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NO.510                Ryo Onishi              2/19/2006   

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河合さんの さくらの独り言 川柳 & コント 森田さんから ホームページ
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雑貨屋のひとり言

金曜日、大阪で久しぶりにサウスベイの中野晋一さん、高島さんと会い、そこに初対面の小林良美さんが加わり、おいしいお酒を飲みながらの楽しいひと時を過ごしました。幅広い話題で笑いっぱなしでしたが、その中でも中野さんの女性に興味がない?という話題は最後まで尾を引いたような気がします。(R.O.)

あまり知られていないL.A. 観光スポット(188)

 Torrance Historical Society & Museum (トーランス博物館)
トーランス市は南カリフォルニア、サウスベイ地域を代表する市であり、日系企業も多く活気溢れるところです。私も日本企業の駐在員として12年間過ごしました。(企業引退後の現在は、お隣のガーデナ市に住んでいます)
 トーランス市は1921年に市制を施行し、市の名前の由来はこの街つくりに貢献した実業家ジェラルド・シドニー・トーランス氏の名にちなんでいます。
 米国第二の都市であるロサンゼルスとロサンゼルス / ロングビーチ港に近いこの市にはトヨタ、ホンダの米国本社はじめ、100社を超える日系企業がオフィス、工場、倉庫を構え活発なビジネスを展開しています。また日本の千葉県柏市とは姉妹都市関係にあり文化交流が続いています。
 このトーランス市の歴史に関する資料が展示されているところがトーランス博物館(Torrance Historical Society & Museum)で、ダウンタウン・トーランスの一角にあります。博物館の前にはトーランス氏の胸像が飾られています。
こじんまりとした博物館ですが、館内には市の歴史を辿る壁画や1912年に市民防火隊が引いたポンプ車、過去の街の写真や生活用品の実物など、興味ある展示物が満載です。
 市民のシニア・ボランティアの人たちが交代で博物館に常駐し、訪問者のために案内や説明にあたっており、暖かい家庭的な雰囲気が感じられるところです。
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●住 所:1345 Post Avenue, Torrance, CA 90501
●電 話:(310)328−5392
●開館日:火曜日、水曜日、木曜日、日曜日
●時 間:1:00PM〜4:00PM
●入館料:無 料
                     河合 将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り言「FOR YOU」

先日の金曜日から土曜日、泊りがけ社内研修の講師として舞浜の某ホテルへ出かけた。利用した研修室に隣接するのは、チャペルや宴会場をはじめとする冠婚関連。週末のその日は結婚式ラッシュ、ドレスとタキシードで身を飾る新郎新婦が行ったり来たり。どれもこれも見分けがつかない同じスタイルに、よくも相手を間違えないものだと、部外者の一般客なる私たちは感心のため息。衣装室、撮影室、控え室、式場、披露宴会場など、ところてん方式で送り出される新郎新婦達の行列、その脇を研修の合間にトイレへ行ったり来たりの私、“あ〜、来週は我が家の結婚式だ”っと、焦りの吐息。新しい門出を祝い披露するその風景(光景)に、口をついて出た歌がある、”THIS SONG FOR YOU”(バッヘルベル『カノン』より・歌:白鳥英美子、作詞:Linda Hennrick、作曲: 梅垣達志)、大好きな「祈り」の歌だ。

我が家と言っても私の娘ではなく愛姪(姉の娘)だが、こどもの居ない私にとっては、周囲、自他共に認める私の娘。この姪については、さくらの独り言でも度々触れてきた、私にそっくりの、暴れん坊美少女、“有紀”だ。彼女が私の元から、とうとう行ってしまうのかという寂しい気持ちと、人生のまた一つの出発が出来るのだという喜び、そんないくつかの想いが複雑に行き交う。ついこの前まで、甘えん坊で泣き虫で私を頼りきっていた姪が嫁に行ってしまい、違う人を頼り、違う人と「家」の「庭」」を築き育てることが、私にとっては信じられない夢のよう、まるで自分が一瞬にして老いた浦島太郎の気分に陥る。こどもを持つ親というものは、こどもの数だけ、こんな想いをするのだろうな・・・と、子を宿したこともない私のかすかな思い込み実感。そしてやはり、どんな想いが交差しても、この「祈り」の歌が私の心に充満する。これから挙式までの一週間、この歌詞を祈りとして歌っている自分でいたい。ここにその歌、”THIS SONG FOR YOU”を紹介する。

『 May you stay free. May your days be sunny days. May all your nights shine with moon and stars to light your way. May you dreams all come true. And remember I sing this song for you. May you grow strong. May you help your fellow man. May you be kind, may you always try to understand. May your skies all be blue. And remember I sing this song for you. May you strive to give only your best. May you bring peace and love and happiness. May your sorrows be few and all your life, remember be a song for you for you for you. Be a song for you. May your heart learn to fly. May God speed wherever you go and when you reach journey’s end. May every road lead you home again. Whatever you do all your life, remember I sing this song for you.
あなたがいつも自由で 毎日が太陽に恵まれた日でありますように 暗い夜道で迷うことのないよう 夜の月と星が あなたの足元を照らしてくれますように 夢はひとつ残らず叶いますように そして忘れないで 私があなたの為に歌っていることを
強い人間になれますように 生涯のパートナーを助け 思いやり深く 人の気持ちを理解するためには いつも努力を惜しみませんように いつでも青い空に見守れますように そして、忘れないで 私があなたの為に歌っていることを
全力を尽くすが為に 自分と戦いますように 心からの安らぎと 愛と幸せに満たされますように 願わくば悲しみが訪れませんように そしていつもどんなときでも忘れずにいてちょうだい この歌を あなたのためのこの歌を
あなたの心が翼を持ち 神の祝福がいつも共にありますように 旅の終わりにさしかかった時 永遠の愛があなたを私たちのもとへ帰ってきますように 私たちのもとへ帰すだろう 何をするときも決して忘れずにいなさい どんな時も忘れないで 私があなたの為に歌っていることを あなたのために歌っていることを(対訳:koko田代より)』

