weekly

1128号

NO.1128     Ryo Onishi              12/24/2017

 weekly
LAの観光スポット ホームページ バックナンバー
 
雑貨屋のひとり言

昨夜は長男、長女家族が我が家に集合して早めのクリスマスパーティーをしました。
3人の孫はプレゼントのおもちゃで楽しそうに遊んでいました。いつものことですが10か月の孫も加わって3人の孫は暴れまわっていました。来年はもっとにぎやかになると思います。
12月はたくさんのイベントがあり、あっという間の一か月でした。2017年も残り一週間です。厳しい寒さが続いていますが体調に十分注意して過ごしたいものです。≪R.O≫

 

 幸福度、不孝度

私は当地ロサンゼルスを中心とする日系バイリンガル新聞である羅府新報の『磁針』欄に、ほぼ月一度寄稿をしています。ここで磁針寄稿250回を迎え、これまでの寄稿文を整理しています。

ほとんどの文章は当、雑貨屋ウイークリーに投稿しているコメントですが、『磁針』のほうはロサンゼルスを中心に滞在している日本人や日系人を対象にしており、また紙面の都合上、文字数に制限があり(860文字)、雑貨屋用とは若干ニュアンスが異なった書き方、内容になっています。

そこで過去の磁針寄稿文をここにも連載させていただき、ご参考に供します。

『幸福度、不孝度』(羅府新報、2000年5月掲載)
 先日、日本の新聞に、『幸せに値札を。英米の経済学者が“幸福度”調査』という記事が掲載されていた。

 その記事の内容によると、“人の幸福”という認識をどこまで客観的に捉えられるかを研究するため、英米の経済学者二人が五年がかりで共同研究をした。

その結果、例えば、円満な結婚がもたらす幸福感を金額に換算すると、少なくとも年間十万ドルと算出されたという。

失業に伴う不安感や自信喪失によって減る幸福度は年六万ドル相当なのだそうだ。

 人の幸福感、不幸感といった心の領域の問題を数量化(即ち客観化)すること、更に金額に換算する事にどれほどの意義があるのか、このニュースを一見した時、私には何とも理解できず、こんな研究こそまさに現代の“モノ”と“カネ”偏重時代の象徴とも言えそうで嫌悪感すら感じた。

が、しかし、もっと素直にこのニュースを吟味してみると、この研究は決して“幸せ”は“お金”で買う事が出来ると言っている訳ではなく、むしろ幸福感という心の領域をもっと重視し、研究しようという意図がある研究だったようで、ひとまず安心した。

 しかし、それでも私は人の“幸福度”や“不幸度”を単純に数量化するには抵抗を感じる。

一切れのパンを入手する“喜び”も自分で汗を流して必死に稼いだお金で買う場合と安易に入手したお金で買うのでは天と地ほどの差があるし、一家を支える立場での失業と大資産家のお坊ちゃまの失業では“不幸度”は当然違う筈だ。人の心は数字で表現するには無理があり、馴染む筈がないと思う。

 心の“幸福度”や“不幸度”を数量化する研究には一定の評価を与えつつも、結局、自分の“幸福度”は自分が決めるもので、学者先生のデータからはじき出されるものではない、という結論のほうがもっと自然でより正解ではないだろうか。

 私達は自らの心は自らで養い、来るべき“豊かな心の時代”を迎える準備を今からしておきたいものだ。

 ところで、「君に毎年一千万円あげるから、一生結婚するな」と言われたら、現代の若者はどんな反応をするのだろう・・。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


多病息災 薬に頼る長寿国

クスリ リスク過剰医療の裏表

長生きの薬よしなと預金帳

一病と妥協まあまあ元気です

一年の無事が伸びしている柚子湯



( ニュースひとりよがり )


