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1213号

No.1213     Ryo Onishi              8/11/2019

 weekly
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雑貨屋のひとり言

先週は全英女子オープン優勝の渋野日向子選手の話題で持ちきりでした。
初日に渋野日向子選手がトップになったので、2日目以降の試合をずっと楽しみにしていました。(みなさんもそうだったと思います)最終ホールの難しいバーディパットを思い切りの良さで決めて劇的な優勝を飾り、一躍、時の人になりました。これがプロ1年目でしかもメジャー初挑戦での優勝ですから驚きです。
どんな時でも笑顔でプレイし、ギャラリーに接する姿は全ての人をハッピーにしています。こんな素晴らしい日本人がいることを誇らしく思います。マスコミが騒ぎすぎて気の毒な気がしますが、これからも笑顔を振りまきながら活躍してほしいと思います。《R.O.》

 

河合将介さんのコーナー 

休止中です。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


霊長類エゴ属のホモサピエンス

「人」の字を争う象形文字とみる

核ボタン疑心暗鬼がまだ磨き

100年後どう描かれる原子の火

平和ありがたし三度の飯が食え



( ニュースひとりよがり )


「あれから74年」
まだ安らかに眠れません −広島原爆碑

「進次郎、クリ滝電撃結婚」
出し抜かれた −週刊誌

「宇宙部隊創設へ」
天の川が氾濫したら駆け付ける −自衛隊

 

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(586)「歌い続けよう『長崎の鐘』」

これまでに小文(『龍翁余話』)で何回か「8月は“鎮魂と祈りの月」を書いた。特に8月6日の『ヒロシマ』、8月9日の『ナガサキ』は何回書いても書き過ぎることはない。それはむしろ永久に語り継がねばならない日本人の義務だと思う。『ヒロシマ』には1999年8月7日(6日の「平和記念式典」の翌日)に平和記念公園や原爆資料館を(たった1度)訪ねたことがあるだけで多くを語る資格はないが、『ナガサキ』には少年時代から数回、訪問しているし思い出がいっぱいあるので、今号は(タイミングがずれたが)過去2回(2010年8月8日と2016年7月31日に小文で)発表した『長崎の鐘』を再編してお届けする。

♪こよなく晴れた青空を 悲しと思うせつなさよ うねりの波の人の世に
はかなく生きる野の花よ 
なぐさめはげまし長崎の ああ長崎の鐘が鳴る(『長崎の鐘』1番)
丸坊主の中学1年生の少年が、大人のバンド(楽団)に加わり、顔が隠れるほどの大きなアコーディオンを抱えて(リリース間もない)『長崎の鐘』を演奏している。時は、昭和24年(1949年)8月9日『原爆を許すまじ 被爆者大会』、場所は、長崎市公会堂。(実は催しのタイトルも会場名もうろ覚えで定かではない)ステージ下手(しもて)から晴れ着姿の娘さんたちが1人ずつステージに上がる。8人程だったろうか、原爆で被爆した娘さんたちの顔の全部、または半分が火傷(やけど)によるケロイド状、彼女たちはその顔を隠すことなく、むしろ凛としてステージに立つ。会場のあちこちから啜り泣きが・・・ピアノ(バンドリーダー)もバイオリンもトランペットもクラリネットもギターもドラムスも皆、泣いている。アコーディオンの少年も涙で楽譜がぼやけたが懸命に弾いた――アコーディオン少年(翁)が初めて“原爆の恐ろしさと悲しさ”を知ったのが、この時だった。

『長崎の鐘』(サトーハチロー作詞、古関裕而作曲=1949年7月1日リリース)は、永井隆博士(明治41年〜昭和26年=長崎医大(現長崎大学医学部教授、放射線研究者)の随筆『長崎の鐘』をモチーフにした歌謡曲。後年、映画化もされたが、実は翁(前述の)『被爆者大会』で演奏した頃は、永井 隆博士を知らなかった。その後(社会人になって)、博士の著書『長崎の鐘』『この子を残して』『ロザリオの鎖』などを読んで永井博士の偉業と、人類愛に満ち満ちた人柄に魅せられ、博士の終(つい)の棲家『如己堂』(にょこどう)を2度訪ねた。

