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No.466          Ryo Onishi               4/17/2005   

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雑貨屋のひとり言

先週、甲子園球場に阪神・巨人戦を観に行きました。熱狂的応援をおこなう三塁アルプススタンドでの観戦でした。冷え込みが予想されたので、アルコールを持参しての応援でしたが、残念ながら阪神は負けました。
女子プロゴルフ期待の横峯さくらが、いつもけんかばかりしているお父さんとの二人三脚で初優勝を勝ちとりました。良かったですね。今年の女子プロはますます面白くなってきました。
(R.O.)

笑いは百薬の長

新聞記事(羅府新報Mar.9,’05)によると、人間は笑うと血管が広がり血液の流れがよくなることがわかったと、米国メリーランド大学の研究チームが先ほど発表したそうです。そしてこの研究チームは「週3回の運動と毎日15分の笑いを」と勧めているそうです。

 健康な男女20人にお笑い映画と戦争映画を見せ、それぞれの映画の前後に超音波で血流を測定したところ、お笑い映画を見た後では20人中19人の血流が平均で22%増えていたが、戦争映画の後では逆に14人の血流が平均35%減っていたそうです。

 これまでにも、笑いは「免疫を高める」、「ストレス関連物質を減らす」などの効果が知られていましたが、血流への好影響についても解明されたことになります。

「笑い」にとって欠かせない要因の一つは「ユーモア・センス」です。一般にアメリカ人にとって「ユーモア・センス」 とは、その人の人格をあらわす重要な要因の一つとなっています。彼らは会話やスピーチの中で、いかにセンスに富んだジョークを披露するかを競い合っています。

「個人主義」や「合理主義」が中心のアメリカでは、対人関係において単なる潤滑油に過ぎないユーモアやジョークはあまり重視されないように思われがちですが、実は多数の中で個人の存在を印象付け、相手を引き付けるという意味では、ユーモア・センスこそ「個人主義の象徴」と言えるのかもしれません。
  
それにひきかえ、一般に日本人はユーモアを軽んずる傾向があり、特に仕事中では気のきいた冗談でさえ不謹慎とされることがしばしばです。日本にもユーモア・笑いの文化は古くから存在していますが、それは寄席やテレビから“与えてもらう”ものであり、一人一人がセンスを磨き身に付けるという意識は希薄です。我々はもっとユーモア・センスを磨き「笑い」を取り戻すことを考える必要があるのではないでしょうか。

「笑い」はただ待っていてもやって来ません。こちらから積極的に出向いて行くことが必要です。
私は「前向き人生は洒落たユーモアから」を人生のモットーの一つにしています。対人関係で「洒落た会話」を楽しめば、「ユーモア、笑い」が自然に生まれ、それが「前向きで心豊かな人生」につながると思っているからです。

現代はストレス過多の時代であり、私達はどうしても心がきしみ、ゆとりを失い、苛立つ毎日になりがちです。そこで せめて、きしんだ心へ 一滴・二滴の潤滑油を流し込んであげよう ―― その潤滑油こそ明るい「ユーモア、笑い」 であり、「洒落た会話」 はその強力なサポーターになるのです。

尤も、ストレスといってもすべてが“悪”ではない筈で、私はストレスを「善玉ストレス」と「悪玉ストレス」に区別しています。若さあふれた青春時代、何にでも果敢に挑戦し、心ときめく思いで前進する興奮はまさに「善玉ストレス」でした。シニア世代を迎えて「やすらぎ」という名の安定を得ても、必ずしも心が晴れない場合が多いのは「善玉ストレス不足」だからではないでしょうか。

「笑い」が免疫力を高めるだけでなく、血管を広げ血流を高める好作用があることが解明されたのなら、私は「善玉ストレス」も「笑い」と同じく百薬の長の効果があることを証明してみたくなりました。

                                                               河合将介( skawai@earthlink.net

さくらの独り言左右・・・その2」

「多くの人は皆、成功を夢見、望んでいるが、私は、“成功は、99%の失敗に支えられた1%だ”と思う。開拓精神によって自らが新しい世界に挑み、失敗・反省・勇気という3つの道具を繰り返して使うことによってのみ、最後の成功という結果に達することができると私は信じる」と語ったのは、今は亡き本田宗一郎氏。“車創り”の課題に次々と挑戦した技術・研究者として、また一方では、町工場から今やグローバル企業へと成長した、会社の経営者としての名言となった。仕事と遊びをいつも両極に楽しみ、またオーバラップさせた部分を力にして個の世界を広げた彼のこの名言を、私は仕事と遊びの部分でいつも思い出す。そして「左右」について考える。雑貨屋389号(2003年10月26日発行)の「左右」に続き今回は「左右その2」を呟いてみる・・・さくらも風に舞うひとりごと・・・。

