Zakkaya Weekly No.397
Ryo Onishi                                      12/21/2003

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日本は寒い日が続きます。今朝は阪神間でも山々がうっすら雪化粧していて冬を感じさせられました。それもそのはず、気が付くと今年もあとわずかで来週はクリスマスですものね。年末の休みにゴルフを予定していますが、こんなに寒くてはやる気がしません。(R.O.)

12月になりました。今年も「第九」(ベートーヴェンの交響曲第九番)の季節です。日本では、12月になると各地のコンサート・ホールではこの曲を演奏するのが定番となっており、「第九」は俳句の季語にもなっているのだそうです。

私たちロサンゼルスの月例勉強会である「サウスベイ経営セミナー」でも11月度セミナーでは講師に篠崎靖男氏(ロサンゼルス・フィルハーモニック副指揮者)を迎えて、この名曲についての解説と、指揮者としてどう向かっているのかを語っていただきました。感動的な話でした。

 篠崎氏の解説により、「第九」がただ単に素晴らしい名曲であるばかりでなく、その内容がその時代を強く反映したものであり、作曲者ベートーヴェンの思想と彼の生きざまを深く刻み込んだ音楽であることを知りました。 

十八世紀後半、産業革命によって古いしきたりから新しい科学へ生まれ変わる過渡期の時代は、王侯貴族に無条件に従っていた民衆が目覚め始める時期でもありました。

そんな時代に生を受けたベートーヴェンが、ゲーテ、シラーなど同時代の偉大な思想家の影響を受け、後に書いたのが「第九」であり、特にシラーの詩「歓喜に寄す(アン・ディヤ・フロイデ)」はたいへん思想的な内容(これまで王侯貴族に抑圧されてきた庶民がこれからはひとつになってゆこう、という内容で、フランス革命を扇動したとも言われている)で、これが「第九」の原点になっているのだそうです。現に合唱部分はこの「歓喜に寄す」に曲をつけたものなのだそうです。

ベートーヴェンの曲は、モーツアルトのような宮廷音楽の優雅さではなく、彼の思想を一般大衆に激しくぶつけた音楽であり、そこが今の私たちの琴線に触れるのでしょう。

ベートーヴェンは生活に困窮していた若い頃、恩師から「世界中にはもっと飢えや病気で苦しんでいる人たちが沢山いるのだ。君はただ、音符をいじるだけのつまらない音楽家になってはいけない。宮廷の人たちを楽しませるのではなく、苦しい人たちを癒すものでなければいけない」と教えられ、王侯貴族か教会の庇護がなければ不可能だった時代に、新しい思想(啓蒙思想)の洗礼を強く受けていた人であったのです。

ベートーヴェンが「第九」の中で表現した“歓喜”とは、ただの喜びではなく、もがき苦しんだあとに得た“真実の喜び”なのだそうで、改めて曲を聴き直し、私も納得するところがありました。

さらにベートーヴェンの場合は個人的にも、難聴という音楽家として最大の苦悩を味わいながらも、音楽の喜びで生きようと決意しているのです。現代の私たちにも示唆に富んだ話です。

 今回のセミナーで講師の篠崎氏は「指揮者とは音楽が持っているメッセージをオーケストラに伝えて、ひとつの意思にして聴衆に伝えるのが役割である」と述べ、さらに講演の締めくくりとして、「音楽会とは夢を見る場所であり、おおぜいの人が同じ場所で同じ夢を見ることの出来る場所である」、「ベートーヴェンがいて“第九”が生まれたことに感謝したい」と述べられていたのが印象的でした。 
                             
河合将介(skawai@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

 

さくらの独り言 「見上げてごらん・・・」

つま先あがりの坂道を登りながら、高層マンション群から垣間見える空(くう)を見上げる。澄みきった冬空に北風が動くその瞬間、深〜く息を吸う。遠い宇宙の彼方から届く星の聖が、私の身心を清く癒す。寒いはずなのに何故か暖かく、身心の底に「生かされている」という深い愛の喜びが充満し、そんな一日の終わりを感謝する。これはここ3年間、東京で過ごした私の冬の体験だ。残念ながら自宅静養中で通院以外滅多に外出できない今年、バルコニーから空を望んでみた。たまたまONにしていたTVから流れる曲が、バルコニーに佇む私の胸を熱くした。それは「見上げてごらん夜の星を」だった。

「見上げてごらん夜の星を」は、1960年、ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」の主題テーマとして大阪で初公開された。後1963年、永六輔原作を石郷岡豪が脚色、監督を番匠義彰、撮影は生方敏夫によって創られた松竹映画「見上げてごらん夜の星を」が上映され、主役湯浅太平を演じた坂本九によって歌われた主題歌「見上げてごらん夜の星を」が大ヒットした。定時制高校に通う湯浅青年を中心とした若者達の青春を明るく描いた作品とそのテーマソングが、日本のその時代、高度成長期に生きる若者たちに夢と希望を与えた。私がバルコニーで聴いた「見上げてごらん夜の星を」は、シンガー平井堅と坂本九のコラボレーションにより蘇ったと称され、そのビデオクリップは日本の高度成長期から今現在までの日本の世相を映し出す映像も盛り込まれ、星空を背景とする幻想的な雰囲気の中、坂本九と平井堅がデュエットするという内容だった。数多くの名曲を残し1985年の日航機墜落事故で亡くなった坂本九の記憶も新しい私たちであるが、彼も生きて居れば、12月10日で62歳。クリスマスソングが流れる夜、ちょっと違った雰囲気で「見上げてごらん夜の星を」を口ずざんでみる。

