weekly


1220号

No.1220     Ryo Onishi              9/29/2019

 weekly
LAの観光スポット ホームページ バックナンバー
 
雑貨屋のひとり言

スマホで写真を撮りつづけているのでスマホとiCloudには膨大な量の写真とビデオが保存されています。その中から少しですが孫たちが映った写真をプリントして壁に飾っています。もっと飾ろうと適当な写真フレームを探していたのですが、イメージどおりのものがなかなか見つかりません。しかたなく自分でフレームを作ってみました。シンプルでカラフルなデザインのフレームをSeriaで見つけそれを使っています。ちょっとおしゃれなイメージ通りのものができました。久しぶりに作る楽しさを味わいました。《R.O.》

 

河合将介さんのコーナー 

休止中です。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )

雲行きを策に溺れた目が見つめ

疑念抱くだんだん視野が狭くなる

傷浅い浅いと塩を塗りに来る

背水の陣のここにもブルータス

舌下錠反論の息整える


( ニュースひとりよがり )

「最高の笑顔で引退」
阿部慎之助君が羨ましい −アベシン太郎

「いよいよ」
あといくつ寝ると −10%

「95%が近視」
先が見えないんです −中学生
 

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(593)「西郷隆盛と勝海舟」

9月24日は西郷隆盛の命日である。1877年(明治10年)2月に始まった西郷隆盛を盟主とする『西南戦争』(西南の役=熊本・大分・宮崎・鹿児島を戦場とし官軍(明治新政府軍)と戦った士族による反乱、日本最後の内戦)で西郷軍は官軍に押され同年9月24日、最後の激戦地・鹿児島の城山に集結、隆盛は側近の桐野利秋(旧名・中村半次郎、最終階級は陸軍少将、『西南戦争』では西郷隆盛の下で実質的な司令官を務める)に「もう、ここらでよかろう、世話になった」と言い遺し自刃、享年49。(桐野も隆盛の最期を見届けた後、官軍に斬り込み戦死、享年40)。今年(2019年)は『西南戦争』終結(西郷隆盛没)後142年目にあたる。

翁、西郷隆盛については格別の思いがある。実は翁の曾祖父(翁の母の祖父=大分・中津藩士)が『西南戦争』で西郷軍に加わり官軍と戦い、最後は鹿児島の城山にて同じ中津藩の同輩と刃を交わして(刺しちがえて)果て、今も(西郷隆盛と同じ)城山に眠っている。翁が幼少の頃から、その話をしてくれたのが祖父である。その祖父は、(義をもって)西郷隆盛に心服し最期を共にした父親(翁の曾祖父)を敬愛してやまなかった“サムライ気質”の人だった(と、翁は記憶している)。その祖父が、翁が3歳児の頃から“西郷隆盛論”を吹き込んでくれた。つまり龍少年は祖父によって“西郷ファン”にさせられた訳だ。お蔭で翁、少年時代から(西郷が学んだと言われている儒学)孔子の五経『仁・智・礼・義・信』の言葉に接することが出来、成人してからは西郷遺訓『天を相手として己れを尽くし、人を咎めず、我が至誠(まこと)の足らざるを尋ぬべし』を座右の銘としている。

西郷隆盛については今更多くを語るまでもないが(旧知の間柄で互いに人間の器を認め合っていた)幕臣・勝海舟の要請を聴き入れ“江戸城の無血開城”を敢行し、その後の東京の基盤を担保した実績は、日本近代史上、最たる偉業であると言われている。そして彼は、明治の元勲であり、新政府においては陸軍大将、参議を務めた。ここで翁、(西郷が参議を辞めて鹿児島に帰ることになった)“征韓論”について、どうしても一言物申しておきたい。“征韓論”を唱えたのは江藤新平(佐賀藩)、副島種臣(佐賀藩)、板垣退助(土佐藩)、後藤象二郎(土佐藩)、それに西郷隆盛であった。だが西郷は、板垣や江藤らとは考え方が少し違って“朝鮮への出兵”にはむしろ反対、まず自分が朝鮮に赴き「明治新政府の説明、朝鮮独立の必要性、日本と朝鮮の友好交流の重要性」を説く、と言う、いわば“遣韓論”だった。西郷の狙いは、将来の“日本の国防”にあった。当時から強国ロシアの南下や中国の陰謀(いずれも朝鮮半島への侵略)が懸念されていた。そうなると日本の安全が脅かされる。実際、西郷没後(17年後)1894年7月に、朝鮮半島の権益を巡る争いで“日清戦争”が起きた(〜翌年4月)。更に西郷没後(27年後)1905年9月に朝鮮半島と満州の権益を巡る争いで“日露戦争”が起きた(〜翌年5月)。西郷は大きな目で10年後、20年後、いや100年後の日本の在りようを見据えていたかに思える。(それも海舟の影響だろうか)ともあれ、西郷の“遣韓論”は岩倉具視(公家・明治政府の長老)、大久保利通(薩摩藩、かつては西郷の朋友)、木戸孝充(長州・旧名は桂小五郎)ら(反西郷派)によって、いつの間にか武力による朝鮮征服論(“征韓論”)になってしまった。自分の本意を理解しようとしなかった岩倉・大久保らに嫌気がさした西郷はさっさと参議を辞め鹿児島へ帰って行った(1873年10月「明治6年の政変」)。それから4年後に『西南戦争』が起きる。

