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1208号

No.1208     Ryo Onishi              7/6/2019

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雑貨屋のひとり言

毎年、記録的な大雨が降って日本列島は傷めつけられます。日本だけでなく世界各地で異常気象になっています。もうこれは異常ではなく常態化して来ているようにも見えます。人間が地球温暖化にまじめに取り組まないことへのツケが回ってきているような気がします。 年金が減ってもなんとか気楽に生きようとしている人々に次々と襲いかかる自然災害がそれを邪魔します。本気で地球が怒り出す前に人の心が変わることがあるのでしょうか?《R.O.》

 

河合将介さんのコーナー 

休止中です。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


百薬の長を主治医に処方され

医療費の伸びに寿命がついてくる

ドナーカード私で役にたつのなら

死神のノックにしゃっくりが止まる

ポックリ寺効き目が少し早すぎた



( ニュースひとりよがり )


「セブンペイに甘い認識」

激辛飲料をのませたい ー被害者 

「貴景勝怪我に泣く」

兄弟子の後を追うのもほどほどに −稀勢の里

「結婚」

昇太さんに座布団2枚 −笑点メンバー一同

 

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(581)「黒船来航の断面を覗く――幕府代表の“日本魂”」

普段、「日本史の中で幕末史や明治維新史が大好きだ」と吹聴している翁だが、翁の友人に専門的に“幕末史”を研究した御仁がいる。翁たち親睦グループ“シニア会”のメンバー・U氏(元某都立高校校教師)がその人だ。先日の昼食会でU氏から「黒船来航が“幕末”の始まりである」とのお話を聴き、大いに学習出来た。

“幕末”とは(時代の流れで言えば)1853年(嘉永6年)の『黒船来航』に始まり1868年(慶応4年=明治元年)までの15年間を言うが、実質的には『戊辰戦争』が終わるまでの16年間を“幕末”と呼ぶ歴史家が多い。翁の“幕末史”もこの説をベースにしている。なお、『戊辰戦争』とは(ご承知のように)新政府軍と旧幕府軍との戦いのことで1868年(慶応4年=明治元年)1月3日「鳥羽・伏見の戦い」に始まり「東北戦争」「会津戦争」「上野戦争」「函館戦争」と続き、1869年(明治2年)5月18日に函館・五稜郭の落城をもって1年5ヶ月に亘る『戊辰戦争』は終結、本格的な『明治維新』へと移行、すなわち『戊辰戦争』の終わりが“幕末”の終わり、ということになる。

日本中が大揺れに揺れ、血で血を洗った16年間の“幕末”を経て新時代(明治維新)に至るのだが、そのきっかけとなった『黒船来航』について(前述の)U氏は「特にこの7月が“幕末”の始まりの重要な月」と言う。そこで(7月初旬の)今号はU氏のお話を参考に“幕末“を誘発した『黒船来航の断面』を(翁流に)覗いて見ることにする。

その前に――“幕末”を扱ったテレビドラマには、必ずと言っていいほど『黒船来航』のシーンが登場する。たとえば『竜馬がゆく』『翔ぶが如く』『勝海舟』『徳川慶喜』『新選組』『龍馬伝』『篤姫』『花燃ゆ』『西郷どん』(いずれもNHK大河ドラマ)など。しかし『黒船来航実伝』を細かく描いたテレビドラマは(翁は)記憶にない。たいていが『黒船来航』に驚き、慌てふためく幕府高官や江戸町民の姿が描かれ、4隻の黒船(蒸気船)を緑茶の銘柄“上喜撰”(上等な喜撰)にかけて「泰平の 眠りを覚ます上喜撰 たった4杯(4隻)で 夜も眠れず」の狂歌が詠まれた程度の描き方だったように思う。

