Zakkaya Weekly No.335
Ryo Onishi                10/13/2002

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すっかり秋らしくなりましたね。電車でわずか数分でいけるJR伊丹に最近オープンした関西最大のショッピングモールに行ってみました。秋日和の連休ということもあり、大変な混みようでした。モールの構造やデザインはサウスベイにあるギャラリアにとてもよく似ていました。懐かしく感じたと同時に、十数年前にトロント、ロス駐在時代に見たコトが日本に来ているなあと気づきます。次はいったい何がくるんでしょう?思い出してみます。(R.O.)

あまり 知られていないL.A. 観光スポット

(132)California Citrus State Historic Park

la132_01.jpg (39443 バイト)ロサンゼルス周辺の南カリフォルニアをドライブすると、オレンジ、レモン、グレープフルーツなどの「柑橘(かんきつ)類」を栽培する広大な農園が目につきます。ここは「柑橘類」の産地として有名であり、ここから国内外各地へ出荷されています。

 南カリフォルニアに柑橘類が始めて持ち込まれたのは1769la132_02.jpg (50714 バイト)年スペインの伝道師によるとされていますが、本格的に柑橘類栽培が始まったのは 1840年代始め現在のリバーサイド市とされています。

その後1873年、米国農務省からリバーサイド在住のティベッツ(Tibbets)夫妻のもとへ2本のブラジル原産の「ネーブル・オレンジ」の苗木が送られ、この2本のネーブル・オレンジがその後の南カリフォルニアを大きく変えることになりました。

現在南カリフォルニアには、数百万本のネーブル・オレンジが植えられていますが、そのほとんどはこの2本の親木から増えたものと言われています。

la132_03.jpg (51577 バイト)California Citrus State Historic Park”は、このような南カリフォルニア「柑橘類発祥の地」であるリバーサイド市の一角にあります。

将来計画まで含めれば377エーカーという広大な地域を有するこのパークは、苦難を経ながらも輝かしい歴史を刻んできた柑橘類産業の歴史を語ると同時に、消えつつある景観を保存するため 1993年にオープンしました。州公園局によって運営されている非営利組織です。

栽培地域には約100種類の各種柑橘類が植えられ、それぞれに説明の標識が添えられいます。

柑橘類の栽培で重要な要素は土壌、気候、それに水と言われます。ここではそれらの関係を実際の現場でわかりやすく理解させてくれます。

このパークでオレンジ類の樹木を目の当たりにすれば、カリフォルニア州が「ゴールデン・ステート」と呼ばれる“もうひとつの理由”が柑橘類であることを理解するでしょう。

また、広い敷地の中にはピクニック・エリア、パーティなどのファンクション用の建物などが用意されています。また小高い丘に登れば周囲の景観を楽しむことが出来ます。

パーク入口にあるビジター・センター(兼ギフトショップ)にはボランティアの人が常駐し、質問すれば親切に説明してくれます。

また、パーク内のツアーもグループで申し込めばガイド付きの案内があります。

なお、上記ティベッツ夫妻の育てた2本のネーブル・オレンジの原木(親木)はその後、1本はホテル経営者のフランク・A・ミラーが譲りうけ、リバーサイドにあるミッション・インというホテルの中庭に、時の合衆国大統領植セオドア・ルーズヴェルトによって植えられましたが、この木は数年後に枯れてしまいました。

もう1本はリバーサイド市に寄贈され、パーム・アベニューとマグノリア・アベニューの交差点脇に今も残っています。

この木はカリフォルニア州歴史記念物20号に指定され、専門家によって大切に守られています。

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      所 : 9400 Dufferin Ave., Riverside, CA 92516

    オープン日:毎 日

    ゲートオープン時間:8:00am ? 7:00pm

    入 場 料:無 料

    問合せ電話(グループ・ツアー申し込み含む): (909) 780- 6222

    Web Site: http://www.co.riverside.ca.us/activity/parks/citrus.htm

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行き方は次の通りTorrance方面よりの場合)

(1)            FWY#91を東へ。

(2)            リバーサイド・カウンティへ入り、FWY#15を通過してから更に約7マイル程FWY#91を東へ進み、Van Buren Blvd. / Arlington出口でFWYを降りる。