「談合」
やめられないよね、建設大手4社さん −覚醒剤

「国債負担額一人830万円」
私も背負うの? −待機児童

「おんな城主直虎&s振」
出だしはよかったのだけどねえ −おんな都知事


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(505)「ありがとう!2017年」

毎年、この時期、同じようなテーマ(この1年を無事に生かせて貰ったことへの感謝)を書いて来た。翁は歳を重ねるごとに「ありがとう」の言葉が一番重く(切実に)感じる。以前にも書いた【日本語の中で翁が最も好きな言葉に「ありがとう」がある。「ありがとう(有り難う)」の語源を調べてみたら仏教の最古の経典の1つ『法句経(ほっくぎょう)』の中に「人は生を享(う)くるは難く(人は)やがて死すべきもの 今、生命(いのち)在るは 有り難し」(今、生きている私たちは、沢山の偶然と無数の先祖の計らいで生を享けて誕生したのだから、命の尊さに感謝して精一杯生きましょう)という釈迦の教えから生まれた言葉、とある。つまり「有ることが難しい」は「めったにない貴重なことに感謝の心を持つ、ということから「ありがとう」に発展した、ということらしい。もともとはそうかもしれないが、今は「めったにない貴重なこと」だけに感謝するのではなく、どんな些細なことでも自分が「嬉しい」とか「有り難い」と思うことには直ぐ素直に「ありがとう」と感謝の気持ち表現するのが一般的である】――今年(2017年)も、また「ありがとう」の感謝の気持ちで送れることを幸せに思う。

この1年を振り返れば、今年もまた「ありがとう」の事柄が沢山ある。まず健康面では、2009年の夏から2015年の間にK大学病院で3つのガン手術を受け、以来、(3つの科)へ3ケ月検診や検査に通っているが、各担当科医の適切な診察のお蔭で異常なく過ごせていることへの感謝、交友関係では変わらぬ親交を続けていただいていることへの感謝、そして個人的には翁の(ささやかな生き甲斐の1つ)ブログエッセイ『龍翁余話』を、読者各位のご声援のお蔭で続けることが出来ていることへの感謝など、枚挙にいとまがないくらいの感謝!そう言えば、11月19日配信の(500号記念拡大版)『さらば、愛車よ!』に対して「龍翁さんの惜別の情、いかばかりだったか」、「まだ運転能力があるうちに年齢(とし)を自覚しての勇気ある決断に拍手を贈る」など、同情と称賛のお声を沢山いただいた。また、11月26日に配信した(501号)『いのちの日』の1節【八十路を超えた翁にとって“師走とは残り日数える覚悟月”】に対しては「寂しいが全く同じ気持ちだ」、「どうせ、いずれは彼方へ旅立つ身、ならば精一杯、現世を楽しもうではないか」という前向きの感想を頂戴した。勿論、どれもこれも「ありがとう!」である。

“師走とは残り日数える覚悟月”を意識するようになって以来、1日1刻がどんなに貴重な“時”であるかを痛感している。天台宗僧侶だった酒井雄哉(さかい ゆうさい=1926年〜2013年)師の著書『一日一生』(一生は一日の積み重ね、一日の過ごし方次第でその人の一生が決まる)が今更のように重くのしかかる。八十路を越えた翁にとっては“1日の過ごし方次第で己れの一生が決まる”なんてことは(もはや)ないのだが、それでも就寝時「今日もいい1日だった」と思えれば安寧の気分で眠れる。反対に「ああ、何であんなことをした(言った)んだろう」と悔いることがあればニガイ思いが尾を引く。高齢になって、出来るだけニガイ思いをしたくないから、1日1刻をより大切に(慎重に)過ごすことを心掛けているのだが、現実には思う通りに行かない時などイラつきも多い。

