――― 前号よりの続き。以下の覚え(メモ)はすべて下記からの引用(または参照)であり、私自身がフランクリン・ルーズベルト(Franklin
Delano Roosevelt、以後の記述では「F.D.R.」とします)を知るためのメモであることをお断りしておきます。―――
「ルーズベルト、ニューディールと第二次世界大戦」(新川健三郎著、清水新書)
「パクス・アメリカーナの光と影」(上杉 忍著、講談社現代新書)
「ルート66、アメリカ・マザーロードの歴史と旅」(東 理夫著、丸善ライブラリー)
「フランクリン・ルーズベルト」(T.V.番組、知ってるつもり)、その他、インターネットからの情報 |
〔〔\〕ニューディール批判と第二のニューディール
(1)左右からの政府批判
政府の強力な指導の下で景気回復の兆しが見え始めると、実業家たちの中には、平常への復帰を求めるものが増え、政府の統制に抵抗しはじめた。デュポンやG.M.の重役、また保守的民主党員達は、1934年8月、反ニューディール的なアメリカ自由連盟を創設した。また、左からの政府批判も高まった。彼らの批判は次のようなものだった。
(a)ニューディール政策には労働者や消費者の声が反映されていない。
(b)全国産業復興法(NIRA) が設定した消費者価格は高すぎる。また、その協定は大企業に有利で、中小企業を圧迫している。
(c)農業調整法(AAA)によって、貧困国民を無視し、農産物や家畜が処分されるのは国民感情からして許しがたい。
(d)小作農が生産削減の見かえりとして保証金を得ても、地主が借金返済の名目でこれを取り上げてしまう。
(2)中央よりやや左へ
こうした急進派と保守派の双方から批判と挑戦を受けたF.D.R.大統領は、これまでのニューディールの舵を新たにいずれの方向に取るかを決めなければならなかった。彼の選択肢は次の3つであった。
(a)これまで通りの方向で、対立し合う勢力と妥協しながら進む。
(b)一般大衆の支持を確保するため、急進派の政策案を可能な範囲で取り入れ、左傾化して行く。
(c)守派の要求を受け入れ、右傾化する。
F.D.R.は、国民の広い層をニューディール支持に繋ぎとめるため、また、最高裁による NIRAおよび
AAA違憲判決もあり、上記のうち(
c)の道を選び、組織労働者や一般大衆の要求を可能な限り政策の中に取り入れながら、「中央よりやや左」の政策路線を選んだのであった。
(3)第二のニューディール
1935年春から夏にかけて成立した一連の重要法案は「第二のニューディール」と呼ばれている。この時期、F.D.R.大統領は保守勢力を抑えて、大衆の福祉を確立する方向に積極的に動きはじめた。
1935年春から夏にかけて、大統領は5つの重要法案を含む多数の法案を議会に提案し、議会も熱心な法案審議でこたえ、ここに第2のニューディールの重要な改革政策がつぎつぎと生み出されていった。
≪緊急救済予算法≫:失業者のための大規模な公共事業の行政命令権を大統領に付与した。そこには、公共事業局(のちの事業促進局=WPA)が含まれ、WPAは
1943年に廃止されるまでに、850万人以上の失業者を雇った、これによって、高速道路を含む道路 65万マイル、公共建物
12万5千、公園8,000、さらに多数の橋、飛行場、その他の施設が建設された。(注:ルート66も 1938年に全面舗装が完了した)
その他の WPAの企画として、失業中の知識人、芸術家を動員した絵画、演劇、音楽、芸能、文芸、歴史などのプロジェクトも大々的に取り組まれた。
その中には、1920年代にアメリカの画家として認められていた、日本人画家、石垣栄太郎が、メキシコ人画家のオロスコ・シケイロスらの影響を受けて、壁画の製作に精力を傾けることが出来たのも
WPAのおかげだった。残念なことに、彼の壁画は、対日戦の際に破壊され、今日では見ることは出来ない。
≪全国労働関係法(ワグナー法)≫:NIRAの違憲判決により、そこに盛りこまれていた労働者の権利を認める条項も無効になったが、ルーズベルトは労働条項だけをとりあげて立法化し、さらに資本側の不当労働行為を禁止する規定を付け加えて、組織労働者の支援に本格的に取り組む姿勢を示した。これはルーズベルト政府が、労使関係において、組織労働側についたことを示す画期的な出来事であった。そして、アメリカの労働運動は、このワグナー法のもとで、めざましい発展を遂げることになった。
≪社会保障法≫:不充分とは言え、老齢年金や失業保険制度が設けられ、アメリカで初めて社会保障 度が成立した。
≪銀行法、富裕税法≫
(4)1936年選挙とルーズベルト連合
1936年大統領選挙でF.D.R.(民主党)は前回よりさらに 500万票多い 2,700万票(61%)を獲得し、文字通り圧勝した。
この時を以って、これまで参政権を持っていた都市の黒人層が、それまで支持していたリンカーンの共和党と決別し、民主党支持へと転じた。また、組織された労働者階級も、民主党の有力な支持者として登場してきた。こうして、改革を求める諸階級、諸階層のゆるやかな連合である「ルーズベルト連合が形成された。
――― 以下次号に続く ――― 河合将介(skawai@earthlink.net) |