(3)            FWY を降りたところが Indiana Ave.なので、それを左折、すぐ最初の道路であるVan Buren Blvd.を右折(南へ)。

(4)          Van Buren Blvd.を1.5マイル進み、Dufferin Ave.を左折(角に大きなオレンジの標識あり)したところに Park入り口がある。

(5)            全行程 ;(Torrance方面からの場合)約55マイル、ドライブ約1時間。

河合将介( skawai@earthlink.net )but_up.gif (232 バイト)

さくらの独り言とうきょう

「東京をこんなに恋しく想う様になるなんて」と言いながら、ひと月が過ぎた。国内外出張には慣れていたはずの自分だったので、驚いている。訳もなく「TOKYO」を好きになった自分を知る。不思議にも想うが、また嬉しくも想う。「東京へは、もう何度も行きましたね、君の住む華の都」というフォークソングがあった。20年以上も前のことだ。東京の何も知らない頃の自分だった。出張先から「のぞみ」を下車し、東京駅八重洲口の改札口を出ながらこの節を口ずさんでいる今日この頃である。そして「とうきょう!」に心を感じ始めているさくらである。

九州に住む最愛の姪が、この連休に上京している。彼女にとって二度目の東京である。前回は私も休暇をとって東京案内をした。今回は彼女が友人を同行したことをいいことに、「若者だけで楽しみなさい」とホッポリ出した。姪は、人(私)の家にお世話になっておきながら、「私は東京には住めないなぁ」とポツリと言った。「私もそう想っていたんだけどね、住めば都とは言ったものよ」と私は言った。「絶対東京には住めない!」と言い張っていたこの数年前までの自分を想い返し、無知で頑固だった自分を恥かしく想う。

東京を恋しく想う自分の意外性もさることながら、東京には沢山の意外性がある。東京の街づくりがパリを目標に進められた事実は、面白い。明治13年、江戸幕府に代わって行政を引き継いだ明治政府は、東京を日本の首都とし、都心を対象範囲とした都市計画を始めた。4年後の明治17年、東京市区改正条例が策定され設立された委員会では、『東京をパリのシャンゼリゼ通りのように美しい街路樹の道が縦横に走り、各所に装飾を施された建築物が配置された町並みを目標とした』そうである。しかし日清戦争の勃発による事業費引下げにより、都市計画は交通網整備事業へと形を変えた。また、東京には意外にも湧き水が多い。なんと280箇所が確認されている。しかし、地下鉄工事や高層ビル建築により、地下水の水量減少を辿っているようである。さらに、東京の墓地などには海外のそれに似たユニークさがあり、これも東京の意外な一面である。この様に東京の意外性に触れるようになったのは、兄貴分玉三郎の影響も少なくない。「観光バスでは連れて行ってくれない東京名所めぐり」に連れ出してくれる。ちょっと怖い運転手に眼をつぶることができるなら、日本や東京の歴史や文化や生活そのものに触れ、「とうきょう」を堪能できる最高の時となる(ご予約ご希望の方は妹さくらまでご連絡を、勉強させて頂きます:笑い)。

たった2年の間に、「とうきょう」が他の誰かの街から自分の街へと存在化した。いやいや、実は東京に融合している自分が居るのかもしれない。「住めば都」とは、こんなことかもしれない。「意外」な東京に触れながら融合するこの現象は、人の出会いにも似ている。色々な人に、様々な形で、この東京を舞台に出会っているのだと実感する。シャンゼリゼの並木に負けない街路樹が、私の人生や心に模様を描いているのだと想う。それが私に東京を恋しくさせている一番の理由かもしれない。「とうきょう」は、やっぱりいい、うん、いいと、独り言をのたまうさくらの独り言、、、「とうきょう、乾杯!」

sakuratsubomi@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

マキちゃんの健康のお話

−シンケツぎみな方へ..。のお話し−

あぁ..もう秋ですねぇ..季節の変わり目..なんてぇ〜時に現れる、誠に嫌な現象が
『神経痛』。

この『神経痛』の症状として、

●痛みの出るような客観的原因が見当たらない。
●痛みは知覚神経の経路にそって発生し、そのうち特定の場所は押すと非常な痛みがある。
●痛みは起きたり鎮まったりする。

