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1289号

No.1289     Ryo Onishi              1/24/2021

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雑貨屋のひとり言
雑貨屋ホームページを開設したのは1997年3月で、マイクロソフトのFront Pageを使って作成しました。Front Pageは永年使って来たソフトウェアで私にとっては使いやすいのですが、2014年4月にWindows XPと同時にサポートが終了しました。
後継のソフトウェアはあるのですが、使い勝手が悪く、だましだましFront Pageを使ってきました。
雑貨屋は今年が25周年となるのでここらでFront Pageを卒業したいと思いました。
20年くらい前からレンタルサーバーを使っていて、ドメインアドレスを持っているので、サイトの作成ができるCMS(コンテンツ管理システム)をサーバーにインストールしてホームページを作成することにしました。この システムをサーバーにインストールし、新しいホームページの試作、実験を始めたところです。新ホームページはPC、タブレット、スマホ に対応しているので見やすくなります。
PC上にソフトウェアを入れる必要がなくどこでも編集ができるのでiPadでも編集可能になります。 サンプルができましたら、執筆者や読者の皆様にご意見を伺いたいと思っています。《R.O.》
 

 

 

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )

令和三年別名コロナ二年です

コロナ禍に狂った国の羅針盤

コロナ禍がとどめわが社も壇ノ浦

コロナ禍をロボット鼻唄で見てる

コロナ禍という国債の膨らし粉

( ニュースひとりよがり )

「団結」
Yes We one −バイデン大統領

「変わり凧」
逆風が苦手なんです −菅凧

「大学入学共通テスト」
問題はコロナと雪だった −受験生

河合成近
nakawai@kf7.so-net.ne.jp

 

龍翁余話

龍翁余話(662)「国旗」

1月27日は『国旗制定記念日』である。
そこで今号は改めて『国旗』を考える。
日本人が海外旅行をした際、それぞれの国がいかに国旗を大切にしているか、国旗に対していかに愛着とプライドを持っているかを知ることが出来る。いや、そんなことに気付かない日本人も多い。アメリカは合衆国ではあるが、アメリカ国民となった以上は“星条旗”の前では起立・敬礼など身を以て愛着・敬意の態度を示す。そればかりではない、普段でも道路や公的な場所(施設)、一般家庭の庭やバルコニーなどにも星条旗が掲揚されている光景をよく目にする。一方、日本は皇室・政府行事の時やオリンピックなどのスポーツの国際試合の時を除いて、普段“日の丸”に対する特別な感慨を示す行動は取らない。海外の有識者からは「21世紀の日本人の多くは国際感覚に優れ、国際マナーもそれなりに身につけているが、いま1つ“国旗”に対するプルトコール(国際儀礼)に欠けているのが残念だ」と言う声も聞かれる。これは戦後、日本の教育現場が国旗.国歌について(その歴史や意味について)厳格に教えなかった、と言うより、日教組と言う偏った左翼思想の教育者どもが国旗・国歌・愛国心を意識的に排除して来た結果、国旗(及び国歌)に対する愛着・敬意・国際儀礼(心)に乏しい民族にしてしまったのだ(と、翁は断言する)。

翁が居住している品川区(戸越銀座近く)に越して来たのは44年前。その頃は正月3が日・建国の日・終戦記念日・天皇誕生日などは街の数軒の玄関先に“日の丸”が掲げられていた。それが年を経るごとに減って行き、今年の正月は遂に翁の10階のベランダだけになってしまった(写真)。“日の丸”に対して「戦争を想起する」とか「右翼の象徴」と言う間違った意識を持つ人が多いのも日教組教育の弊害だろう。

これまでに小欄(『龍翁余話』)で何回か『国旗』を取り上げて来た。その中から2009年6月に配信した(85号)題名も同じ『国旗』の1部を抜粋しよう。
【拙宅(マンション)は、玄関を入って直ぐの部屋がパソコンやプリンター、書棚などを置いてある仕事部屋になっている。初めての来訪者は、その部屋を見て、たいてい驚く。部屋の乱雑さに、ではなく、365日掲げてある大小1つずつの“日の丸”に、だ。時々やって来る友人たちも初めは奇異に感じたらしく「龍翁さんは右(右翼)ですか?」と、ストレートに訊ねた後輩もいた。翁いわく「俺は右でも左でもない、ただ純粋に、こよなく日本国を愛する日本人だ。日本人なればこそ”日の丸“と”君が代“に愛着と誇りを持ち、大切にしている。それを右と言うなら、間違いなく右だろう。但し、俺は戦争賛美者でもなければ街宣車で(スピーカーの音量をいっぱいにして)軍歌を流したりガナリたてる右翼団体とは無縁だ」最初いぶかっていた彼らも、その後はごく自然に“日の丸の部屋”に入って来るようになった。翁の“愛国心”を理解してくれた証拠だろう。と言うか、彼らも実のところ本質は“愛国者”なのだ】――翁が現役を退いてから“愛国者”たち(友人や後輩たち)は頻繁に拙宅を訪れ、「憲法」、「自衛隊」、「領土問題」、「日米安保」、「外交問題」などについて議論を交わした。中でも翁の“嫌中・嫌朝・嫌ロ”については、彼らも次第に同調してくれるようになった。彼らから貰うエネルギーのお陰で翁も歳をとるのを忘れるほどだった。それが昨年来、コロナ禍によって来訪者はいなくなり翁の老化進行が気になり始めた。早く“愛国者”たちとの激論再開で“老脳”に刺激を与えて貰いたい。

