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No.471          Ryo Onishi               5/22/2005   

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雑貨屋のひとり言

一ヶ月前、高槻でお会いした中條さんに先週、東京で再会することができました。とてもすばらしいひと時を過ごすことができました。
中條さんのようにロスやトロントで知り合った仲間は何故か波長が合います。
日本でもこういうつながりを持てる人を探したいと思っています。
ちょっと前に、ロスから北野さんが帰国されていることがわかりました。関西におられるのでこれまた楽しいお付き合いを再開できるととても喜んでいます。(R.O.)

もったいない話

 アフリカで緑化運動を進めた功績から昨年ノーベル平和賞を受賞したケニアの女性環境保護活動家(副環境相)、ワンガリ・マータイ女史(64)が来日中に感銘した日本語として紹介している『もったいない』が大きな反響を呼んでいるようです。 
先日スタートした愛知万博(愛・地球博)でも小泉首相はこの言葉を開会式の挨拶に取り入れ、政府としても『もったいない』キャンペーンを展開する考えを示したそうです。
日本国内の自治体(富山県・立山町など)でも「もったいない係」が誕生、ごみ減らしや再利用など町民参加型の環境運動を後押しするとのこと、私たち日本人は改めて『もったいない』の大切さと日本の良さをマータイさんから教わったことになります。

マータイさんは27年間にわたりアフリカで植樹活動を続け、これまで三千万本にのぼる植樹を行った「グリーンベルト運動」の創設者であり、また、女性の地位向上、貧困の解消、平和の確立のために粘り強い活動を実践し続けてきた人なのだそうで、今年2月、京都市で開かれた京都議定書の発効記念行事に参加した際にこの日本語を覚え、“ものを大切にする精神を象徴的に表した言葉”として感銘したのだそうです。

そして彼女は国連の「女性の地位委員会」でもこの日本語を環境保護の合言葉として紹介し、「もったいない」を Reduce(消費削減)、Reuse(再使用)、Recycle(資源再利用)、Repair(修理)の4Rで説明し、「限りある資源を有効に使い、みなで公平に分担すべきだ。そうすれば、資源をめぐる争いである戦争は起きない」と主張したそうです。

 私もマータイさんから刺激を受けて改めて『もったいない』について調べてみました。

日本語辞典によると、そもそも「もったい」とは「勿体」または「物体」と書き、「そのものが本来持っている価値」のことを言うようです。そしてその価値をまっとうできないで、中途半端にうち棄てられることを「もったいない」というのだと知りました。

 本来日本人は世の中のすべて、即ち森羅万象に神仏が宿り、故になにものも粗末にしてはならないという思想を持っています。『もったいない』は、そんな日本古来の思想の現われなので
はないでしょうか。

お米一粒にも無駄にしない思いが我々日本人にはありました。お釜やおひつの隅、駅弁の蓋に付いているご飯粒も粗末にしませんでした。これは決して吝嗇(けち)だからではなく、「もったいない心」のあらわれだったと思います。
 
和英辞典で『もったいない』とひいてみたら“be wasteful”とか“be a waste”が該当するようですが、日本語表現に較べていま一つしっくりしないのは、「もったい」自体が日本的な発想(その上、これは仏教用語?)に基づくものであり、その上、相変わらず「消費は美徳」的発想の強いアメリカですから言葉自体が馴染まないのかもしれません。

だからマータイさんも『もったいない』を4Rで説明したのではないでしょうか。

ところで、ワンガリ・マータイがこんなに感動してくださった日本語『もったいない』ですが、果たして今の私たち日本人が本当に心底から『もったいない』を体得しているかが心配です。

『もったいない』が世界語になって世界中で認知され重視された頃に、肝心の日本ではこの言葉が死語になっていたなんてことのないようにしなければなりません。

私たちが世界に率先して『もったいある』人生を送りたいものです。――― でも現実には、『もったいぶる』人生は簡単ですが、『もったいある』人生はむつかしいですね。

                                                               河合将介( skawai@earthlink.net

さくらの独り言響きと影」

米国から日本転勤が決まった時の住居探しは、担当した不動産業者が驚くほどの超スピードで事を運んだ。それは、「東京に住むなら浅草」という熱き願い、何の根拠もない私の独断と偏見によるものが、がんとしてあったから。従って、あたる物件も限られており、選定に時間を要さなかった。しかし、契約締結寸前になって立地周辺の環境に不具合が生じ、残念ながら諦めた。そして、その浅草居住への私の想いは、大川(隅田川)にそって下流へ運ばれ、今の佃へ落ち着いた。2000年秋のことだった。あれから、5年。USで出会った井出さんの紹介で知った池波正太郎の世界が、再び私を浅草へ導いた。人間の出会いや世界の持つ響きと影に、不思議なものを感じる東京の初夏である。

