No.436          Ryo Onishi               9/19/2004   

 

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雑貨屋のひとり言

街路樹が変な枯れ方をしています。どうやら先日の台風で塩水を被ったからみたいです。塩分が葉の水分を摂ってしまい枯れるそうです。通勤途中に見える六甲山の木々も茶色に変色しているので、かなり広範囲で被害があったみたいですね。今年は奇妙なことが続きます。(R.O.) 

e - 都市ランキング

 私は日本各地のシニアネット・グループと交信がありますが、その中の一つが神奈川県・藤沢市のグループです。

その藤沢市のメンバーから、同市がこのほど『日経パソコン e-都市ランキング』で全国第1位になった旨連絡がありました。

藤沢市は日本ではIT(情報技術)への取り組みは早く、インターネットの活用による新たな街づくりに取り組んでいるところとしてよく知られているところです。この市には百を超える各種の「市民電子会議室」というものが8年前から作られています。

私は昨年7月から、その中のひとつである『トラの穴』のメンバーです。この『トラの穴』とは、シニアたちにオンライン上で出会いや情報交換の場を提供する目的の電子会議室で、藤沢市民だけでなく、広く世界に窓を広げているのが特徴です。

ところで、『日経パソコン e-都市ランキング』とは、『日経パソコン』誌が日本全国の市町村(東京23区を含む)3,123の自治体の情報化担当者へアンケートを出し、回答を寄せた2,619自治体(回収率は83.9%)について、各地の情報化への取り組みを得点化し、ランキングを算出したものなのだそうです。その詳細は下記の U.R.L.をクリックすると出てきますのでご覧ください。
http://premium.nikkeibp.co.jp/e-gov/special/2004/sp040826a.shtml

ランキング算出にあたっての情報が回答者(各地の自治体情報化担当者)というところや項目ごとの採点配分に若干の疑問を感じないわけではありませんが、ある程度の客観性は確保されていると判断され、このランキングについて“各自治体の情報化への取り組み”の判断基準として充分意義はあるように思われます。

調査項目と配点は次のとおりとなっています。(100点満点)
 【情報・サービス】インターネットでの情報・サービスの提供(40点)
 【アクセシビリティ】Webページのアクセシビリティの確保(10点)
 【庁内情報化】庁内の情報インフラの整備、業務の情報化(15点)
 【情報化政策】情報化に関する政策の実施(20 点)
 【セキュリティ】セキュリティ対策の実行(15点)

ランキングの首位になった藤沢市は、100点満点で94.5点であり、主催者側のコメントによると、『全職員に対する抜き打ちの監査など、組織的な取り組みでセキュリティ対策を推進。さらに、アクセシビリティに配慮したWebページを自動的に生成するシステムを導入するなど、幅広い情報化の取り組みが高得点につながっている』とのことです。

このランキングを見ても明瞭ですが、日本も自治体によって情報化への取り組みに大きな差があることがよくわかります。
(ランキング最下位の市町村を探し出すことはしませんが、多分得点は一桁? 因みに雑貨屋店主の大西さんの神戸市は46位でご立派です。私の第2の故郷である長野県諏訪市の隣り、茅野市は堂々の第4位です!)

日本はこれから少子高齢化現象を迎え、人口減が心配されています。どうやって若者を引き止めるかが問題になっています。

人口減対策にもいろいろあるでしょうが、“情報化への取り組み”の推進は今後の各自治体にとって主要な課題になることは避けられないのではないでしょうか。
                                                                   河合将介( skawai@earthlink.net )

さくらの独り言

 「僕の前に道はない、僕の後ろに道は出来る。」と詠んだのは、高村光太郎作「道程」である。「引き返せる道もある。しかし、引き返すことのできない道が 
ある、それが人生という道だ。」と言ったのは、大阪に住む私の叔父である。道路と人の生を「道」に重ねて語るこれらふたつの言葉は、私が岐路に立つ度い 
つも、何らかの示唆を与えたものだ。そして私は、今こう思う、「引き返せるという路なる道には、必ず行き止まりがある。しかし引き返せない人生なる道に 
は、その終わりの時まで、行き止まりがない」と。アメリカ横断独り旅のみちみち、「道」について思いを巡らした、さくらのつぶやき。

