Zakkaya Weekly No.377
Ryo Onishi                                      8/3/2003

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さくらさんのお兄様が亡くなられました。「さくらの独り言」ですばらしいお兄様のことを紹介されていたのでとても残念です。お兄様のご冥福を心からお祈りいたします。
R.O.)

あまり 知られていないL.A. 観光スポット(158)

サンディエゴのバルボア・パークシリーズのうち、今回はサイエンス・センターのご紹介です。
 Ruben H. Fleet Science Center
上記の“Natural History Museum”の道路をはさんだすぐ前の建物が“Ruben H. Fleet Science Center”です。ここは展示品を見学する「ミュージアム」ではなく、実際に触れたり、操作したりして体験できる「サイエンス・センター」です。
自然、、科学、数学、人体、動植物、宇宙、コンピューターなどの原理や実際を各種模型・器具を使っての実験に参加したり、またわかりやすく説明してくれるところです。休日などは家族連れ、子供達で大賑わいとなりますが、大人にとっても興味の尽きない場所といえるでしょう。このサイエンス・センターと同じ建物内に IMAXシアターがあり、こちらも人気の的です。

オープン時間:毎日9:30am− 8:00pm
入場料:$6.75(大人)、$6(シニア)、$5.50(子供)。但し、毎月第1火曜日は無料。
電 話:(619) 238- 1233
  WebSite:http://www.rhfleet.org/
(注)またパーク内共通パス(13ヶ所共通で$30、13ヶ所+動物園で$55)をビジター・センターで入手可能です。

 行き方は次の通り(Torrance方面よりの場合)
(1) FWY#405(南)→ Orange County, Irvineで FWY#405 は FWY# 5と合流、FWY# 5 となる。
(2) FWY# 5 になってからさらに南下、San Diego市へ入り、San Diego空港を通過してすぐFWY# 163(北)へ入る。
(3) FWY# 163(北)へ入ってすぐのBalboa Park / Quince Dr.出口でFWYを降りる。
(4) FWYを降りたらBalboa Dr.を左折(南へ)し、すぐの El Pradoを再び左折(東へ)すると正面に Balboa Park 入り口ゲートが見える。 
(5) ここまでの行程 ;(Torrance方面からの場合)約130マイル、ドライブ約2時間。

河合将介(skawai@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

 

さくらの独り言いつものように

2003年7月30日午後10時44分、実兄、「純ちゃん」が逝った。52歳と9ヶ月の生涯だった。今年2月28日、3ヶ月から長くても半年の命という末期下咽頭癌を告知された。早すぎた旅立ちではあるが、戦いを見事に戦い抜いた凱旋であった。「純ちゃん」という人は、全てのことをこどもの様に受け入れ、おとなの様に分かち合う人だった。そして「純ちゃん」は、逝くその時まで、どんな時も毎日を、「いつものように」過ごした人だった。

喉に魚の骨が刺さっているみたいだが(自覚症状)、こんなことぐらいで病院へ行くのは恥ずかしいと実姉(純ちゃんの妹:私の姉)にもらしたのが、今年1月のことだった。その時既に、病魔は純ちゃんの全身を蝕んでいた。そして大学病院におけるありとあらゆる検査の結果、なす術は何もない状態だと本人に告げられた。それからこの6ヶ月足らずの間、3月に癌腫瘍の圧迫による窒息を避けるための穴を気管に、5月に栄養分補給に必要な手段として胃に穴を開けた。そして6月末、3度目の入院をし、そのまま逝ってしまった。3度の入院生活を含むこの6ヶ月間の純ちゃんは、まるで52年の人生を集約したようなものだった。手術の立会いや昇天寸前の看病も含め、妹である私に純ちゃんは多くのことを教えてくれた。遠くに居ても近くに居ても、いつもそうだった。「ありのままを受け入れ、ありのままを委ねる」自由と勇気で全うする人生の素晴らしさを、その息づかいを、教えてくれた。

「純ちゃん」から学んだことを話すなら、何日あっても足らない。でもあえて集約するなら、「不安を平安に代える自由」、「無力の自分をありのまま受け入れ、ありのまま委ねる勇気」、「偉大なるものの存在を信じた力」、「生かされて生きる静けさ」、そして「全てを祈りと感謝に代える信頼」だ。これらを自然にかほらせ、いつもの様に生きた。純ちゃんの友人が言った、「不思議ですね、死んでいく純ちゃんから、生きている私たちが生きる力と喜びを得るのです」と。純ちゃんの告別式では、参列者一人ひとりが「別れの言葉」を一言ずつ贈った。どの言葉にも共通していたこと、それは純ちゃんが徹頭徹尾貫いたこと、「ありがとう」だった。

