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1146号

NO.1146     Ryo Onishi              4/29/2018

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雑貨屋のひとり言

ゴールデンウィークが始まりました。まだ心地のいい暑さがうれしい季節です。ゴールデンウィークのユニバーサルスタジオは避けたかったので金曜日、ユニバーサルスタジオに行ってきました。10時前に入場したのですが、ものすごい人でした。中学生の団体が目立っていました。今回は大人気の"ハリーポッター・アンド・ザ・フォービドゥン・ジャーニー"のアトラクションの長い行列に並びました。世界No1ライドを過去5年間連続受賞しているだけあって、驚きの連続、すごい迫力のアトラクションでした。並んだ甲斐がありました。≪R.O≫

 

 悪 夢、悲 惨、暴 挙

私は当地ロサンゼルスを中心とする日系バイリンガル新聞である羅府新報の『磁針』欄に、ほぼ月一度寄稿をしています。ここで磁針寄稿250回を迎え、これまでの寄稿文を整理しています。

ほとんどの文章は当、雑貨屋ウイークリーに投稿しているコメントですが、『磁針』のほうはロサンゼルスを中心に滞在している日本人や日系人を対象にしており、また紙面の都合上、文字数に制限があり(860文字)、雑貨屋用とは若干ニュアンスが異なった書き方、内容になっています。

そこで過去の磁針寄稿文をここにも連載させていただき、ご参考に供します。

『 悪 夢、悲 惨、暴 挙 』(羅府新報、2001年9月掲載)
 アメリカ経済・軍事の中枢部が同時に攻撃されたテロ事件は、私達が生活しているアメリカが、決して100%平和で安全なところではないと言うことを、改めて痛感させる出来事だった。

事件の直後、日米ほかの友人知人から舞い込む多くのE-メールの中には、数日前にニューヨーク世界貿易センタービルの展望台に行って来たという人。

ロスで行う娘の結婚式に飛行場閉鎖のため、両親が日本から来られなかったという話。そして一番悲しいニュースは、この結婚式のためにボストンから駆けつけてくれようとした友人が、乗っ取られた飛行機に乗っていた。・・などと心の痛むニュースをくれた人もいた。

 テレビのニュースでは安否不明の人々を必死に捜し求める家族や関係者の悲壮な姿が映し出されている。行方不明者には日本人も含まれているという。

 民間人を巻き込むテロは、政治、宗教、民族対立、イデオロギー、いかなる理由があろうとも断じて許されるものではない。

 この悪夢のような悲惨な状況を、新聞やテレビニュースで目(ま)の当たりにし、また、身近な人々から生の情報を得、私はテロの暴挙に激しい憤りを感ずると同時に、事件に巻き込まれた人々へ心から同情の念を禁じ得ない。

 しかし、考えてみると、現在テロや戦争は世界の至るところで繰り広げられてる。

私達は身近なところで事件が起きると大騒ぎをするが、それ以外の時は無関心に過ぎているようだ。

今、「世界中が平和になれば・・」といっても、むなしい限りだが、何かもっと地球的規模の対策はないものだろうか。

 アメリカの威信を根底から傷つけられたブッシュ政権の出方が気にかかる。無謀なテロに対しては断固戦うべきことは当然だが、この惨事を逆に利用して必要以上に危機感を煽ぎ、世界を戦争の危機に巻きこむような愚行のないよう、冷静な対応を求めたい。

 アメリカの一部の報道には、今回の事件について「パール・ハーバー以来のアメリカ国土への攻撃」とか、「カミカゼ・アタック」などという表現も見受けられる。気になる表現だ。


河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


AIが見下ろす俺の知能線

ITの世にアスナロのヒノキ超え

ロボットの手足が揃う社の景気

以心伝心デジタルに乱される

アナログに戻り伸びする日曜日



( ニュースひとりよがり )