人の出会いというものは、男女の結婚であれ何であれ、「縁」というものがあるのだろうが、確信を持っていえること、それは、どんな出会いでも、隠された「祈り」の存在、そしてその支えである”for you”ということ。さらにその「祈り」の真実を知るのは、自分が「愛する誰かのための祈り」を実体験した時だと思う。姪の結婚式、緊張のあまりトイレへ行ったり来たり・・・いやいや、しんみり瞑想・・・絶対泣かないぞっ、と呟く、さくらの独り言。

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

花束の添付洒落とも本気とも

指切りに親指そっぽ向いている

歯の浮いた世辞がくるりと後ろ指

さよならと金の切れ目が言われてる

裏切って日向を歩く薄い影

( ニュースやぶにらみ )

「怖い乱気流」
空よりも社内の −日航社長

「未だメダルゼロ」
みんな滑っちゃった −日本選手団

送金指示メール否定
イエスマンがノーと言ってるのだから −小泉首相

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

連載「夫と私 」  
                   椿事の日( 20 )
 旧友たちが見舞いにきて帰った後のことである。
「しゃべるという当たり前の行為ができなくなった辛さは、人生の楽しみが三分の一に減ったのと同じことだ。オマエには分かるまい?」
 夫はメモ用紙に書いて私に渡した。
「これからどう生きていったらいいのだろう。オレは淋しい、淋しい」とも・・・・・・。
 私にだって答えられない。いまさら何ができるのだろう。当人が考えるしかないと思う。
夫が本を読んでくれという。私は、落ちこんだ夫を励ますにはこの本しかないと星野富弘さんの闘病記録『愛、深き淵より』を手にとった。
 星野さんは、中学の体育教師になってわずか二ヶ月目、クラブ活動の指導中に不慮の事故で頚椎損傷を負い手足の自由を失う。九年間の闘病生活で二度の気管切開をするが治癒。不治のまま退院。手足の運動機能は回復しなかったけれども、口に筆をくわえすばらしい詩画を発表し、日本国内はもとより海外でも詩画展が開かれ多くの人たちを勇気付け感動を与えつづけている。現在は下顎レバーで動かせる車椅子で散歩し静かな生活を送られている。
――私はちっとも悲観していないわ。バイオプシー(組織検査のこと)の結果、癌因子も消えていた。気管切開しても傷口さえ治れば穴は塞ぐ、大丈夫、生きられる――
そんな思いを込めて読み始めた。
けれども、痰が気管にたまるので時々吸引しなければならず、最後まで読み終えることはできなかった。

痛み止めを飲むと副作用で便秘がちになり苦しむ。知り合いに「コロン・クリニック」があることを紹介され、夫を連れていった。便が出ると楽になった。その翌日のことである。
「あかん。苦しい、ほんまにあかんワ」
 吸引すると、粘っこい塊がゴボッと出た。それでも苦しい。吸引管の届かない奥になにか詰まっている感じがするという。
「頼む、助けてくれ、精神的に」
 自分の無力を感じる。
 夫は何回目かの遺書を書き始めた。
――未練がいっぱいだ。死にたくないが寿命ならしかたがない。もう一度フランス、ドイツ、イタリヤなどヨーロッパの国境をジグザクにレンタカーで走りたかった。オマエと気ままな旅がしたかったのに残念だ。オレが死んだら友だちと行ってこい。明日、明日と思っていると後悔するぞ。人生は短い、愉しめ。だがな、自分の範疇をわきまえて行動することが肝心だぞ。
 子供に金は遺すな。冷たいようだけれど、幸、不幸は金ではない。本人の問題だ。家の一軒も遺してやれば上等だ。家のガラクタは電話一本でとりにきてくれる。キャンピング・カーは敬老ナーシング・ホームへ寄付してもよし―― 
 会いたいと思う日本の友人へも書いた。
 その日、パルロス・ベルデス半島の東側中腹に雹が降った。雹は雪になり氷になった。
 隣家の屋根が見る間に白くなり、我が家の裏庭も前庭も池のようになり氷が浮かんだ。道路は川になった。温暖なロサンゼルスの椿事を夫と私は黙って眺めていた。

                                            つづく

 

編集後記

期待ばかりが先行したトリノオリンピックは心配した?とおり期待はずれの結果が続いています。毎日毎日「惜しかった、残念、もうちょっと・・・」というニュースばかりが聞こえてきます。さあどうなるでしょうか?
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Zakkaya Weekly No.510

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com