Zakkaya Weekly No.416
Ryo Onishi                                      5/2/2004

雑貨屋のひとり言 さくらの独り言 川 柳 & コント バックナンバー
成岡流お酒の楽しみ方  河合さんの・・・ 森田さんの・・・ 健康のお話 雑貨屋ホーム

バッテリーの充電器や電源コードなど、電化製品を使おうと思ったときに限って、見つからないことがあります。それがないと使えないので一所懸命探すのですが見つからない。未だにアクセサリーパーツが行方不明で、使用不可になっているものがあります。いつかひょこっと出てくるんでしょうが、もうそのときは要らなくなっているんでしょうね。(R.O.) but_up.gif (232 バイト)

大野勝彦さん講演会

自宅の庭でトラクターの清掃中に機械にはさまれ、両手を切断するというたいへんな事故に遭遇したにもかかわらず、義手で水墨画風の絵を画く詩画家の大野勝彦さん(熊本県出身・在住)の作品展が当地ロサンゼルスで開催中であることは既に当、雑貨屋ウイークリー(No.414)でご紹介しました。

目下、ロサンゼルスを訪問中の大野さんは、こちらの日本人学校などを廻って講演をされていますが、一般の人を対象とした講演会も二回計画され、先日、一回目がロサンゼルス・ダウンタウンのミヤコイン・ホテルであったので私も参加してきました。

両手に義手をはめた、いわゆる身障者である自分を隠すことなく、すべてをさらけ出し、ユーモアを交えて話をされる大野さんの語り口には、よく彼の人柄があらわれ、聴衆を引きつける魅力にあふれていました。

とは言え、話の中には、トラクターに両手を巻き込まれた息子を見ながら、そのスイッチの切り方を知らないばかりに息子を更なる大事にいたらしめた母堂の気持ちを気遣うくだりとか、奥様はじめ息子・娘たちが父親を励ますために意識して病室で明るく振舞ってくれた話など、聞く方も胸が熱くなるのを禁じ得ませんでした。

しかし、このような厳しく悲惨な体験者であるにもかかわらず、大野勝彦さんの講演は、ご自分の体験をいかに前向き人生に変換するかという積極的発想がベースになっており、たいへん感動的でした。

大野さんと同じ体験を自分がしたとして、果たして私はあれだけの心境になれるだろうか、私には自信がまったくありません。

大野さんは講演のなかで、「(運命という)なにか大きな見えざる手があって、人生の筋書き、役割が自然に決まっているように思う」とも述べ、「今では失ったものより、それによって得たものの方がもっと大きい」とも、また、「不可能と思えば、なにも出来ない。出来ると想う心が何事も可能にする」とも語る言葉は私にはたいへん重く胸に響きました。

前回も書きましたが、大野さんの筆による絵は素朴ながらも見事なタッチであり、添えられる言葉は、生きる喜び、感謝にあふれています。

「それでも生きるんじゃ。それだから生きるんじゃ。・・」――― 講演の締めくくりとして、ご自分の詩を読み上げ、そして最後に筆をとって壁に貼った大きな白紙に次のように書き上げました。
   ――― 幸せは気づいた時から始まる
         ほんとうは幸せなんだけど
         さよならのあとに気づくの ――― 勝彦

【追伸】:講演後の質疑の時に、私も大野さんにこんな質問をさせていただきました。
    (質問):大野さんは見事な詩画をお書きになりますが、あなたが小中学校時代の図画と作文の成績はどうでしたか?
 
 この質問に対し、大野さんはにこにこ笑いながら、「図画も作文も特別得意というこはありませんでした。先生にほめられた記憶はありませんネエ」――― 絵も文も才能ではなく心の問題だとよくわかりました。

河合将介(skawai@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

 

さくらの独り言「五月病・・・スパイス」

友人の誘いで、叔母を連れて東京小旅行をした。「皐月の花」をテーマに、亀戸天神の藤と根津神社のツツジ巡りだ。私の住む佃を出発して、徒歩を中心に電車やバスを利用しても4〜5時間程度で回れる小範囲だが、初めての私にとっては、けっこう楽しく、味わいのあるものだった。ゴールデンウイークの始まりとあって遠方からの観光客も多く、何処も人ごみでごったがえしてはいたが、仕事の合間に垣間見るこの風景と時がなんとも心地良く、五月病防止には最高だと、誘ってくれた友人に感謝する。