『見上げてごらん 夜の星を 小さな星の 小さな光が
ささやかな幸せを歌ってる
見上げてごらん 夜の星を ぼくらのように 名もない星が
ささやかな幸せを祈ってる
手をつなごう ぼくと 追いかけよう 夢を
二人なら苦しくなんかないさ
見上げてごらん 夜の星を 小さな星の 小さな光が
ささやかな幸せを歌ってる
見上げてごらん 夜の星を ぼくらのように 名もない星が
ささやかな幸せを祈ってる』

さて、世界で初めのクリスマス物語には、イエスキリストの誕生した馬小屋へ駆けつけた三人の博士が登場する。彼ら博士たちを導いたもの、それは空に輝く名もないひとつの星だった。その名もない星の、その小さな輝きが、名もなき人の心に平和と祈りを届けたのだった。東京の街は今、クリスマス・イルミネーションで明るく、年を忘れようとする人の波で賑わっている。そんな風景を遠くバルコニーから想像し、家路を辿っているであろう人々に向かって囁いていてみる、「見上げてごらん夜の星を」と。なんて素敵なクリスマスプレゼントだろう・・・っと呟くさくらの独り言。
kukimi@ff.iij4u.or.jpbut_up.gif (232 バイト)

 

川 柳 & コント(東京・成近)

( 川 柳 )

草千里都会の肺が生き返る

千羽鶴折ってる麻痺の手の祈り

千回の嘘が教祖にのぼりつめ

路地裏で明治見付けた万歩計

万歳の義理が一拍遅れてる


( ニュースやぶにらみ )

「健康寿命、日本が世界一」
どうだ −薬漬け医療

「イチロー選手4年で48億円」
すげー  −ジャンボ宝くじ

予算原案、国債37億兆円」
すげー  −サラ金

(東京・成近) E-mail nakawai@adachi.ne.jpbut_up.gif (232 バイト)
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

ロスの森田のりえさんから

久々に投稿者が現れました。ロスから森田のりえさんの記事を掲載させていただきます。森田さんはロスで『T.V.ファン』などに連載寄稿されています。

植物さん

『新羅万象山茶花悉皆演義』というお経の題名のような本が送られてきた。著者「三上晃」氏は、日本の友人、S子のお父さんである。
 心づかいは嬉しかったが、四センチもある分厚さに気後れがした。帯には「あなたは植物の声が聞こえますか。SF?  いいえ、」とある。拾い読みをすると意外におもしろい。私は三日で読み終えた。
 
 本が送られてきた半年前だった。広島の実家に里帰りをしていた私に、千葉のS子から電話があった。明後日はロサンゼルスに戻るという昼下がりである。
「明日広島に行くけど、一緒に父の家に行かない?」
S子のお父さんは通称「植物さん」と呼ばれ、その分野では有名な人だと聞いていたから、いつかお会いしたいと思っていた。

 S子の家は庄屋だったそうで、茅葺き屋根の母屋に二階建ての客殿、土蔵と納屋が一列に並び白壁の横手がまわされた大きな屋敷であった。出雲街道にある山間の村である。
「厳格な父だったのよ。口答えひとつできなかったわ」
 S子が言うわりには、気さくな人柄だった。
 
 私は三上氏に、植物波などという珍しい研究を始めた動機が知りたくて尋ねた。
「わたしは生後二ヶ月で父を亡くしたんですわ。若かった母は、わたしを置いて他家に嫁いだので祖父母に育てられましてねぇ。まだ母恋しい子供です。寂しゅうて、庭の大木や動物を相手に話しかけとったんが、そもそもの始まりでしょうなぁ」

 空をながめていると雲の形が父に似ているようで、高い木に登れば会えるかもしれないと木登りをし、星を見れば、父はあの星になったのかと思ったり、子供心に「死とは何か。宇宙は生きている」とか、考えるようになったそうである。

 研究をする直接のきっかけは、養護学校の校長をしていたある日曜日の朝だった。縁側に座って庭の古木をながめ想いをめぐらせていると、はっと閃いた。
「植物同士、交信能力があるのではないか」
 地中に根を広げた植物は地下の情報をキャッチし、養分を吸収し幹や枝を養う。葉は光合成で有機物をつくりと、しだいに思索はひろがっていった。

 そのころ障害児の将来が気にかかっていた。親が若いうちはいい。親が年をとってくると、一体、子供たちはどうなるのだろう。高等部を卒業し、引き続き教育を受けさせることはできないものか。養護大学の必要性を痛感し、文部省の係官に話すと、莫大な経費がかかる。県や国には予算がない。

「校長先生、ご自分でやってみてはどうですか。私立の大学を」
 そう言って、取り合わなかった。

「その時、土蔵で見つけた『小判古金埋め置き候』という江戸末期に書かれた古文書を思い出しましてのう。埋蔵小判を植物交信エネルギーで発見できれば、養護大学をつくる夢もまんざら絵空言ではないと、まぁ、こんなことを考えたんです」
 三上氏は、声を立てて笑った。

 試行錯誤の研究の結果を本に著し、また講演などをして発表していった。ちなみに、埋蔵金は掘り当てることができなかったそうである。
 
 私は、実験室へ入れてもらい「リーフ・バイオ・センサー」で実験を見せてもらった。何だかよく分からなかった。けれども、庭木の梢をゆらす葉音に耳をすましていると、
「ようこそ、ようこそ」
 と、ささやいているように聞こえる。自然との対話を静かに発信しつづけている「植物さん」の家に漂う、清澄な雰囲気に私の心は透明になっていった。
                                              森田のりえ

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ワイフがついに携帯を持ちました。ようやくメールができるようになったのですが、デジカメで撮った写真を送れるなんてことは考えていない、いや多分知らないと思います。
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Zakkaya Weekly No.397

雑貨屋 店主 大西良衛  but_up.gif (232 バイト) zakkaya@news.email.ne.jp