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NO.675                Ryo Onishi              4/19/2009  

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LAの観光スポット ホームページ バックナンバー
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雑貨屋のひとり言

春を通り越して夏のような陽気になりました。そんな陽気の土曜日の午後、JR三宮から南に歩き海岸通を散策しました。南京町の近くに「海岸ビルヂング」という建物があります。登録有形文化財で1911年に貿易会社兼松商店(現兼松の前身)の本店として建設された歴史的な建物です。かつて一階が事務所として使われ二階以上が貸事務所であったそうです。建物の特徴をうまく利用していろんなショップが入っています。観光客がたくさん来られていて女性に人気のありそうなショップがありました。その中に「floor」という家具とインテリアのショップがあり、個性的な家具や陶器などが展示販売されていました。そこで珍しいものを見つけました。BOSE社製のAW-1というオーディオです。1980年代、私がアメリカにいたときこのモデルに出会ったからです。とても懐かしく思いました。家具を自分でデザインして作っておられる宮武茂伸さんと話が弾み、良い時間を過ごせました。

≪R.O≫

 F.D.R メモ(8)

――― 前号よりの続き。以下の覚え(メモ)はすべて下記からの引用(または参照)であり、私自身がフランクリン・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt、以後の記述では「F.D.R.」とします)を知るためのメモであることをお断りしておきます。―――

「ルーズベルト、ニューディールと第二次世界大戦」(新川健三郎著、清水新書)
「パクス・アメリカーナの光と影」(上杉 忍著、講談社現代新書)
「ルート66、アメリカ・マザーロードの歴史と旅」(東 理夫著、丸善ライブラリー)
「フランクリン・ルーズベルト」(T.V.番組、知ってるつもり)、その他、インターネットからの情報

〔[〕ニューディール政策(2)
(1)最初の「ラジオ炉辺談話(ろへんだんわ:the Fireside Chats)」
 緊急銀行法を制定させたF.D.R.は 3月12日の日曜日の夜、最初の「炉辺談話」でラジオを通して国民に直接語りかけ、銀行はもう安全だと国民に保証した。推定 6,000万人の国民が大統領のラジオを聞いたという。翌月曜日、銀行の一部が業務を再開したところ、多数の人々が銀行の前に行列を作ったが、それは預金を引き出すためより、預け入れの方が多かった。

 銀行自体は業務停止してから客観的には何ら好転していなかったにもかかわらず、“銀行は安全である”という大統領の一言で、国民は銀行を信頼したのであった。―― そしてF.D.R.は、ともかく大統領就任後 8日間にして、最大の危機を回避した。

 ついで、F.D.R.政府は、恐慌の直接の原因となった証券取引や銀行業務の制度上の欠陥を是正する作業にとりかかった。
証券法の制定:連邦取引委員会に証券発行を監督する権限を与えた。
連邦準備制度の改革:商業金融と投資の業務を分離。
連邦預金保険公社の設立:一般預金者の保護。
復興金融公社(RFC)の権限の拡大:銀行の再開や再組織にあたり、国家資本で資本構成を支える。

(2)力強く動き出したニューディール
 ようやく心臓(銀行)が動き出したが、肝心の手足はまだマヒしているアメリカ経済をよみがえらせるため、議会は休むことなく、経済全体を復活させるための法律を次々と成立させた。F.D.R.政府の「最初の百日議会」が閉会する 6月16日までに、F.D.R.は 15の重要法案を成立させた。
(F.D.R.のニューディールは最終的には、AAA からWTA まで200以上になった)

 それらの重要法案の中には次のものが含まれた。
≪農業調整法(AAA)≫:これは、「生産調整」による農産物価格引き上げをめざした。政府は割り当て以上に生産を削減した農民に補助金を出し、農家収入を保証するとともに、農産物価格の引き上げをはかった。この政策によって、比較的規模の大きい農場の多くが救われた。

≪失業救済事業立法≫:
(a) 市民自然保存部隊(CCC)創設 ― 18歳から 24歳までの失業青年を動員して、全国のキャンプに配置し、植林、キャンプ地や海水浴場の整備、橋・ダム・貯水池・釣堀などの建設に従事させる。
(b) 直接的現金救済計画 ― 議会は 5億ドルを各州や地方自治体に支給。
(c) 大規模な公共事業の認可 ― 道路、下水道、その他の公共事業のために33億ドルの支出。この「枯れた井戸に水を注ぐ」政策は、結果としては、ケインズの理論と一致。

≪全国産業復興法(NIRA)≫:アメリカ資本主義の屋台骨である工業の立て直し政策でニューディル政策の根幹のもの。巨大企業間の無秩序な競争が経済全体に悪影響を及ぼすとして、政府の指導下に産業別の競争条件協定を結ばせ、それを反トラスト法の外におく。

≪TVA計画≫:テネシー河流域総合開発計画。

≪金本位制離脱≫:金本位制離脱により、国際経済からアメリカを可能な限り切り離し、アメリカ経済の再建を達成する。

≪ソ連の承認≫:アメリカは 1933年11月、ソ連を承認し、通商関係の促進を図った。

≪禁酒法の廃止≫:アメリカ合衆国憲法、修正第21条が確定し、修正第18条(酒精飲料の禁止1919年確定)が廃止された。
  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「」