今私は、「9の苦しみ、1の楽しみ」に挑戦している。仕事ではなく、遊び、ゴルフである。下手の横好きとは言うけれど、今の自分は“ゴルフ狂”とも表現できる。それを知った友人知人の親切により、ゴルフを楽しむ機会に恵まれてきた。実際のところ、今はゴルフを“楽しむ”段階ではなく、まだまだ“苦しむ”レベルだが、それでも「また、すぐにでも(ゴルフを)したい」と次なる誘いを楽しみに待つ、という心境になるのだから、ゴルフというヤツ、よほどの魔力を持つスポーツであることに間違いない。その魔力に魅かれてゴルフ場通いを重ねているうちに、“9の苦しみ、1の楽しみ”から、“苦しみ”と“楽しみ“のパーセンテージの差がだんだんと縮まっていることに気付く。それは、右から左へ抜けるスイングとはどういうものか、そして、場面(状況)に応じ、それぞれのクラブの特性を信じて選択を行う、などの技術的なことが少しずつ分かりかけ、また少しずつ実行できるようになってきたからかもしれない。自分の判断と意思でホール・バイ・ホールの戦略を立て、ゴールに向かって一打一打に全神経と現在レベルの技術を勇気をもってぶつけるのだから、結果はともかくとして、“楽しさ“を体感できる余裕が出てきたことだけは確かだ。多くの場合は失敗だが、その失敗と勇気の両極間で、反省というものが前進と後退のいずれもの力となって左右する。この現象が自己との戦いのようで面白い。

ゴルフと仕事をオーバラップさせて考えてみるのも、面白い。これも”楽しみ“の範疇に入るのだ。例えば、スイングの時、左手でリードし、それを右手が補佐する。それが逆になった場合、やたら肩や腕に不要な(というより無駄な)力が入り、頭が動き、スイング・バランスを崩してミス・ショットを招く。これは、仕事では、リーダーと補佐役との”グッド・コミュニケーション“の在りように通じる、と私は考える。また、「ナイス・ショット」と褒められるようないいドライバーを打ち、2打目もそこそこに打てたボールをグリーン近くまで運べた時、「よ〜し、寄せワンでパーを」と意気込む。ところが気持ちだけが上滑り(空回り)してしまい、アプローチのクラブ選択を間違えたり、ザックリしたり、はたまた顔だけが先走りに上がってトップしたり、そしてやっとグリーンに乗せたかと思うと、そんな時に限って3パットなんぞをしてしまい結果は“パー”ならぬ“Wパー”だったり、などがある。これもまた、仕事上のプロジェクトと重なる。クライアントとのいいミーティングからスタート、途中まで順調に作業が進行していたのに、ゴールを目前にしながらフィニッシュ・ワーク(クロージング)で躓くことが、たまにある。判断ミス、力量不足など原因はいろいろあるだろうが、そこはゴルフと違って(そのミスは)企業にとって取り返しがつかない致命傷となりかねない。ゴルフのゴールは、各グリーン上のホールにボールを沈めることだということを、案外忘れているのは、手ごたえのあるドライバーショットの快感を求めている時の自分に多い。これもまた、面白い現象だと思う。

仕事では、強力な補佐役を“右腕”と呼ぶ。ゴルフもまた、左手(左腕)のリードに対し、右手(右腕)はあくまでも補佐役に徹しなければならない。しかしゴルフ初心者の下手な私の場合、右手(右腕)がリードしてしまい、“スイング・コミュニケーション”のバランスを崩してミスを招くケースが多い。ゴルフの場合は、それは自己責任で済まされる。しかし、仕事となれば、プロジェクトの、いや会社全体の責任が問われる。またゴルフでは、右腕が強すぎると、頭(かしら)も体も動いてしまう。これもまさに、仕事にも当てはまる。フェアウェイでは“計算と技術”、グリーン上のパターは“感性”がKEYだともいう。そんなこんなを考えると、ゴルフは右脳左脳の点と線を結んだ創造物ではないかと飛躍したりもするのだ。これもまた、楽しい。ゴルフを課題に心も頭も右左に揺れている、そんな自分もこれもまた楽しい・・・っと呟くさくらの独り言。
kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