っとまぁ結局、原因がわからない痛みを『神経痛』と診断されてるわけなんです
ねぇ。
で、原因が明らかになった時点から、晴れて『神経痛』から独立して、別の病名とし
て扱われるようになります。

っということは、医学が進歩した行く末には、『神経痛』なる病名は使われなくなる
筈。

『神経痛』と似た症状で、筋肉痛、脊髄障害、ヒステリーなどがあります。
しかし、筋肉痛は、痛みが神経の経路に一致しないのと、痛みが持続的。
脊髄障害は、ごく初期の頃は見分けがつかないんですが、進むにつれ特有な症状が出てくるし、ヒステリーによる痛みは物理的に関連性のない痛みとして現れるので、そ
れぞれ『神経痛』との分別がつきます。

また、ひとつの神経系統ではなく、体のアチコチが痛む場合は、リウマチや多発神経炎といって、『神経痛』とはチョット質が違ってきます。

『神経痛』の痛みは神経の末端が刺激される事によって発生します。
つまるところの、炎症、圧迫、牽引などの刺激が加わるんですが、それらを生み出す直接的原因はさまざま。

例えば、
●組織の老化による変性。
●寒冷などによるアレルギー反応
●更年期障害
●精神的ストレスによる刺激物質の産生。

などなど。また最近は、血管の異常収縮や血流障害などの血管系の障害も重大な原因となっている事も注目されはじめています。
これらは、血液性状が混乱して細胞組織の新陳代謝が正常に行われなくなったためといわれています。

また、痛みは人によってまちまちで、『神経痛』の苦しみは他人にはなかなかわかっ
てもらえないのが世の常。
しかも、痛いことで焦りや恐怖心で、痛みを自ら倍増させてるケースもあります。

いずれにせよ、あんまり激しい痛みを持続させてると、血圧アップ、胃炎、自律神経
の失調なんかの二次災害にもなる可能性があるので、鍼灸、温泉、指圧などの療法で、まずはなんとか痛みを和らげることが先決です。

あとは日頃からの予防なんですがーっ、方法はまた来週ぅ〜。

蒔田 龍人
officeMAKITA
www.officemakita.com
www.makita1.com
mail@officemakita.com

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川 柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

十薬(ドクダミ)の苦さよ 遠い日の母よ

氷河期の会社巡りを十幾つ

根性のパンチ カウントテンに吠え

富弘の詩画に貧しい我が十指

神無月ですよ 貧乏神さんよ


( ニュースやぶにらみ )

「株価急落」
神無月なんて言ってられない  −貧乏神

「マツタケ300箱」
マツダケなんてとんでもない  ー拉致被害家族
 
「ノーベル化学賞」
うれしくて、ちょっとショック  −43才一会社員

(東京・成近) E-mail nakawai@adachi.ne.jpbut_up.gif (232 バイト)

あっこのおいしいロサンゼルス

満腹したら食休み(44)

「友人」

「友人」と一口に言っても何度会っても緊張を覚える相手と、リラックスして心から話せる友人とがあるのは誰でもであろうが、私はどうやらその2種類の垣根をはっきり作ってしまうようである。

緊張を覚える相手としゃべると、まず舌が回らない。沈黙が緊張を増幅させるような気がして何か話さなくてはと強迫観念さえ覚える。そんな状況で話していると、途中で自分が何を言っているのか、言いたいのか、わからなくなり話の収拾がつかなくなってしまう。

また、そういう相手に限って会ったときに渡すべきものを忘れていたり、間違ったことをしでかす。挙句にそんな自分を妙に卑下した会話になり、1人でコメディアンを演じているようなものである。全く悪循環もよいところだ。

特に相手にコンプレックスを感じているわけではないと思うのだが、深層心理は自分でもわからない。そうなると自然と緊張を覚える相手とは縁遠くなってしまい、社交辞令的なお付き合いになってしまう。

それとは逆にとてもリラックスして付き合える友人がいる。別にこれという話題で始まった会話で無くても、話はどんどん広がっていき、やがてお互いの考えや心のありようが手にとるように理解でき、時間が経つのも忘れてしまう。そして、心の琴線に触れるフレーズが会話の中に必ずあるものだ。

