龍翁余話(640)「懐かしの古賀メロディー」
“コロナ禍”でステイホームを余儀なくされている昨今、1日1日の過ごし方については、これまでにも当『余話』で何回か“翁流退屈の凌ぎ方”を紹介した。その中の1つに少年時代に特訓したギター練習の再開がある。と言っても(少年時代と違って)左指の動きや弦の押さえ方、右指の弦を弾く力が鈍り、なかなか“いい音”が出ない。加えて、視力の低下と共に楽譜の読み取りとその反応(左指の動き)も衰え“新しい曲”への挑戦が難しくなって来た。そうなると弾く楽曲は自然と(昔覚えた)懐メロの“思い出し弾き”が多くなる。それとて(遠い、遠い)昔に暗譜した曲だから直ぐには思い出せず、スムースには弾けない。と言うか、思い出せないので(弾くのを)止めてしまうこともある。比較的高度なギターの名曲『禁じられた遊び』『二つのギター』『ドナウ川のさざ波』『ラ・クンパルシータ』などは、イントロ(序奏)ていどが精いっぱい。そうなると(ギター曲の定番)、古賀メロディー『丘を越えて』『酒は涙か溜息火』『影を慕いて』『サーカスの唄』『人生の並木道』『誰か故郷を思わざる』『湯の町エレジー』などの“思い出し弾き”が多くなる。
それも、つっかえ、つっかえ、だが・・・
NHK朝ドラ『エール』の第33話が13日に再放送され、窪田正孝が演じる主人公の古山裕一(作曲家・古関裕而がモデル)の友人で野田洋次郎が演じる木枯正人(古賀政男がモデル、イメージはだいぶ違うが)がカフェーで『影を慕いて』を歌うシーンを視た。翁は藤山一郎や古賀政男自身が歌う『影を慕いて』が耳にこびりついているので野田の歌声にはそれほどの魅力は感じられなかったが、翁のギター演奏の“思い出曲”『影を慕いて』を聞いて懐かしさがこみ上げ、急に古賀政男(1904年〜1978年)に会いたくなって、猛暑日の某日、東京・代々木上原の『古賀政男音楽博物館』へ出かけた。
小田急線・千代田線「代々木上原駅」から徒歩3分、炎天下ではあったが、それほど労せず博物館に到着。建物1階(右側)の「けやきホール」は以前に数回(親友のコンサートなどで)来たことがあるが、(左側の)博物館は初めてだ。入館料440円(通常は550円、“コロナ禍”の現在は使用出来ないコーナーがあるので割引)を払って入館。時期柄、体温測定と氏名・電話番号を記載して早速2階の展示場へ。いきなり、両壁いっぱいに飾られたレリーフ群に圧倒される(写真中)。貰ったパンフによると「日本の大衆音楽文化の発展に貢献した作詩家・作曲家・歌手・編曲家・演奏家の業績を讃える殿堂」とある。総勢291人の面々。現役で活躍している人もいるが、懐かしい故人が多く、その中に(お互いに作曲家として新人時代に競い合った)小関裕而を見つける(上の写真右)。
3階に上がる。ここからが本格的な“古賀政男の世界”――真正面のビデオで古賀政男の弾き語り『影を慕いて』の映像を視る。翁、少年の頃から(古賀メロディーに)憧れていたので、胸に迫り来るものがある。書斎(写真中)や、くつろぎの日本間(写真右)などは私邸の1部を移築したとのこと。居間に上がり、畳の上で胡坐をかいて瞑想していたら、古賀政男の(出身地・福岡県大川市なまりの)優しい声が聞こえて来るような気がした。
古賀政男の楽曲は大勢の歌手たちに歌われた。藤山一郎、淡谷のり子、ディック・ミネ、霧島昇、奈良光枝、伊藤久男、二葉あき子、三波春夫、青木光一、村田英雄、島倉千代子、美空ひばり、都はるみ、五木ひろし、森進一など枚挙にいとまがない。中でも特に近しい門下生と言えば、近江敏郎(歌手・俳優)、大川栄策、小林幸子、美川憲一だろう。ほかにギターの愛弟子にはアントニオ古賀 鶴岡雅義(東京ロマンチカ・リーダー)、山本丈晴がいる。レッスンに使われたピアノ(写真左)、愛用のギター(写真中)も古賀政男の歴史を物語る。また彼は数々の勲章を受賞している。例えば従四位、勲三等瑞宝章、紫綬褒章などあるが“日本人の心に響く大衆音楽発展の功労者”としては、やはり国民栄誉賞(写真右)が一番、彼にふさわしい褒章ではあるまいか。
生涯作曲5000曲を超える昭和の大作曲家・古賀政男の出世作『影を慕いて』(作詩・作曲)は、初恋に破れた彼が1928年の夏(彼の学生時代)傷心旅行で青根温泉(宮城県川崎町)を訪れ自殺を図ったその時、蔵王の夕焼けを見て思い止まり『影を慕いて』の詩が浮かんだ、と言う秘話がある。そのせいか博物館で聴いた彼の弾き語り『影を慕いて』には哀愁が漂い翁の胸に迫った。“コロナ禍”はまだまだ続く。翁もホームステイで更に『懐かしの古賀メロディー』のギター練習に励むとしよう・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |