アフリカで緑化運動を進めた功績から昨年ノーベル平和賞を受賞したケニアの女性環境保護活動家(副環境相)、ワンガリ・マータイ女史(64)が来日中に感銘した日本語として紹介している『もったいない』が大きな反響を呼んでいるようです。
先日スタートした愛知万博(愛・地球博)でも小泉首相はこの言葉を開会式の挨拶に取り入れ、政府としても『もったいない』キャンペーンを展開する考えを示したそうです。
日本国内の自治体(富山県・立山町など)でも「もったいない係」が誕生、ごみ減らしや再利用など町民参加型の環境運動を後押しするとのこと、私たち日本人は改めて『もったいない』の大切さと日本の良さをマータイさんから教わったことになります。
マータイさんは27年間にわたりアフリカで植樹活動を続け、これまで三千万本にのぼる植樹を行った「グリーンベルト運動」の創設者であり、また、女性の地位向上、貧困の解消、平和の確立のために粘り強い活動を実践し続けてきた人なのだそうで、今年2月、京都市で開かれた京都議定書の発効記念行事に参加した際にこの日本語を覚え、“ものを大切にする精神を象徴的に表した言葉”として感銘したのだそうです。
そして彼女は国連の「女性の地位委員会」でもこの日本語を環境保護の合言葉として紹介し、「もったいない」を Reduce(消費削減)、Reuse(再使用)、Recycle(資源再利用)、Repair(修理)の4Rで説明し、「限りある資源を有効に使い、みなで公平に分担すべきだ。そうすれば、資源をめぐる争いである戦争は起きない」と主張したそうです。
私もマータイさんから刺激を受けて改めて『もったいない』について調べてみました。
日本語辞典によると、そもそも「もったい」とは「勿体」または「物体」と書き、「そのものが本来持っている価値」のことを言うようです。そしてその価値をまっとうできないで、中途半端にうち棄てられることを「もったいない」というのだと知りました。
本来日本人は世の中のすべて、即ち森羅万象に神仏が宿り、故になにものも粗末にしてはならないという思想を持っています。『もったいない』は、そんな日本古来の思想の現われなので
はないでしょうか。
お米一粒にも無駄にしない思いが我々日本人にはありました。お釜やおひつの隅、駅弁の蓋に付いているご飯粒も粗末にしませんでした。これは決して吝嗇(けち)だからではなく、「もったいない心」のあらわれだったと思います。
和英辞典で『もったいない』とひいてみたら“be wasteful”とか“be a waste”が該当するようですが、日本語表現に較べていま一つしっくりしないのは、「もったい」自体が日本的な発想(その上、これは仏教用語?)に基づくものであり、その上、相変わらず「消費は美徳」的発想の強いアメリカですから言葉自体が馴染まないのかもしれません。
だからマータイさんも『もったいない』を4Rで説明したのではないでしょうか。
ところで、ワンガリ・マータイがこんなに感動してくださった日本語『もったいない』ですが、果たして今の私たち日本人が本当に心底から『もったいない』を体得しているかが心配です。
『もったいない』が世界語になって世界中で認知され重視された頃に、肝心の日本ではこの言葉が死語になっていたなんてことのないようにしなければなりません。
私たちが世界に率先して『もったいある』人生を送りたいものです。――― でも現実には、『もったいぶる』人生は簡単ですが、『もったいある』人生はむつかしいですね。
河合将介( skawai@earthlink.net
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