉の家で姉妹三人、メザシのように枕を並べて寝た。もとより片付ける物はない。業者に任せれば全部整理してくれる昨今である。翌日から義兄の運転で温泉旅行をするつもりでいたが姉の急用で取り止めになった。
「ふたりでホテルに泊ろうよ。美味しいものが食べたい。主人の料理は飽きてきたわ」
 妹は贅沢なことをいった。私はあちこちの友人を訪ねる予定だったが、無碍にも断われずホテル暮らしになった。花だよりでは、吉野の桜は現在、七分咲きだという。
「いまなら、間に合う!」
 だが、行けなかった。
 朝食を済ますと、妹は正午近くまで寝ている。起こして外へ連れて行く。足並みを揃えたつもりでも気がつくと後方から、亀のような足取りでついてくる。ホテルにはレンタル用車椅子があるから、借りれば私が押してあげるといっても「そんなみっともない。誰に出会うか分らんじゃない。この杖だって捨てたいのに」という。妹のしょうもない見栄であり、悔しさが言わせたのであろうか。
そんなある日、小学校の同級生のひとりが私たちをジャズ・コンサートに誘ってくれた。
瀬戸内海沿岸を走る国道の傍に建っていた酒造会社の辺りは埋め立てられて海がはるか遠くになっていた。劇場が建ち、市役所が建ち、私がいたころの面影はない。川沿いに三百メートルほどの桜並木ができていた。すでに満開の時期を過ぎ、夕風に花吹雪が舞っていた。すると、友人が妹を見ていった。
「ごめんね。うちゃ病気をしたことがないけぇ、病気の人の気持ちが分らんのよ」
 その言い方に優しさがこもっていた。
負けた、と思った。私は愚痴を連発する妹に、飽き飽きしていたのである。一度だって、妹の苦しさを思いやることもなく、手足をさするなど思いもつかなかった。
「わたしが元気なころはあんなこともしてあげたのに、こんなこともしてあげたのに、誰もわかってくれんのんじゃけ」
 また始まった。もう聞きたくない。愚痴を聞くために帰ったのではない。それに、兄弟姉妹から助けられたことや親切にされたことも多いはずなのに、なんだって自分がしたことばかり主張するのだろう。私は不満を募らせている自分が恥ずかしくなった。
 訪日を終えてロスアンゼルスに戻ってきた一週間後に電話をいれると、妹は風邪を引いて辛そうだった。二、三言話して電話を切った。その夜、肺炎を併発し呼吸困難で緊急入院し延命装置をつけたまま三日間、眠りつづけていると報せがきた。桜吹雪を見たのが最後の外出になったのであろうか。

 願わくは花のしたにて 春死なん
 そのきさらぎの望月のころ

 桜を愛し、桜に死んだ旅僧の詠んだ歌が身にしみてくるようだった。
               おわり

龍翁余話

龍翁余話(127)「昭和の日」

昭和生まれの翁は、常に昭和が身近にあり、我が人生の回顧の多くは“昭和の思い出箱“の中に収められている。翁、60の手習い(独学)でパソコンにどっぷり浸かるようになってからというもの、活字離れが進んでしまったが、若い頃は、けっこう本の虫だった。学生時代から安月給時代にかけて神田・神保町の古本屋街に何年、何十回通ったものか。この界隈には、確か200店ほどの古本屋があったと記憶しているが、その殆どの店を回った。単行本、文庫本、新書本などは何とか新刊書店で買うことが出来たが、全集物――例えば『世界文学全集』、『日本文学全集』、『世界美術全集』あるいは日本・世界の文豪全集などは、たいてい古本屋で仕入れた。しかし、全部が全部、読みきれるものではない。全集物の多くは”積読(つんどく)“(読まないで積んだままにしておく)だけ。意識の半分以上は”俺は、こんな全集を持っている“という自己満足だけだったのかも知れない。

いろんな思い出を着せた衣類も同じだが、書籍類もまた、いざ捨てようと思っても、なかなか踏ん切りがつかない。そうこうしているうちに部屋中、埃を被った古本の山が築かれる。そんな薄汚い環境の中で、いっぱしの書き屋を気取って番組企画書やシナリオ、エッセイなどを書いたりするのを得意がっていた時代もあった。翁の本業は(主としてテレビ番組製作の)映像プロダクションの経営だったが、40歳からの10年間、某専門学校(芸術科)の教師という2足のワラジを履いていた時代もあった。芸術科第1期生の学生たちが、よく我が家に遊びにやって来た。玄関を入ったすぐ傍の10畳の仕事部屋いっぱいに(無造作に)積まれた書籍の山に、彼らはかなり圧倒されたらしく、また(俺たちの先生は大変な読書家、という)大いなる錯覚を抱かせ、クラス中に噂が広がり、入れ替わり立ち代わりの“見学者”が続いた。が、間もなく、そんな見栄っ張りが恥ずかしく、虚(むな)しくなり“見かけ読書家“を返上することにした。つまり、古本の大量処分である。