4月を年度始めとする日本では、新しい環境下でストレスが貯まる頃が、ちょうどこの時期。進学や就職受験の緊張からの解放と同時に、目標達成後の期待と絶望のギャップや混乱が、憂鬱、疲労感、不眠、食欲不振、不安感や無気力などの状態を生み出すことが多い。一般的にこれを「五月病」と呼ぶが、実際のところ確たる概念や定義のある医学用語ではないらしい。人間の脳には、気分をゆったりとさせるセロトニンと呼ばれる神経伝達物質などがあるが、新しい環境で頑張りすぎるとストレスが貯まり、このセロトニンが不足して「五月病」の原因にもなるそうだ。この「五月病」防止には、生活の中に刺激や活性化を与えるようなこと、適度のスポーツ、読書、芸術作品の鑑賞や観賞、読書や小旅行、または朝寝、昼寝などといった自分にあったストレス解消法を見つけることだと言われている。

ところで、この「五月病」のみならず珍病・難病の原因とされるストレスは、現代病などともささやかれ、いかにストレスを減らすか、解消するかが話題の中心になることが多い。しかし、これは中国の文献によると、3000年もの昔から存在したと証明されており、だとすると、人間は、いつの時代のどの世界でも、ストレスと共存していることになる。だから現代病でもなければ、解消が問題解決であると一概には言えないと思う。またストレスには快ストレスと不快ストレスがあるように、ネガティブな面ばかりとも言えないらしい。カナダの生理学者ハンス・セリエは「ストレスのない生活は味気ない。ストレスは人生のスパイスだ」と言い、適度な刺激は交感神経を活性化し抵抗力をつけるように働くと主張している。一方、不快ストレスは過剰であり慢性的に続くので、個々人に合った解消法が必要だという。それには、休養や睡眠をとりリラックスすることによって情動の沈静化をはかり、身心の疲れを癒す休息型(音楽鑑賞、新緑観賞、ヨーガ、気功、禅、瞑想)、過剰に分泌された交感神経系ホルモン(アドレナリン)を筋肉活動で消費するという運動型(軽く汗をかく程度のスポーツ)、ソーシャルサポーターとの交流による親交型(家族団らん、友人との食事やお茶やお酒などの交流)、一時的単発的効果だが快楽を追及する娯楽型(喫煙、飲酒、ゲームやギャンブル)、何かを作り出すという創作型(絵画、陶芸、料理、日曜大工、音楽演奏や庭いじり)、不快な気分や環境を換える転換型(旅行、部屋の模様替え、引越し)がある。仕事が趣味という人は、仕事をしながらストレス解消ができる一石二鳥だろうと、ストレスを抱えながら黙々と働く自分は羨ましく思う。

「皐月の花」をテーマに愉しんだ東京小旅行に味をしめ、朝夕は近所の佃や隅田川界隈の近場を散策している。日々変わりゆく色とりどりの花や緑の深さに、心響かせ、呼応する自分の和みが愉快だ。気ままに電車やバスに揺られながら、ふらっと出かけ、東京の歴史や自然を堪能する。こんな小さな旅の中にも“人生のスパイス”は充分に得られる。気がつけば、これぞ、さくら流「五月病対策」なのかもしれないっと呟く、さくらの独り言。
kukimi@ff.iij4u.or.jpbut_up.gif (232 バイト)

 

川 柳 & コント(東京・成近)

( 川 柳 )

人間に化けたタヌキの傷だらけ

整形費ほどには化けてない目鼻

舞台くるりと主流派の顔になる

バブル期のあれは木の葉の札だった

日の丸の裏が星条旗に化ける


( ニュースやぶにらみ )

「補選で自民三戦三勝」
あのトウシュでよく… −堀内監督

「年金未納問題」
この辺で納めよう −七人の大臣、菅代表

「安全」
機長が居眠りをしても大丈夫 −全日空

(東京・成近) E-mail nakawai@adachi.ne.jpbut_up.gif (232 バイト)
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

