No.437          Ryo Onishi               9/26/2004   

 

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雑貨屋のひとり言

イチローの大リーグ最多安打記録の達成を毎日楽しみにしています。ぜひ達成してほしいものです。残念ながらマリナーズの成績はよくないですが、このようなすばらしい選手の活躍でファンも喜んで応援していると思います。日本のパリーグも本拠地が北海道に移った日本ハムの新庄選手の活躍のおかげでとても楽しくなりました。オリックスとバッファローズの合併でいろいろもめましたが、これをきっかけに日本のプロ野球が大きく変わってほしいですね。(R.O.) 

て に を は (その2)

  この雑貨屋ウイークリー No.269(2001年7月8日号)で「てにをは」というテーマで小文を書きましたが、最近、日本の M.L.グループへこの文章を発信したところ、いろいろなコメントをいただき、皆さんの関心の深さを知りました。

 新聞社の部長さんである、仙台のM.L.グループの方からこんなコメントがありました。

(前略)新聞社では、記者が書いた記事が読者の目に触れるまでに多くの目と手を経由します。その過程で文章をめぐる大小さまざな「紛争」が日々、起きています。文章表現の方法やスタイルは、人間の数だけあるといってもいいので、「紛争」にけりをつけるのは「締め切り」だけという、人間くさい世界でもあります。
「今の若い連中は『てにおは』さえ知らない」とよく言います。しかし、河合さんがご指摘のように「てにおは」ぐらい難しいものはありません。
「てにおは」だけを知らないと言っているのではなく、同じ間違いを何度も繰り返すとか、ほとんど本らしい本を読まないとか、基本のところを嘆いているんですね。「てにおは」と先輩デスクが言うとき、若い人たちはもっと緊張してもらいたいと思うことがよくあります。

  また、別の方のコメントにこんなのがありました。

(前略)「てにおは」については言葉だけでなくあらゆることにも通ずるように感じられま
した。短歌や文章は勿論のこと、たとえば絵の世界でも私の下手な絵を見て先生が「ここに線が一つ入ると違うよ」といって斜めに線を一つ入れただけでぐっといきいきしたり、音楽なら休止符を2分の1秒延ばすだけで曲の情感が表れたりという風に。スポーツの世界などもっとはっきり現れることでしょうね。

  上記お二方のコメントに私もまったく同感です。文章は一文字違っただけでも(それどころか、句読点ひとつでも)意味が変わってしまいます。絵画も音楽もスポーツもみんなそうでしょう。

 作家先生や新聞記者のようなプロの皆さんはさぞたいへんでしょうね。毎日の新聞やインターネットのニュースなどを見ていると、とんでもない“誤字脱字”に出合い、思わず吹き出すことがあります。プロでもこのようなことがあるのですから、考えてみればおそろしいことです。
 
  「後世畏るべし」をもじって、「校正おそるべし」というジョーク格言がありますが、本当ですね。

  私は当然ながら、もの書きのプロではなく、したがって難しく考えていたら何も書けないので、あくまでアマチュアに徹し、“誤字脱字”を気にせず、“画竜点睛”を欠いても平気で気楽な平常心(?)で書かさせていただくことにしています。(いつもいいかげんな文章ばかりでゴメンナサイ)
                                                                   河合将介( skawai@earthlink.net )

さくらの独り言オリビスの涙」

 毎日会える人とも、そうでない人とでも「一期一会」の思い(誠実さ)で臨む姿勢を語ってくれたのは、今は亡き父。彼は、「今、眼の前に存在するその人が、もしくは自分が向い合い共有するその『機』が、一生で一度だけのものだということの深い意味と痛みを知れ」と、日本の故事や諺を解かり易く話してくれた父の遺訓の真意を私が知るのは、残念なことに、それから随分と時を経てからだったように思う。今月6日から22日まで、ワシントン州、カリフォルニア州、ケンタッキー州、サウスキャロライナ州、そしてニューヨーク州、そしてまたワシントン州を訪ねる米国横断の旅のみちみち、その「未知なる道」について想いをめぐらしたことは前号でも呟いた。しかし同時にそれは私の人生にとって、最高の意味での「一期一会」を学ぶ時となったことを、帰京した今、しみじみと感じることを今回は呟いてみたい。今号に記す「オリビスの涙」は、茶の湯の何かを、国や歴史を越えて想起させてくれるものだった。

