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No.465          Ryo Onishi               4/10/2005   

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雑貨屋のひとり言

関西は桜の開花が遅れていたようですが、あっという間に満開になりました。この週末は天気も良く、絶好の花見日和になりました。街の景色を一変させる桜の花の色は、心を和ませてくれます。やはり桜はいいものです。私もワイフと弁当を持って夙川に花見に出かけました。5年前に前田さんに連れて行ってもらって以来でした。場所取りのために独りでボケーっと待っている人をたくさん見かけました。会社が終わってみんなが来るまで待っているなんてご苦労なことです。(R.O.)

80人の海外成功物語

 先月末、日本の光文社から一冊の本が出版されました。書名は「80人の海外成功物語」といいます。主としてアメリカにいる日本人を取り上げた本で、なぜか不肖私も80人の一人として登場しています。
 引退生活者の私が「成功物語」に登場するのは奇異なことですが、この本は副題に「自分の居場所を世界で見つけた日本人」となっているところをみると、私は「成功者」としてではなく、海外に「居場所を見つけた」人間として登場させてもらったようです。
 この本の著者(内田麻衣子さん、飯田かすみさん)は「はしがき」の中で次のように述べています。

(前略)外から見るとよくわかりますが、日本という国は素晴らしい国です。平和で物質的にも豊かであり、高度な教育も受けられます。しかし、はたしてこの国に生まれ、この国で暮らして幸せでしょうか? あなたの可能性を最大に活かしきっていると言えるでしょうか?
現在の日本を外から眺めてみると、自分の居場所が見つけられずに、ただまわりに流されて生きている人たちがいっぱいいる国のように思えます。
日本が輝いていた時代はすでに終わり、日本国内では多くの人が夢ややりがいを失っているように見えます。・・本書には、海外(主にアメリカ)で暮らす日本人が、たくさん登場します。
前述したように、みなさん、自分の居場所を海外に見つけた人々ばかりです。そして彼らは、「なぜ、日本を離れたのか?」「なぜ、自分がそこにいるのか?」について語ってくれます(後略)

 日本人が「自分の居場所」を本当に見つけたかったら、そこが日本であろうと海外であろうと関係ないわけで、なにも無理して日本を脱出する必要はありません。

 ただし、これまでの私たち日本人は内志向が強く「海外の可能性」をはじめから問題外視してきた傾向があったことは確かでしょう。

 でも最近、日本にいる日本人の意識が大きく変化しつゝあることを私は感じています。ここ数年、日本人による「海外ロングステイ」など、単なる物見遊山旅行だけでない海外志向が一種の社会現象化してきたように実感しています。

 そんな考え方に対し、この本は海外(主としてアメリカ)にいる日本人からの情報として少しは役立つかもしれません。

 この本の内容、目次は下記のURLをクリックしていただけば見ることが出来ます。(因みに私は目次の中の《Chapter 8、形にこだわらない生き方》の中に登場しています。私は本の中では80分の1ですから、私のことは2ページほどのスペースに書かれているだけですが・・)
   http://www.beq.co.jp/kaigaiseiko.htm

 書店で見つけたら開いて見ていただければ幸いです。  

                                                               河合将介( skawai@earthlink.net

さくらの独り言咲いた、咲いた・・・」

 ♪咲いた、咲いた、桜が咲いた♪・・・開花予想を10日も遅れて、私の住む大川(隅田川)に面した佃島の桜たちが、ついに咲いた。今春、その可憐な花びらがかすかに開き始めたのは、4月3日。あたかも私の誕生日を祝ってくれるが如きグッド・タイミングだった。この1週間、通勤の行き帰りに桜並木を通るたび、「今日は3分咲き」、「おや、もう5分咲きだ」と、私の目と心を和ませてくれた。そして昨日4月9日土曜日、佃島の桜は、一挙に満開の時を迎えた。そんな“桜花繚乱”の佃島を一目眺めようと、水上も陸も処狭しの花見客でいっぱい。ふと思う、この風景、いつの時代から続いているのだろうか・・・

