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NO.669                Ryo Onishi              3/8/2009  

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雑貨屋のひとり言

WBC第一次ラウンド2回戦、因縁の韓国チームとの対決は予想外の日本チームの圧勝となりました。大接戦になることが予想されていましたから驚きました。これまでヒットが出ていなかったイチローが打つとガラッと雰囲気が変わりました。すごいものですね。毎回そうですが日韓戦は力が入りますね。観ているだけで疲れます。≪R.O≫

F.D.R メモ(4)

――― 前号(666号)よりの続き。以下の覚え(メモ)はすべて下記からの引用(または参照)であり、私自身がフランクリン・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt、以後の記述では「F.D.R.」とします)を知るためのメモであることをお断りしておきます。―――

「ルーズベルト、ニューディールと第二次世界大戦」(新川健三郎著、清水新書)
「パクス・アメリカーナの光と影」(上杉 忍著、講談社現代新書)
「ルート66、アメリカ・マザーロードの歴史と旅」(東 理夫著、丸善ライブラリー)
「フランクリン・ルーズベルト」(T.V.番組、知ってるつもり)、その他、インターネットからの情報

〔W〕エレノアとの結婚、政界へ
(1) エレノアとの結婚、弁護士へ
 1903年、ハーバード在学中に、彼は遠い“いとこ”にあたる エレノア・ルーズベルトと婚約した。エレノアは 1884年ニューヨーク生まれ。(F.D.R.より2歳年下)父は第26代合衆国大統領のセオドア・ルーズベルトの弟にあたる由緒ある名門の出であったが、10歳でまったくの孤児になり、F.D.R.とは対照的に幼少時から不遇な環境だった。そのためもあって、早くから社会意識に目覚め、イギリスからの留学から帰国した後、社会事業に飛びこんだ。

 F.D.R.とエレノアとは親戚であったと同時に、幼なじみでもあった。エレノアの帰国後二人の交際は深いものとなり、1905年3月、前年秋の選挙で大統領に再選されたセオドア・ルーズベルトの仲立ちで華やかな結婚式をあげた。(結婚式では、セオドア・ルーズベルト大統領が花嫁の父の役を務めた)

  エレノアはF.D.R.の母セイラと同様、意志の強い夫人であり、後年、夫が政界に出た後、自ら夫人活動家として社会事業に活躍するとともに、夫を支える強いいしずえともなった。
  
F.D.R.は 1904年ハーバード大学を卒業、弁護士を志し、法律を学ぶためコロンビア大学に入学した。1907年ニューヨーク州の弁護士試験に合格、法律事務所で働くことになった。

(2) 政治家への転進
 こうした平凡だが血統の良い貴公子の人生に、突然ひとつの転機が訪れた。それは 1910年のニューヨーク州上院議員選挙戦であった。19世紀以来、北部の民主党の勢力は沈滞しており、党本部は民衆に受けの良い人材を探し出すのに躍起になっていた。そしてF.D.R.に白羽の矢がたてられた。

 彼自身はまだ、ほとんど無名に近かったが、3年前に政界から退いた“共和党”の元大統領セオドア・ルーズベルトの人気は依然として強く、彼を通して、“ルーズベルト”という名前は政治的に非常に魅力のあるものとなっていた。民主党の幹部はそこに目をつけ、“民主党のルーズベルト”のキャッチフレーズで票を集める作戦にでたのだった。その上、彼らはルーズベルトが富裕なので、選挙費用から党への資金も提供してもらう算段だった。

 そして彼は、元大統領の威光に加えて、精力的、かつ斬新な選挙運動により、僅少の差ながら、長年にわたる共和党の支配を破って勝利を収め、ニューヨーク州の上院議員となり、その後アメリカのみならず、世界に重大な影響を及ぼす長い政治生活の第一歩を踏み出した。

  F.D.R.がニューヨーク州上院議員に当選し、政治家として第一歩を踏み出し、数々の実績を積み重ね、1912年、州上院議員に再選、1913年、ウイルソン大統領の下で海軍次官補を務め、第一次世界大戦のもとでは海軍力増強のために活躍し、1920年には民主党の副大統領候補(大統領候補は J. M. コックス)に指名されるが敗退。
――― 以下次号に続く ――― 
  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「」

今週はお休みです。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

 申告書武器になるなの願い込め

九条にこんな大きな針の穴

核廃絶のテーマに大国の論理

安らかにまだ眠れない原爆碑

武器を持つ手で正解が書けますか

( ニュースやぶにらみ )