4人きょうだいの末っ子である私には、兄、姉そして兄が居る。「純ちゃん」は、長兄であるが、人生を独身で貫いた。だから告知後は、なるべくきょうだいが時や想いを共有できるようにと、それぞれが工夫した。彼と一緒に過ごすことは勿論、電話、eメールや便りなどを通して春から夏へ、自然な流れの中で「家族」であることを感謝して過ごした。よって残された私たちきょうだいは今、何一つの悔いもなく、憂いと潤いに満たされている。ただひとつ、荼毘にふされる点火ボタンを押さなければならなかった母の想いを考えると、なんとも忍びない。しかし母は言った、「純ちゃんは、こんなに多くの人から愛され、そして多くの人を愛して、世界一の幸せものだ」と。純ちゃんは、逝ってしまい、もう居ない。残された想い出や海よりも藍く深い想いが沢山たくさん残されている。そして今、いつものように時が過ぎていく。風の囁きにのって純ちゃんの声が聞こえた気がする「いつものように」、っと、さくらの独り言。


sakuratsubomi@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

 

川 柳 & コント(東京・成近)

( 川 柳 )

旬の字を誇りに露地の茄子 胡瓜

賞味期限書き換え私今が旬

切り売りの笑顔が弾く計算機

たらればを詰めて空き缶蹴飛ばされ

あっち向いてホイ 素直な首の自己嫌悪


( ニュースやぶにらみ )

「国会閉幕」
さあ選挙だ居眠りはもう終わり −改選議員

「偽札防止に万全」
黒い金防止も出来たらなあ −新一万円札

「高校野球始球式に登板」
丸投げが得意です  −小泉首相

(東京・成近) E-mail nakawai@adachi.ne.jpbut_up.gif (232 バイト)
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

至福の2泊3日ー奥能登杜氏を訪ねて
開運の波瀬杜氏さん宅にようやく到着 みゅーじあむファンクラブ 角 田 和 穂

 7月もまた何かと忙しかった月。その中を、名杜氏波瀬正吉さんを訪ねる旅を呼びかけた。波瀬さんにアポをとって7月19日(土)から21日(月・祝日)にお邪魔することをお願いし、最初10人はすぐ集まるだろうと思い宿舎を押さえたが、思うようにエントリーがない。
 4〜5人ででも行くかと腹を決めたとたん、1泊2日で参加したいという人が次々と名乗りをあげ、結果は初日7名二日目13名の参加で、車3台に分乗してのツアーになった。今回もお客さんで、波瀬さんの大ファンの角田和穂さんに原稿を書いていただきました。

・・・早朝五時出発の第1グループ 

 「波瀬正吉さんに会いに行きませんか?」とみゅーじあむの館長からのお誘いがあったのは7月のはじめ。三連休の7月19,20,21日に能登に行き、杜氏さんからいろいろなお話を聞きに行くのだという。もちろん、お酒を飲みながら。
 三連休、たしかに都合は何とかつけられる。実際お会いして、その人の醸した酒を飲むなんてことはめったにできる経験ではない。これは行こう!行かなければならない!そう思ったのは私だけではなく、結果14名の参加希望者があったが、仕事の関係でどうしても行けずに、涙を飲んだ人も少なからず・・・。
 参加希望者はいずれも忙しい時間をやりくりしての旅行である(例外はあった)。往路3グループ(二泊組=早出組、遅出組に一泊組)復路4グループ(20日一人で帰る人、21日早朝帰る二人組、昼帰る四人組、夕方帰る七人組)行き帰り7つのグループに分かれての大移動となった。
 私の参加したのは二泊組の早出組グループ。高槻を朝の5時に出て、金沢で観光と食事を楽しむグループです。

 ・・・九時三〇分には金沢に

さて、能登に行くと決まれば気になるのが天候。祈るような思いで天気予報を見るけれどもいずれも雨。それも梅雨の名残りの大雨になるという。もともとが波瀬さんに会いに行くための旅行、観光は二の次と言い聞かせてはいるものの雨は避けたい。
 当日の朝、目覚めるとすでにうす曇。弁当忘れてもかさを忘れるなといわれる日本海側。雨になるなと覚悟して傘をバックに入れて集合場所に向かった。
朝の五時はすでに明るいが、新聞配達のバイクが行き逢うぐらいで人どおりも少ない。遠くからでも待ち合わせの人があ!来た!とすぐにわかるぐらい。金曜日の夜10時頃まで「たま絵」さんに居たという人もいて、大丈夫なのかなと心配したが、みんな荷物を持って無事に高槻を出発。
いつも混む171号線もスイスイと進む。見込んでいた時間よりも早く名神に入り、北陸道に入って行く。
途中南条サービスエリアで休憩を兼ねた朝食をとる。蓮の葉を練り込んだうどんや、名産のおそばを注文する。味の方はまあまあといった感じ。昼食の楽しみを増して一路金沢に向かう。スイスイと相変わらず車は快調。時間調整もあり金沢の一つ前にある徳光ハイウェーオアシスで休憩をとることにする。ここは砂浜に下りて行くことができるのでゆっくり海辺を散策。
順調な私たちの旅とは違い、9時30分、遅出組から名神で渋滞に巻き込まれているとの連絡が入り、計画に狂いが生じるのではないかと一抹の不安を感じ始めた。(まだまだ時間にゆとりはあるのに)