今月6日、成田からシアトルへ到着した私は12日から、カリフォルニア州、ケンタッキー州、サウスキャロライナ州、そしてニューヨーク州を巡って、16 
日深夜、またここシアトルへ戻ってきた。大統領選挙キャンペーン顔負けの強行軍だったこの短期横断旅行だが、何か不思議なものに導かれて始まり、そして 
終わったような気がする。私のこれまでの人生3分の1を過ごしたここアメリカの、それぞれの州での出会いが、まるで色あせないアルバムをめくるように懐 
かしく、そして切なかった。しかしこの旅の導きと出会いが、希望と信頼と愛に満ちみちたものだったことに、微かな満足と安堵を覚えた。また、移動中の機 
内から、広大な地上の、このアメリカに張り巡らされたクモの巣のような様々な「道」を見下ろしている時、未知なる世界や自由への力を考えたり、思ったり 
した。砂漠の中にどこまでも続く一本道も、スパゲッティジャンクションの様にからまった道も、そして碁盤の目の様に整い作られた道も、田舎のもしくは都 
会の道も、曲がったもしくは直線の道も、短くもしくは長い道も、晴れた日のもしくは豪雨の雲に覆われた道も、陽に反射もしくは闇につつまれた道も、その 
変化の有無に関係なく、懐かしくまた力強く、道が生きているとさえ感じる。大地(大陸)の導きだなと、うなずいた。

ところで、道、そして導きを考えているうち、ふと、カーナビを思い出した。日本では最近ポピュラーになったが、アメリカの一般庶民には、まだまだ注目さ 
れていないツールである。日本では“カーナビ”をとても上手に使いこなしている人も多いが、また逆に振り回されている人も少なくない。私の友人の中に 
は、どちらかと言えば後者が多く、“カーナビ”と夫婦喧嘩顔負けの会話をしながら運転する人もいる。通常では考えられない遠回りルートの表示ぐらいはま 
だいい方で、在るはずの(カーナビ上に存在する)道が、実際は存在しない場合がある。それは建設事情の遅れで道路開発遅延のためまだ未開発だったり、 
あったはずの道が何らかの理由で通行止めだったり、または全くの間違いだったりというケースだが、これではどの時点でどのナビの”導き”を信じればいい 
のか不安にもなる。カーナビに全く頼らなくてもいいという、道に関する自分の知識と知恵やセンスで満足いく運転ができればこれにこしたことはないだろ 
う。しかしカーナビをどこまで信頼するかという調整やタイミングの見極めも、ある意味では「道」を運転する者の、楽しみ方選び方のコツかもしれない。い 
ずれにせよ「道」を進むには、カーナビを使用しようがしまいが、最終的には自分を信じて、自分が信じた方向へ、前へ前へと進むしかないということだ。

さて、見送られることが多かった今回のアメリカ横断独り旅で、あらためて日米の違いに気づいた。日本人の見送りは、見送れる人の影が見えなくなるまでそ 
の道を見つめる。しかし多くのアメリカ人は、旅人が背を向け進むべき道の方へ歩き出したことを見届けたら、自分たちも自分の進む道の方向へと歩き出す。 
そしてあまり後ろを振り向いてまで見送ることはしない。決してしない訳ではない、時々、微かに振り向く時もある。どちらがいいとか悪いとかではなく、そ 
れぞれの違う習慣に、それなりの意味を見い出せることを私は嬉しく思う。そういえば野山歩きをした若い時に、ある人が言った言葉を思い出す。「野山の道 
を歩きながら、時々は静かに立ち止まって、前ばかりではなく、後ろをちょっと振り向いてみるのだよ、すると、同じ風景なのに、前を向いて歩いていた時と 
は全く違った風景を見たり感じたりすることができるから。そこに感激や感動があって、新たな自分と出会うんだ。でも、ずっと後ろばかりを向いていると前 
へは進めない、そしてまたあまり振り向いてばかりいると、何かに躓いてしまうからね。」と。アメリカという国を空から見つめながら、地上のそして未知 
の、道なるものに思いを巡らしたこの数日、まさにアメリカへの想いを風呂敷で包みこんでしまうような旅になった。「未知なる道、人の生なる道とは、そん 
なものかもネ」っと呟く、さくらの独り言。
kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)

