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No.472          Ryo Onishi               5/29/2005   

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雑貨屋のひとり言

■次から次へと事件が起こり、メディアはニュースに事欠きません。
こんなにいろんなことが起こり、情報が入ってくると、何が起こっても驚かなくなってしまいそうでちょっと怖い気がします。そんなニュースをすばらしい投稿者によってわかりやすく説明されている雑貨屋はうれしいですね。
■電気店でマッサージ器を試す機会がありました。座るだけで体の状態を分析して肩や腰だけでなく腕や足までマッサージしてくれる優れものがあります。ものすごい進化に驚きました。結構な値段ですが年に50万台も売れていると聞いてまた驚きました。(R.O.)

れらマジョリティ(多数派)!

米誌ニューズウィーク2月28日(2005年)発売号の記事によると、世界中で英語を母国語以外の言葉として話す人がますます増加し、その数は英語を母国語とする人の3倍にも達しているのだそうです。
同誌によると、アジアだけでも英語を話す人は米国、英国、カナダ3か国の総人口にほぼ匹敵する3億5000万人を超えたとのこと、また、今後10年で世界の人口の半分近い約30億人が英語を話すようになる見通しだと書いています。
これらの人々の中には、その国の国語を英語にしてしまっているところ、国語は自国語でありながら英語も公用語として採用している国などなど複雑でしょうが、今や英語が世界語になっていることは認めざるをえません。インターネットの普及がこの現象をさらに加速させているようです。

英語を母国語としているところ(国)でさえ多くの異なった英語があります。いわんや英語以外の母国語を持ちながら何らかの事情で英語を使う人たちは完璧な英語(何を持って“完璧”というか議論の余地がありますが)を使いこなすことは困難です。

上記ニュースウイークの記事にも、「英語人口の拡大に伴い、タガログ語が一部持ち込まれたイングログ(Englog)、ヒンディー語と混合したヒングリッシュ(Hinglish)など、世界各地で「新英語」が次々と誕生している」とあります。ジャパニーズ・イングリッシュ(Japlish?)を含むこれらの「新英語族」が「英語母国語族」を大きく凌ぐようになったということは、英語に関して我ら「新英語族」の方がマジョリティ(多数派)であり、「英語母国語族」はマイノリティ(少数派)になのだということになります。

何年もアメリカに滞在しながら、いまだにブロークン・イングリッシュに劣等感を持ち英語を苦手とする私ですが、考えてみたら私もマジョリティ(多数派)の一人であることに気付きました。

『そうだ!我らマジョリティ(多数派)、もっと自信を持とう!!』
(陰の声:本当はいつまでも上達しない語学力に下手な言い訳をしているだけだね)

                                                               河合将介( skawai@earthlink.net

さくらの独り言バラがさいた」

最近、朝、マンションの玄関を出てから駅へ向かうその途中、ある歌の一節を無意識に口ずさんでいる。『♪〜バラが咲いた、バラが咲いた真っ赤なバラが〜♪』、心なしか、足取りも軽い。佃に移り住んで5年、この地域の些細な事象やその変化に、以前よりもまして私の心が対話(響き合い)しようとしている。それはこの地域の「命」あるもの、見えるものにも見えないものにも。この地に自分が、そしてこの地が自分に、互いに融け始めたことを意味する。それは、いつまでも散らない小さなバラが、私の心にもあるという喜びかもしれない。