さて、U氏の言う「7月が“幕末”の始まりの重要な月」とは――今から166年前の1853年(嘉永6年)7月8日に、米国海軍・ペリー提督が率いる4隻の戦艦(黒船)が江戸湾(東京湾)の入り口・浦賀沖(神奈川県横須賀市)に来航し投錨、江戸幕府に対し極めて高圧的に“開国”を迫ることになる。坂本龍馬、西郷隆盛、佐久間象山、桂小五郎、吉田松陰ら幕末の志士たちの何人かは浦賀沖の“黒船見物”に出かけたという記録がある。それはさておき、ペリー来航の目的は、アメリカ合衆国の第13代大統領フィルモアの親書(国書=手紙)を日本の政府の最高権力者(徳川幕府の将軍)に手渡そうとするもの。しかし、時の将軍・徳川家慶(第12代)は病床にあって国家の重大事を決定出来る状態ではなかった。老中(将軍直属で政務を統括した幕府の常任最高職)のトップ・阿部正弘は「国書を受け取るくらいは仕方ないだろう」と決断しペリー提督一行を久里浜に上陸させた(7月14日)。その国書には@清国(中国)との貿易のため寄港の許可を願いたいA捕鯨船乗組員のための水・薪・食料等の補給基地として日本の港を開放してほしいB日本と貿易をしたいので開国してほしい――つまり、この3つの申し出が来航目的であった。当時の日本は、鎖国はしていたがオランダと清国の2か国とは交易していた。その窓口が「長崎・出島」であったのに何故ペリーは長崎へ行かなかったか、それはオランダや清国との摩擦を避けるためではあったが、ペリーの本音は「将軍との直接交渉」が狙いであった。

幕府は“将軍の病気”を理由に(話し合いの)1年間の猶予をペリーに言い渡した。ペリーはしぶしぶ“1年後“を承諾したものの、江戸湾を航行して幕府と江戸町民に対し威嚇行動をとったあと、いったん引き揚げた。しかし1年経たず半年後に再来、”貿易“(開国)を迫った。最初の交渉では米国の都合のいいことばかりを日本側に要求したため、幕府はこれらを全て拒絶、結果、日本が国益を損なわない範囲で「日米和親条約」が締結(1854年=安政元年)。その主な内容は「日本は下田・函館の2港を開放、船や乗組員の保護、燃料や食料の提供、下田に領事館設置」も認めた。貿易は拒否したが開国の端緒となったことは確かだ。たとえ通詞(通訳)がいたとしても、ろくに英語もオランダ語もしゃべれずに条約条文のやりとりに立ち会った幕府代表(林復斎=はやしふくさい)は、ひたすら“国益を守る”ことに固執して(日本有利の)条約締結にこぎつけた。翁思うに、林復斎に見られたこの“国家と国民の利益を守る日本魂”が、今の外交理念の中にいかほど活かされているだろうか(日米安保条約は勿論のこと、その他の諸国と交わす諸条約に、どれほどの国益堅持が見られるだろうか)検証してみたいと思う次第。勝海舟も坂本龍馬も西郷隆盛も山岡鉄舟も(頭で物を言うのではなく)“肚”で国家国民を語った。翁が好きな言葉の1つに、勝海舟の「外交は右手で握手、左手に刀」(事、成らんとする時は大胆不敵に、事、既に成った時は油断大敵)がある・・・(話が本題から逸れてしまった。)

ともあれ『黒船来航』によって日本は大きく動いた。それが“現在”に繋がっていることを思えば166年前は、そんなに遠い昔話ではない。神奈川県横須賀市久里浜には『ペリー上陸記念碑』が(明治34年に)建立され、毎年7月14日前後に『久里浜ペリー祭』が行なわれている(今年は13日)。領事館が置かれた伊豆・下田でも『黒船祭り』が催されているそうだ。しかし翁(ペリーを礼賛するより)、ペリーと対等(大胆不敵に)に向き合い『日米和親条約』を有利に導いた幕府代表の林復斎(幕末の儒学者・外交官・幕府朱子学林家当主、林大学頭(はやしだいがくのかみ)とも呼ばれる)をもっと深く顕彰すべきではないかと思う。翁、『黒船来航の断面』を覗いたこの機に林復斎研究を行ない“日本魂”を更に追求したい衝動に駆られている・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

