海を渡って
“横浜に海外移住資料館という所があるのですが、なかなかいい所ですよ。”と以前ロスアンジェルスに住んで日系人の歴史映画を作られていた、すずき監督に薦められて行ってみた。国際協力機構JICAが運営している資料館で、みなとみらい駅から徒歩で8分ほどの所にある海沿いの環境のいい所だ。
特にこの数年、日系人の方々と関わる事が多くなった私にとって海外移住資料館は興味深い場所であった。戦前から戦後間もない頃に多くの日本人が船で太平洋の海を渡り新天地に旅立って行った。そんな彼らの勇気や当時の思いに触れてみたかった。
LAでは毎週時間がある限り火曜日の夕方はサンペドロのハイキンググループと一緒に歩いている。そのサンペドロの港町には和歌山から漁業で生計を立てる為にたくさんの日本人が移住してきた歴史がある。資料館のスタッフの人が見せてくださった資料に和歌山移民の特集を組んだものがあった。パンフレットには“連れもて行こら(紀州弁で一緒に行こう)紀州から!世界に広がる和歌山移民”と書かれてあった。
資料館には主に日本からアメリカ、カナダ、ブラジル、オーストラリアへ移民した人々の暮らしや仕事の様子が展示されてあった。当時、日本から持って行った荷物の展示物などもあってスーツケースや籠に入れられた其々の荷物を見ていたら、その当時が偲ばれて胸が熱くなった。ふと見ると壁に昔の日系新聞の広告に出ていたものだろうか、、、一枚のドラッグストアーの広告に目がいった。
住所がサンペドロになっている。早速その写真を撮ってハイキング仲間のイタリア人の人に送ってみた。彼はナポリから家族10人と共に船でニューヨークを目指しここサンペドロに移民してきた。当時、家族で一番、年下の6歳だった彼は、もう82年も経つのに良く日本人の名前も覚えている。若くして不動産の免許をとり、家族で一番の稼ぎ頭になって両親を助けた。このサンペドロ界隈はそんな彼にとっては庭のようで、ここで育ち結婚し孫やひ孫が出来彼の人生そのものがサンペドロと重なるのだ。
だから、サンペドロの事は何でも知っていて街の歴史や人や商売の事も把握している。メールを送ったら間もなく彼から返事が来た。“その中村薬局には叔母さんや叔父さんの薬をよく買いに行かされたよ。とても働き者で親切で、皆いい人達だった。今はストリートの名前も変わってしまったけれどね。”と。
茶子 スパイス研究家 |