随筆『長崎の鐘』には、1945年8月9日の原爆投下直前から終戦の日(8月15日)までの長崎の惨状が詳細に描かれている。1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分、アメリカ軍機が(『ヒロシマ』に次いで)長崎市に原子爆弾(コードネーム『ファットマン』、正式名称『マーク3核爆弾』)を投下した。人類史上実戦で使用された最後の核兵器である。
当時の長崎市の人口約24万人、そのうち約7万4千人が死亡。(その後、数年の間に10万人以上が原爆病で亡くなったと言われている)。永井博士は爆心地からわずか700mの距離にあった長崎医大の診察室で被爆、右側頭動脈切断という重傷を負いながら、自分は頭に布を巻いただけで(被爆当日の1日中)大勢の(瀕死の)被爆者を献身的に治療・救護、翌10日、やっと我が家に戻ると、台所跡から骨片状態になっていた妻・緑(みどり)さん(洗礼名マリア)の遺骸を見つけ、その骨片を拾って屋敷内に埋葬した。
   ♪召されて妻は天国へ 別れてひとり旅立ちぬ かたみに残るロザリオの
    鎖に白き我が涙
なぐさめはげまし長崎の ああ長崎の鐘が鳴る(『長崎の鐘』2番)
愛する妻が残したたった1つの遺品・ロザリオの鎖を握りしめ呆然と立ちすくむ博士の姿を想像して翁、この歌を聴くと今でも胸が熱くなる――病に倒れた永井博士のために1948年(昭和23年)3月、浦上(天主堂)のカトリック信者と近所の人たちの厚意で建てられた2畳1間と4m×2mの土間があるだけの小さな木造家、これが博士の終の棲家『如己堂』である(写真は『永井隆記念館』より)。『如己堂』の名は、博士が生きる指針とした聖書の1節「己れの如く隣人を愛せよ」から(博士ご自身が)つけられたそうだ。被爆による“原爆病”と闘いながら博士は2人の子どもと一緒にここに住み、ここから世界中の人々に原爆の恐ろしさ、戦争の愚かさ、平和の尊さを発信し続け1951年(昭和26年)5月1日に永眠された(享年43)。永井博士が生存中に、この『如己堂』にはヘレン・ケラー女史(1880年〜1968年=米国の教育者、社会福祉活動家、作家、重度の視聴覚障害者でありながら世界各地を歴訪、障害者の教育・福祉に貢献した)のほか、ローマ教皇特使ギルロイ枢機卿やフルステンベルク大司教が見舞いに訪れた(ローマ教皇からロザリオが下賜される)。2人の子ども、とは、息子・誠一氏(時事通信社〜永井隆記念館館長、2001年4月4日死去、享年66)と、娘・茅乃さん(作家、2008年2月3日死去、享年66)。兄・誠一氏と偶然にも享年が同じだったことが翁には不思議に思えてならない。

中学1年生の時、長崎で“原爆の恐ろしさと悲しさ”を知った翁は、当時全国的に展開されていた“うたごえ運動”(反戦歌運動)に精力的に参加し、学生時代はデモ隊の先頭に立ち、あるいはコーラス・グループの伴奏者として、アコーディオンで沢山の『青年歌集』を弾き、歌いまくった。中でも『長崎の鐘』と『原爆を許すまじ』(♪ 故郷の街焼かれ、身寄りの骨埋めし焼け土に〜ああ、許すまじ原爆を、みたび許すまじ原爆を我らの街に)は、翁にとっては、これからも歌い続けたい、歌い続けなければならない『8月の鎮魂歌』である・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

Homegrown Vegetables (自家製お野菜)