 Mr. Olvis Spencer(オリビス・スペンサー:以下“オリビス”と省略)は、私が米国留学してから結婚式当日までの約2年間、本当の家族同様に私を迎え入れ、お世話してくれたホストファミリーのファーザーである。今は既にビジネス界を引退してはいるものの、サウスキャロライナ州のリタイアメントコミュニティ“サン・シティ”に居住し、アクティブな毎日を精力的にエンジョイしている。このオリビスとその夫人マーサ(Martha)と私の再会は、なんと8年ぶりのことでもあり、懐かしさよりも感激と興奮の渦に巻かれた時だった。「再び生きて会えた」という切実さが、その渦の根源にあった。それは、今回私が彼らを訪問した主目的が、昨年6月に白血病の告知を受けたオリビスとの再会実現だったからだ。私が訪ねたこの時のオリビスは、デューク大学医学病院において数ヶ月にわたる造血細胞移植や化学・薬物療法という現代医学先端の治療を終え、治癒経過も良好だという。抵抗力低下や関節痛等の不自由さはあるものの、通常の生活に近い活動が可能な状態にまで回復し、一見、健常者と何ら変わりない風にさえ見えるほどだ。そんな彼らと想い出話やこれからの話しに盛り上がりながらも、オリビスが呟いた「明日は全く分らないのは、皆同じだ」が私の胸に刺さり、「一期一会」の時が静かに流れるのを実感した。翌日、NYへ旅を続ける私を見送る二人に空港でハグをして、「ありがとう、会えてよかった」と言い合った。オリビスは、私を強くつよくハグした腕を、暫く放そうとはしなかった。そして「じゃあ、またね」と私が口にした時、ハラハラと涙を流したのは、大の男、オリビスだった。オリビスの涙を見たのはこれが2度目、一度目は私の結婚式の時、父親役を務めた教会の壇上で瞳をぬらした。いずれも、互いの「別れと旅立ち」の涙だったと思う。不思議なことに、私が実父の涙を見たのも、その生涯において2度だけだった。

 さて、「泣く」、もしくは「涙する」ということは、悲しい時ばかりとは限らず、人間の喜怒哀楽という要素の、その感情の複合的な作用によって生じることは、誰もが自らの体験で知っていることだろう。しかし、果たしてその感情や要素がいかなるものかというプロセスの分析や体系的論評を生む研究はあまり知られていない。歌舞伎の世界では、男泣きと女泣きのその様を大胆に変化させて演じてくれるらしいが、本来そこには、涙に隠された男女の有りようを越えた、人間の美徳や存在意識の象徴的意味が存在するのかもしれない。そしてそれは、意外にも国境や文化の違いを超えた共通の何かがあるかもしれないと、私は思ったりした。

 昔、泣き虫だった私も今ではもうあまり泣くことをしなくなった。人前で涙することがみっともない、恥かしいことだとつっぱったりしてきたか、はたまた無感動無関心のつまらない中年おばさんになりかけていたのかもしれない。忙しさにかまけ、人間らしい情感を失いかけていたのかもしれない。しかし、今回の米国横断の旅で、今更ながら涙が塩辛いものだと思い知るほど、泣いた。「オリビスの涙」を見たその時、「一期一会」の真意を悟らされた。「『涙』とは、『水に戻る』と書く」と聴いたことがある。母の胎内から生まれ出た私達が還るべき時を迎えた時、多くの者が流すもの、それが涙かもしれない。「涙は案外、人生の隠し味かもしれない」っと呟く、ちょっとセンチなさくらの独り言。

kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

台所の愚痴を聞いてる目玉焼き

暗唱番号越える数字のない暮らし

犬までも味方につけた妻に負け

一病で禁煙 二病目で禁酒

しゃあないと父の頑固も歳をとり

( ニュースやぶにらみ )

