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NO.506                Ryo Onishi              1/22/2006   

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河合さんの さくらの独り言 川柳 & コント 森田さんから ホームページ
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雑貨屋のひとり言

マンションの耐震強度偽装問題でもめている最中に、今度はライブドア事件で日本中、世界中に衝撃が走っています。信じられないことが起こる世の中です。でもこんなときにぐらっと本物の地震が起こらないことを祈りたいです。
ついにフィルムカメラがデジタルカメラに移行してしまいましたね。持っている一眼レフのフィルムカメラは骨董品になるので大事に保管しておきます。(R.O.)

あまり知られていないL.A. 観光スポット(187)

 Schabarum Regional Park(ロサンゼルスの梅便り)
 ロサンゼルスは新年とともに梅花の季節がやってきました。日本の水戸・偕楽園と姉妹
公園の関係にあるシャバラム・リージョナル・パーク(Schabarum Regional Park)は毎年1月から2月にかけて見事な紅梅、白梅が一面に美をきそい私たちを楽しませてくれると同時に、春の訪れを知らせてくれます。

 この公園はロサンゼルス・ダウンタウンの東、約15マイル(25km)にあるリクリエーション施設の整った公園で、640エーカーの広さを誇り、敷地内には野性味豊かな森と明るい草原などが点在し、ハイキング、ピクニック、乗馬、バードウオッチングをはじめ自然と親しむ人たちの憩いとリクリエーションの場となっているところです。

この広い敷地の一角に梅林があります。この梅林は1989年に当地でビジネスを展開する日系企業、地元の日系社会などからの寄附金に加え、梅で有名な日本の偕楽園(水戸市)のある茨城県からも支援を受けて作られたものです。

その際500本の紅梅・白梅が植樹され、以後毎年見事な花を咲かせ、私たちを楽しませてくれます。

この梅林がもとでこの公園は1992年(平成4年)2月に偕楽園と姉妹公園を締結しています。
 
今年は梅の開花条件が良好だったようで、例年より早めの開花となっています。1月中旬から下旬にかけて満開となりそうです。私たち夫婦が取材に行ったのは1月15日でした。7分咲きぐらいでした。(写真はその時のものです)

● 住 所:17250 East Colima Road, Rowland Hights, CA 91748
● 電 話:(626)854−5560
● 開園時間:6:30am〜6:00pm(10月〜4月)
           6:30am〜8:00pm( 5月〜9月)
● 入園料 :無 料(但し週末及び祝日は乗用車$4)

                     河合 将介(skawai@earthlink.net)

行き方は次の通り(Torrance方面よりの場合)
(1)、FWY #91(東)― FWY #605(北)― FWY #60(東)へ。
(2)、FWY #60へ入って約6マイル進み、Azusa Ave. で降りる。
(3)、Azusa Ave. で降りたら右折(南へ)、2つ目の信号機のあるColima Road を左折、すぐの左側にSchabarum Regional Park 入り口があるので入る。Park へ入ってしばらく公園内の道沿いに進むと梅園がある。
(4)、全行程 ;(Torrance方面からの場合)約33マイル、ドライブ約40分。

さくらの独り言銀世界

大型台風関東上陸の天気予報が“狼少年”だと冗談話で笑えた昨年夏とは裏腹に、今年は新年早々、天気予報が大当たり、昨日1月21日、東京都心では8年ぶりの積雪を記録した。未曾有の豪雪で災害を被っている深刻な雪国の方々には申し訳ないが、南国育ちの私にとって雪は憧れ、童謡に出てくる犬の様に庭を駆け回りたくなる。10数年住み慣れた米国中西部の冬は、マイナス気温や積雪40〜50センチが普通、積雪あってこそ冬、春の美しさが楽しめると思う私。牡丹雪があっという間に世界を覆い、銀世界化する時、全てが音を失くしてしまったかのように静の時となる。これは、地上の全てが聖の時となるようにさえ思えるのは、私だけだろうか。

