この雑貨屋ウイークリー No.269(2001年7月8日号)で「てにをは」というテーマで小文を書きましたが、最近、日本の M.L.グループへこの文章を発信したところ、いろいろなコメントをいただき、皆さんの関心の深さを知りました。
新聞社の部長さんである、仙台のM.L.グループの方からこんなコメントがありました。
(前略)新聞社では、記者が書いた記事が読者の目に触れるまでに多くの目と手を経由します。その過程で文章をめぐる大小さまざな「紛争」が日々、起きています。文章表現の方法やスタイルは、人間の数だけあるといってもいいので、「紛争」にけりをつけるのは「締め切り」だけという、人間くさい世界でもあります。
「今の若い連中は『てにおは』さえ知らない」とよく言います。しかし、河合さんがご指摘のように「てにおは」ぐらい難しいものはありません。
「てにおは」だけを知らないと言っているのではなく、同じ間違いを何度も繰り返すとか、ほとんど本らしい本を読まないとか、基本のところを嘆いているんですね。「てにおは」と先輩デスクが言うとき、若い人たちはもっと緊張してもらいたいと思うことがよくあります。 |
また、別の方のコメントにこんなのがありました。
(前略)「てにおは」については言葉だけでなくあらゆることにも通ずるように感じられま
した。短歌や文章は勿論のこと、たとえば絵の世界でも私の下手な絵を見て先生が「ここに線が一つ入ると違うよ」といって斜めに線を一つ入れただけでぐっといきいきしたり、音楽なら休止符を2分の1秒延ばすだけで曲の情感が表れたりという風に。スポーツの世界などもっとはっきり現れることでしょうね。 |
上記お二方のコメントに私もまったく同感です。文章は一文字違っただけでも(それどころか、句読点ひとつでも)意味が変わってしまいます。絵画も音楽もスポーツもみんなそうでしょう。
作家先生や新聞記者のようなプロの皆さんはさぞたいへんでしょうね。毎日の新聞やインターネットのニュースなどを見ていると、とんでもない“誤字脱字”に出合い、思わず吹き出すことがあります。プロでもこのようなことがあるのですから、考えてみればおそろしいことです。
「後世畏るべし」をもじって、「校正おそるべし」というジョーク格言がありますが、本当ですね。
私は当然ながら、もの書きのプロではなく、したがって難しく考えていたら何も書けないので、あくまでアマチュアに徹し、“誤字脱字”を気にせず、“画竜点睛”を欠いても平気で気楽な平常心(?)で書かさせていただくことにしています。(いつもいいかげんな文章ばかりでゴメンナサイ)
河合将介(
skawai@earthlink.net )
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