「サクラサク」
予想より少し早かったかな −13歳気象予報士

「勝訴」
うっちゃり −北の湖

「党の顔」
麻生さんでいてほしい −民主党
小沢さんでいてほしい −自民党

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

句会場(千駄木)周辺ぶらり散歩(16)
★観潮楼跡 C
森鴎外は大正11年に60歳で亡くなりました。以下永井荷風の「断腸亭日乗」より。 
『七月七日。夜半与謝野君電話にて森夫子急病危篤の由を告ぐ。 七月八日。早朝団子坂森先生の邸に至る。表玄関には既に受付の設あり。見舞いの客陸続いたり。余はかつて厩のありし裏門より入るに与謝野沢木小嶋の諸氏裏庭に面する座敷にあり。病室には家人の外出入せず。見舞の客には先生が竹馬の友賀古翁応接せらる。翁窃かに余を招ぎ病室に入ることを許されたり。恐る恐る襖を開きて入るに、先生は仰臥して腰より下の方に夜具をかけ昏々と眠りたまへり。鼾声唯雷の如し。薄暮雨の晴間を窺ひ家に帰る。 七月九日。早朝より団子坂の邸に往く。森先生は午前7時頃遂に\を属せらる。悲しい哉』
軍医総監にまで上りつめ、文学者としての名声を得た鴎外がその一切を拒否した遺書を残しました。
『死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ奈何ナル官憲威力ト雖此二反抗スルコトヲ得ズト信ズ余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス…墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可ラズ…宮内省陸軍ノ栄典ハ絶対に取リヤメヲ請フ…』 
この遺書について、鴎外の生地の津和野高校の元校長松島弘さんは『死を目前にして、近代的な個人としての本音が、軍人として戦争を指導した建前への決別宣言で、とことん筋を通す石見人気質が言わせた言葉でしょうと』言っておられます。 
死の3年前の翻案集「蛙」より『…私は蛙の両棲生活をすることが今既に長すぎた。帰りなむいざ、帰りなむいざ』

故郷の津和野永明寺に「森林太郎の墓」ただそれだけの墓石が建っています。
また三鷹の禅林寺も「森鴎外墓」があります。この墓の斜め前には太宰治の墓があります。

森田さんから

今回はお休みです。
                                                                                                            

龍翁余話

龍翁余話(71)「蕎麦」

翁たちの企画集団『APP』のメンバーのひとりMさんは“蕎麦打ち名人”(師範級)である。先日の企画会議では「蕎麦」が話題の1つに上がった。Mさんが所属する会は『日本そば打ち名人会』といって湯島天神工房(東京・文京区)、江戸川工房(埼玉・春日部市)、大和田工房(さいたま市)の3教室を持つ同好会。登録会員は現在老若男女512人(男性381人、女性131人)で団塊の世代が多いそうだ。講師は52人、Mさんは湯島天神工房を担当している。「手打ち蕎麦の技術も大切だが、会員同士の心の触れ合いが主な目的であり、自分で打った蕎麦は自宅に持ち帰り、家族・友人たちと一緒に蕎麦を味わい、蕎麦文化に親しもう」というのが会の主旨。更に、自分たちだけが楽しむばかりでなく、時には“日本蕎麦祭り”のイベントを催したり、老人ホームへ“手打ち蕎麦のお届け”をしたりなどの社会活動も行なっている。ならば、この話題、テレビ番組のテーマにならないか、ということで目下、Mさんを中心に『APP』としての番組企画案を検討している。

Mさんの話によると“蕎麦打ち教室”は全国各地にあるとのこと。『日本そば打ち名人会』のような同好会もあれば、団体や個々の蕎麦屋が主催する教室もあるし、中には、プロ(蕎麦屋開業)を目指す人たちのための本格的道場もあるそうだ。受講料は蕎麦粉代、道具代など込みで1回が2500円から5000円程度。Mさんの会は(今の時期は)一律2800円。仲間と楽しく蕎麦打ちに興じ、自分が打った数人分の蕎麦を自宅に持ち帰り、家族や友人と味自慢が出来るのだから、まあ、比較的安い趣味代だろう。

翁、元来、麺類を好まなかったのだが、加齢とともに昼食時、日本蕎麦を食べることが多くなった。これという理由はないのだが、あえて言えば、メニュー選びに頭を悩ませる必要も無く手軽に食べられる、栄養価が高い、値段もほどほど、ということぐらい。栄養価を調べると、蕎麦の実の約70%は炭水化物、米や小麦よりも粒が細かく、消化され易い。
また、タンパク質が豊富で白米の30%強。更に蕎麦はビタミンの宝庫とも言われる。たとえば、血管を丈夫にするビタミンP(ルチン)、脚気やむくみ、心臓肥大の予防に効果的なビタミンB1、口角炎や角膜炎を防ぐビタミンB2、それに繊維質も多く含まれているそうだ。その他、蕎麦はイライラ解消、食欲増進、息切れ防止にも効果があるとされている。そのせいだろうか、近年、翁はイライラが少なくなり食欲不振もない。ゴルフの時、できるだけ乗用カートを使わず歩くようにしているし、電車を利用する時も、駅の階段は(よほど長い階段は別だが)なるべくエスカレーターやエレベーターは使わないで歩くのだが、たいして息切れはしない。すべて蕎麦効果とは言い難いが“健康食”であることは確かだ。とは言うものの、翁、格別“蕎麦好き”になっているわけではないし、ましてやMさんのような“蕎麦通(つう)”でもない。第一、蕎麦の味が判らない。何処の店で食べても蕎麦は蕎麦。翁の“美味い、まずい”は、タレ次第。そうそう、翁の蕎麦は、汁ものではなく、たいていザルとかモリの類、それに、いつも好物の天ぷらを添える。