あえて時間を作って会うことをしなくても、たとえ久し振りに会ったとしても、会った瞬間からいつもの自分のままですぐに話し始めることができる。だからと言って好き放題を言い合うのではなく、そういう友人とはお互いに相手を緊張させずに自然と気遣いあうものだ。

人によって対人関係のありようは様々であろうし、心地よい距離の取り方も様々であろう。

昨年ロサンゼルスから日本へ帰国した友人と久し振りに再会、我が家へ1週間滞在してくれた。彼女とは出会った最初から不思議と馬が合い、何の緊張も無くスッと話ができた数少ない友人の1人である。そして食べること飲むことでも気が合った。

急な帰国でそんなに長い付き合いではなかったし、帰国後も筆不精の私は日常の雑事に紛れて、連絡を取ることも少なかった。おまけに今回の再会も、私がかねてよりボランティアで手伝っているインターナショナルアートフェスティバルの開催と重なり、1日としてゆっくりと共に時間を過ごすことができなかった。

彼女の人柄の良さから、当地に友人は多く、日中は忙しく過ごしていたが、私と話すのは眠たい目をこすりながらか、リレー式に彼女の友人へ彼女を託すために移動する車の中だけであった。だけど、その一瞬一瞬の彼女との会話はどれも久し振りに私の心をリラックスさせ、私自身を取り戻す時間となった。

今回、彼女は日本であった不幸の巡礼の旅としてロサンゼルスを再訪した。彼女の心は悲しみに溢れているはずなのに、周りを思いやる心は数倍に大きくなっていた。そしてその思いやる心は自然と、対する人に心を開かせてしまう。なんという人間としての成長であろう。私は彼女の不幸に同情するのではなく、彼女の心の成長を賞賛する気持ちで一杯になった。私の勝手で言わせて貰うなら、私は彼女をソウルメイトとして感じている。心から。そして彼女の夫Mの冥福を心から祈りたい。

さっか あきこ akikosk@webjapan.combut_up.gif (232 バイト)

一口コラム:「今週の時事ジョーク(51)」

NY株続落、ナスダック過去6年で最安値

アメリカ株式市場は10月4日、主要銘柄30種平均(ダウ工業株平均)の終値が遂に7,528ドル40セントと、4年11カ月ぶりの安値をつけました。また、ハイテク株の多いナスダック市場の総合指数の終値も1,139.90という低さで、こちらも6年1カ月ぶりの低水準です。

 アメリカも、ほんの10年ほど前の好景気の頃は、ダウ平均が2万ドル、ナスダック市場も5千ポイントという時代もあったのですが、そんなことは遠い夢の話にりました。

――― さて、これからがジョークです。

アメリカの“株”と“ナスダック”の値が大暴落、というニュースを聞きつけた、日本の私の祖母から私に国際電話が入りました。

「日本の“デパチカ”の食品売り場では“お漬物”の値段が高くてわたしゃ困ってるんだよ。アメリカでは“蕪(かぶ)”と“茄子(なす)”が安いそうだから、今度おまえさんが日本に来る時に、その“蕪(かぶ)”と“茄子(なす)”を出来るだけ買ってきておくれ」

(“ナスダック”と言うからには、「茄子とアヒル(ダック)のごった煮」になるのだけれど、日本のおばあちゃんは食べられるかなあ?)

羅府の庄助 ( skawai@earthlink.net

編集後記

日本吟醸酒協会が主催する「秋の吟醸酒を味わう会」に初めて参加させてもらいました。78銘柄の蔵元が出展していて会場はおおにぎわいでした。おつまみなどなしで、ひたすらいろんな銘柄のお酒を味わうのですが、いくらお酒が好きでも何十種類ものお酒を試していくと酔ってくるし、疲れてしまいます。おみやげにすばらしい大吟醸酒をもらったので家でゆっくり味わって飲んでいます。

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http://www.ne.jp/asahi/zakkaya/weekly/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.335

雑貨屋 店主 大西良衛  gp-bmail.gif (1852 バイト) zakkaya@news.email.ne.jp

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