Zakkaya Weekly No.421
Ryo Onishi                                      6/6/2004

雑貨屋のひとり言 さくらの独り言 川 柳 & コント バックナンバー
成岡流お酒の楽しみ方  河合さんの・・・ 森田さんの・・・ 健康のお話 雑貨屋ホーム

週末になると雨が降ります。そろそろ梅雨ですかね。日本は降雨量が結構あるので水が豊富な国だと思いがちですが、実は自国でまかなっている量と同じくらいの水を輸入しているんですね。日本人はちょっと水を使いすぎているようです。日本のどんなところに行っても、自動販売機でお茶や水が売られ、便利ではありますが、本当にこんなに必要なのかと思っているのは私だけでしょうか?無駄の悪循環になっているような気がしてなりません。環境月間ということでなく、まじめに環境や資源のことを考えなきゃーと思います。(R.O.) but_up.gif (232 バイト)

150年前の日本開国

(その4)――― ジョン・万次郎とラナルド・マクドナルド(2) 
今から19年前、私は日本企業の米国駐在員として当地ロサンゼルスへ赴任しました。

私たちの日本の親企業は北米西海岸に販売担当と製造担当の現地法人を設立させており、私の着任したロサンゼルスは南北アメリカ全体の販売本部の位置付けで、製造担当本部はオレゴン州ポートランドです。

ロサンゼルスが中心の私でしたが、当然ポートランドとも関係が深まり、ある時、ポートランド駐在の仲間から“ラナルド・マクドナルド(Ranald MacDonald)”という人物の話を聞きました。私はそれまでこの人物についてまったく知りませんでした。

マクドナルドは150年前の日米関係スタートにあたり、きわめて重要な影の存在だったことは後で知りました。

☆ ラナルド・マクドナルド(Ranald MacDonald)について
カリフォルニア州の北に隣接する州であるオレゴン州の北西部、ワシントン州との境を流れる大河コロンビア川の河口近くにアストリア(Astoria)という市があります。そこはポートランドから車で2時間程のところです。

ラナルド・マクドナルドはスコットランド系米国人を父に、ネイティブアメリカンを母に持つ米国人です。

青春時代、彼は見知らぬ東洋人の三吉(岩吉、久吉、音吉という3人の漂流民)らとの出会いから、自分のルーツを求めて日本に対する興味がつのり、ついに鯨漁船の水夫となり航海途中に小船に乗り換え、江戸末期の1848年(最初のペリー日本来航の5年前)に日本への密航を企てました。
 
彼は函館沖で漁師に救助され、(単独で利尻島に上陸したとも言われています。彼が上陸した利尻島には顕彰碑があります)松前藩で取調べ後、彼は船に乗せられ、港々に立ち寄りながら、長崎を目指します。

この船には、通訳兼引き取り役として森山栄之助(多吉郎)という二十九歳の若者が乗り込んでいました。この森山こそ、後に日本の英語学の開祖と言われ、ペリーの来航時にも通訳筆頭を務めた、森山多吉郎の若き日の姿なのでした。 

ペリーとの交渉で日本が植民地とならず最小限の譲歩で解決できたのは、マクドナルドから英語を習った森山多吉郎(栄之助)、そして漂流民であったジョン万次郎の活躍、そして何よりも事実とすれば三吉とマクドナルドとの運命的な出会が大いに関係している言えるでしょう。

森山はその後幕末に降り懸かる数々の外交交渉に、通訳(主席通詞)として重要な役割を果たしました。

 オレゴン州アストリアには日本に最初に渡った米国人としてマクドナルドの記念碑が建立されています。(参考資料:日本ボースカウト兵庫連盟ホームページ)
                      河合将介(skawai@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

 