昨日未明から降り始めた雪は、音もなく“しんしん”と降り積もった。朝まだ暗い空中が、濃霧とは違う白さに包まれている。まるで、白い絹の幕が天から地上に降ろされている様だ。敬愛する兄貴分・玉三郎こと中條氏の母君(大正9年お生れ)久子さんが昇天なさった。中浦和駅傍の葬儀場にて午前8時から行われた告別式に、私も参列させてもらった。その往復路、真っ白い雪は止むことを知らず、悲しみの涙も凍るかの様な厳寒となった。出棺時に、また葬儀から帰宅した夜の闇にも降り続く天からの雪を眺めながら、その銀世界に、人の生き様の美しさ、清らかさ、神秘さなどと同時に、勇壮さや儚さまでも連想する。

ところで、今は亡き中條久子さんと初めて会ったのは、今から7年ほど前。米国中西部在住だった私が、日本出張中の合間に埼玉の中條家をお邪魔した時だった。最初に会った時から、随分以前から可愛がって頂いたかのような錯覚を覚える程、親しく楽しく、しかも自然に迎え入れてくれた。その後、中條家をお邪魔する私を玄関で迎え入れてくれる久子さんは、「お帰り!」と九州(鹿児島)訛りで江戸っ子風に言ってくれた。玄関を上がると、まず初めに久子さんのお部屋にある仏壇にお参りをし、そこで久子さんと二人だけで膝を突き合わせ、久子さんの今昔の実話の数々、満州引揚や子育て苦労話、ご主人との想い出話などなどを、笑い泣きしながら聴くのが常だった。時には二人で庭に出て、丹精込めて育てている草花やその成長を見せてもらった。またある時は、自作の句や絵を見せてもらったり、参加しているシニアコーラス等の活動の様子について聞かせてもらったりもした。
そしておいとまする時は、また玄関で、「行ってらっしゃい!次は必ず泊りがけで来なさい」と言ってもらったものだ。私が癌の手術をした時は、見舞いに来てくれ、さりげなく、しかし大胆に、いたわりと女性としての活力を注いでくれた。私にとってこんな中條久子さんは、“薩摩おごじょ”の凛々しさと優しさを兼ね備えた“大正の女”、憧れの一人だった。最初に会った時に、久子さん大好物の一品だと言って頂いたおみやげ、それはとっても硬くて丸いしょうゆ味の江戸おかき。驚くべきは、おかきの硬さにまして、当時80歳近い久子さんの歯は全て、自分の歯だったこと。歯の弱い私には、とても歯の立たぬ、九州女性だった。久子さんとの出会いが私にとって特別な意味をもっていたのは、久子さんに可愛がって頂いたからとは勿論言うまでもないが、同じ九州の女性であったこと、私の母と同じ名前の“久子”だったこと、そして、大正、昭和、平成を生き抜いた女性の“運命”のもつ粋、力、愛の織り込まれたドラマの響きだったのだと思う。最後の別れは、真っ白い雪のようなカーネーションを、お棺に眠る久子さんの御足の元に添えた、3つの時代を駆け抜けた足元に。降り続く真っ白い雪の中に消え行く久子さんを乗せた黒い車を見送りながら、またひとつ、大正の華を失った寂しさでいっぱいになった。

今朝まで積もっていた雪は、闇の中から昇った太陽の光であっという間に溶けた。葬儀を終えた中條さんからのメールの一節、「人間の命というものがあんなにあっけなく終焉を迎えるものとは思いませんでした」が、心に響く。潔く逝ってしまった久子さんとの別れを思いながら、人生って銀世界が溶けて流れるようなものだなと、天幕の雪から顔を出す地面や草花を窓越しに眺めながら思う。そして、雪を振るい落とした木々の新芽は、既に赤くなっていることを知る。溶けゆくこの銀世界の中で、『徒然草』155段を思い出す。「死期は序を待たず。死は、前よりしも来たらず、かねて後ろに迫れり。人皆死あることを知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し」だなぁ、っと呟く、さくらの独り言。

