龍翁余話(119)「浜離宮の鴨場」
翁がよく行く千葉・成田のゴルフ場(白鳳カントリー倶楽部)は、バンカー(砂場)と池が絡み合ったタフなホールが多い。「特に上がり3ホールは、1打として気が抜けず、それがまた面白さを増す」とパンフレットに書かれているが、とんでもない。翁たちメンバーは長年、このトリッキーな3ホールに苛められてきたから、あるていど攻略法(逃げ方)を知っているが、ビジター・プレーヤーの多くは、この3ホールで打ちのめされ、気分を悪くしてプレーを終えなければならない薄情な設計だ。そんな中で、翁が(ロケーション的に)ホッとするホールがある。17番のロングホール(530ヤードのパー5)、ハンデキャップ4の難しいホールだが、ティーグランドの直ぐ前に大きな池があり、この時期(冬)、鴨の群れが水面を埋め尽くす。「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」ではなく「プレーヤーの(第1打の)ミス・ショットのボールが鴨に当たる」ほど多数だ。翁、この池を“鴨の池”と呼んでいる。マガモかコガモか、カルガモか種類は知らないが(もしかして数種いるのかもしれないが)とにかく、人間を怖れないで勝手に悠々自適の生活圏をつくり仲良く暮らしている有様が微笑ましい。ああ、そう言えば仲のいいカップルを見かけることもあるから、オシドリもいるのかもしれない。そして、そのホールの終わり(グリーン近く)の池には鯉の大群が水面で口パクをしながら翁たちを待ち受ける。仲間のT君が必ずパンくずを持参する。翁、それを分けて貰って鯉に与えるのが楽しみだ。動きの鈍い(気の弱い?)鯉の方に向かってパンくずを投げ込むのだが、たいてい、すばしっこい奴にエサを奪われる。生存競争の激しさは、池の鯉の世界も同じか・・・このホール、鴨と鯉に気を奪われるからスコアはいいはずがない、と、言い訳しておこう。
先日、汐留(新橋)での会合のあと、ポカポカ陽気に誘われて何年かぶりに浜離宮へ足を運んだ。『浜離宮恩賜庭園』というのが正式名称。都内に“恩賜”(天皇からの賜りもの)と名の付く庭園・公園は浜離宮を入れて6箇所ある。旧芝離宮恩賜庭園(港区)、上野恩賜公園(台東区)、猿江恩賜公園(江東区)、井の頭恩賜公園(武蔵野市・三鷹市)、それに有栖川宮記念公園(港区)も恩賜公園の1つ。「恩賜なんて言葉、今の若者は知るまい」そんなことを思いながら大手門を入る。一般的な見所は『三百年の松』、『花畑』、『中島の御茶屋』など。資料によると、この地はもともと将
軍家の鷹狩り場だった。6代将軍家宣の時から、その名を“浜御殿”と称し公家の接待場として使っていたが、8代将軍吉宗は実用学の実験場としてこの地を活用した。即ち、製糖所、製塩所、鍛冶小屋、大砲場、薬草園、馬場などを作った。そして10代将軍家治、11代将軍家斉の頃に、ほぼ現在の公園形態が整い、きちんとした鴨場をこしらえ、本格的な鴨狩りと鷹狩りを楽しんだ、とある。
鴨場は、江戸時代の大名庭園には必ずあったそうだが、東京で現存するのは、ここ浜離宮の鴨場だけだそうだ。翁は、ここへ来ると必ず『鴨場』(跡)に足を踏み入れる。
“元溜”(もとだまり=写真左)にアヒルが放たれる。アヒルは鴨たちを“引堀”(ひきぼり=写真中)に導き入れるよう訓練されている。秋から冬にかけて野鴨が池に下りてくる。撒き餌につられ、アヒルが“引堀”に入ると鴨も後をついてくる。必要数入ってきたところで、その様子を“小覗小屋”(このぞきごや=写真右)で覗き見していた番人が、周囲で息をひそめている鷹匠や客人に手信号で合図を送る。客人らは一斉に“引堀”に駆け寄り叉手網(さであみ=弓網)で逃げ惑う鴨を捕獲する。網をかいくぐって逃げた鴨を、鷹が追う。鷹匠の腕の見せどころだ。鴨は、肉食文化が一般的でなかった明治維新前の日本では(ビタミンB群、鉄分を含有する)貴重な栄養源で、鍋やすき焼きなどが代表的な料理だったようだ。鴨鍋はネギがつきものだが、これは鴨の臭みを取るだけではなく味覚的、栄養的相性がいいという理由から、らしい。それはともかく、都会の騒音・煩事から遮断されたこの静寂な鴨場は、時空を超えて往時のひとコマを容易に想像させてくれる別世界。だから翁、この場所が好きだ。“元溜”でくつろぐ鴨たちは、今は人間の魔手による生命の危険はない。むしろ我がゴルフコース17番ホールの“鴨の池”の鴨たちの方が(ミス・ショットのボールに脅かされて)よほどヒヤヒヤ暮らしかもしれない。
さて、明治維新で浜御殿は皇室の所有となり“浜離宮”と改称された。鴨場は昭和19年まで利用されたそうだ。昭和20年の終戦時に東京都に下賜され、翌21年4月に一般公開(開園)となった。昭和27年に国の特別名勝・特別史跡に指定された。確かに前述の『三百年の松』、『花畑』、『中島の御茶屋』のほか『旧稲生神社(きゅういなぶじんじゃ)』、『将軍お上がり場』、『水門』、『御亭山(おちんやま)』、『富士見山』、『八景山』、『馬場跡』など江戸時代から続く庭園の史跡スポットは多い。しかし、翁がもう1つ興味をそそられるのが池の淵や土手に植えられた多彩な『松の木』だ。盆栽をそのまま大きくしたような、美しく育てられた松の姿は、いつまで眺めていてもあきない。近くに“浜松町”というJRの駅があるが“浜離宮の松”から命名されたのでは?そう思いたいほど見事な松群が庭園全体を引き締めている。次回の散策時は“松”を・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |