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1229号

No.1229     Ryo Onishi              12/1/2019

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雑貨屋のひとり言

1988年トロントの日本人補習校で子供たちが同じクラスだった縁で私たち3組の夫婦は出会いました。結婚した年月が同じという偶然もあり、 トロント滞在中は家族ぐるみのお付き合いをさせていただきました。お陰様で トロントでの生活が思い出深いものになりました。3組がそれぞれ静岡、千葉、兵庫に帰国した後も私たちは、1994年の結婚20周年には伊豆で、2004年の30周年には白川郷で、2009年の35周年には島根県松江で、2014年の40周年には軽井沢で再会しました。そして45周年の今年は11月25日に箱根で再会しました。箱根にし ていただいた理由は私たちが富士山を観たいと希望したからです。25日は天気が良く、東名高速で箱根に向かう途中から笠雲がかかった富士山が大きく見えて感動しました。箱根は台風21号の豪雨で大きな被害を受けたので心配していましたが、 今はかなり復旧していて観光客が戻ってきています。強羅では温泉も楽しめましたし、紅葉も楽しめました。私たちにとって初めての箱根は思い出深いものになりました。5年ぶりに6人が会いましたが、トロントにいた頃と同じ雰囲気で話がはずみ、途切れることはありませんでした。70歳前後になった私たちはこれまで大病もなく元気な姿で会うことができたことに感謝しています。 また5年後に健康な姿で会えるよう健康管理をして生活したいと思います。《R.O.》

 

河合将介さんのコーナー 

休止中です。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )

開けゴマ顔認証でドアが開き

お帰りとロボットちゃんが言ってくれ

マネーゲーム仮想通貨が躍り出る

A Iに五七五が身構える

AIがなんだスイッチ切っておけ


( ニュースひとりよがり )

「中曽根元首相死去」
黙とう −風見鶏一同

「統一会派名」
民主派≠ノしよう −立憲民主党、国民民主党

「悪役、山本昌平さん死去」
お前はこっちに来なくていい −地獄の閻魔
 

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(602)「ハワイ先住民文化に触れる」(拡大版)

翁が今年のハワイ旅行の目的にしていたのが2つあった。1つは先週号(601)で紹介した『ハワイ王国最後の国王・リリウオカラニ女王』、もう1つは『ハワイ先住民文化に触れる』である。

人類が石材を用いて生活道具や武器を作っていた「石器時代」(旧石器時代は約200万年前〜紀元前8600年、新石器時代は紀元前8000年ごろから)、石器のほかに青銅器を使うようになった「青銅器時代」(紀元前3500年ごろから)、石器・青銅器のほかに鉄器を使うようになった「鉄器時代」(紀元前3000年ごろから)の3時代を有史以前と言い、その時代以後、一定の地域に住み、一定の社会を形成するようになった人類を“原住民”とか“先住民”と呼ぶ(と、翁は解釈している)。が『ハワイ先住民』の祖は、それほど古くはない。ハワイ州観光局によると『ハワイ先住民』は約1500年前、マルキーズ諸島(南太平洋にある幾つかの島々)のポリネシア人が、星の明かりだけを頼りにカヌーで3200km以上を航海して(無人島だった)ハワイ諸島にやって来た、と言う。彼らは神や半神半人(“半神”の多くは“動物”)の思想を持ち信仰深く、酋長による厳格な階級社会を形成していた。

約1500年前と言えば、日本では古墳時代(3世紀〜7世紀)の後期に該当する。日本的に言うと古墳時代〜飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代までは“古代”だから、1500年前にハワイに渡って来たポリネシア人は“古代人”であり、以後、彼らがハワイに(最初に)定住したので『ハワイ先住民』と呼ぶ(これも翁の解釈である)。彼らの伝承文化は幾つかあるが代表的なものはフラ(神への祈り、人と人とのコミュニケーションのための歌舞音曲)という芸術、サーフィンというスポーツだろうか。

さて、翁が何故『ハワイ先住民文化』に触れたいと思ったか、(古い話だが)約35年前にドキュメンタリー番組『氷河期前の人類・ネグリトの謎を追う』(ネグリトとはアフリカのピグミーによく似たフィリピン諸島やインド東部のベンガル湾に浮かぶアンダマン諸島に住む”山の小さな黒人“=人類学的にはアジア人の先祖、とも言われている)を作った時にお世話になった(当時)ハワイ大学人類学教授グリフィン博士に、オアフ島の『ハワイ先住民』の居住跡に連れて行って貰ったことがある、その時の強烈な印象が忘れられず「いつか再訪を」という思いが続き、約35年後の今年やっと実現したという次第。