   ・・・戦国の要塞妙立寺

金沢は見るところがたくさんあるが、滞在できる時間に限りがある。今日の宿の「ラブロ恋路」には4時にチェックインして遅出組と合流し、6時には波瀬さんのお宅に着かなければならない。何しろ波瀬さんと飲むお酒四合瓶19本は、すべて早出組のトランクのクーラーボックスの中。万一遅れれば何も飲むお酒がないことになる。金沢に滞在できるのは午後2時まで。そのあとは奥能登に向かわなければならない。
 第一に向かったところはみょうりゅうじ妙立寺別名忍者寺と言われ、あちらこちらにからくりが施されており、一人で回ると迷子になるので、予約を取りガイドと共に拝観をするのだという。何度訪れても良いところだと紹介され、まさにその通りと感じたが、紙面の関係で詳しくはお伝えできない。お寺というよりもお城のようで、ありとあらゆる攻撃を想定してつくられた加賀百万石最後の要塞。結果的に利用されずに終わっているが、生き残りを掛けた戦国末期の武将の心構えが伝わってくる。
 ともあれ金沢に行かれた際には一見の価値あり。近くには老舗の和菓子の支店や、お土産屋さんもある。そこでは暑い中の観光を気遣われてか、お菓子とお茶を振舞っていただいた。
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 ・・・金沢の食には大満足

 九谷焼の窯元や大樋焼の窯元を横目で見ながら、蛤坂を抜けて行き武者屋敷の一角に出る。道すがらそれぞれの街角のお店やお寺や家などを見ながら「あ、室生犀星さんが、ここに養子にきている!」「犀星の犀の文字は犀川から取ったものなのかな。」等と話しながら歩いて行く。さらさら流れる川のそばの土壁。それに写る庭の樹々の陰など、もっとゆったり見て歩きたい。金沢の町にはそんな雰囲気がある。
 さてそうは言うものの、金沢の一番の楽しみは食事。「鷹の羽」というお店の加賀会席を味わうことにしている。このお店は金城楼の姉妹店のようなものだが、お値段は比較的お手ごろ。
 料理の中身はグレープフルーツの薄切りの上にのる載った烏賊と鰹のお刺身や、瓜を載せた治部煮など工夫を凝らしていて実に美味しい。マナガツオの西京焼は、良い焼き加減でご飯とよく合う。冬にはこれが鰤の焼き物になるのでその頃にまた是非とのこと。みんな食べるのに忙しく、しばらくは沈黙の時間が続く。オリジナルブレンドという「黒帯・鷹の羽」は、私がみゅーじあむで飲んでいるお酒とはひと味違い、日頃の幸せが実感できるもので少し残念。

 ・・・遅出組に追い越された?

食事の後、兼六園の側を通り、飴の俵屋本店に向かう。小さな通りにある有名なお店。武家屋敷の近くにも支店はあるが、あの雰囲気をぜひ味わいたく、ガイドブックで探しながらたどり着く。駐車場に車を止めてお店に入る。
独特の雰囲気のある店内で気さくな店員さんに試食をさせてもらいながら飴をあれこれ選ぶ。冬虫夏草入りの飴や高麗人参入りの飴などもあった。飴を選んでいるとドライバーの清水さんがなかなかこない。何かあったのかと思っていると、車のエンジンがかからないという。
ただ今午後1時30分。JAFに連絡をとり様子を見にきてくれることになっているが、どの程度の故障なのか見てもらうまではわからないと仰る。(そりゃそうだ)つまり、金沢をいつ出発できるのか分からない・・・・・
ちなみに遅出組は渋滞を抜け出して、すでに金沢を過ぎ奥能登に向かっているとの連絡。追い越されたのである。

 ・・・波瀬さんと飲むお酒がない?