「新党立ち上げ」
初仕事は国会審議拒否かな −国民民主党

「公用車でヨガ店へ」
大臣の真似をしてはいけません −文部科学省

「ナッツ姫、水かけ姫」
姫と呼ばれるのが恥ずかしい −白雪姫


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(522)「憲法第9条を考える」

1947年(昭和22年)5月3日の『日本国憲法』施行から71年目、憲法改正論が取り沙汰されるようになって久しいが、なかなか先に進まない。改正論の焦点は『第9条』の扱いだ。そこで『第9条』を読み直してみる。<第1項>「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する>(戦争の放棄)、<第2項>「前項の目的を達するため、陸海空その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない>(戦力の不保持と交戦権の否認)――これはどう考えても非現実的な(占領下の)“押し付けられ憲法”だ。これでは他国から侵略・攻撃されても手も足も出せないではないか。国連憲章第51条が保障する個別的自衛権「他国からの武力攻撃に対して自国を防衛するために必要な武力を行使することが出来る」(国際法上の権利)と大きく矛盾する。戦力の不保持、交戦権の否認の現在の『第9条』では、もし日本が侵略・攻撃を受けた場合でも応戦出来ず、ただただ占領されるのを待つだけ、という理屈になる。そんなことも分からないボンクラ政治家連中が“押し付けられ憲法”にしがみついている。また国民の中にも「日本に平和憲法(第9条)があるから他国からの侵略はないのだ」と言う平和ボケ民も多い。そんな彼らに翁は苦言を呈する「現実を直視せよ」――

中国の尖閣諸島を含む東シナ海覇権行動、北朝鮮の核(4月27日の南北首脳による飯門店宣言で“非核化”を表明したが開発済みの核兵器の廃棄を検証する時期・方法の具体策には触れていない)、更に、中国機やロシア機による(年間スクランブル1200回を超える)日本領空侵犯などの実態をボンクラ政治家や平和ボケ民たちは“他人事”と思っているのだろうか。だとしたら日本は国家ではなく単なる衆愚集合体であり“敵国”の思うツボ。そんなことでは皇紀2678年余の日本国は滅んでしまう。だが「日本は決して衆愚集合体なんかではなく、日本人は世界の中でも総合的に優れた民族である」と翁は自慢している。「優れた民族」の根拠は“知的能力”(知能・技能の力)、“社会・対人関係力”(社会規範・遵法の力)、“自己制御力”(道徳・教養の力)の3つの要素を備えているからだ。“個の力”はそうであるが、残念なことに日本人の“国家観”にはムラがある。それは“愛国心の希薄”とそれに比例する“国土防衛意識の低さ”である。いくら国民1人1人が優秀でも「国土(国家)あっての1人(国民)」であり“個の力”は国家の傘の下で保障されている」ことを我々は忘れてはならない。国家と国民を守るために「自国の手による防衛体制」が至極当たり前の話なのだが、現憲法(第9条)下では“違憲”と言うことになる。何ともバカバカしい(非現実的な)話ではないか。中国・ロシア・北朝鮮が日本に直接攻撃を仕掛けられないのは(日米同盟による)米国の後ろ盾と、(“違憲”と言われながらも)陸海空自衛隊の存在があるからだ。憲法で認められず、にもかわらず国家・国民のために日夜、国防・人命救助に献身的な働きをしてくれている自衛隊員への申し訳なさが深まるばかり。彼らに感謝の気持ちを持たない日本人はいないはずだ(憲法改正反対論者を除いて)。

1950年(昭和25年)6月の朝鮮戦争勃発を受けて同年8月に日本国内の治安維持のため「警察予備隊」が創設、更に1952年(昭和27年)4月に海上保安庁に「海上警備隊」が設置された。同年7月に制定された「保安庁法」に基づいて“保安庁”が設置されると、「警察予備隊」は「保安隊」と改称、「海上警備隊」も「保安庁」の管轄下に移った。1954年(昭和29年)6月に“防衛庁設置法”と“自衛隊法”が成立、翌7月に新たに「航空自衛隊」が設置され、ここに陸・海・空の「3つの自衛隊」が発足したのである。以後64年間、自衛隊は継子扱い(“違憲”)のまま、現在に至っている。

