中村包丁
他人の家のキッチンで料理をするようになってから7〜8年は経つだろうか、、、、、その間、いろいろなスタイルのキッチンを見てきた。そのうちキッチンを見ると、何となくその人のライフスタイルや嗜好、健康状態までがわかるようになってきた。と言うと偉そうに聞こえてしまうかもしれないけれど、、、、キッチンの道具や調味料の品揃えや食器のセンスなどを見ているとイマジネーションが湧いてきて、ああやっぱり、、、、と思う事が多い。
それにしても米国の日系人のキッチンは和洋折衷で面白い。戦前、日本から持ってきたのかもしれないと思う時代もののお茶碗があるのにフォークでご飯を食べていたりステーキ用のナイフはたくさんあるのに青ネギを薄く切る包丁が無かったり切ればトマトの皮ごと潰れてしまう、お粗末なナイフだったり、、、、、やたらと包丁の数は多くても重くて使いにくく手が痛くなるようなものばかりだったり、、、、なかなか自分が気に入る包丁の出会いが無かった。とにかく切れ味が悪いと素材の味も変わる。切れない包丁を使っていると余計に力が入りケガをしたりもする。そんな不満足な気持ちの中で、やっぱり包丁は自分が使いやすいものを持参した方がいいなと思っていた。ある日、クライアントさんのキッチンの引き出しを整理していたら奥の方から、だいぶ古そうではあるけれど使いやすそうな包丁が出てきた。使ってみたら妙に手にしっくりと馴染んで持ち手の所もパーフェクトだった。青ネギを切ったら、ちゃんと薄く切れた。カボチャのような硬い皮にもスッと刃が入って切れた。
どこかのすぐ欠けてしまうヤワなセラミックの包丁とは違う。トマトの薄い輪切りも綺麗に切れて気分がいい。一体どこの包丁かと見てみたら中村包丁と書いてあった。クライアントさんにどこで、この包丁を購入したのか聞いてみたら、さっぱり覚えていないとの事。彼女はカリフォルニアのサクラメントで生まれ戦前に日本に戻って山口県で育っている。戦争が終わってからハワイそしてロスに来て結婚をして現在93歳。そのどこの時期に中村包丁を手に入れたか記憶には無いらしい。私がその包丁を気に入ったと言ったら即 “そんならあげるわよ”とあっさり私にくださった。そんなわけで私の仕事バックの中には先週から中村包丁が納まっている。次回、日本に行った時にどこで購入出来るのだろうと包丁の持ち手に書いてある電話番号、住所そして中村包丁とパソコンで打ち込んでみたら都城商工会議所のホームページにヒットした。そこで中村包丁の事が紹介されていた。何だか嬉しくなって都城商工会議所へ中村包丁の使い良さについてコメントを書いた。すると私のコメントを見た都城商工会議所のK氏が中村刃物製作所の会社の方に届けてくださったのだ。その後、中村刃物製作所からも丁寧な、お手紙を頂いた。その手紙を読んで感動した。中村の包丁は1本1本手作りなのだそうだ。だから、やっぱり何か違うのだ。手をかけたぶん、人のぬくもりや魂さえ感じる道具なのだ。毎日使うものだからこそ、自分が気に入ったものを使いたい。それで料理をしたら満足いく美味しい料理が作れるはずだ。そうしたら食べる人もHappyな気持ちになる。そして手紙には、この中村刃物製作所は都城では一件しかない昔ながらの鍛冶屋だという事が書かれてあった。この鍛冶屋という言葉にもピピっと反応してしまった。久しぶりに聞く鍛冶屋という言葉の意味を調べていたら“村の鍛冶屋”という歌が出てきた。聞いてみたら子供の頃に聞いた事のある懐かしいメロディーだった。歌詞を聞きながら昔の暮らしに思いをはせた。村の鍛冶屋の歌詞の一部を聞いたら思い出される方も多いだろう。
暫しもやまずに 槌うつ響き
飛び散る火の花 はしる湯玉
ふいこの風さえ 良きをもつかず
仕事に精出す 村の鍛冶屋
あるじは名高き いっこく老爺
早起き早寝の 病知らず
鉄より堅しと ほこれる腕に |
この歌は尋常小学校の唱歌で大正元年に作られたそうだ。説明によると鍛冶屋職人の仕事を通じて働く事のすばらしさ尊さをうったえるメッセージソングなのだそうだ。
素晴らしい!パチパチとパソコンの前で一人拍手してしまった。
そして、頂いたその手紙には謙虚で職人気質を思わせるような文面で“少しでも長く皆様のお役に立てるよう日々精進しています。”と書かれてあった。
私などのような者が送ったメッセージに従業員全員、元気を頂いたとも書いてくださった。その事もとても嬉しかった。見も知らずの私のコメントを中村刃物製作所の方に届けてくださったK氏の方のコメントが最後に添えられていた。“橋渡しが出来て自分も幸せな気持ちになりました。ありがとうございます。”と。私の方こそ幸せな気持ちにさせて頂いてありがとうという気持ちなのだ。こんなひょんな事から人生はカラフルになる。今度、日本に行った時の旅に中村刃物製作所も訪れるつもりだ。また、楽しみが増えた。
この数か月、未曽有の疫病騒ぎで世界が混乱し闇の中に沈んでしまったような日々が続きTVでは、その話題ばかりだった。もちろん私の頭の中もその事で一杯だった。そんな中一筋の明るい陽射しが差し始めたような気がした。日本の素晴らしい職人さんたちが、また日本を世界を牽引する時代が来ますように、、、、私たちが忘れかけていた大事なものにたくさんの人々が気が付いてくれますように、、、、
茶子 スパイス研究家 |