翁は外食する時、日本食はどこ、天ぷらはどこ、中華は、イタリアンは、など行く店はだいたい決まっている。蕎麦屋もしかり。新宿、代々木、渋谷、五反田、赤坂、新橋、京橋、銀座、東京駅の地下街など、翁の平均的行動範囲の中でお気に入りの蕎麦屋は、いずれもタレが翁の口に合うから。中でも五反田駅近くのTでは『小エビのかき揚げ蕎麦』が翁の定番。但し(狭い店内だから)12時前か午後1時過ぎでないと待たされる。銀座・松坂屋内のレストラン街にあるNの『御前そば“粋”』も翁のお気に入り。五反田のTは庶民的、松坂屋のNは、ちょっと高級だが、そこでは茶色と白色の2種類の蕎麦と、甘口、辛口の2種類のタレが同時に楽しめる。エビや季節の野菜の天ぷらも実に美味い。

銀座には、知る人ぞ知る老舗の蕎麦屋がある。銀座のことなら隅々詳しい親友・Jさんに数年前案内して貰ったYという店だ。俳優・池部 良の親戚の店だとか。まだ読んではいないが、彼のエッセーにも登場しているそうだ。しかし、店内は古い趣きを超え(はっきり言って)清潔感がない。それでも来客は多い。大半は江戸っ子を気取る馴染み客だろうか、あちこちのテーブルから、ズルズル音が聞こえる。翁、あのズルズルが苦手だ。江戸っ子の“蕎麦の粋な食べ方”は、蕎麦の先に少しだけタレをつけ、あまり噛まずにズルズルっと呑み込む。喉越しと蕎麦の風味を楽しむため、だそうだ。テレビや映画でも、そういう場面を見かける。で、試してみたが、汁気のない蕎麦はスムーズに喉を通って行かない。もたもたしていると蕎麦の先っぽのタレが踊ってシャツに撥ねる。翁の蕎麦食いは、タレをたっぷりつけ(そのタレが飛ばないように)ゆっくり口に入れ、ゆっくり噛んで呑み込む。江戸っ子の言う“粋”からはほど遠いが、ま、美味しく食べられれば“粋”は必要なかろう。現在の形態(蕎麦切り)が生まれたのは16世紀末あたりだそうだが、古くは“蕎麦掻き”(“蕎麦練り”とも言う)だった。今でも“蕎麦掻き”は健在だとか。翁、その“蕎麦掻き”を一度食してみたい。

蕎麦を食べ終えた後の蕎麦湯がまた格別。勿論、蕎麦湯だけでは飲めないが、残ったタレと調合して飲む蕎麦湯が美味い。だから、蕎麦湯の美味さもタレ次第だ。蕎麦湯は、ザルやモリを食べた後のお腹の冷えを温めるのが目的らしいが、蕎麦を茹でたお湯だから、さぞかし栄養価も高いのでは?但し、蕎麦湯には多少の塩分が含まれているそうだから、飲み過ぎには要注意かもしれない。

近年、農業活性化の一環として蕎麦栽培が盛んになり、全国各地に“蕎麦街道”が出現しているとか。日本の伝統料理“蕎麦”が見直されるようになったのだろう。この機会に、Mさん(企画集団『APP』)が検討している番組企画『蕎麦こそ究極の健康食』(仮題)を是非とも実現させたい、っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。
 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

Lisa Stansfield
この歌手の声はすごく聴きやすいと思います。
耳障りの良い歌声でとてもいいです。
1966年イギリス マンチェスターの生まれ。

1. Never Gonna Fall
2. Real Thing
3. I'm Leavin'
4. Suzanne
5. Never, Never Gonna Give You Up
6. Don't Cry for Me
7. Line
8. Very Thought of You
9. You Know How to Love Me
10. I Cried My Last Tear, Last Night
11. Honest
12. Somewhere in Time
13. Got Me Missing You
14. Footsteps
15. Real Thing [Touch Mix][*][Mix]
16. People Hold On [Bootleg Mix][*]
試聴はこちらでできます。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/308030

<R.O.>

編集後記

先週からブログをはじめました。意外と簡単にできます。雑貨屋ウィークリーを自分の日記代わりにしていたのですが、雑貨屋の発行直前に書くので思い出せないこともあります。ブログなら目の前で起こっている出来事をその場でメモのように書けます。携帯から投稿・編集できるのでいいですね。
私は"Jugem"でブログを作成しました。よろしかった観てください。コメント大歓迎です。
http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.669

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com