恨みのコンドミニアム
 貸していたコンドミニアムが空いた。一向に値上がりしないので、売却することに決めた。角の部屋からは、東にトーマスビンセント橋が、北はグリーン・ヒルが見える高台にある。新築の物件を購入したのだから、きれいだ。だが、買い手が見つからない。一年半ぶりにやっと買い手が見つかったと喜んでいたら、建築当時の不手際で訴訟になっているとかで、提出書類が次々とあり手続きが三ヶ月半もかかってしまった。
 もったくツイテない物件だった。
 しかし、あの時、断固「NO」と私がいい通していれば、問題は起きなかったのである。
 あの時とは、十八年前の春のことだ。付き合いだなんだかんだと理由をつけては深夜帰宅の続く夫が、その日は珍しく早く帰り相談を持ちかけてきた。
 一ヶ月後にうちの店で働くことになった若い女性がこういったというのである。
「アパートの家賃を払うつもりでコンドを買いたい。月々払い込めば、自分のものになり、投資にもなる。一年先に満期がくる定期預金でダウンペーメントはできる。それを担保にするから、立て替えてもらえないだろうか」と。
 もちろん、私は渋った。
「預金の証書を見せたから、嘘じゃない。便宜を図ってやったらどうだろう。うちで働いくのだから、間違いはないと思うよ」
 英語も達者、三十前の独身でチャーミングな女性を友人の会社から引き抜いたのは夫である。船員相手にお土産を売るうちの商売にはうってつけの人材だと、私も思った。
「ぜひ働きたい。手伝わせてください」と、女性はいった。
 だが、それとこれは別問題である。当然、私は反対をした。
「オレたち夫婦と彼女の三人の名義なら、オマエも文句はかなろう」
 いい顔をしない私に、夫は言い募った
「彼女が働くようになればオマエも助かるじゃないか。大丈夫だよ。信用してやれよ」
 オレが保証するとまで夫はいう。胡散臭い。しかし、亭主関白の夫は有無をいわせなかった。彼女まで「奥さま、弁護士を通して契約すれば問題はないじゃありませんか。わたし、騙したりしませんわ」という。信じようと思った。私は不承不承ながらコンドミニアムを現金で買うことにサインをしてしまったのである。
 彼女が引っ越してきた。事もあろうに、夫がその女のところへ入り浸るようになったのだ。さては、計画的犯行だったのか。話しが違う。私は、女の名義を抜くようにように迫った。だが、肝心の夫がフラッカフラッカしている。お望みどおり、どんなものにでもサインしますといっていた彼女が、いざとなるとこういいはじめた。
「絶対に名義は抜きません。大統領にだってわたしのサインはどうすることもできません。そのうちあなたたち夫婦が、わたしに頭を下げてくるわ」
 勝ち誇った態度に、私は肝をつぶした。女に未練を残す夫も真っ青になった。一銭も出さない女の名義をいれてしまったのだから。三つ巴である。私は「法」にゆだねるしか解決の道はないと弁護士事務所へかけ込んだ。突然、女は何もかもほったらかして日本へ帰ってしまった。一年後、欠席裁判で女の名義は抜けた。それを知った女は「欠席裁判不服」を上申してきた。それから四年の歳月がながれ、いよいよ最終判決のおりる時になって、女は示談にしてくれないかといってきた。この期に及んで何よ、片腹痛いと思った。しかし、口約束だけ信じたこちら側にも落ち度はある。妻子がありながら女の誘惑を毅然と断り切れなかったばかりか「いずれ離婚する。待ってくれ」といった、かもしれない夫にも責任の一端はある。 
 私は女の心情をおもんばかった。示談成立。恨みっこなしの決着だった。
 三人三様のドラマティクな舞台になったコンドミニアムが、ついに売れたのである。
森田のりえ(moritacn@earthlink.net)

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成岡流お酒の楽しみ方

『能登の酒匠(さかしょう)百年祭』に行こう! 
二百年祭には行けそうもないものね?! 
5月21日(金)22日(土)石川県珠洲市にて 
吟醸酒蔵みゅーじあむ 成岡 卓翁 
 能登杜氏組合から先日「能登杜氏清酒品評会100周年記念事業参加」の案内書が送られてきた。懇意にしていただいている事務局長の橋野藤子さん(ご本人は冗談で橋野とうじ「杜氏」と呼んで下さいとおっしゃる)の顔が浮かぶ。 
 昨年も99回目の品評会に招請されて珠洲郡内浦町まで行ったが、今回は100回という、とんでもない記念回に当たるので、一人で行くわけにはいかない。早速常連さんに声を掛けると「もちろん!」という返事が、何人かから返ってきた。 
 しかし、本当に皆さん行くんだろうか、疑心暗鬼でホテルの予約を躊躇していたが、もうタイムリミットと腹をくくって、珠洲に行ったら泊まる「のときんぷら」に予約の電話を入れた。まだ最終人数が確定してないまま合計12名分の部屋を確保して、三台の車もお願いし、案内書を作成してただ今募集中。 
 そこで丁度良い機会なので今号は、杜氏や蔵人の歴史などを書かせていただきます。 
  