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

歩の愚直笑って俺は桂馬跳び

駒台に ト金ばかりを積み重ね

気負いこむ王手まさかの落とし穴

ライブドアに想定外の王手飛車

株将棋 王より金を可愛がり

( ニュースやぶにらみ )

「私の資産」
姉歯マンションとライブドア株 −どん底人生

「偽装、偽計、偽証」
「偽」だな −今月の漢字

「米産牛肉に脊柱」
骨抜きにされていた −輸入再開の条件

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

連載「夫と私 」  
                 鼻歌( 16 )
  三月末に医師から夫の癌告知をされたことが、私の頭から離れなかった。早くて三ヶ月から六ヶ月、長くて一年。それから、半年も過ぎた。病状がよくなっているとはいえ、不安がなくなったわけではない。
――もし夫がいなくなったら――
そう思うと、とことん落ち込んだ。ひとりの生活に自信がない。どこへ行くにも、マーケットの買い物でさえ夫とふたりで行っていたのに。考えると震えるような寂しさに襲われた。そんな折だった。中学校の体育教師になって二ヶ月目、クラブ活動の指導中に頚椎損傷で首から下が麻痺して口に絵筆をくわえ詩画を書いている「星野 富弘」さんの詩に出合った。

   いのちが一番大切だと思っていたころ
   生きるのが苦しかった
   いのちより大切なものがあると知った日
   生きるのが楽しかった
 
 私は「いのちより大切なもの」がなにかわからない。けれども、この詩を反芻していると不思議に心がおちついた。自分が生きているのではなく、すべてのものに生かされていると考えると気持ちが楽になった。明日のことを思いわずらってもしかたがない。運命に従うしかないと思うと、なにかがふっきれた。
 喉の内側に切れ目をいれるdilation 手術の日が決まった。
 十一月十六日、蒼白い空に月が冴えている早朝、私と夫は病院へ車を走らせた。
「声を失うより、片方の足がなくなるほうがいい。話せないほど辛いことはないからなぁ」
 夫がいった。
「ドクターは『話せます』といっていたわ。大丈夫よ」
 とはいっても、なんの慰めにもならない。
 朝七時に手術室に入っていった夫と会ったのは、正午過ぎだった。血の気のない青い顔をした夫が車椅子に乗せられて私が待っている部屋へきた。
「手術が終わってからレントゲン室に運ばれてバリュームを飲まされたんや、けれども、飲みにくうて脂汗がでた。倒れそうになったのに『もっと飲め、もっと飲め』いうてな、鬼みたいな看護婦やった。頭にきたからトイレに行ってウンコをしたが流してやらずや」
 夫は、餓鬼大将のようないたずらっぽい顔をしていった。
「経過は良好です。痛みがとれるまで半年かかります。なるべく喉は使わないように、腫れが引けばもう一度手術をしましょう」
 手術を担当した耳鼻咽喉科のL医師がいった。
 それから十日後、結果を聴きに癌化学療法医のG医師の診療所へ行くと、
「バイオスピーをした結果、食道の癌因子はなくなっていました」
G医師は夫の手を両手に包み込んで、喜んでくれた。
「バンザーイ ! 」
 私は心のなかで叫んだ。
 診療所を出ると小雨が降っていた.夫も私も鼻歌まじりで家路についた。

    いちょう並木に 春がくる
    君にもくるよ しあわせが

『宗右衛門ブルース』の一節である。
                                            つづく

 

編集後記

寒い日が続きます。ロシアではマイナス30度以下のものすごい寒さでたくさん死者がでているようですし、オーストラリアでは40度以上の暑い日がつづいているらしいですね。メリハリがあるといえばありますが・・・つらいですね。
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Zakkaya Weekly No.506

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com