ハワイの弟分・デネス君にガイドと運転をして貰い、ワイキキからフリーウエイ(H1)で西へ約30分、パールシティの山の手に入り、丘陵地に広がる閑静な住宅地を抜けて緑深い山中へ入って行くと、うっそうとした森の中にオアフ島随一のヒーリング(心や体の病を癒し回復させる)の聖地『ケアイヴァ・ヘイアウ』に辿り着く(ヘイアウとは『ハワイ先住民』が建設した“聖域”)。ここはかつて“ロミロミ”(古代ハワイから伝わる伝統的なマッサージ)をはじめ“エネルギーワーク”(自己成長を目的とする目に見えないエネルギーの活性化手法)やハーブなどの薬草を採り入れた祈りと自然療法の場所。

ヘイアウの中心部には円形のマウンドがあり(写真左)、数か所に花・貝殻・木の実などで作られた首飾り(レイ)が掛けられた少し大きめの石が建てられている(写真中)。翁はこれをエネルギー・ストーン(目に見えないエネルギーを発する石=祈りを捧げる石)とみた。薬草や動物の肉、魚などを焼く竈(かまど)も保存されている(写真右)。周辺には今も(治療に使われたであろう)植物が豊かに生い茂っている。思い出す――ここは間違いなくグリフィン博士に連れて来て貰った『ハワイ先住民』の暮らしの跡である。

こんな雰囲気の中に立つと、翁、昔の習性で(がむしゃらに)動き回りたくなる。先住民の住居跡はないか、神殿跡はないかなど、かすかな期待を抱いて(デネス君を駐車場に待たせて)1人、ジャングルに入った(遭難したら大変なことになるので携帯電話を持参)。早速、住居入り口跡らしき石垣を発見。人間は大昔から石と密接な関わりを持って来た。神殿造りや神々を祀る儀式、魔除け、家々や集落ごとの境界線にも石が使われた。(前述のように)石には病気を治す力(ストーンパワー)があると信じて来た。翁もその石垣に手を当てパワーを貰った気分になったので、更に奥地へ向かう。“先住民の足跡”を求めて“獣(けもの)道”を歩く。先ほどの石垣や、ジャングルの樹木からのパワーが効いているのだろうか、本来、翁は山歩きが嫌い、しかも八十路の老体であるのに足取りは軽い。深い森の中を30分程歩いただろうか、まだ何も発見出来ない。だが「この道を1500年前の先住民が歩いたのだ」と古代へのロマンに浸りながら更に奥へ、とその時、後方の遠くから翁を呼ぶ声、デネス君が息を切らしながら迎えに来てくれたのだ。ジャングルの中は電波(WIFI)が途切れて携帯電話が通じない。デネス君、かなり心配してくれた様子だったが翁の元気な姿を見て安心したのか、笑顔が戻って次なるヘイアウへ向かってくれた。

『ケアイヴァ・ヘイアウ』からフリーウエイ(H1)へ戻って今度は海に向かう。オアフ島西の新しい行楽地“コオリナリゾート”を走る。この辺りは翁、何回もゴルフに来ているので馴染み深い。約50分走るとワイアナエの町に着く。左手にはポカイ湾のワイルドな景観が広がる。市民の憩いの公園の先端が目的地『クイリオロア・ヘイアウ』だ。『クイリオロア』とはハワイ神話に出て来る戦いの神(Ku=犬の半神半人)の意味だそうだ。

ここへ来る途中、ランチで立ち寄ったオーガニックファーム(有機野菜農園)のスタッフ(ヘイアウに詳しい青年)の話によると『クイリオロア・ヘイアウ』は、11世紀ごろカヌーで海を渡って来たタヒチ人が上陸、ヘイアウ(聖域)を築き海岸沿いに独自の生活圏を形成した。(前述の通り)ヘイアウは心身を癒し病の自然療法を施す場所だが、13世紀ごろから天文学や航海術を学習したり、漁業の無事を願い、海の神への祈りを捧げたり、また“罪人の一時的な逃れの場所”だったとする説もある。