“イラつきも多い“ということは、まだ、己れの人間性が未熟であるのと同時に、社会に対する、他人に対する、自然にする“感謝”の気持ちが足りないのではないか、と反省もしている。人間は誰でも人に支えられ、社会に守られ、自然の恩恵を受けて生きている。なのに、いつの間にか“俺は何でも出来る、俺の考えが一番”と己惚れ(天狗)になり、他人や社会や自然に対する“感謝の気持ち”を失い、逆に他人や社会を非難するようになる。昨今の相撲界の某親方がそれだ(12月23日現在)。いくら“高邁なる思想”を持っていようとも他人や社会(相撲界)の理解(同意)・協力が得られなければ、ただの“独りよがり(我儘)“に過ぎない。そんなことにも気づかず傲慢・不遜な態度で周辺を見下す人間を、翁は、人格欠陥者と蔑む。己れを育ててくれた人たちや社会(相撲界)に対して”感謝の気持ち“を忘れずに、礼を尽くした上で己れの理念を述べるようになって初めて”大親方“になるだろうに、惜しい人物だ。早く、頭を垂れる稲穂になって貰いたい。

ところで翁は、70歳代までは「まだ老人なんて言わせるもんか、俺は死ぬまで現役青年だ」と息巻いていたのだが、八十路になると、さすがに“老い”を意識せざるを得ない場面に(たびたび)出遭う。物忘れ、勘違い(間違った思い込み)、体力の衰え、こらえ性(忍耐力)の衰退、記憶力の低下、書き物をする時のスピードの低下・・・数えればきりがないほど“老化”を思い知らされることがあるのだが、それでもゴルフに関しては“老いてなお研究心旺盛”だ。残念ながら研究のみで上達(スコアアップ)はあまり見られないが、それでも“楽しみながら学ぶ”ことに快感を覚える。実は(残り日が少なくなった)今頃になって基本理論を独学し、実践に生かそうと努力している。もう老体が言うことを聞かない(効かない)ので頭デッカチだが、たまに基本動作が出来、いいショットを打てた時は「ああ、これがゴルフの醍醐味だ」と独りニンマリ。だからゴルフだけは“生涯青年”でいたいと思う。それも“健康”“仲間”“経済”あってのことだが・・・

さて、この時期(1年への感謝をかみしめる時)、想い出すのが“晩年の母の祈りの姿”である。(以前にも書いたことがあるが)母は、就寝前にベッドの上に正座して(少しの間)合掌するのを習慣にしていた。母は大分県、翁は東京、年に2回帰省していた頃のある日、母に「何の祈りか」を訊ねたことがある。その時、母、おもむろに「今日も生かして下さった今日様(こんにちさま=お天道様)にお礼を申し上げ、明日の無事をお願いしとるんじゃ」――翁も近年、亡母に倣って”今日様への祈り“を実行している。特に年の瀬は、お世話になった方々への感謝と、各位の(新年の)ご健勝とご多幸を(今日様に)お祈りして・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

ペインクリニック(痛みの治療)