10数年前、海上自衛官(2佐)を55歳で定年退官した翁の従弟(母の末妹の息子)M君が、長崎県佐世保地方隊で対馬海峡の警戒監視、尖閣諸島など南西諸島の防衛を任務としていた若い頃(たしか、当時、彼は尉官だったと思う)、彼に「自衛隊の国家的位置づけと国防意識」を訊いたことがある。M君いわく「自衛隊の身分が憲法で保障されていなくても、任務においては何の躊躇もなく、私たちはひたすら法律(自衛隊法第6章“自衛隊の行動”)に従って国防に励むだけです。私たちは決して戦争を好むものではありませんが、万一、他国から攻撃を受けた際、我々はどのように対応すべきか、それだけでも早く法整備をしてもらいたいです」そのあと「正直なところ、撃たれっ放しで死ぬのはイヤですからね」と苦笑したM君の言葉と表情が今も翁の脳裡に鮮明に残っている。

翁は『第9条』の改正文を考えた。中学生でも分かる平易な文章だ。<第1項>「日本国は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に求め、他国への侵攻は勿論のこと他国での紛争には主体的介入(直接的武力行使)は行なわないものとする。但し、他国からの我が国への侵略・武力攻撃に対しては国家・国民安泰のためこれを阻止、反撃する個別的自衛権の発動を認めるものとする」(平和概念の確立と自国防衛の確認)、<第2項>「前項の目的を達するため陸海空の戦力を有し、専守防衛を認めるものとする」(陸海空の自衛隊(防衛隊)設置と個別的自衛権行使の確認)――この文章なら誰にでも理解出来る“現実的条文”であろう。こんな簡単なことも分からずに、いつまで空理空論を続けるつもりか。

「何故『第9条』の改正が必要か」の問いに、安倍首相は「国土と国民の生命・財産を守る任務を全うするためだ」と述べている。当たり前の話だ。そう主張したはずの首相が、「第1項と第2項の条文を残し、新たに自衛隊の存在を認める条文を作る」と言い出した。バカを言うんじゃない、“戦力の不保持と交戦権の否認”をそのままにして自衛隊の存在を明記する?そんな矛盾が罷り通る訳がない。「撃たれっ放しで死ぬのはイヤだ」と言ったM君(全ての自衛隊員)の気持ちを考えるならば安倍首相よ、政治生命を賭けて「自衛隊による自国防衛(専守防衛)」を堂々と主張せよ・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

今週はお休みです。

茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言「我が家のシクラメン」

私がまだ中学生だった頃、『シクラメンのかほり』という歌があった。小椋佳が作詞作曲、彼自身も歌ったが、編曲版を布施明が歌って大ヒット、今でも親しまれている昭和歌謡曲の1つ。そしてまた、晩秋から初冬にかけて花屋の店先に並ぶ赤や白のシクラメン、何故かクリスマスから新年にかけ、室内外に飾る人が多いという。私は、真っ赤なシクラメンが好き、今も我が家で咲いている。“かほり”はしないが、“置かれた場所”で懸命に咲いている。

春秋のお彼岸、祥月命日、そして法要や故人の誕生日の時にお供えするお花は近所の花屋さんで作ってもらっている。もう18年のお付き合いとなるこの花屋さん、江戸時代から続く6−7代目の花屋だといい、私の住むここ佃島でも、“島の人”(移住者ではなく、もともと佃に住んでいる人)と呼ばれているという。18年前までは命日やお寺参りなどに縁がなかった私も、それ以後、この花屋さんにお世話になることが多くなった。その花屋さんのおかみさんから小さなシクラメンの鉢を頂戴したのは、今から2年前の秋だった。それまで私は、シクラメンは何度か育てたが次年度に咲かせられるほどうまく育てられなかった。しかし、頂いたシクラメンは、花が咲き終わった昨年の初夏も、葉は朽ちることなく、むしろ大きくなり、しかも緑も濃くなった。よく観るとその葉の下には、沢山の小ぃ〜さな蕾が、球根の方に向かって集まっていた。けな気だが硬い蕾、枯れているようにさえ見え、私は毎日何度も何度も覗き込んでは、葉の下にしゃがみこんでいる蕾に声をかけるのだった。なのに我が家で2度目お冬を迎えたが、咲く気配を全くみせなかった。ところがどっこい、我が家のシクラメン、覆いかぶさる緑の葉の間から、まるで身を乗り出すかのように額をあげ、次々と咲き始めたではないか!それは突然のラッシュ。福岡・大宰府天満宮の“飛梅”の開花の報せと同じ今年は3月初旬のことだった。シクラメンの季節は春かもしれないと思った瞬間だった。そして、ある言葉を思い出した瞬間でもあった。その言葉とは――

