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1264号

No.1264     Ryo Onishi              8/2/2020

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雑貨屋のひとり言

木曜日の夕方、私たちの住む地域でゲリラ豪雨が発生しました。大雨警報と洪水警報が発令され、2時間近くも雷を伴った激しい雨が続いたので河川が氾濫を心配しました。各地で豪雨災害が発生していますが日本のどこにいても起こるということをあらためて認識させられました。もう完全に日本の雨事情は変わってしまいました。これまでの常識や基準は通用しないと考えたほうがいいでしょうね。これからの台風シーズンが心配です。水害対策の検討を始めたいと思います。《R.O.》

 

河合将介さんのコーナー 

休止中です。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )

生きるためとはいえよくぞ蟻の穴

定年の庭にミミズのいる畑

鉢割った濡れ衣ポチが首すくめ

人間が忙しすぎる牛の視野

捕鯨禁止だよと畑にやまくじら  


( ニュースひとりよがり )

「元大関が復活」

困ったな元首相が −ポスト安倍

「意見交換」

三密でいきましょう −安倍、二階、岸田

「梅雨明ける」

さあコロナと勝負だ −熱中症

 

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(637)「8月は鎮魂と憤怒の月」

8月の別称は「葉月」、葉が落ちる月だから、そういう呼び名がついたそうだ。しかし、葉が落ちるのは秋だろう、と思うが、旧暦では8月は秋なのだ(8月7日が立秋)。そうは言っても「ヒグラシ」「アブラゼミ」「ミンミンゼミ」などのヒステリックな鳴き声を聞くと、8月はやはり夏だ――翁が小学校3年生の夏休み、大人たちと一緒に『玉音放送』を聴いた時も、耳をつんざくような夏ゼミの鳴き声が響き渡る、炎天下の8月15日の正午だった。あれから75年、この8月は日本人にとって絶対に忘れてはならない『鎮魂の月』である、と同時に、翁はあえて言う「8月は『憤怒の月』」なのである――

8月は、大東亜戦争(太平洋戦争)の戦没者約360万人(軍人軍属約230万人、外地一般邦人戦没者約30万人、内地戦災死者約50万人、広島・長崎原爆犠牲者約50万人)のご冥福を祈る『鎮魂の月』であることは言うまでもないが、更に翁は、今なお激しい憤りを禁じ得ない『憤怒の月』であることを忘れまじ、との思いで今号の『余話』を書くことにした。

『憤怒』<その1>は(当然のことながら)「広島・長崎への原爆投下」である。昭和20年8月6日、広島市に落とされたウラン原子爆弾は、爆心地で摂氏3000度もの高熱を発し、広島市の約70%を破滅、投下直後の死者は約16万6000人。次いで9日、長崎市に落とされたプラトニウム原子爆弾は長崎市の50%を焼き、投下直後の死者は約7万人。2都市の原爆による死者は(直近のデータによると)2019年8月現在で広島31万9186人、長崎18万2601人(合計50万1787人)と記録されている(数字には多少の差異がある)――原爆の恐ろしさは今更言うまでもなく、爆発の瞬間に膨大なエネルギーを放出し強大の破壊力があることと、もう1つは爆発時に大量の放射能を発することで、被爆者はその後、長期に亘って後遺症(原爆病)と闘わねばならないことである。その悲惨さ(悲劇)は筆舌に尽くし難く(被爆者でない)翁は、被爆者の地獄の苦しみを語る資格はない。しかし世界で唯一の原爆被爆国・日本の国民の1人として翁は、世界に向けて「ノーモア ヒロシマ」「ノーモア ナガサキ」を永久に叫び続けなければならない使命を痛感している。