蔵人の先鞭は但馬 
  
 手元に昭和56(1981)年11月に発刊された、美装のB5版400頁におよぶ「但馬杜氏」という本がある。そこには、日本酒の起源から、主に関西圏の蔵に出向いて酒造りをしている蔵人集団「但馬杜氏組合」の成り立ち、そして現状(もう20年以上前のことになってしまっているが)と課題まで、詳しく書かれてある。 
 ちなみに杜氏とは蔵人をまとめ指揮し責任をもつヘッドの呼称であり、平成15醸造年度現在、その数105名(蔵人総数は345名)である。 
 さて、職業集団として但馬杜氏が紹介されているのが、大正7年出版の「日本酒醸造法講義中編」に「池田・伊丹以前に大阪府下 
  
富田(とんだ)の地に酒造盛んに行われた当時、但馬杜氏を採用し酒を造ったとある点からみて、但馬流が日本で最も古い酒造りの流泳と思われる。現今の丹波流も但馬流から出たもので、灘で新工夫をこらして今日の隆盛を来したものである。」 
 ここで言われている富田は高槻市の富田のことであり、極限定された地域に供給されていた狭義の地酒蔵(後に変貌をしていく蔵もあるが)は別として、広く各地に供給する酒蔵として24も林立した富田を支えた蔵人集団が但馬人であったといえる。考察で「富田とは忘れられない但馬杜氏のふるさとに思われる」と書かれてあり、「産業」として酒造りの発祥の地、富田を支えた但馬杜氏以下蔵人は、蔵人の先鞭だったとうかがえる。 
  
時の流れで灘・伏見へ 
  
 「元禄14(1701)年に出された『摂陽群談』という本によると、伊丹酒・鴻池酒・富田酒・福井酒・池田酒の名前があがっている。」ということで、今から三百数十年前の延宝年間に、富田では盛んにお酒が造られ、栄えていく訳ですが、「元禄の世は上方(京・大阪)を中心に絢爛たる文化の花が開いた時代」に入り、前出のように関西エリアに広がり、その後江戸に幕府が開かれると「宮水」の発見や「水車精米」の普及そして船便での輸送などで灘五郷といわれる兵庫の海岸線沿いに酒どころが移っていくのです。「明治40年発行された『灘酒沿革誌』によると『池田・伊丹の酒造は主としてその近在の生瀬杜氏であり、灘五郷はその後播州杜氏の時代 
  
を経てギリモト(・・・・)という新しい技術を開発した丹波杜氏に移っていく』と述べてある。」確かに、一山二山越えた所の丹波地方の農家から大量に出稼ぎするのが理にかなっている訳です。また鉄道が敷かれ東京と関西が結ばれると、より東京に近い京都・伏見で盛んにお酒が造られ、鉄道便で東京に運ばれていったようです。 
 また、その時代に焦点を絞った池田明子著「吟醸酒を創った男」の中で、「明治40年(1907)11月17日、大蔵省醸造試験所(東京都北区滝野川)で、醸造協会主催第1回清酒品評会褒賞(ほうしょう)授与式が開催された。」と記してある。 
 そこでトップ5の優等賞に選ばれたのは 
優等1位「龍勢」(広島) 
優等2位「三谷春」(広島)優等3位「富の壽」(福岡)優等4位「高賞」(兵庫) 
優等5位「三角正宗」(岡山)(4・5位の蔵は廃業して今は無い)で、地方に分散していることは、味を競うという意味では、大きく時代が変わっていくことを象徴している。 
  
江戸中期に能登衆誕生 
  
 現在、日本4大杜氏として挙げられているのは南部杜氏(岩手県)、越後杜氏(新潟県)但馬杜氏(兵庫県)そして能登杜氏(石川県)。 
 能登杜氏は現在75名(蔵人総数345名)で、全国千余名の杜氏の中で第4位の集団であるが、起源は定かではないようだ。 
 酒屋働きの酒男を『能登衆』と呼び、一般の出稼ぎ労働者とは一線を画して言われたのが290〜300年前の江戸期以降という。 
 明治年間には、近江の大津に能登の杜氏と酒男を斡旋する『能登屋』と称する部屋(人入れ稼業、現代風に言えば職安)があって、大勢の酒男を、近江・山城方面に斡旋していたようだ。 
 近江まで片道10日前後もかかり、近江街道では『今年も能登の雁が渡ってきた』と苦笑いされ、ひたすら歩き続けたようです。そこら辺に、忍耐強い能登蔵人の底力がうかがえる。 
 明治中期以降の鉄道時代に入って、能登杜氏は北陸三県はもちろん、滋賀・京都・愛知・三重・静岡・、遠くは北海道・朝鮮半島・樺太・満州シンガポールまで進出したようです。 
 能登杜氏組合の設立とも言えるのが、明治34年初めての酒造講習会を開催し、その講習会が『能登流酒造り』の開眼であり、能登杜氏の技術に飛躍的向上をもたらされたと記録されているようだ。 
 その後毎年盛夏のころに3〜5日間の会期で酒造講習会が開催され、杜氏技術 
  