今週はお休みです。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

 ITにアスナロが差を広げられ

騙す気のパンにこってりジャムを塗る

完璧のプランに罠もぬかりない

二者択一カネの匂いを嗅ぎ分ける

ライバルとばったり会った診療科

( ニュースやぶにらみ )

「イチロー選手3,086安打」
野球に脱帽 −ベースボール

「再び値下げ合戦」
食うか食われるか −牛丼チェーン

「北朝鮮のミサイルに」
議長声明ねぇ −衆参両院議長

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

句会場(千駄木)周辺ぶらり散歩(22)
*根津神社 @
藪下の道をそのまま行くと根津神社の裏門に出ます。
今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉建しています。五代将軍綱吉が現在地に選座、世に言う天下の大普請で1706年に完成しました。権現造りの本殿・幣殿・拝殿・唐門・透塀・楼門の全てが欠けずに現存し、国の重要文化財に指定されています。 また根津神社は古くからつつじの名所としても知られ、境内にある約2000坪のつつじ苑には、約50種3000株のツツジが咲き競い、毎年のつつじ祭りは大変な賑わいです。
また根津神社は近代文学の諸作品に数多く描かれています。
森鴎外 「青年」 『さて本郷三丁目で電車を降りて、追分から高等学校に附いて右に曲がって、根津権現の表坂上にある袖浦館という下宿屋の前に到着したのは、十月二十何日かの午前八時であった 』 
宮本百合子 「田端の汽車そのほか」 『森鴎外が住んでいた家は、団子坂をのぼってすぐのところにあった(略)左の一本は細くくねって昔太田ケ原と呼ばれた崖沿いに根津権現る』 
尾崎放哉「入庵雑記」 『句会は大抵根津権現さんの境内に小さい池に沿うて一寸した貸席がありましたので、其処で開きました。』
林不忘「丹下左膳(乾雲坤竜の巻)」『江戸は根津権現の裏、俗に曙の里といわれるところに、神変夢想流の町道場を開いている小野塚鉄斎いま奥の書院に端坐して〜 』

森田さんから

今週はお休みです。              

龍翁余話

龍翁余話(77)「神宮球場」

ナマの野球どころか、テレビ中継もめったに見ることがない翁が、何と、東京・青山の神宮球場へ足を運んだ。15日の巨人―ヤクルト戦である。毎週木曜日の朝、1週間分の野菜ジュースを届けてくれるヤクルト嬢が先週の配達の時、「外野席ですが、巨人―ヤクルト戦のチケットがあります、よろしかったら・・・」と言って2枚差し出した。「私は野球は観ないから」と断ったが「あの“サムライ・ジャパン”の選手たちが大勢出ますよ」のひと言に「じゃ、行こうか」と、コロッと、その気になって頂戴した。時折、翁に“ご機嫌伺い”をしてくれる某スポーツ関係会社の営業マン・K君を誘ったら「龍翁さんには説明役が必要でしょうから、是非ご一緒させていただきます」・・・たかが野球、説明役なんか要らないが、K君の“思いやり付き合い”を嬉しく受けることにした。

球場の正面入り口で6時の待ち合わせだったが、翁、この辺りが懐かしいので1時間も早く行った。地下鉄・外苑前で降り、大勢の野球見物客に混じって地上に出ると、香ばしい匂いが漂い、ダミ声の兄ちゃんやキンキン声の女の子たちが「弁当!焼きソバ!ビールのツマミもあるよ!」などと大声で客寄せをしている。歩きながら横目でみると、500円の弁当、400円の焼きソバ、300円のツマミ(ニワトリのから揚げ、枝豆など)がズラリ。それが50メートルも続く。その喧騒の切れ目に『秩父宮ラグビー場』がある。ここは戦後間もない昭和22年(1947年)に開設された関東におけるラグビーのメッカ。昭和39年(1964年)の東京オリンピックの時はサッカー場にも使用された。現在はラグビーの日本選手権、全国大学選手権、関東大学対抗戦などが行なわれている。ラグビーやサッカーなどには縁の無い翁、一度も入場したことはないが、縁が深かったのは、その隣にあった『東京ボウリングセンター』だ。

戦後、駐留軍(米軍)の娯楽として盛んだったボウリングに刺激を受け、某病院経営者が昭和27年(1952年)この地に『東京ボウリングセンター』を開業した。日本人の手による民間初のボウリング場だ。焼け野原に建てられた20レーンのボウリング場は、発足当初は会員制。サラリーマンの平均月給が8千円ていどの時代であったのに、個人の入会金3万円はかなりの高額、一般人には手が出せず、いきおい政財界人、芸能人ら高所得者による社交場となった。場内には本格的なレストランがあり、当時としては珍しいハンバーガーやホットドッグ、イタリアン・アイスクリームなどに人気が集まったそうだ。だが、そんな特権階級相手だけの経営では、そう長続きはしない。ほどなく経営が行き詰まり、第一ホテルに経営権が移るや会員制を廃止、“一般開放”が功を奏して昭和40年代のボウリングブームを呼ぶことになる。翁が会社を興したのがその頃、しかも住まい兼事務所のマンションがこの近くとあって、いきなりボウリングにはまり込んだ。仕事の関係上、芸能人やマスコミ人との付き合いは、ここ『青山ボウリングセンター』が(酒が飲めない翁の)唯一の社交場だった。その後、このボウリング場はなくなり、平成元年に機械産業、情報産業の技術的成果をPRする『TEPIAプラザ』に変わった。その隣が神宮球場(ヤクルトのホーム球場)。周辺にある国立競技場、神宮外苑、日本青年館、明治公園などは、いずれも翁にとって懐かしい場所だ。