庭に食べられるものがあると言う環境はいい。特にちょっとしたハーブがあると食が
豊かになる。最近、こちらLAで日本のTVを見ていると若い人達が庭先やベランダで育てられる野菜やハーブ作りをしている番組を良く見る。美味しい農家のお野菜を探して日本中を回り農家の人から教わったレシピを紹介している番組もある。
先日はオクラ農家のレシピをやっていて、ちょっと茹でたオクラと白だしをブレンダーに入れてとろろ芋のようにして暖かいご飯にかけて食べるのを見た。早速クライアントさんの所で作ってみたら美味しいと喜んでくれた。以前、キッチンカーで全国の農家や漁師さんの所を旅しながら食材を集めて料理するという番組を見て憧れた。新鮮なお野菜を食べられる贅沢は、高級なレストランで食べる事よりも価値があるようにも思える時がある。旬の食材を探しながらキャンピングカーで1年間ぐらい旅が出来たら、どんなにいいだろうか、、、、今でも私の夢の一つだ。
ちょうどハウスオーナーがトマトの苗を探していたので今朝は久しぶりにファーマーズマーケットに行ってみた。残念ながら夏のトマトの苗は見つからなかったけれど、いつものようにフルーツのサンプルを摘まんで旬のお野菜の香りを楽しみ花を眺めてきた。帰りに、いくつかの園芸店を回ってトマトの苗を見つけ購入した。
今の家の庭で育っているものはシソとしし唐、アナハイムチリ、ナス、オクラがある。シソは一番元気がいい。昨晩は刺身をひと切れずつ豊富にあるシソでラップしながら食べた。店で買えば8枚ぐらいのシソがパックに入っていて1ドルはする。自宅で育てているから贅沢に美味しく食べられ、その上健康にもいい。ジャパニーズアメリカンのハウスオーナーは以前シソが嫌いだったらしい。どうやって食べるかも知らなかったらしい。私がここに来てからシソの食べ方を覚えお肉や寿司飯に包んで食べるようになった。そして今は大好きになって自分でシソの種を買って育て食べるようになった。

たった一鉢でも何か生きているものが育っていくのを見るのは、食べるまでの過程を楽しめるし、何か食べる以上にエネルギーをもらえるような気がする。今週も暑い日が続く。日差しが強いぶん庭の緑の草が育つのが早い。
実りの秋には、リンゴも食べ頃になる。今年、初めて生ったという3つの柿も色付き始める。何とか落ちないで鳥や虫に啄まれずに上手く育ってくれるいい、、、、

茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言

今週はお休みです。

 

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

昨夜は淀川の花火大会があり、孫たちといっしょに我が家から観ました。2歳半のY君も今年は花火が上がるたびに喜んでいました。
過酷な暑さが続きますが、ジャズが聴けるくらいの環境にしておきたいと思います。1月に取り替えたエアコンは大活躍です。
今週はJim AdkinsのアルバムでTurning Pointです。軽快なギタージャズが耳にとても優しく、ホッとさせてくれます。

"Turning Point"    Jim Adkins

01-Turning Point
02-Into The Storm
03-A Kiss From You
04-Straight Ahead
05-Wind Dancing
06-Just Chillin
07-Get Over It
08-Reflections
09-Take Me There
10-Serenit


ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

 

編集後記

添付の風景写真、素敵だと思いませんか?これは写真素材サイト「unsplash」で無料でダウンロードした写真です。プロの写真家たちによるクオリティの高い写真です。"Toronto"や"Los Angels"で検索すると私たちが住んでいた懐かしい街の写真が観れます。"Scene"で検索した写真を眺めてこんなところに行きたいと思うのも楽しいものです。雑貨屋のホームページの写真も季節によって変えてみようと思います。
iPhoneやiPadで"unsplash"というアプリをダウンロードすれば使えます。Unsplashの写真はクリエイティブコモンズ・ゼロ(CC0)のライセンス下にあるため、誰でも無料で、好きな用途で画像を使用することができます。
あまりの素晴らしさに時間を忘れて観ています。20万点以上の写真があるのでいろんなテーマで検索をしてみると面白いと思います。

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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1213

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com