Zakkaya Weekly No.413
Ryo Onishi                                      4/11/2004

雑貨屋のひとり言 さくらの独り言 川 柳 & コント バックナンバー
成岡流お酒の楽しみ方  河合さんの・・・ 森田さんの・・・ 健康のお話 雑貨屋ホーム

先月、デトロイトから帰国する際、オーバーブッキングで名古屋経由の帰宅を余儀なくされましたが、その時の交通費を請求してから一ヶ月近くになるのに振り込まれず、ノースウェスト航空に文句を言いました。お客に迷惑をかけ、事後清算させ、その上、超スローな対応とはどういうことか、すぐに改めるべきだと言ったのですが、まるで昔の役所みたいな答えが返ってきてあきれてしまいました。(R.O.) but_up.gif (232 バイト)

母は強し

私たちは日本にいた頃、ペットとして猫を飼っていましたが、米国へ来てからペットなしの生活です。

でも我が家の周囲には猫が数匹います。私たち夫婦が居間からガラス戸越しに裏庭を眺めていると、猫たちがどこからともなくやってきて我が家を囲むブロック塀の上を歩いたり、時には裏庭へ降りて来たりしています。

彼(彼女)らは皆、かなり綺麗な毛並みで品位もあり、ご近所の飼い猫ではないかと思われますが、どれも首輪をしていないので野良ちゃんなのかもしれません。

少なくとも3、4匹が仲間らしく、交代でやってきては近くを歩き回り、自分たちの“縄張り”をしっかりと確保しているようです。

今年のはじめ、この中の一匹でようやく成人(成猫?)したばかりと思われる薄茶色の一匹が我が家の裏庭でニャー・ニャーと切なそうな声で鳴いているのを見つけました。

どうやら塀を乗り越えて我が家の庭に降りた迄は良かったのですが、高さ6フィート(約1.8メートル)のブロック塀が高すぎて出られなくなってしまったようでした。

妻が木戸を開けたら猫は飛び出して行きました。この猫にとって高さ6フィートのブロック塀はさすがに高過ぎたようでした。

数日前のこと、我が家の裏庭で庇(ひさし)の下に置いてあるダンボールの中から子猫たちの鳴き声が聞こえてくるのを洗濯物を取りいれ中の妻が見つけました。どうも前夜のうちに親猫が産み落としていったようなのです。

「困ったね。こんなところに子猫を産んで・・」
居間のガラス戸越しに、私たちが顔を見合わせていると突然、塀の上から一匹の純白猫が飛び降りてきました。

これが母猫なのでしょう。そしてもう一匹、ブロック塀の上からしっかり見下ろしている黒猫が・・――― これが父親猫と思われました。

母猫は周囲に警戒の目を配り、ダンボールに中に滑り込むと、いかにも生まれたばかりとわかる体長10センチ程の赤ちゃん猫を一つくわえて出てきました。そして走り出すと、一気に高さ  6フィートのブロック塀を駆け上がり、向こう側に消えて行きました。

五分ほどすると、かの母猫は再び現れ、また一匹くわえ塀を駆け上がり、そしてまた五分後、同じことを繰り返しました。その間、父親猫(と思われる)ほうは、塀の上で成行きを見守っていました。

子猫は合計三匹のようでした。私たちの観察するところ、母猫は他人の家の裏庭で出産はしてみたものの、私たちに見つかり、脅威を感じ、急遽、子猫をより安全な場所へ避難させたのだと思われます。そして父親猫はいざと言う時に備え、塀の上で見守っていたのでしょう。

子どもをくわえ見事に塀を駆け上がる姿は、まさに“母は強し”を実感させられる一幕でした。

生きとし生けるものすべて、このようにして自分たちの『種』の保存に命を賭けているのです。

最近は人間世界で“子育て拒否症”が増えているとか、そんな風潮が蔓延するようでは、人間さまは“万物の霊長”の称号を返上しなければならなくなるかも知れませんね。
河合将介(skawai@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