巨人側(3塁側)の外野席に座る。長いベンチかと思ったら、一人掛けの(プラスチック製の)椅子だ。隣人との隙間もある。座り心地も悪くない。グランドを見下ろす。選手の顔は全く判らない。K君が頻繁に説明してくれる。あの選手はWBCでこんな活躍をした、とか、彼はどこのチームから巨人に(ヤクルトに)移籍した、あの外人選手の母国は・・・など、実に詳しい。レフトスタンド(外野席)に陣取る巨人軍の賑やかな応援団が、いやでもムードを高める。数百人が、鳴り物に合わせて張り裂けんばかりの大声で声援を送ったり、巨人カラーの黄色いタオルを振ったりなど、よく訓練されている。試合開始(1回の表、裏)は、ナマの雰囲気に呑まれながらグランドに見入っていたが、2回、3回の凡戦が続くと、だんだん退屈の虫が動き始める。昼間は25度と暑かったが夜になると冷え込む。喉が渇き、空腹も覚える。あくびも出だした。「ホームランでも打ってくれないかなあ」とぼやく。ファールボールは飛んでくる。あれは怖い。だから、バッターボックスから目が離せない。そういえば、飛んで来るファールボールを捕球するため野球グローブを手にはめている観客も数人いた。捕球したボールは返却しなくてもいいらしい。「俺の所に飛んで来たらどうしよう?」と言ったらK君「僕が素手で補ってあげます」と笑う。

翁は仕事柄、テレビカメラ位置やポジション広告(看板)が気になる。WBCテレビ放送の時、やたら日本企業の広告が目立ったが、あれは常設ではなく回転式看板でサムライ・ジャパンの試合(放送)の時だけ日本スポンサーの広告を出す仕組みになっていたそうだ。
さて、4回の裏、ヤクルトが1点先取、そして次(5回の表)に巨人が2点を奪って試合は盛り上がった。これで醍醐味は味わえた。「君の解説のお蔭で楽しめた。もう帰ろうよ」と腰を上げた。名残り惜しそうなK君だったが、翁に従った。

外苑駅近くは、あの“弁当売り”たちはとっくに姿を消し、静かな闇に包まれていた。K君と青山通りのコーヒーショップに入る。ミートソースのスパゲッティが美味かった。翁は、とっくに野球モードから離れていたが、食後、コーヒーをすすりながらK君の野球談義は30分も続いた。時計は9時を回った。「付き合ってくれてありがとう!」心から礼を述べた。K君「いえ、僕の方こそ楽しかったです。実は僕、根っからの巨人ファンなんですよ」と、50面(づら)を少年のようにほころばせた。その夜のスポーツニュースで巨人の勝ちを知った。K君、最後まで観たかっただろうに、と申し訳ない気持ちになったが、あとの祭り。また一緒に野球観戦の機会があれば、その時は彼の意を優先させよう、と思った。翁の我が侭も時には自制しなければ・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

Wilson Phillips 
ビーチボーイズとママス&パパスのメンバーの娘たちが結成した2世グループ。1990年デビュー。カリフォルニアらしいポップスという感じがします。
Shadows And Light
1. I Hear You (Prelude)
2. It's Only Life
3. You Won't See Me Cry
4. Give It Up
5. This Doesn't Have to Be Love
6. Where Are You
7. Flesh and Blood
8. Don't Take Me Down
9. All the Way from New York
10. Fueled for Houston
11. Goodbye, Carmen
12. Alone
13. I Hear You (Reprise)

《R.O.》

編集後記

森田のりえさんが日本に来られていて、神戸に立ち寄るかもしれないということで、はじめてお会いするのを楽しみにしていました。残念ながらお会いすることはできませんでした。でも電話ではじめてお話させていただきました。
金曜日、関西加州会が行われました。記念すべき10周年でした。総勢31名で大盛況でした。田渕さんいつもご苦労様です。ありがとうございます。昨年は息子の結婚式で参加できなかったですが、いつもの懐かしい面々に会えました。みなさんとってもお元気でした。うれしくなります。種田(おいだ)ゆみこさんが「週末里親」のボランティアをされておられます。 先日NHKニュースで種田さんがインタビューを受けているシーンを観たと皆さんにご紹介したら、観ていたのは私だけでした。詳細は次回ご紹介します。
雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
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Zakkaya Weekly No.675

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com