『憤怒』<その2>は「ソ連の日本への宣戦布告」である。日本とソ連は1941年(昭和16年)に「日ソ中立条約」(相互不可侵条約)を結んでいた。ところが、いよいよ日本の敗戦が濃くなった頃合いを見計らっていたソ連は「日ソ中立条約」を一方的に破棄し(日本時間の)昭和20年8月8日深夜に突如“宣戦”を布告し翌9日早朝(当時、日本領だった)満州や南樺太、朝鮮半島、千島列島への軍事侵攻を開始した。日本側は、まさかソ連が、卑劣極まりない一方的な「日ソ中立条約」の破棄を想定していなかったのと、すでにその時期、日本軍の将兵も武器も食糧も疲弊していたため充分な応戦態勢が整わず、交戦の主導権をソ連軍に渡さざるを得なかった。満州・朝鮮半島・南樺太の在留邦人や、日本固有の領土である択捉・国後・色丹・歯舞(北方4島)の島民(日本人)にとっては恐怖と怒り以外の何物でもなかったことだろう。その後ソ連(現在はロシア)は北方4島を国際法上違法占拠し続けて今日に至っている。故に翁は、ロシア人(政府)を“ロスケ”と見下し“ドロボーネコ”と蔑んでいる。ソ連は北方4島を不法占拠したばかりでなく満州や南樺太などで捕虜にした旧日本軍将兵や在留民間人など約65万人(1説には100万人とも)をシベリアの強制収容所に連行(これはポツダム宣言違反)、過酷な環境下で強制労働をさせ、6万人以上の日本人捕虜を死亡させた。この非人道的な“戦史悲話”も絶対に忘れてはならない。

『憤怒』<その3>は「小山克事件」(しょうざんこくじけん)である。昭和20年8月13日、満州・吉林省の小山克で、日本人避難民を乗せた列車を支那人(中国人)の暴民が襲撃し日本人を虐殺、日本女性を辱めた。蹂躙された日本女性は集団自決、これまた憤怒の“戦史悲話”である――田川 清著『終戦』(中日出版)の第3章「満州国崩壊」に描かれている『小山克事件』から抜粋する(概要)――【8日の朝、新京を出発した避難列車が九台駅に到着すると、鎌などで武装した暴民たちが待ち構えていた。暴民たちは客車に乱入し避難民(日本人)から金品を奪い、抵抗する者を虐殺した。九台駅を出発した列車は、いくつかの小さな駅を素通りして吉林駅に向かった。夕刻に(吉林駅の手前の)“小山克トンネル”に差し掛かった時、小銃などで武装した暴民たちは列車を停止させ客車に乱入、暴民たちは抵抗する者(日本人)を射殺、母親が抱いている乳児を奪って窓から放り投げて殺害、女性を車外に連れ出し輪姦を始めた。蹂躙された(または、襲われそうになった)女性たち100人以上が崖から谷底に身を投げ自決した。他の避難民たちは、事件を知らせるため脱走しようとしたが、ことごとく暴民に射殺された。唯一、谷底に転落し負傷していた13歳の少女が5キロ先の吉林駅に辿り着き、事件を知らせることが出来た。知らせを受けた日本軍(関東軍=吉林駐屯部隊)の一個大隊600人が“事件列車”に急行、暴民たちを鎮圧した・・・】(以下、省略)――

ソ連の「卑怯な日本侵攻」と「北方4島不法占拠」については、今も続く「北方領土返還」キャンペーンで日本人の多くはその“歴史”と外交(日ソ交渉=現在は日ロ交渉)の経緯を知っていると思うが、「日本人捕虜のシベリアでの強制労働と虐待による大量死」については、翁は(以前)靖国神社でお目にかかった“生還者”の話(証言)をうかがって、大きな衝撃を受け“憎つくきロスケ”の思いを更に増幅させた。また「小山克事件」については(最近読んだ)前述の田川清氏の著書『終戦』によって知り得た“戦史悲話”である。
『憤怒』事件はまだ沢山ある。中国共産党軍・朝鮮人民義勇軍らによって日本人約3000人が虐殺された「通化(つうか)事件」もその1つ。翁“ロシアと中国の大罪”を徹底的に糾弾したいのだが不勉強の上“脳渇”が進む現在、それらの『憤怒』(戦史悲話)を暴ききれない己れを歯がゆく思う“8月”である・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