久しぶりのキャンピング

知り合いの人からマウントピノでキャンプをすると聞いた。マウントピノは昔良く星を見に行った場所だ。405のフリーウェイを北に行くと5番に合流する。左手にマジックマウンテンが見えるとその先の方にフレージャーパークが出てくるのでそこを降りる。降りて左手の方の道をずっと道なりに行くとそのままマウントピノの頂上に行ける。そこは、キャンプ場ではないのでテントを張るような施設は無いけれど毎週末もしくは星のイベントがある時は天体観測を趣味とするオタク達がたくさん集まってくる場所なのだ。中央真ん中に天体望遠鏡を設置し、そこを取り囲むように外側に車が駐車出来るようになっている。その脇で寝袋を広げて存分に空を仰ぎ見る。ちょうど、そのあたりは視界をふさぐ木々は何もないので空が見やすいようになっている。其々オタク達は自慢の天体望遠鏡を持って来ているので声をかければ知らない人でも気さくに星を見せてくれるし解説もしてくれる。マウントピノと聞いて久々に満天の星を仰ぎ見たくなった。それで、そのマウントピノに行く人達のグループに私も先週末に参加させてもらう事になった。そしてキャンプ場からその頂上に当然、星を見に行くのだろうと思っていたら今回は焚火を囲んでひたすらそこに張り付いて移動しなかった。寝ている時と食事の時以外は殆ど音楽三昧だった。私以外は皆ギターやハーモニカや打楽器を演奏する。どうやら時々集まって音楽を楽しむ仲間の集いだったらしい。特別ハイキングをするわけでも無く、ただ、ただ自然の中で、のんびりとくつろぐ事が目的だったようだ。
頂上での天体観測は出来なかったけれど、今回キャンプに参加した人がかなり
いい天体望遠鏡を持って来ていたので土星の模様を見せてくれた。キャンプ場の大きな松の木の間からも星はかなりの数が見えた。
ハイキングもせず、昼間は木陰で本を読んだりして、いつもとは違うキャンプ場での過ごし方は、それはそれで新鮮で楽しかった。久しぶりに嗅ぐ木々の匂いやパリっとした空気と静寂さが心地良かった。そして久しぶりにテントで寝た。野外で寝るのは苦手という人もいるだろうけれど、私にとっては本当に気持ちよく熟睡出来、頭がすっきりするのだ。そして1番鳥のさえずりを聞いた後に飲むコーヒーの香りは至福の時なのだ。また、何だか自然回帰へ気持ちがウズウズし始めた。

茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言

今週はお休みです。
 

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

早朝から雑貨屋ウィークリーの編集を始めています。毎回、ジャズアルバムの選択に悩むので、ジャズアルバム選びからやります。愛用のiPadにブルートゥースのイヤフォンを接続し聴いています。何しろまだ6時前ですから。
こんな時刻に聴けるジャズはどうしても静かな曲になります。
とてもきれいな音で耳に優しいピアノジャズを見つけました。
Charlie Haden の“Tokyo Adagio”というアルバムです。
聴いているとまた寝てしまいそうになる穏やかな曲です。これは寝る前に聴くとよく眠れるのではないかと思います。

"Tokyo Adagio" Charlie Haden & G Rubalcaba

1-En La Orilla Del Mundo(At the Edge of the World)
2-My Love And I
3-When Will The Blues Leave
4-Sandino
5-Solamente Una Vez (You Belong To My Heart)
6-Transparence

Gonzalo Rubalcaba (p)
Charlie Haden (b)


ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

 

編集後記

7Payのセキュリティで不正が発覚し、わずか数日でサービス停止に追い込まれました。おにぎりがもらえると期待して被害に遭われた方はさぞガッカリしたことでしょうね。 セブンペイ社長の危機感のまったく感じられない会見もイメージが良くないです。これからキャッシュレスをやろうと考えていた人も躊躇するのではないでしょうか?
なんとも頼りない日本になったような気がします。

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Zakkaya Weekly No.1208

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com