さて本論に戻る――『日本国の国旗』は(安津素彦著『国旗の歴史』によると「“日の丸”は古くから軍扇などに、また、江戸幕府はこれを船印として用いたが、幕末の黒船来航によって我が国の国旗を明確にする必要から、水戸藩主・徳川斉昭(第15代将軍・徳川慶喜の実父)、薩摩藩主・島津斉彬、備後福山藩主・阿部正弘らの意見によって1854年(安政元年)に、日本総船印は“白地に日の丸”と定められた」とある。“白地”は、平和と汚れのない美しい心、“赤い丸”は、不変の太陽、不変の国家安泰、丸は円満、赤は燃えるが如き愛国の心を表すそうだ。日の本・日本の国旗としては真に体を成し、これ以上のデザインはない。翁、改めて先人の“日の丸”への思いに敬意を表したい。

1870年(明治3年)1月27日に明治政府は太政官布告として日章旗を“御国旗”と規定したが当時は、それほど“法のしばり”はなく政府や国民は習慣的に“日の丸”を国旗として使用した。日本が1894年(明治27年)の日清戦争以来、対外戦争を繰り返す中でいつの間にか“日の丸”(日章旗)が日本国の国旗として定着した。大東亜戦争(太平洋戦争=第2次世界大戦)終結(1945年)後、GHQ(連合国軍総司令部)の命令で日章旗の掲揚は(1949年まで)禁止されたが、解禁後も法的制定は行なわれず、20世紀が終わろうとする1999年(平成11年)に、やっとのことで『国旗・国歌法』が制定された。それまでに日教組をはじめ共産党など左翼系が“反日の丸”、“反君が代”を扇動した。だから“日の丸”、“君が代”に抵抗感をもつ日本人、愛国心の乏しい日本人が多く生まれたのだ。

『国旗』は国民の心であり誇りでもある。どこの国でも国旗を尊重する。それは単に自国の国旗だけでなく他国の国旗に対しても敬意を払わなければならない。それを前述のプルトコール(国際儀礼)と言う。ところが以前、どこかの国で他国の国旗を引き裂いたり焼いたりする愚行をテレビで視たことがある。彼らは己れの文化・教養レベルの低さ、低俗な国民性を露呈しているようなものだ。改めて言う「“日の丸”はけっして軍国主義の象徴ではない。日本の行く道を世界に示す“平和への指標”であることを肝に銘じようではないか」・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

梅と桜

自宅から歩いて30分ほどの所に梅ヶ丘公園がある。今月の上旬頃にどのくらい梅が咲いているか見に行った。まだ梅の花は所々赤い花がポツリポツリ咲き始めたばかりだった。
毎年、2月にはそこで梅祭りが行われる。今年は流行り病のお陰でイベントは中止だろう。
だから今回は個人、個人が梅を鑑賞する静かな公園のお花見になりそうだ。

先週、母がお世話になっている病院に精密検査の結果を聞きに行った。母は死刑宣告でも受けるような緊張感と不安な日々を過ごし、この日を迎えた。
お陰様で全ての科で良い結果が出たのでほっとした。

明るい気持ちになって久しぶりに病院の敷地にある庭に出て見たら早咲きの桜が咲き始めていた。
スッキリと晴れた青空に桜の花が映えて綺麗だった。
ところが同じ病院の敷地にあるハーブ園を見たらすっかり雑草に覆われて荒れ果てていた。
毎年秋に行われていたオープンホスピタルのイベントも中止されハーブガーデンのお手入れをするボランティアも集まらないのだろう。院内のホスピスにあるテラスに作られたハーブガーデンは
どうなったか気になる。
一輪の花やハーブの香りが人の気持ちを癒す事は科学的根拠やデーターでも示されている。
毎年、このハーブガーデンで採れたハーブでお茶を入れ香袋やドライフラワーを差し上げる時喜んでくださった人の笑顔が思い出される。

流行り病のお陰で世の中の風景がすっかり変わってしまったけれど淡々と季節は巡り時に応じて花が咲き緑が芽吹く。この法則は変わらない。自然界からのエネルギーも人間には必要な栄養素の一つだ。
今週の晴れた平日、また梅ヶ丘の公園に出かけてみよう。


茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言

今週はお休みです。

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

Carlos Franzettiの”Ricordare”というシブいアルバムを見つけたのですが、検索したら1249号で紹介していたので、別のアルバム”Argentum”にしました。
小気味のいい美しいピアノを聴かせてくれます。

"Argentum” Carlos Franzetti

01 LA CASITA DE MIS VIEJOS
02 LA ONCENA
03 ARGENTUM
04 MILONGUITA
05 BANDONEÓN, GUITARRA Y BAJO
06 ROMANCE EN SEPIA
07 ZAMBA PARA NO MORIR
08 COMO DOS EXTRAÑOS
09 MILONGA DEL ADIÓS
10 TÚ
11 NADA
12 DIABLIT
 


ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

 

編集後記

コロナ禍のような未知の前例のない問題に立ち向かうには従来の古い考え方の政府では後手にならざるを得ないと思います。台湾のように新しい風を取り込める度量を持つことが大事になってくるのではないでしょうか。自分たちができないならできる人にやってもら い、責任は自分たちがとるというスタンスで物事をスピーディーに進めてほしいと思います。
 

雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1289

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/indexY.htm

              tenshu@zakkayanews.com