抱いていた夢がラッシュに潰される

擦り切れてなおも形状記憶シャツ

税半分 害半分を吸い続け

人情を死語にしている鍵の束

一芸が晴れて役立つ花の宴

( ニュースやぶにらみ )

「漁夫の利」
フジ勝て、ドア勝て −リーマン投資銀行

「空自機事故」
墜落はいけません −日本航空

「年収1億円、維持費21億円」
こんな仕事をしてはいけません −私の仕事館

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

法王  あの時私は( 1 ) 

 何気なく、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が死去されたテレビ・ニュースを観ていると、一九八一年にサンピエトロ広場で起きた法王狙撃事件について報じていた。二十五年前、当時赤ん坊だったという女性がテレビに映し出される。そして、狙撃犯人ではないかと思われる人物がインタビューに応じていた。
「撃とうとしたその時だった。法王が赤ん坊を抱き上げるという思いもよらない行動に私の手元がくるってしまった」
 運よく的を外れ、法王は瀕死の重傷を負ったが助かったのである。
「あっ!」と、思った。
 あの時、私はローマにいたのだ。
 突如、奥深い記憶のフィルムが頭のなかでまわりはじめた。忘れもしない一九八一年五月だった。生まれてはじめてのヨーロッパ旅行だった。夫と私はロンドンへ飛び、ユーレルパスでパリ、フランクフルト、ベルリン、ミュヘンからジュネーブをまわり次はイタリアである。ベェネツィア行きの汽車に乗ったのは真夜中の十二時、スイスのローザンヌ駅だった。乗ったコンパートメントは私たちだけなので、内側から鍵をかけた。
「これなら安心だ。なにせ、夜汽車は泥棒が多いから気をつけなくちゃ」
 そういうと、夫は軽いイピキをかきはじめた。私もバッグを枕にして横になると、あとは分らなくなった。ドアを叩く音に起こされた。イタリア国境である。移民官にパスポートを見せた後、洋服掛けにバッグをぶら下げ、その上にジャケットを被せた。その時に温厚そうな紳士が入ってきて入り口近くに座ったので鍵を掛けられなくなってしまった。再び横になった私は、なんとなく薄ら寒いので寝惚け半分でジャケットを引っ張り下ろして身体にかけた。一瞬、バッグが丸見えで大丈夫かな、下ろした方がいいと思ったが、旅の疲れでそのまま寝込んでしまったのだ。
「おい !」
 夫の叫びで目が覚めた。「バッグが !」
 見ると、床に転がっていた。どうしてここにと思いながら拾い上げて中を見ると、ない。トラベラーズ・チェックがない。どこにもないのである。
 突然夫は初老の紳士の胸ぐらを引っつかんで「出せ ! どこにやった」と、日本語でわめきたてた。紳士は「オー・ノー」オレじゃあないといってるようだ。と、隣のコンパートメントから騒ぎたてる女性の声がし、車内は騒然となった。女性は財布を取られたらしいのである。
 なんたるざま。あれほど夜汽車泥棒には気をつけようといっていたのに。前日のことだった。それまで夫と私はトラベラーズ・チェックを半々に分けて持っていた。それを私のバックの方が安全だからと、わざわざひとまとめにしたばかりなのである。
 夫が持っていたわずかな現金と私が洗面用具のなかに隠し持ってきたヘソクリとクレジット・カードで後半の旅はなんとか続けられそうだ。ともかく一刻も早く盗難手続きをしなければと、ベェネツィア到着後に銀行へ行くと、バンク・オブ・アメリカの支店はローマにあるという。昼前の飛行機でローマへ飛んだ。盗難届けを出して市内観光をした翌日、パリに行くため汽車駅に向かおうとした時、ポリスカーがサイレンを鳴らして何台も走っていく。何事かと、乗り込んだタクシーの運転手に尋ねると、
「ローマ法王が狙撃された」
 というのである。
 あれから二十五年が過ぎた。私の身のまわりも変化があった。あの時一緒だった夫は四年前にみまかり、六歳だった娘は結婚してアメリカ東部に住んでいる。
 今の私は一人ぽっちになったけれど、あのころより、幸せのような気がする。
                                 つづく
  森田のりえ  noriem@JoiMail.com

 

 


編集後記

中国での反日デモの参加者はなぜか楽しそうです。まるで小さなガキが弱いものいじめを楽しんでいるようにも見えます。ニュースを見るたびに、不愉快な思いをするのは私だけでしょうか?
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Zakkaya Weekly No.466

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              tenshu@zakkayanews.com