さくらの独り言「シーガイヤ@・・・まつ」

「くつろぎのオアシス、シェラトン・グランデ・オーシャン・リゾートへようこそ」、ウエルカム・メッセージ・カードに迎えられたスイート・ツイン・ルーム(3001号室)からのパノラマに、まずは大きく息を呑む。眼下に広がるエメラルド色の日向灘と、700ヘクタールの広大な自然の松林の中に造られた2つのゴルフ場(フェニックスCC、トム・ワトソンCC)が、ホテルの左右に延びる。「これが、国際級リゾート、フェニックス・シーガイヤか・・・」噂に違わぬ景観とゴージャスな部屋の雰囲気に、唄の文句♪松の木ばかりがまつじゃない♪ではないが、「この時を待っていたんだ・・・」と、ひとり悦に浸りながら広いガラス窓に佇み展望に時を忘れるさくら、6月2日の昼下がり。

昨年秋頃、US時代の上司・Y.Tさんが勤める会社の関係から「シーガイヤに来てよ」と誘われていた。しかし私は足の怪我に見舞われ、予定は未定のままのびのびになっていた。あれから2つの季節が通り過ぎた今、やっと宮崎訪問が実現し、シーガイヤ全施設の特別見学とゴルフ(乗用カートが使えるトム・ワトソンCC)を満喫させてもらった。なんと南北12キロにおよぶ「シェラトン・リゾート・フェニックス・シーガイヤ」の広大な敷地の中に、42階建て753室を有するホテル、2つのチャンピオンコースゴルフ場(45ホール)、アジア・太平洋地区屈指のスケールを誇るワールド・コンベンションセンター・サミット、世界最大級の室内ウォーターパーク(オーシャン・ドーム)、テニスクラブ、自然動物園、乗馬クラブ、ボーリング場、多目的広場(イベント・スクエア)、そしてコテージなどの施設がある。宇宙ステーション的空間を連想させる豪華なホテルグランデでは、今年4月、天皇皇后両陛下がお泊りになった最上階のロイヤル・スイート・ルームを見せて頂き、美智子様がお弾きになられたというグランドピアノにも触れさせてもらった。まるで日本に居ながらにして、どこか違う国へワープした不思議な心地であった。

この宮崎訪問で最も印象強かったのは2つ、日向灘南北に連なる250年の歴史に生きる20万本の松林、そして日南海岸の鵜戸神宮だった。将軍吉宗時代に植えられた国有林を守る為にここシーガーヤでは、“松憲法”を制定し、年1800本の植樹、赤外線による松の健康チェック、そして松の特別研究グループによる松とその土壌の管理や最適化などに力を注いでいるという。また、長寿の松林から発せられる成分が殺菌作用や人をリフレッシュさせる効果があることを生かす森林ウォーキング、“エコーツアー”がシーガイヤ従業員のボランティアによって地域住民や宿泊者にシェアーされており、これには営み(経営)の精神を見せられた。住民と旅人、松と人、保存と開拓・・・まさしくエコー・響き合いの癒しとでもいおうか。

帰京時刻4時間前、多忙な中にもY.Tさんは、海幸彦・山幸彦の神話の舞台で知られる青島、日南海岸のハイライト・堀切峠、神武天皇の父君ウガヤフキアエズノミコトを祀る洞窟の神殿・鵜戸神宮などを案内してくれた。九州出身の私だが、どのスポットも強烈な印象を受け、灯台下暗しだったと驚いた。今回の宮崎訪問、特に一泊二日の短期間シーガイヤ滞在は、このリゾートのキャッチフレーズどおり、私に充分な『くつろぎと癒し』を与えてくれた。この時を待っていたのは、見学を用意してくれたY.Tさん、怪我の治癒に専念したさくら、そして250年を生きている松林だった。「まつ」にも色々あるが、「まつ」のもたらす恵みも様々だ。さて次号は「日南海岸めぐり」を綴ろうか・・・っとつぶやく、さくらの独り言。
kukimi@ff.iij4u.or.jpbut_up.gif (232 バイト)

 

川 柳 & コント(東京・成近)

( 川 柳 )

モナリザの絵の裏側の膨れ面

強がりの笑顔の裏の胃の薬

知恵の輪が解けて苦笑の過去ばかり

日々好日貧乏神を飼い慣らす

老兵に波乱の今が面白い


( ニュースやぶにらみ )

「自衛隊を評価するが83%」
まだ17%の支持者がいる −社民党

「小六少女」
ええっ カッターまでっ −マウス

「十年一日」
牛歩の背に乗って −国会改革

(東京・成近) E-mail nakawai@adachi.ne.jpbut_up.gif (232 バイト)
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