 

さくらの独り言桜に想う

今年、例年より1週間も早い(3月18日)開花を宣言されていた東京の桜は、寒気、雨、晴天の天候不順のおかげで開花期間が延びた。これは花見客にとって幸いだった。私の住む隅田川下流(佃エリア)のマンション群敷地内でも、つい数日前まで連夜“花見の宴”で賑わっていた。「さくら」のペンネームをもつ私も、文字通り大の桜ファンである。会社からの帰途や休日の散歩時に通る敷地内の桜並木が、いつも私の心を和ませてくれた。そんな時、自然と口ずさむ歌がある。森山直太朗の「さくら」である。

♪・・・どんなに苦しい時も 君は笑っているから
    挫けそうになりかけても 頑張れる気がしたよ・・・♪
今、色々な意味で岐路に立っている呻吟の私に、この数週間の佃エリアの桜たちと「さくら」の歌が、どんなにか癒しと励ましを与えてくれたことだろう。“岐路”−それはもしかしてこれまでの同僚や部下たちとの惜別に至るかもしれない。今の仕事そのものへの決別はさほどの未練はないが、同士・同胞(チーム)たちとの別れを思うと、さすがに心が痛む。
♪・・・さくら さくら 今、咲き誇る
    刹那に散りゆく運命と知って
さらば友よ 旅立ちの刻 変わらないその想いを 今・・・♪
このフレーズが一段と私の心に重くのしかかる。そういえば、ある夜、会社からの帰路、通りかかった“花見の宴”の一群に新社会人らしきグループを見た。聞くともなしに耳にした会話の中から、“惜別と再出発の宴”であることを知り、微笑ましくも甘酸っぱい思いが駆け巡った。自分の今と重ね合わせたからかもしれない。
♪・・・さくら さくら ただ舞い落ちる
いつか生まれ変わる瞬間を信じ
泣くな友よ 今惜別の時 飾らないあの笑顔で さあ・・・♪

佃の桜が満開を迎えた4月3日の土曜日は、なんと私の44回目の誕生日。そうだ、桜は舞い落ちても、来年また開花する。樹が倒れない限り毎年生まれ変わる。そんな風に、桜の木が私に囁いている。私もそうありたい。44歳は“さくら(私)の人生の節目”の時。桜の花は散っても直ぐに新緑を生み、着実に生と活をもたらす。私も、そういう「さくら」でありたいと、風に揺れる桜の枝に背中を押される想いになる。
♪・・・さくら さくら いざ舞い上がれ
永遠にさんざめく 光を浴びて
さらば友よ またこの場所で会おう
さくら舞い散る道の上で・・・♪

花吹雪のあとの、佃の桜も今は葉桜に変わり、燦燦と輝く光を浴びながら新しい生命の息吹を蓄えている。ならば、さくらも舞い上がろうか。同僚や部下たちとの、いったんの別れはあろうとも、大方の友情の温もりを感じながら、さくらは蘇りたい。そしてまた、彼らと笑顔で再会できる。そう信じながら舞い上がろう、この桜の木のごとく、と、つぶやくさくらの独り言。

kukimi@ff.iij4u.or.jpbut_up.gif (232 バイト)

 

川 柳 & コント(東京・成近)

( 川 柳 )

おい涙 こんなめでたいときに何故

風に泣き 風に笑った葦で終え

死神に待った まだまだ飲み足りぬ

サンダルでぶらり老後を行くと決め

会者定離旅の続きを今しばし


( ニュースやぶにらみ )

「民主党 国会審議に復帰」
やっと春休みが終わったんだね −小学生

「首相の靖国参拝に違憲判決」
二十条には厳しいんだね −憲法九条

「現代っ子肥満傾向」
太ったモヤシとは −飽食時代

(東京・成近) E-mail nakawai@adachi.ne.jpbut_up.gif (232 バイト)
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