JAFを待っている間はなにをすることがない。ご一緒した岡さんが携帯電話を2日前に持ったばかりで、取扱説明書を持参されているので、その携帯でメールアドレスなどの設定をしてすごしていた。
メールのやりとりや、登録の仕方など一つ一つ設定していく。のんきに楽しんでいる私たちをよそに、到着したJAFの人と清水さんの話し合いは深刻そうだ。
「エンジンがかからない」
「牽引して修理工場まで運んでみないとなんともいえない」……。牽引車が来るまでもうしばらくかかるとなったのが3時30分。修理工場に着いてすぐにレンタカーを手配しても、到底間に合わない。随時連絡を入れて状況は伝えていたが、間に合わないことが確定して連絡した時、館長の「ええ!」の声がいつまでも耳に残った。「どうしよう。波瀬さんと飲むお酒がない!」そう、お酒は全て我々が持っているのです。
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 ・・・能登路のドライブは快適

牽引車がやってきても車をすぐに移動できるわけではない。牽引の準備が要るということを私は初めて知った。ただならぬ様子に交通整理役を買って出てくださった近くの電気屋さんのご主人、駐車場を快く貸してくださった俵屋さん、それから牽引の準備のために一車線を占領した我々を待ってくださった金沢の皆さんに「有難うございます」とお礼を申し上げたい。
館長の焦りをよそに時間は過ぎていく。牽引車に引かれて車は修理工場に運ばれて行く。30度の角度に牽引されている車はなかなか快適で、呑気な同乗者は眠り込んでしまっていた。運転手の清水さんだけが、時計を睨んで考え込んでいる。ことの深刻さを彼だけは分かっているのだ。
修理工場に到着すると、なぜかエンジンがかかる。この際どうしてかかるようになったのかは問題ではないが、またかからないようになってもらっては困る。この際ちゃんと見てもらうことになった。
そうして、この工場を出発できたのが4時30分過ぎ。応急の整備とエンジンが止まらないように気をつけること、もしも止まった時の対処方法を聞いてさて、出発するぞとなった時、ひとつの質問がだされた。
「ここはいったいどこでしょう?」さて、後は早い早い。車はビュンビュン走り、能登有料道路をどんどん走る。パトカーが前を走っていたりしているが、運転手は快調に飛ばして行く。千里浜海岸のきれいな夕日をみながらのドライブは快適?

 ・・・波瀬さん宅に八時到着

目的地に近づくにつれてひとつの不安が湧き上がる。今日の宿「ラブロ恋路」までの道はわかるのだろうか?館長に早速連絡を入れる。だいたいの道を確認して、おおよその到着時刻を予想し合う。
遅出組は先に「お酒を持参しないで」波瀬さん宅にお邪魔し、我々が後から追いかけることにする。
飲酒するのだから宿に車と荷物を置いて、タクシーで波瀬さん宅に向かうことになるが、果たして住所だけで波瀬さん宅までたどり着けるものなのだろうか?「そりゃわかるでしょう。」と館長は請合ってくれているが・・・・。 ともかくも今日の宿を探し出すことが先決。住所を頼りに恋路海岸を目指す。快適に走れる道路と道路標識だけがたより。実際問題として道路標識が細かく整備されていてどんな場所にもほとんど地図を見ることなくたどり着ける。もちろん運転手の土地勘の良さにも助けられているのは事実だが。
道路標識も内浦町恋路を示し始め、宿の人に連絡をとる。目印になるようなお店を言いつつ道案内をお願いする。宿の人が説明される通りの風景が目の前に広がっていき、ラブロ恋路に到着。宿に飛び込みタクシーを頼む。この時すでに7時30分。タクシーを待っている間に荷物を部屋に運び込み、大きい方のクーラーボックスを降ろしてタクシーに積み込む準備をする。
タクシーの運転手さんに住所を伝えるが「うーん。住所を言われてもねえ。なにか分かるもの(目標)はないかね。」と言われてしまう。
再度館長に連絡をとり、回りに目印になるものを確認する。「小学校が近づいてきたら連絡ください。私が家の前で待っています。」との館長の声をそのまま運転手さんに伝えると、ほっとした表情で車のスピードを上げてくれた。目的地がわからないのに車を走らせるのはやはりいやなものだったのだろう。
波瀬さんの家の前に立つ、館長の姿を見た時の安堵感はしばらく忘れられない。   (つづく)

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雑貨屋を愛して下さっている読者の皆様、投稿者の皆様は雑貨屋を知人や友人に紹介して頂いていることと思います。私も、機会あるごとに雑貨屋をぜひ読んでいただきたいと思う方だけに紹介させていただいています。

先日のゴルフコンペの参加賞でジャンボ宝くじをもらいました。
今年は、阪神の優勝できそうですから何が起こっても不思議はないと思いつつ、抽選の日を楽しみにしています。ところでその宝くじ、どこに置いたかなあ・・・。

雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.ne.jp/asahi/zakkaya/weekly/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.377

雑貨屋 店主 大西良衛  gp-bmail.gif (1852 バイト) zakkaya@news.email.ne.jp

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