 中央大橋を間にして川下に佃大橋、勝鬨橋、川上に永代橋と、隅田の川岸に連なるダイナミックな桜並木は確かに見事だ。その昔、大川(隅田川)を引き入れて作られた船溜り、赤い欄干の佃小橋から眺めるこじんまりした桜群は、これまた最高だ。釣り船、屋形船、小舟が浮かぶ水面に、桜の花びらがひらひらと舞い落ちる。何ともいえない絵画的風情だ。そんなここ佃島は、超高層ビル群の近代タウンと、処々に江戸の名残を留める古風な町並みが共存する不思議なエリアであり、そこに凛と立ち並ぶ桜の木は今昔の融合物のひとつでもある。

 ところで、この隅田川の河口に自然にできた寄洲・佃島は、徳川家康に呼び寄せられた摂津の国佃村(現在の大阪市西成区)の漁民30数名が河口の三角州を埋め立て、自分たちの国の名(佃)にちなんで佃島としたといわれる。江戸幕府はこの佃島の漁民たちに、江戸近海で優先的に漁ができるような特権を与え、保護したそうだ。その恩に報いるため佃の漁民たちは現在でも毎年3月1日、徳川家に対し白身の魚を献上しているという。そんな江戸情緒の雰囲気が私は好きで、時折散歩を試みる。今年、桜の開花を最初に見たのは、佃・住吉神社境内の古木だった。拝殿の右には「略縁起」(由来)が掲げられている。この神社は漁業や海運の守り神なので、祭神は、底筒(そこつつ)、中筒(なかつつ)、表筒(うわつつ)の“海の三神”が祀られている。私の目に止まったのは、祭神の中の「神功皇后」(じんぐうこうごう)である。武芸の神・神功皇后は第14代仲哀天皇の妃であり、第15代応神天皇の母君にあたる。“神の子を産む聖母“、イエス・キリストを産んだ聖母マリアと神格が似ているところから、私も以前から神功皇后の名は知っていた。しかし、武芸の神、聖母神の神功皇后が何故、佃・住吉神社のご祭神に祀られているのかは、七不思議。ちなみに、日本で最初に紙幣に人像かつ女性肖像入りが登場したのは、1881年(明治14年)、政府が発行した「神功皇后札」だそうだ・・・。

 さて、そんな佃島だが、休日の昼間などには、どこからお出でになったか、ズックに帽子、水筒などを持ったシニアご一行様が、俄かカメラマンを気取り盛んにシャッターを切ったり、キャンパスに筆を遊ばせたりしている。夕方ともなれば、子どもたちが花びらを追って遊びまわる。そういえば、少子化が叫ばれる昨今だが、この佃地域には不思議と子どもが多い。路地裏に鎮座する「佃天台子育地蔵」のお蔭だろうか、はたまた、住吉神社の神功皇后のご利益だろうか。いずれにせよ、元気な子どもたちのはしゃぎ声、飛び回る足音が、桜の木の下に響き渡る、その光景が微笑ましくて頼もしい。それを観ている桜の木々も嬉しそう。ともあれ、佃の桜は今が満開。♪春のうららの隅田川 上り下りの船人が〜♪つぼみのさくらは、いつになったら春うらら・・・っと呟く、さくらの独り言。
kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

二人分妻に喋らせてる無口

根は悪い人ではないが無愛想

ハイテクを支える自負の町工場

精一杯生きた賞罰欄の白

こんな字も忘れたのかと辞書が言う

( ニュースやぶにらみ )

「たばこカード」
破り捨てては再発行 −三日坊主

「再び長寿世界一」
喜寿、傘寿、米寿 その上が長寿 −国語辞典

「郵政民営化攻防」
−白い煙が出るか、黒い煙か
−灰色の煙が出るでしょう

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

カメラ( 2 ) 
 