これまでに数回、行ったことのある「ポリネシア・カルチュア・センター」(ワイキキからノースショアに向かって車で1時間半ほどの所にあるポリネシア文化村)で学んだトンガ・タヒチ・フィジー・サモア・アオテアロアなどのポリネシア人の生活文化の大要を紹介すると、ポリネシアの生活様式は地域(それぞれの民族)によって多少の差異があるが基本的には原始的な狩猟、漁業、焼畑農業、家畜が行なわれた。狩猟は弓矢・槍が主な道具。漁業は釣り糸を持たず素潜り(手掴みや小さな槍で魚を刺す)もあれば大規模な人工池を造り養殖漁業を行なう地域も。農作物は主にタロイモ・ヤムイモ(日本の山芋に似た塊根)、バナナ・ココヤシ・パンノキ(加熱して食べるフルーツ)など。家畜はブタ・ニワトリ・イヌの3種に限られていたそうだ。ポリネシア人の衣装は伝統的な“タパ”(樹皮で出来た布)で作った衣装で男は“マロ”(ふんどし)、女は“パウ”(腰巻のようなスカート)、布地に植物や土の色、模様をつけるなど斬新なデザイン感覚と技術を持っていたと言う。

約35年前、翁を『ハワイ先住民』の世界へ誘ってくれたグリフィン博士の言葉を思い出す――「太陽と月や星の位置、風向きや潮の流れ、魚影や鳥の動きなどを見ながら、カヌーひとつで海を渡り、太平洋を自在に旅した古代ハワイアン(ポリネシア人)の勇気と叡智に(我々は)学ぶものが多い」――『クイリオロア・ヘイアウ』の先端(海側)に立つ今、翁も博士のその言葉を噛み締める・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

観光列車に乗ってみた

五能線に続いて今年も観光列車に乗ってみようと調べていたらSLばんえつ物語という観光列車を見つけた。森と水とロマンの鉄道というサブタイトルにも惹きつけられた。
週末だけ走るらしいので土曜日に予定を入れた。東京から新幹線で新潟まで行き新津駅を10時05分に出発、最後の10番目の駅、会津若松駅には13時35分着、約3時間30分の列車の旅だ。出発の時、ぽっぽ〜と警笛がこだまし黒い煙が見えた。乗車席から移動して展望車に行くとすでにカメラを持った人たちがシャッターチャンスを待って狙いを定めていた。阿賀野川に沿って機関車は走り新潟から福島にかけて走っていった。途中4番目停車の津川駅ではホームに降りて機関車の点検や水の補給、石炭をくべる所も見られ多くの乗車客が写真にその様子を撮っていた。
車窓から外を見ていたら、こんな山の中までと思うところに三脚を構えてこの列車の写真を撮ろうとしている人があちこちいて驚いた。沿線付近に住む人達もSLファンの人も皆、列車を見ると手を振ってくれる。お孫さんを抱いた、お爺ちゃんやお婆ちゃん、若い人も皆が手を振っている。休日だから外に出て手を振ってくれる人が多い。機関車の警笛の音が山々にこだますのを聞きながら昔の時代に戻ったようなノスタルジックな気持ちになった。新幹線ですっ飛ばして目的地にいくのも忙しい人にはいいけれど、こんな風にゆったり、のんびり電車に揺られていくのも、なかなかいいものだ。

 