さて、このほど大田区洗足池(写真左)の近くに『勝海舟記念館』(写真右)が開館した。中原街道沿い(翁のマンションから約3q)にある洗足池の景観に魅せられた海舟は、池のほとりに別邸「洗足軒」を建てた。幕臣でありながら徳川幕府に見切りをつけ“日本再建”を論じた勝海舟のスケールの大きさに心酔した西郷隆盛は「どれだけ知略これあるやら知れぬ大人物」と記した手紙を朋友・大久保利通へ送っている。“江戸城の無血開城”後、西郷は度々ここ「洗足軒」に足を運び、海舟との親交を深めた。『西南戦争』での西郷の死を悼んだ海舟は「洗足軒」の敷地内に「西郷隆盛(南洲)留魂詩碑」を建立した。

翁、先日『勝海舟記念館』を訪ねた際、「勝海舟夫妻のお墓」(写真左)と隣接の「(南洲)留魂詩碑」(写真右)を参拝した。「留魂詩」は、西郷が1862年7月に沖永良部島へ(1858年12月の奄美大島に次ぐ)2度目の流刑の際に詠んだ漢詩『獄中感有り』である。翁は、その結びの文【生死何ぞ疑わん 天の付与なるを 願わくば魂魄(こんぱく)を留めて皇城を護らん】が好きだ。「たとえ自分の身がどうなろうとも国を守り抜くため魂だけは残しておきたい」まだ、天下に名を馳せる以前の西郷の心境(信念)であったことに翁は瞠目する。国家や国民を守ることを二の次にしたまま、ひたすら金バッジにしがみついている政治家たちは、この西郷の「留魂詩」(国を思う魂)を、どのように心に留めるだろうか?
・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

国が衰退していく時、、、

“ある日、川から、どんぶらこっこ、すっこっこ、と大きな桃が流れてきました”というのは桃太郎のお話。ところが、お隣の中国では、上流から大量にブタがどんぶらこっ、すっこっこと流れて来たそうだ。それも死んだ豚がプカプカ浮いていて、その数はおびただしい数だったそうだ。
その村で調べると何と豚コレラで病死した豚だったそうだ。大量に発生した豚コレラの処分に困って川に流してしまったとか、、、下流の村に住んでいる人は、そんな事をされたらたまったものではない。それにしても、そんな事が本当に起きたのだろうか、、、でも、あの国だったらあり得るだろうなと思っていた。そして、数か月前に聞いたその話をすっかり忘れていたら最近になって再び豚コレラがあの国で多発して大変になっているニュースを聞いた。米国と対中貿易戦争で争っている中、対抗措置で米国から大豆も豚肉も買わないという事でアフリカから豚を購入していたらしい。原因は今の所、不明らしい。それにしても今頃になって隠し切れなくなった綻びが出始めたようだ。
どんなに報道規制していてもインターネットで写真をとられて拡散されたら隠せるものではない。こんなに遠く離れた米国に住む私でさえ、この現状が見れるわけだし、中国ウオッチャーの人が現地からも、いろいろな伝手で情報を収集し発信しているので中国本土に住んでいる人は騙せても他の国までは情報統制がしにくくなっている。
養豚所の深刻な訴えに耳をかさなかった村の人も誰も責任を取りたくない政府関係者の人も含めこれだけ甚大な被害を被る事になろうとは思っていなかっただろう。
これはやはり人災による拡大被害もあるのだろう。
今、日本には、且つて中国に住んで中国の事情や文化、ビジネスに精通した優秀な中国ウオッチャーがいる。その人達が発信している情報量はマスコミやメディアの連中と比べると格段に優れているし正確だ。そして、そういう人達はけしてTVやメディアの舞台には登場させてもらえない。そういうマスコミを牛耳っている人の日本に対する工作があまりにも酷く浸透してしまっているからだ。隣国にとってまずい情報を流す人は抹殺しなくてはならないのだ。その中のあるYoutuberが言っていた。“国の情報が正しく伝達されていないと、その国は衰退していく”と。最近は本当に勇気ある20代から50代のYoutuberが果敢に実態を報告し意見を述べている。本当に彼らのパッションと使命感にはすごいものがある。

茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言

今週はお休みです。

 

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

もうすぐ10月になります。さすがに夜は一か月前のような熱帯夜はなくなったので過ごしやすくなってきました。つまらないテレビ番組など観ないでジャズを聴けるのがうれしいです。紹介するScott Hamiltonのアルバムはピアノ、サックス、ブラシが雰囲気のある空間を提供してくれます。静かにゆったりと聴けるジャズアルバムです。


"Nocturn & Serenade"    Scott Hamilton

01-Man With A Horn 5:14
02-Autumn Nocturne 4:39
03-Flamingo 7:33
04-I'm Glad There Is You 4:35
05-Serenade In Blue 4:26
06-Isn't It A Pity 6:14
07-You Go To My Head 6:38
08-Chelsea Bridge 4:29
09-By The River Sainte Marie 6:16
10-A Portrait Of Jenny 4:57

Bass - Dave Green
Piano - John Pearce
Tenor Saxophone - Scott Hamilton

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

 

編集後記

待ちに待ったiPadの新しいOS、iOS13.1が9月25日にリリースされました。早速インストールしてみました。新機能は詳細に解説されているYouTubeをみてほぼ理解しました。Macの標準ブラウザSafariはデスクトップ版のサイトにアクセスできるので、学習すればホームページの編集がiPadでできると思います。
特徴的な機能としてApple Pencil を使いWebページ全体のフルスクリーンショットを簡単にPDFにして、その上にマークアップできる機能があるのでこれから活用場面が増えそうです。外付けメモリ対応や外付けマウス対応などiPadはPC(MAC)にかなり近づいてきました。

雑貨屋ウィークリーをスマホで読みたい方は右のQRコードをQRコードリーダーで読み取ってください。
ホームページが出てきますので最新版をクリックしてください。
QRコードリーダーはアプリにありますのでダウンロードしてください。

雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1220

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com