( 川 柳 )

赤を着て女 黒着てまた女

還暦の赤着こなして胸の線

念入りの化粧が欠伸から崩れ

あの人と切り取り線の外で逢う

スキャンダルバネに悪女の視聴率

( ニュースやぶにらみ )

「首相在任歴代五位」
抵抗勢力のおかげです −小泉首相

「口の粘膜から角膜再生」
うれし唾が出た −視力回復した患者

「今日の予定」
泥仕合 −プロ野球

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

姑を看とる( 5 )

 兵庫に住んでいる八十四歳の義母の介護が長期化しそうなので、いったんロサンゼルスの自宅へ帰っていた夫が、留守番をしていた娘をつれて戻ってきた。 
 義母が退院した。私たち親子三人は座敷に枕を並べて寝ていた。と、夢のなかに鈴の音が入りこんできた。私は、ハッとなって飛び起きた。ゆうべ義母のベッドにくくりつけた鈴の鳴る音である。枕元の夜光時計は二時だ。私は隣室に寝ている義母の傍へ行き耳元に口をよせて「オシッコですか」聞いた。
「すいません。起こして」
 義母は小さな声で申し訳なさそうにいう。
 ねぼけ半分で紙オムツをはずし尿瓶をあてがう。終わった合図に「ありがとう」といって手を合わす。そして、再びここちよい眠りに落ちたころ、また、鈴が鳴った。
……ああ、起きなければ……と、夢うつつであった。
 すると、野獣のようなイビキをかいていた夫が、ガバッと跳ね起きた。
「またかい。なんぼなんでも一時間おきじゃあ酷すぎるよ。オムツのなかにせんかい!」
 夫が怒鳴ったのである。
 その明け方、
 「マミー」
  といって、娘に揺り起こされた。
「変な音がしているけど、グランマじゃあない?」
 義母のベッドを見ると、もぬけのからだ。台所の方でカサ、コソッと音がする。
「あら、お義母さん、どうしたんですか」
 ベビーのように義母が流しの前に這いつくばっていた。
「水が飲みたいねん。トシユキにいうと怒られるさかいな、自分で飲もうとおもうたんや」
 喉が乾くという義母に、夫はゆうべ水分の摂取についてやかましく注意した。排便の感覚はないが、排尿の感覚はある。義母はオムツのなかにはできないという。小用を催すたびに枕元の呼び鈴を鳴らす。何度も起こされた挙句、二度は空振りだった。
 私は、義母に水を飲ませてベッドへ連れていった。そして寝入りばなを、カサッという物音で目が覚めた。義母がベッドのしたでうずくまっている。パジャマのズボンがずり落ちて、オムツが外れかけていた。直そうとしたら、くさい。ウンコだ。替えたばかりの新品のカーペットが点々と黄土色になっていた。大変、と思ったと同時に大声叫んでいた。
「ヘルプ! ヘルプ!」
夫と娘がすっとんできた。
「お母さん、どうして知らせんのや、二重手間やないか。ワシらが大変なんや、分かるか」
「たびたび起こしては申し訳ないさかいな、自分で替えようとおもうたんや」
「あかん、一人ではなんもでけへん。歳をとると誰かに世話にならんと生きていかれへんのや。お母さんだけやない。ワシものりえも純子も歳をとると同じや。だがな、オシッコもでんのにたびたび起こされると腹が立つ。眠いさかいな」
「こめんなさい。ごめんなさい」
 繰り返しあやまる義母に、私は、介護なしでは生きられなくなった時の何十年か先の自分の姿をダブらせ、胸に痛みが走った。
「心配しなくていいですよ。ちゃんとしてあげますからね」
 私は、義母にいうより、自分自身に向って言った。           つづく

 森田のりえ  noriem@JoiMail.com

編集後記

朝夕、涼しくなり、ようやく寝やすくなりました。でもまだ湿度が高く、日中は家にいると汗を掻きます。
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http://www.ne.jp/asahi/zakkaya/weekly/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.436

雑貨屋 店主 大西良衛   zakkaya@news.email.ne.jp