 コッツウォルに泊まった翌朝、北へ向かった。 
 走っても走っても、なだらかな丘が連なる牧草地がつづき、羊や牛が草を食むのどかな風景が広がる。それだけで充分に目を楽しませてくれた。草原の小高い丘に白い建物があったので行って見ると、古代ローマ時代の遺跡だった。モザイク・タイルの床や浴場跡、祭所、ローマ兵の部屋だった礎石などが遺っている。考古学者風の男が一人ていねいに刷毛で土をとっていた。今でも、当時のコインが見つかるそうだ。
 まず、今夜の宿を確保しようと夫がいう。三つ四つホテル・ショッピングをしたあと、コッツウォル地方で一番高いといわれる丘にある瀟洒なB&Bを見つけた。予約をし、荷物を置いてヘンリー八世の五番目だが六番目だかの王妃の城見学にでかけた。その帰りに、狭い石畳の両側に軒をつらねる古い木骨組みの田舎町で夕食をとってから戻ったのである。
 次の朝、出かけようとしたらカメラがない。
 さては、お城にカメラを忘れたか。そのことを夫に話すと、
「レストランじゃあないか。そういえば、確かにオマエはカメラを持って入ったよ」
 夕方、レストランにカメラを持って入るはずがないと思ったが、夫は「確かにオレは見たぞ、間違いない」と、確信をもっていう。
 それではとシェークスピア生誕の地「ストラフォード・アポン・エイボン」へ行く途中、レストランへ寄ると閉まっていた。朝八時だ。開いているはずがない。オーナーの住まいが裏にあるかもしれないといった夫が裏側に廻っていった。そのとき、レストランの隣のドアが開いて婦人が出てきた。
「すみません。このレストランは何時に開店するか、ご存知ありませんか。夕べ、カメラを忘れたのです」
 走り寄って、私はたずねた。
「昼前に開きますよ」
 それまで待てない。電話番号を知っていたら教えてほしいと私は頼んだ。
「調べてあげましょう。どうぞ中に入ってください」
 氏素性のわからぬ私を婦人は家に招き入れた。
 路肩から三段の石段を上がり玄関ドアを開けると、いきなり部屋だった。失礼だと思ったが、婦人が電話帖をめくっている間、私は部屋中をなめるように眺めまわしていた。
 玄関脇に小さな窓が一つだけで薄暗い。小さな古い木箱と古い机と椅子。絵もなく殺風景な部屋だった。白い漆喰の壁の一部が、わざと古いレンガ積みの壁を残して塗られている。低い天井、何本かの荒削りな太い梁が黒光にひかっていた。
 イギリス人の国民性は、古いものを大事にし、使えるものは朽ちるまで使う。家においても同じで、古い家を尊び新しい家を見下すという不思議な趣味をみっていると何かの書物で読んだことがある。まさにこれだと思った。すると、
「この家は一六一四年に建ちました」
 婦人がいった。
「一六一四年!」
 オウム返しにいった私は、あらためて天井を見上げた。
「家の中をごらんになりますか」
 といって婦人は、奥へ案内してくれたのである。
 台所や浴室などの水まわりは近代的に改良され、残すべき古い造作はきちんと手入れをし掃除も行き届いていた。窓辺には真っ赤なゼラニュームの花の鉢植えあり、白いレースのカーテンが風に揺れていた。こぎれいでかわいい。
 婦人にとって、この古い家を大事に使っていることは誇りなのであろう。ふと、建てられて何百年もの間、この家に住んだ人たちの怨念がしみついていて薄気味悪くはないかと、たずねてみたくなった。しかし、ぎくしゃくしたイギリス英語をき取れない私は、何ひとつたずねられなかった。けれども、カメラの紛失騒ぎで、その地に住む人の人情を肌で感じ生活の匂いを嗅ぐことができたことがうれしかった。得したと思った。
 あれほど探したカメラは、登山靴の中に落ちていた。
                                おわり
  森田のりえ  noriem@JoiMail.com

 

 


編集後記

花見を楽しんだまでは良かったのですが、散歩を兼ね、ずいぶん歩いたので目から涙が出る、くしゃみがで出て、困った週末になっています。マスクが必要かもしれません。
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Zakkaya Weekly No.465

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              tenshu@zakkayanews.com