『置かれた場所で咲きなさい』――これは、2016年12月30日に(89歳で)亡くなった(学校法人ノートルダム清心学園理事長)渡辺和子先生の著書“美しい人へ”でも語られ、また12年に発行された著書の“ブック・タイトル”にもなった。著書の中で――「Bloom where God has planted you、神が植えたところで咲きなさい。つまり、置かれたところこそが今のあなたの居場所なのです。時間の使い方は、そのまま、いのちの使い方です。結婚しても、就職しても、子育てしても、“こんなはずじゃなかった”と思うことが次から次と出てきます。どんな状況の中でも“咲く”努力をしてほしいのです。どうしても“咲けない”時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに根を下へ下へと降ろして根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために」、更に「与えられる物事の一つひとつをありがたく両手で頂き、それを自分しか作れない花束にして、笑顔で捧げられるように心がけること。境遇を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる。“現在”というかけがえのない時間を精いっぱい生きましょう」と結んでいる。渡辺先生が私の親友の恩師であったことが縁で、お話を直接伺う機会もあったが、今思えばそれは奇跡に近い貴重な体験だったなと。もう40年も前のことだけど・・・。

冒頭で紹介した我が家のシクラメンは、渡辺和子先生の言葉とは裏腹に、むしろ咲く場所を選んだ鉢だった。シクラメンの育て方ガイドに沿って場所を変えたり、水や肥料をやったりしても、なかなかいうことをきいてくれず、うまくいかなかった。この鉢の育成をあきらめかけた時、もう一度、我が家で最初に置いた場所に置いてみた、そうしたら何と、最初の場所に戻って返り咲いたのだ!我が家の、このシクラメンには、流行歌の題名に似た香は全くない。強いて香りがあると言えば、球根の湿気臭い匂いだ。だけど、冬の間、じぃっとしゃがみこんでいたあの蕾が開花した、だから我が家のシクラメンは冬を乗り切る春の花、まさに桜の花にも似て非なるものかもな・・・っと呟く、さくらの独り言。

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

イタリアのベーシストGiuseppe BassiとピアニストDomenico Sannaのデュオアルバムです。ベースの音が少し協調されて録音されているアルバムです。落ち着いた雰囲気でゆったり聴けるジャズです。

"Just You, Just Me" Giuseppe Bassi, Domenico Sanna

01-HUMBOLDT STREET #63 (Domenico Sanna)
02-CIRO CHI (Domenico Sanna)
03-LUSH LIFE (Billy Strayhorn)
04-ZHONG KUI BLUES (Giuseppe Bassi)
05-ISFAHAN (Duke Ellington / Billy Strayhorn)
06-NYC SUBWAY LOVE SONG (Giuseppe Bassi)
07-TOO CLOSE FOR COMFORT (J. Bock / G. D. Weiss / L. Holofcener)
08-REGINELLA (Libero Bovio)
09-JUST YOU, JUST ME (Jesse Greer)
10-CATTIVA’S LULLABY (Giuseppe Bassi)
11-DAY DREAM (Duke Ellington / Billy Strayhorn)



ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

 

編集後記

大規模修繕工事が終わりました。土曜日にマンションの一階に先日開店したイタリア料理店で打ち上げ会をやりました。委員会の参加者は少しずつフェードアウトし、最後の方はごく少数になってしまうと聞いていました。でもありがたいことに私たちの委員会は最後までほとんど変わらず参加してくれました。みんなで知恵を出し合いながら、学習、議論、決断していった貴重な経験は私たちの大きな財産になりました。

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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1146

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com