ドフトエフスキー、ツルゲーネフ、トルストイ、ゲーテ、ヴァン・ダイン、芥川龍之介、太宰治、夏目漱石、宮沢賢治らが去った。が、どうしても手放せなかったのが“昭和史”である。『2万日の全記録・昭和』(全19巻=講談社)、『映像で綴る昭和の記録』(全20巻=NHK)、そしてもう1つ『昭和史の天皇』(全30巻=読売新聞)。特に『昭和史の天皇』は、翁自身の思想や自分史と重なり、翁の貴重なバイブルであり“思い出箱”でもある。

以前、この『余話』に書いたことがあるが、翁のこの仕事部屋の本棚には、これらの全集のほか靖国神社の守り札、絵馬、鏑矢、近くに大小の“日の丸”が(365日)飾られているので、初めての来客は多分“異様”を感じることだろう。しかし3種類の『昭和の全集』も『靖国神社』も『日の丸』も、見栄でも見せかけでもなく、翁の信念(信条)を象徴するディスプレイだから、どんな人物(外国人)でも胸を張って迎え入れることが出来る。そして『昭和』、『天皇』、『靖国神社』、『日本精神』を語ることが実に楽しい。

昭和天皇は、戦前は陸軍・海軍の統帥権、政府閣議の決定承認権をもつ現人神として日本国の最高位に位置していた。太平洋戦争開戦に関して平和解決を望むなどの態度を通されたが、閣議決定(軍部の強力な開戦論)に押され、不幸な戦争への道を歩むことになる。
昭和20年8月9日、御前会議で軍部と政府間で戦争継続(本土決戦)と無条件降伏(ポツダム宣言受諾)に議論が割れたが、天皇のご裁断により“無条件降伏”を決定、同15日、「終戦の勅書」放送、いわゆる玉音放送が行なわれ、遂に戦争終結。それから1ヵ月後の9月27日、昭和天皇はGHQ総司令長官マッカ−サ元帥と初めてお会いになる。この時の会談内容は二人の胸に収めるという約束で以後、昭和天皇はこの時の会談内容は一切発言されていないが『マッカーサ回顧録』には「日本国の統帥権は全て自分にある。従って、
我が身はどうなってもかまわない。国民の支援援助をお願いしたい」という趣旨の内容が記載されており、マッカーサ元帥は昭和天皇の大身心に対して畏怖と尊敬をもったという。以後、連合国側は天皇の戦争責任には一切触れないという方針になった。

昭和21年1月1日、昭和天皇は「人間宣言」を行なった。そして混乱と疲弊が続く国民を激励しようと全国を巡幸された。この公務によって国民も、天皇に対して、雲の上の神様から、身近に感じる人間天皇として大いなる親近感を抱いた。また、海外にも積極的に歴訪され親善に努められた。戦後の日本は世界に例が無い“強烈な経済成長”を遂げた。この成長で産み落とされた公害や人間性、道徳感の欠如、自然破壊など負の財産も生まれたが、総じて国民は豊かになり米国に次ぐ世界第2位の経済大国となった。戦前の軍事大国から戦後の経済大国化へ、道は180度の対極にありながら、昭和天皇を中心とした日本は正に激動の時代を経た。それが『昭和』なのである。

4月29日は『昭和の日』。1948年(昭和23年)の祝日法施行以来、昭和天皇の誕生日である4月29日は国民の祝日『天皇誕生日』であった。しかし、昭和天皇は1989年(昭和64年)1月7日午前6時33分、十二指腸乳頭周囲腫瘍のため、皇居・吹上御所で崩御された。87歳だった。これに伴い、皇太子明仁親王が直ちに皇位を継承、第125代天皇に即位され、年号も『平成』に変わった。『天皇誕生日』は今上天皇お誕生日の12月23日に、そして平成19年(2007年)から4月29日は『昭和の日』、それまでの『みどりの日』は5月4日に移動した。

翁は毎年の4月29日、書棚の『昭和史の天皇』のページをめくりながら昭和天皇を偲ぶとともに“龍翁の昭和史”を顧みることにしている・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

 

Tommy Flanaganはこのコーナーでこれまで2回、紹介しています。
今回ご紹介するアルバムは1960年に録音されています。ジャズはすごいですね。
まったくそんな時間を感じさせません。

"Moodsville #9"                                 The Tommy Flanagan Trio

1. In the Blue of the Evening
2. You Go to My Head
3. Velvet Moon
4. Come Sunday
5. Jes' Fine
6. Born to Be Blue
7. In a Sentimental Mood

TOMMY FLANAGAN(p)
TOMMY POTTER(b)
ROY HAYNES(ds)

雑貨屋ウィークリー537号から紹介をはじめたジャズのアルバムをリストにしました。
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

あの悲惨な尼崎の脱線事故からもう5年も経つのですね。駅前には黒い服を着た人がたくさんおられ、送迎バスがたくさん並んでいました。それぞれ複雑な想いで参加されていたのだと思います。

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.728

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com