「ストーブリーグ」
ライブドア 対 楽天 −プロ野球 

「サプライズ人事」
ヨンさまが欲しいあ ー小泉首相

「イチロー選手257安打記録更新へ」
こっちは729兆更新だ −国の借金

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

姑を看とる( 6 )

 義母の在宅介護も二週間過ぎると、何となく要領がつかめてきた。
 三週間の予定でロサンゼルスから来ている娘は、掃除洗濯。台所仕事は私。義母を風呂に入れるような力仕事は夫。義母の下の世話は気付いた者と役割分担ができた。問題は、旺盛な食欲をどうコントロールするかである。
「のりえさん、ブドウをおくれ」
「あかん、菓子を食べたばっかりや。肥えたら心臓に悪いから注意してほしいと先生にいわれとるんや。我慢せんかい。お母さんは一日中口を動かして食べ過ぎやで」
 私の言いにくいことを夫は代弁してくれる。義母は甘い物も好きだが、本来は塩辛のような辛い物が大好物。しかし、食べすぎると脚がむくんでパンパンになる。食べ物を制限するのはむごいと思う一方で、控えたからといってどれだけ寿命がのびるのだろうと思ってしまう。好きな物を好きなだけあげたい、という思いに揺り動かされる。
「のりえさん、起こしておくれでないか」
「リハビリのつもりで自分で起きんかい。時間かけてな。病気とちがうで!」
 オレは息子だから何をいっても許されると、夫が自ら憎まれ役を引き受けてくれるお陰で、嫁の私はいい顔をしていられる。夫婦の連携プレイがあるからこそうまく老親介護ができるのである。夫は「嫁は他人だから感謝の気持ちを忘れたらあかん」と、母親に説教をする。
「わたしはな、口先だけで『ありがとう』というてるんと違う。心底思うとるんや」
 そういわれると、もっともっとしてあげたくなるのが人情というものだ。
 アメリカで知り合って結婚した私たちは、太平洋を挟んでいたおかげでよくある陰湿な嫁姑の闘いをすることもなく、いいところだけ見せ合ってきた。義母に介護が必要になってからの同居は、力関係が逆転しているので、嫁の立場の私にはやりやすい。義母も元気なうちは、誰にも気がねせず気ままに生きてきた。これが良かったのかもしれない。
 来る日来る日も義母の家を片付けている夫は、ムカデの大群に襲われる夢をみたといって、敵討ちでもするようにジャングルのようになった庭木を切り、庭の片隅で燃やし続けている。そんな様子を日溜りの縁側から見ていた義母は、
「ああ、今が一番幸せや。わたしはな、十四年も独りでくらしたんや。長かったなぁ、十四年間もやで……」
 一人ぼっちの寂しさを背負い続けた義母の心をみたようで、その言葉を聞くと私は切なくなってきた。
 三週間の予定で来ていた娘がロサンゼルスへ戻る日が近づいた。
「純子ちゃん、とんでもないのに出くわしたなぁ。ありがとうよ」
 日本語は聴けるが話さない娘に、義母は礼をいった。
「いえいえ、いい社会勉強をさせてもらいました。いずれ私も歳をとります。 いい体験をさせてもらって、私の方こそありがとう」
 娘は英語でいった。それを私は義母に伝えると、うっすらと目に涙が滲んでいた。
 わずかの期間だったけれども「老い」を身近にとらえ、祖母と暮らす事によって「思いやる心」を学んでくれた娘を私は誇りに思った。
 誰だっか、こんなことをいった作家がいる。
 ―――どんな体験も無駄ということは決してない―――
 娘がロサンゼルスへ帰った。私たち夫婦と義母の三人だけの生活が始まった。
 大阪の義兄が日曜日ごとに畑仕事と母親の様子をみに訪ねてくる。義母一人を家において、短時間ではあるが、私たちは買い物にも出かけられるようになった。
 柿が色づいた。もう秋もまっさかりである。             つづく

 森田のりえ  noriem@JoiMail.com

編集後記

雑貨屋のホームページ、ニュースウィークリーのデザインを少しずつ変化させています。気がついてくれたでしょうか?
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.ne.jp/asahi/zakkaya/weekly/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.437

雑貨屋 店主 大西良衛   zakkaya@news.email.ne.jp