前号で、私の薦めで池波正太郎の剣客商売を読み始めた73歳になる叔母と一緒に、“池波正太郎氏祥月命日の墓参”と池波正太郎氏と関わりのあった地を訪ね、前号では「お墓参り」、今号では「池波正太郎ゆかりの場所」を紹介すると述べた。浅草で生まれ育ち、下町(浅草・上野)をこよなく愛した池波正太のゆかりの地をすべて訪ね歩くには、かなりの時間を要する。だから、それはまた別の機会に、ということで、今回は、浅草寺とその周辺(それもごく一部)に限ることにした。

池波家墓所・西浅草の西光寺(前号で紹介)を出て、まずは池波正太郎 “通いの喫茶店”『アンジェラス』へ向かう。雷門通りと伝法院通りに挟まれた小さな通り(オレンジ通り)にそのコーヒー店はある。店内に入って直ぐ左の一角の席が空いていたので、そこに腰をおろすや、叔母がさっそく年配の女性店員(もしかしたら女主人?)に質問。
「池波正太郎先生は、この席にも座りましたか?」
「はい、幾度となく・・・」
叔母の顔がほころび、コーヒーを注文した後、店内を見渡す。「池波正太郎もこの席でタバコをふかしながらコーヒーを飲んだのかな?」と興奮しきりの叔母がいう。池波おっかけをしている自分(さくら)のことは棚に上げ、「そんなミーハーみたいなこと大きな声で言わないで」とたしなめつつ、私も店内を見渡し、池波正太郎の影を探す。おいしいコーヒーとケーキを味わったあと、「受け継がれる江戸の心」・「手作りのぬくもりを現代に伝える、鍛え抜かれた技と心」と銘打った『江戸下町伝統工芸館』(ひさご通り)に立ち寄った。小さな建物の狭い展示場だが、お馴染みの“江戸木目込人形”、“東京くみひも”、“江戸指物”、“江戸すだれ”、“江戸刺繍”、“江戸押絵羽子板”、“江戸甲冑”、“今戸焼き”、“江戸漆器”、そして“江戸衣裳着人形”などを叔母の若かりし頃の話と説明を聞きながら、堪能する。 叔母の青春の影と私の江戸文化への憧れが、微かに響き合った。幸せだなと、思った。

「池波正太郎ゆかりの場所」散策の終点は、やはり浅草寺。人ごみと人並みが大嫌いな私も叔母の薦めで本殿(観音様)参拝。しかし、いっときも早く人ごみを避けたい私の足は、気付いたら『影向堂(ようごうどう)』に着いていた。ここは、『十二支それぞれ生まれ年の守り神。平成6年、浅草寺中興開山慈覚大師の生誕1200年を記念して建立された』とある。この“影向”とは、『影は形に従い、響きは音に従う。これ、仏の心なり』という意味らしい。この言葉を前に、叔母も私も無言のまま、深くうなずいた。池波正太郎ゆかりの地の締めくくりが偶然にもこの言葉であったことに、なんとも言えない満足感に浸り、歩き回った疲れもふっとんだ。陽はすでに傾きかけていた。叔母と私の二つの影が、昼間より長く伸びていた。そして、二人の何かがまた響き合ったような気がした。ここ“世界のTOKYO”で、このようにささやかな幸せを感じる初夏のひと時、池波正太郎に、そして池波ワールドへいざなってくれた井出さんに乾杯!・・・っと呟く、さくらの独り言。


kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

多機能のスイッチ欠伸したまんま

先送りした難問と昼寝する

温泉の素で我が家の草津節

その嘘にもう騙されぬイヤリング

巡り会いから捨てました無神論

( ニュースやぶにらみ )

「高額納税者一位はサラリーマン」
ええっ  −脱サラ自営業者

「甘い蜜」
危ない橋の向こう側に −橋梁談合8社


「足し算」
5+5=5  ージャイアンツ

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

花の都にて( 2 )
 