昔のレシピ

ある日、クライアントさんからレシピを頂いた。昔、良く料理をしていた頃のものだそうだ。‘いらなかったら捨ててね“と言われたけれど見ていたら時代を感じさせるレシピもあり、とりあえず何枚か写真に納めた。その中で鶏肉料理がいくつかあって興味をそそられた。手書きで書かれたレシピには “にわとりの手羽 支那風” と書かれていた。昔は日本でも田舎などでは鶏を一匹、丸ごと料理するのは珍しい事では無かったようだ。シナと言えば昔、広州の自由市場に行った時に見た光景は驚きだった。

 

鶏を初め豚やら何の動物かわからないけれど一匹丸ごと露店の軒先にぶら下がっていて気味悪く早々に退散した。本当は旅行の予定には無かったのだけれど中国人の日常生活が見たいという事で現地の添乗員に特別リクエストして連れて行ってもらったのだ。ユタに引っ越した友人も日頃見ていたLAのコストコのストアーと違ってユタのコストコは肉のセクションで牛がそのまま、ぶら下がっていたのを見て仰天したらしい。モルモン教が多いユタ州では家族や親せき、教会の結びつきが強く皆で集まって会食する事も多く買い出しして皆で牛一頭を解体し貯蔵しておくらしい。
田舎の方では、そういった食料を長く保存、貯蔵出来るスペースが個人の家でも確保されている所が多いのだそうだ。私の場合、魚でも鶏でも豚でも、そのオリジナルの姿が残っているものから料理する事は苦手だ。
そして、もう一つのレシピは何かの雑誌の切り抜きだろうか、どこの家庭でもよく使われていた“ほんだし”の広告が掲載されているページに “鶏手羽先の香味揚げ” が載っていた。こちら日系人のキッチンには大抵、この味の素の “ほんだし”が置いてある。
そして醤油はキッコーマンが定番だ。
次に見つけたのは古そうな新聞の切り抜き。日付が左から読むようになっていて
1955年6月2日の日付になっている。漢字にふり仮名がふってあるものもあるけれど読めない漢字もある。このレシピには “チキンのおでん” と書かれてある。
今は冷凍食品やドライフードの技術も進み加工食品もたくさん出来、主婦の人達には
料理が楽になったと思うけれど、この時代の主婦は毎日、買い物かご(今で言えばマイバッグ)を持って毎日その日の食材を買いに行き、毎日考え料理をしていたのだろう。
何だかそんな平和な時代が懐かしい。

茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言

今週はお休みです。
 

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

梅雨が空けました。その前から聞こえていた蝉の声が一層賑やかです。
蝉の声は日本のどこにいても聞こえますから、日本人はこの声で夏を共有できていることになります。カナダにいた時もロスにいた時も蝉の声は聞いたことがありません。彼らがこれを聞いたら驚くのではないでしょうか?

今週は766号で紹介して以来のサックス、フルート奏者の小林香織のアルバムです。小林香織のサックスを久しぶりに聴きました。軽快で爽やかな音は夏にぴったりではないかと思います。

"Saxo Sentimental"   小林香織

01-Europa 4:25
02-unshine 7:44
03-Chicken 9:02
04-The Bodyguard 4:00
05-My Way 4:46
06-My Love For You 6:31
07-Smooth Jazz 3:02
08-Phantom Of The Opera 0:31
09-If You Want Me To Stay 10:11
10-Energy 4:35
11-Sunset Ocean 7:02
12-Endless Love 4:26

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

 

編集後記

コロナウィルスと共存しながら経済もうまく回したいと政府はGO TOトラベルに熱心ですが、新規感染者がどんどん増え、国民は不安を抱いているのに何もせず、どうしていこうとしているのか見えません。
PCR検査数を増やしているとは言え、コロナの症状が出てもPCR検査をなかなか受けさせてくれない状況が続いています。もし自分たちに怪しい症状が現れたらPCR検査をしてもらえるのかどうか不安になります。
日本は人口当たりのPCR検査数が世界で159番目で世界最低レベルです。何故こうなるのか全く理解できません。
こんな検査体制の日本にオリンピックのためにやってくる選手や観光客がいるのでしょうか?逆にこられても困ります。

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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1264

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com