花の詩画集
 わたらせ渓谷鉄道に乗ると、私は買ったばかりの詩画集をビニール袋から出して読みはじめた。すると、前の席に座っていた婦人が話かけてきた。
「富弘美術館へ行かれたのですか」
「ええ」と答えると、婦人は「わたしは」といって身をのりだした。
「富弘さんが群馬医大に入院していたころ、そこで栄養士をしていました」
 こんどは私が身をのりだす番だった。
 1970年6月、中学校の体育教師になって2ヶ月目、不慮の事故により肩より下の神経がすべて麻痺してしまい、わずかに動く口に筆をくわえて絵を書き詩を書いている『星野富弘』さんのことである。
 星野さんのことを知ったのは5年前の春、訪日旅行の前であった。友人が詩画集を貸してくれた。ページを開くと、草花をモチーフにした絵の力強い色使い、絵に添えてある詩が平明な言葉で奥深いこころを表現している。読みながら、いつしか私の頬を涙が伝わっていた。みにくい心、弱い心、ひたむきに自分の心をみつめる星野富弘さんとはどんな人だろう。 絶望の淵から、どのようにして生きる希望を見つけたのか。なぜ、という問いかける姿勢を捨てることができなかった。
 日本へ行くと、何はさておき、私は群馬県東村にある富弘美術館を訪れた。
 館内に入ると、星野さんがはじめて口に筆をくわえて書いたカタカナの字が拡大され、壁いっぱいに飾ってあった。平日にもかかわらず人が混み、作品をゆっくりと鑑賞することはできなかった。けれども、映写室へ入ると電動車椅子にすわった星野さんの映像が映し出されていた。
「わたしは怪我をして、こんなことをいうのは申し訳ないけれど、ほんとうに、ほんとうに幸せでした」
 驚いた。すごい言葉だと思った。
 快い余韻を残して帰途についた。そして、私は汽車の中で美術館の売店で買ったばかりの詩画集を読もうとしたときに、栄養士をしていた婦人に話かけられたのである。
「お芋が食べたいという患者さんがいるというので病室へ行くと、『わたしに出来ることは、大きく噛みきるか、小さく噛みきるか、それだけなんです』といってね。――なんてたってお母さんがエライ。息子の不運を嘆くどころか『話ができるんです。話さえできれば何もいりません』と、愚痴ひとつこぼされないんですよ」
 婦人は過ぎた日々を懐かしむようにいろいろな話をしてくれた。
「生徒たちがお見舞いに持ってくる花を、飽きもせず一日中見ていました。そして『花にも表情があります。笑ったり、話しかけたり、面白いですね』と、うれしそうにいうです」
 しばらくして、婦人は「何でしたら――」といって、考えているふうだった。
「もし、富弘さんに会いたかったら、話してみましょうか」
 ドキッとした。会いたい、でも、いったい何を話せばいいのか。そんな胸の内とは裏腹に「そんなこと、出来るんですか?」と、私は反射的に問うていた。宿泊先の電話番号を知らせて婦人と別れた。その夜、電話がかかった。
「個人的には会えないけれど、囲む会を通じてロサンゼルスへ行くようにしましょう」
 星野さんからの言付けだった。
 それから2年後、サンフランシスコで日米安全保障条約50周年記念の一環として星野富弘さんの『花の詩画展』が開催された。日本から星野さん一行がみえた。私も行った。
 直接話すことができた。昨年の訪日のときにも娘と美術館を訪れた。縁とは不思議なものである。        

森田のりえ(moritacn@earthlink.net)

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ラッキーにも甲子園での開幕試合、阪神-中日戦に行くことができました。
超満員の球場は相変わらず、すごい応援でした。あの応援が後押ししていることは間違いないと思いました。
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Zakkaya Weekly No.413

雑貨屋 店主 大西良衛  but_up.gif (232 バイト) zakkaya@news.email.ne.jp