の向上、人格の陶冶(とうや)に大きな貢献を果たしたことは、現在伝承されている『能登流酒』が如実に物語っている。 
  
100回目の品評会 
  
 酒造技術高揚のため杜氏自醸酒の品評会は、明治37年第1回の品評会が開催され、年1回毎年行われ今年で100回を数えるに至った。 
 このような長年の歴史が、石川県の輪島塗、九谷焼と並び伝統芸術の集大成として、能登杜氏酒は全国的に評価されるようになり、「夏子の酒」尾瀬あきらさんをして「能登四天王」と言わしめて、70歳にしてなお現役の「満寿泉」(富山)の三盃幸一さん(この造りから顧問)、「天狗舞」(石川)の中三郎さん、「常きげん」(石川)の農口尚彦さん、「開運」(静岡)の波瀬正吉さんを高く評価し、多くの賛同者を生んでいる。 
 伝統技術に最新技術を加味し、優良芳醇な美酒を造る技は、全国新酒鑑評会においても、金字塔を打ち立てている。 昭和2年には402名の杜氏と1644名の酒男が内外で活躍した資料が残っているようだが、厳しい職場環境とアルコール離れによって、前述のような人数になっているが、そんな状況でも、前号でも触れていた「若い力」が宿りつつあることは心強い。 
 そういった意味で、「造り手」を知る格好の機会が与えられたのが今回の「能登の 
酒匠(さかしょう)百年祭」です。 
  
全国杜氏サミットも 
  
 日程は5月21日午前10時からの第100回能登杜氏清酒品評会審査会が行われ、どの杜氏のお酒が金賞に輝くのか判定される。例年は7名が審査委員で、親しくしていただいている「花垣」(福井県)の南部社長も昨年は審査委員のお一人。午後3時からは日本酒造杜氏組合連合会代議員総会が開かれ、一年間の総括と方針が決められるのだろう。 
 我々は、その日は観光を兼ねて能登半島を回り、ある人は現地でしか手に入らない「能登の塩」を買われるとか?その夜が楽しい。たぶん珠洲市の宗玄酒造で銘酒を買い込み、宿の「のときんぷら」の「炉端」で料理とお酒の相性を試し、二次会は最高級部屋で昨年夏同様大宴会をする予定。 
 明くる日の22日は、午前10時の「全国杜氏サミット」に聴衆として参加し、午後1時からの「記念公演」を聴講。 そして、これからが酒尽くしになるのだが、午後3時からの表彰式に同席、午後4時からの「日本酒まつり」になだれ込む。さて?き酒大会に優秀な成績を残せるのか? 
 もちろん、銘酒をめい一杯?き酒した後は、タクシーを飛ばして宿に帰っての二次会。自分流の能登杜氏のお酒に対する思いを語り合い、ドライバー以外は夜を徹しての酒談義に酔いしれることでしょう。 
  
輪島や海岸線を走るのも 
  
 翌日朝は、四台(京都から1台が加わわっている)の車に分乗して、一番先に帰る館長運転の車を除き、奥能登の良さを満喫するのも良いでしょう。昨年お世話になった、波瀬正吉さんや、農口尚彦さん、坂口幸夫さん宅にご挨拶するのも一つですし、能登半島の自然を満喫するのも良いのでは。 
 さて、後わずかしか「我々の枠」は有りませんが、直接事務局に申し込まれてもまだまに合うかも知れません。 
  
能登杜氏組合      0768(82)0794 
珠洲市商工観光課   0768(82)7776 
までお問い合わせください。 

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穏やかな天気の連休です。みなさんどうお過ごしですか?毎日、どこかに出かけて体を動かしています。
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Zakkaya Weekly No.416

雑貨屋 店主 大西良衛  but_up.gif (232 バイト) zakkaya@news.email.ne.jp