連載短編小説  花惑い(3)                          
 朝がきた。
 腹立ちまぎれに飲んだウイスキーの酔いがこめかみあたりに淀んでいた。道代は冷
たい水を飲み、身支度を整えた。
 道代は裏庭に出て、薄靄のかかった海に向かって両手を思いきり伸ばし深呼吸をし
た。庭木のレモンをねぐらにしているモッキングバードが囀っている。道代はキッチ
ンに入ってコーヒーを沸かしはじめた。コーヒーのしたたりを見つめながら、浩二に
どう切り出したらよいか考えた。
 こんな時だからこそ、言い争わず、冷静になって話し合う必要がある、と結論をだ
した。道代は傷つくのを恐れていた。素直に怒りをぶっつけられない自分の性格が歯
がゆい、けれど、いまさらどうにもできない。
 浩二はベッドで大の字になり、空ろな眼で天井を見上げていた。
 道代はベッドの端に腰を下ろし、「あなたーー」
 静かに声をかけたみた。
「ああ」 と、浩二はいった。
「ジュンは、いまが一番大事なときなの」
 相変わらず天井を見ている浩二に、これだけは、はっきり言わないと後悔すると思
い道代は話しを続けた。
「ジュンは感受性の強い子だから、夫婦の関係が浮ついていると大変な事になると思
うのよ。子供のちょっとした心の隙間に麻薬や不良グループなどが入り込むの。アメ
リカの子供たちが『危ない』といわれるのも中学生のころだといわれているし、――
あなた、聞いているの?」
「ああ、聞いている」
 浩二はぼそっといった。
「多くの原因は、俗にブロークン・ファミリーと呼ばれる家庭崩壊、――ねぇあな
た」
 道代は、浩二の目のなかを覗きこんだ。すると、浩二は起き上がって、「あのなぁ」
 といって、深い吐息を洩らした。
 浩二は道代の話を聞いていなかった。道代はドキリとして、つぎの言葉を待った。
「―――」
 浩二の目に輝きはなく、ぼんやりとただ押し黙っている。昨夜のことを思い悩んで
いると道代には分かったが、それには触れず、やさしい口調でいった。
「どうしたの?」
「あのなぁ」 といって、浩二はいいよどんだ。
「なあに?」 道代がいうと、浩二は、
「お前が聞くと、気が狂ったようになる」 といい、途切れた。
 道代は胸騒ぎを覚え、[どうしたのよ。いってごらんなさいよ。わたし、絶対に怒らない。約束するわ」というと、浩二はしばらく考えて、
「本当だな」と、念を押した。
 道代が頷くのを確かめると、
「由香にーー」
「由香がどうしたの?」
「あいつにーー、子ができた」
「誰の?」
「――俺の」
 いきなり、胸を切りつけられたようで、道代は言葉を失った。
「あいつが、妊娠したらしいだ。ーー俺の子供だと、夕べはっきりいったんだ」
 一瞬、浩二が何をいったのか道代には分からなかった。
「あいつは、どうしても産むというしーー。絶対に迷惑はかけないから、産むことだ
けは認めてほしいと泣かれてしまった」
 道代は、自分の心の底に暗い洞窟が口をあけ、その中に気持ちが転がり落ちていく
ようだった。
「いつから?」
 道代は訊ねた。 つづく

森田のりえ(moritacn@earthlink.net)
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6月4日、第四回関西加州会がホテルニューオータニ大阪で開催されました。
今回はロスからの北岡さんや、常連の方が都合でこられないなど、昨年より少ない22名でしたが、懐かしいメンバーが集まり、楽しいおしゃべりで盛り上がりました。雑貨屋のPRもしておきました。来年は雑貨屋読者で元カリフォルニアにおられた方、アメリカにおられたかた、またカリフォルニアに興味のある方など、幅広く来ていただけたらいいなあと思いました。
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.ne.jp/asahi/zakkaya/weekly/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.421

雑貨屋 店主 大西良衛  but_up.gif (232 バイト) zakkaya@news.email.ne.jp