一雨ごとに噴出した新緑に、まるで宝石を散りばめたように薔薇の花の蕾がついて、みごとに開花した。マンションの正面玄関を出たガーデン・ロードは、今や赤と薄ピンクの薔薇の花ざかり。隅田川と東京湾から吹く潮風が、心なしか洋風のかほりと融合する季節、ゴージャスだなと感じる。咲いた薔薇を眺めつつ、駅の方へ向き直り、歩き出す。そして口ずさむ「バラがさいた」(作詞:作曲:浜口 庫之助)。
『バラが咲いた バラが咲いた 真っ赤なバラが さびしかった僕の庭に バラが咲いた
たったひとつ咲いたバラ 小さなバラで さびしかった僕の庭が 明るくなった
バラよバラよ 小さなバラ いつまでも そこに咲いてておくれ
バラが咲いた バラが咲いた 真赤なバラで さみしかった僕の庭が 明るくなった 
バラが散った バラが散った いつの間にか 僕の庭は前のように さびしくなった
僕の庭のバラは散って しまったけれど さびしかった僕の心に バラが咲いた
バラよバラよ 心のバラ いつまでも ここで咲いてておくれ
バラが咲いた バラが咲いた 僕の心に いつまでも散らない 真赤なバラが』
『星の王子様』(サン・ティクジュベリ作)の一節をモチーフしたことでも有名になったこの詞(歌)は、私が小学校入学の頃、流行し、今では学校教材にも起用され、この歌を知らない人はいないと思う。

ところで、花束といえば「バラ」、それはいったいどんなものか。なんとその発生は3000万年前の化石から野生薔薇の一部が確認されたことからしても、その歴史は想像以上に古い。ヒマラヤ辺りがその発祥の地と言われているが、確証はない。古代の薔薇から現代の品種への変遷をみると、なんとハマナスを含む約8種類の野生薔薇が祖先種・原種といい、それにまつわる神話や逸話、開発や改良、文化や習慣など、世界の色々な地方や時代によって、大変興味ある資料が多い。花言葉は愛や恋に連想するものが多く、またその種分けも色に加え咲き方も対象となるため、花言葉の数が多い。例えば、咲き方分類では、つぼみの薔薇は「恋の告白」、ひとえ咲き薔薇は「淡泊」、満開の薔薇は「秘密」、トゲなし薔薇は「初恋」。色の分類では、赤は「愛情・情熱・内に秘めた愛」、ピンクは「温かい心・一時の感銘」、赤白班入は「満足・戦い」、黄色は「薄らいだ愛・やきもち・嫉妬・誠意のなさ」、白は「純潔・尊敬・私はあなたにふさわしい」などという(花言葉集)。近年、日本の某会社が、10年におよぶ共同研究の末、世界初の青い薔薇作成に成功した話は有名だ。人類の卵も生存しなかっただろう3000万年前に生まれた薔薇が、今や遺伝子組み替えによって体系を変えさせられている世の中だ。人間が心に咲くバラも、いつかは、遺伝子組み替えによって作れると錯覚する時代になるのではないかと、恐くなる。

これまで、特別に好きではなかったバラの花の開花に、初夏を喜び、歌を口ずさむ自分の変化やその発見は、なかなか面白い。深い意味は別に無い。ただ、こんな些細なことに、朝の出勤時に余裕をもてる自分の生活、独りであるくその道に、なんとなく潤いを感じ、嬉しい。咲いた花は散る。でも、散らない花を心に咲かせたいと思う自分を自分が喜んでいるのだと思う。これを書いている今、高層マンションの中心に在する佃小学校から発する運動会の歓声波が響き渡っている。こどもから老人までが、その響きの中に居る。そしてその歓声の風に、薔薇が大空へ向かって笑っている。そう感じると、自分の心の中に散らないバラも咲いている気持ちになる。「♪〜バラがさいた、バラがさいた、真っ赤なバラが〜♪」っと、歌うさくらの独り言。

kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

ハイチーズじいちゃんチャック開いてるよ

また皿を割ってるうちのサザエさん

ラーメンを外れ馬券がすすってる

4打目もまだバンカーで遊んでる

まな板の鯉胃カメラに口を開け


( ニュースやぶにらみ )

「民主党、審議拒否」
想定内  −小泉首相

「靖国参拝問題」
参ったと言わせてやる −胡中国
参ったと言ってやる −小泉首相

「長い長い戦後」
昭和80年か −ミンダナオ島の元日本兵

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから


  森田のりえ  noriem@JoiMail.com

 

 

 

編集後記


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Zakkaya Weekly No.472

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              tenshu@zakkayanews.com