終着点の会津磐梯山の駅に着くと駅では地元のお酒がテイスティングとしてフリーで振舞われた。こういう列車の旅だったら日帰りで東京に戻ってこられるし雨が降っても気にしないで楽しめていい。電車に乗るだけで楽しい旅が出来るのだ。楽しかった勢いでその翌日の日曜日も観光列車を探して乗ってみる事にした。先週、予約が満杯と言われた越乃ShuKuraという観光列車がやっぱり気になって、どんな所を走るのか普通列車でもいいから見てみようとまた、新幹線で新潟に向かった。この観光列車はお酒を楽しむリゾート列車なのだそうで途中車内でジャズも演奏するらしい。蔵元さんからのイベントでお酒のフリーテイスティングもあるようだ。列車は上越妙高を10時02分に出発して海沿いを走り柏崎から長岡を経由して十日町に到着するのが12時32分着。約2時間半の旅だ。きっと満席だろうと思いつつ上越妙高の駅で予約状況を聞くと何とラッキーな事に一席だけ空きがあった。思わず満面の笑みを浮かべてガッツポーズをした。ようやく越乃ShuKuraに乗れる事になって気持ちが弾んだ。通路側の席に座るとすぐに私の隣の窓際に人が座った。荷物を置くと“良かったら窓際にどうぞ、僕はイベントホールのほうにずっといますから”と席を譲ってくれた。何度もこの列車に乗っているようで中のスタッフの人たちとも親しそうに話しているので常連客のようだった。しばらくするとアナウンスで“音楽の演奏があるので皆様お集まりください”とお知らせがあった。行ってみるとすでにバーカウンターには人が集まっていて楽しげに飲んでリラックスしたムードに溢れていた。その中で6人組の中高年のおじ様達が同僚とこの列車に乗り込んでいた。その中の着物に帽子とファッションも決めているおじ様は昨年SLを借り切ってジャズ演奏をしながら走るイベントを企画したらしく、その写真を見せてくれた。毎年仲間で旅行をするのが楽しみだけれど毎年友人達の人数が減ってきて昨年は7人の侍が今年は6人になってしまったと話してくれた。そんな事を話していたら、そうだ音楽をリクエストしたかったんだと紙にリクエスト曲を書いてミュージシャンに渡した。“これは私の葬式の時にかけてもらいたい曲なんです”と。それは“ A 列車で行こう ”だった。なかなか明るい楽しそうなお葬式になりそうだ。その音楽が終わると今度は蔵元のイベントがあり3種類のお酒のテイスティングが出来る。英語の教師を田舎でしているというアメリカから来た青年もこの列車に乗り込んでいて上手な日本語を話しながら、その時間をエンジョイしていた。十日町に到着した後は、せっかくなので、ここで有名なへぎ蕎麦を食べる事にした。蕎麦のつなぎに海草のふのりを使っていてこしが強く喉越しがいいそうだ。駅の駅員さんに聞いて町を10分ほど歩いたところにある店に入った。その後6日町から越後湯沢で下車。越後湯沢の駅にあるお酒ミュージアム“ぽんしゅ館”を訪れた。ここは、越後の酒、米、味噌、醤油、?、漬物、魚といろいろ、お土産も多く誰でも楽しめる。特に飲兵衛には楽しい。新潟のあらゆる地酒が全て試せる。有料ではあるけれど、これだけたくさんのお酒を1度に試せるテイスティングは珍しい。2日続けて乗った観光列車。普通のローカル線でも、まだまだ楽しめる列車の度は、たくさんありそうだ。
それに、こんな風に一人旅が出来る安心、安全な国というのは本当に稀な国だという事に感謝しつつ、そうあり続けてほしいと願う、、、、、

茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言

今週はお休みです。

 

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

12月になりました。今年もあと一か月で終わりますね。日没が早いのでなんとなく一日が早く過ぎるような気がします。これからはショッピングセンターではクリスマスソングが流れるのでしょうね。家でもAIスピーカーでクリスマスソングをリクエストすることができます。Kenny Gの曲は必ず入っているだろうと思います。Kenny Gのアルバム"The Classic Christmas Album"はいかがでしょうか?


"The Classic Christmas Album"    Kenny G

01-Winter Wonderland
02-White Christmas
03-Have Yourself A Merry Little Christmas
04-Silent Night
05-Silver Bells
06-Let It Snow! Let It Snow! Let It Snow!
07-The First Noel
08-I'll Be Home For Christmas
09-Sleigh Ride
10-The Christmas Song
11-Santa Claus Is Coming To Town
12-Joy To The World
13-Do You Hear What I Hear
14-My Favorite Things
15-Jingle Bells
16-Auld Lang Syne


ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

 

編集後記

浜松は40数年前に仕事で行ったことがありますが、その時は市内を観る余裕はありませんでした。11月24日、南夫妻が住む浜松を訪れ、市内を案内していただきました。落ち着いた街並みにある楽器博物館で、世界の珍しい楽器をたくさん観ました。浜松の郊外にある豊田佐吉記念館で豊田の歴史を勉強、夕方は紅葉がライトアップされている龍譚寺に行きました。大河ドラマで有名になった井伊直虎が眠る寺で、境内にある小堀遠州作の名勝庭園は見事なものでした。心 を豊かにして、浜名湖のうなぎ蒲焼き、餃子をいただき、お腹も大変満足でした。


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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1229

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com