  アルノ河に沿ってできたイタリア中部の街フィレンツェを旅している。
 胸をときめかせて見てまわった天才たちのルネサンス芸術や教会も、四日目ともなれば飽きてきた。泊まっているホテルは、六世紀のビザイチン様式の牢獄だったという塔がある建物で、とにかく、街全体が歴史博物館のようなのである。
 明日はミラノに行くという日の午後、私たち家族三人、丘の上のミケランジェロ広場を目指してホテルを出た。目抜き道りをあるいていると行列をつくっているアイスクリーム屋があった。娘が「食べようよ」と、しつこい。理由を聞けば、
「アイスクリームはイタリア語でジェラードといい、生みの親は、フィレンツェをルネサンス芸術の街にしたてあげたメディチ家だから、本場で食べなくちゃ」
 この店はイタリア中で一番美味しいと定評があるとガイドブックに載っているという。それならばと列に並んだ。料理番組に出てくる味見役のようにおいしく頂きたいが、歯にしみるので私は冷たい物が苦手である。。
 裏街の路地を歩く。石造りの四、五階建てが両側に並ぶ狭い石畳の路を歩いていると、突然、広場に出た。政庁舎の前にあるシニョーリア広場は露天商で賑わっていた。十四世紀、修道士のサヴォナローラが火あぶりになった場所で、その火刑跡があるはずだ。いまでも花束が絶えないというからぜひ見たいと思い、露天売りのおじさんに尋ねた。だが、私の英語では通じない。娘に代弁してもらうと、
「ほら、あそこに丸型の石がはめこまれているだろう」
 おじさんは身を乗り出して教えてくれた。
「おまえなぁ、人が殺された跡をみて、どうするんだ。しかも昔の話だろう。行くぞ、行くぞ。そんなものまでじっくり眺めていたら日が暮れてしまう」
 といった夫が水彩画を売っている若者の所で足をとめた。
「手描きだよ。これはいい。大きさも手ごろだし、街の名所が描いてある。そうだ、これをお土産にしよう」
 夫の話を聞いていた若者は、
「ファイブ・ダラー」
 と、すかさずいった。
「これ、あなたが描いたの」
 そうだよ、と若者がいったような気がした。私たちは十枚ほど買い求め、ロサンゼルスに戻って良く見ると全部プリント絵だった。
 アルノ河に架かるベッキオ橋の両側に貴金属店がずらりと軒を連ねていた。雑踏のなかで、たちまち私と娘の歩調が乱れた。
「よそ見しないでさっさとついてこないと迷い子になるぞ ! そんなに欲しいのなら、帰ってから宝石の問屋へ連れて行ってやる」
 安いとか高いといった問題ではない。高校卒業前の娘と親子三人でイタリア旅行をし、フィレンツェの由緒あるベッキオ橋で買ったという記念である。夫は、知らん顔をして先へ、先へと歩をすすめた。女心の分らない男である。
 ミケランジェロ広場がある丘の上までつづく長い石段をのぼりつめると、足がふるえてきた。しかし、いい眺めだ。街が一望のもとに見わたせる。街の中心あたりに群を抜いて見えるレンガ色のクーポラを戴いた花のサンタ・マリア大聖堂が、花の都フィレンツェを象徴しているかのように青空に浮かび上がっている。アルノ河に架かるアーチ型の橋桁。街を包みこむような丘陵の重なり。美しい古都である。なぜこの街にかくも華麗なる文化が花開いたのだろう。どんな歴史的ドラマやロマンを秘めているのだろう。
 いつかまた天才たちが活躍したこの街を訪れる日がくるのだろうか。
 その時は、この街の歴史をじっくりと勉強して来たいものだと思った。
  森田のりえ  noriem@JoiMail.com

 

 

 

編集後記

■中條さんから紹介していただいた、静岡県の大吟醸「富士錦」は、飲んだときのふくよかなかおりと味わい、すべてにおいてインパクトがありました。地元にいくことがあったら是非、賞味したいお酒だと思っています。
■宮里藍選手の2週連続優勝は驚きました。すごいですね。横峯さくらが最近、もうひとつなのが気になりますね。それにしても男子プロより、女子プロの方が視聴率も入場者数も多いのが気になります。
■イギリスで見つかった謎の人が話題になっていますね。いろいろな憶測が広がっていますが、真相はどうなっているんでしょうか? 
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Zakkaya Weekly No.471

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
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