昔、麻酔も無い時代があった事が信じられないくらい今の医学は進んでいる。日本では初めて麻酔薬を研究し実験し成功させた華岡青洲の実話が本や映画にもなった。その時代もそんなに遠い昔では無かった事を考えると今の時代に生まれて本当に良かったと思う。今は、あらゆる痛みを緩和するお薬や治療方法があるようだ。大きな病院に行くと“ペインクリニック”という科が独自に設けられている。最近になって気が付いた。
今週の月曜日、母が手術をした。前回は9時間半にも及ぶ大手術を受けその後痛みで声も出ない状態だった。あまりの激痛で術後には、殆ど歩く事が出来なかった。その後、イレウス(腸閉塞)の合併症が出て死にそうになった。開腹手術をした後は空気に触れて腸が癒着しやすいらしい。癒着した所は最悪またお腹を開けてそこを切り取らないとならないのだそうだ。そうならない為に術後は翌日から全身の機能が働くように歩かされる。ところが母の場合は痛みが酷くて、とても歩ける状態では無かった。それもあって合併症になったのかもしれない。
今回は3時間半の手術だったとはいえ合併症が一番心配だった。手術後の翌日の朝、病院の集中治療室に面会に行くと、すでに母は自分の部屋に戻されていた。母の背中の方には細いチューブ(硬膜外麻酔のカテーテル)が?がっていてその先に痛み止めの液のボトルと携帯ポンプが付いていた。これは患者さん自身で痛いと思ったら携帯ポンプのスイッチをポチッと押すとそこから痛み止めの液が出るシステムなのだ。どんなに押してもある一定の量と時間がコントロールされていて過剰に薬が出過ぎるという事はないそうなのだ。この方法は自己制御型持続鎮痛法と言うのだそうだ。自分の痛みを自分でコントロール出来るというのがいい。術後もこのシステムのお蔭で痛みを感じなかったので、すぐに歩く事が出来た。あまり痛みに耐えていると有害なストレスになるようだ。それは自律神経のバランスが崩れ交感神経の緊張が強くなり血液の循環障害がおきたりもするらしい。今回、LAから日本行きの飛行機の中で米国の麻酔学会のセミナーに参加してきたという人が隣の席に座った。日本と米国の痛みに関する治療方法も様々な面で違う所があるのだと思う。10月中旬、ちょうど私が日本に戻ってくる直前に友人が手術をした。その後、彼女の家に訪れた時に見せてくれたのが痛みを取るための薬。
“これはマリファナオイルなの。パイプのように一回、フッと吸うと痛みが取れるの。吐き気にもいいし、食欲も出て眠れるの”と。何でもいろんなフレイバー(味付け)があるようで彼女はピナコラーダ味とグレープフルーツを選んだようだ。私にも“試してみる?”と言ったけれど必要性が無かったので遠慮した。日本では、まだ合法化されていないけれどいつか使えるようになるのだろうか、、、、

茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言「My Old Kentucky Home」

♪〜クリスマスが今年もやってくる 悲しかった出来事を消し去るように さぁパジャマを脱いだら出掛けよう 少しずつ白くなる 街路樹を駆け抜けて〜♪、ケンタッキーフライドチキン・ジャパンのコマーシャルソングにも起用されている竹内まりやの『すてきなホリディ』が、飛行機を降りゲートを出て隣を歩く人のスマホから漏れ聞こえた。その日は、私が(ケンタッキーフライドチキンの産みの親、カーネル・サンダースの生まれ故郷)ケンタッキー州からミネアポリス経由で羽田国際空港に降り立った日だった。ケンタッキーに見送られ、そしてまた日本でもケンタッキーに迎えられた思いがした、今年11月23日の事だった。

日本時間10月28日の夜遅く、太平洋の向こうから訃報を受けた私は、11月15日に米国・ケンタッキー州ルイビル市へ飛んだ。今から30年程前、私を家族の一員として受け入れてくれ、約2年間も一緒に住まわせてくれたホストファミリーのご主人、Mr. Olvis Spencerが亡くなったからだ。私の最初のアメリカ大学での学びとその生活を支え導き、そして、その後も(現在も)、家族同様の関係・付き合いを変わらず続けてくれているスペンサー家(当時長男は14歳の高校生、長女は12歳だった)。日本の葬儀に代わるメモリアルサービスに、家族の一員として参列するために「来てほしい」というホストファミリーの言葉と、「行っておいでよ」という主人の勧めに背中を押され、「じゃあ、ちょいと、行ってくる!!!」っと、飛んで行き、飛んで帰って来た。ケンタッキー州ルイビル市、スペンサー家の家族と親族、そしてスペンサー家の友人たち、まさに17年ぶりの帰還(帰省)と再会。それぞれが年月を経てそれなりの変化があるとはいえ、最初に会ったあの頃と、最後に別れたあの頃と、そして17年ぶりに再会した今回と、全くと言っていいほど変わらない“貴い出会い”、そこには家族愛・友愛とも言うべき“愛”が充満していた。タイムマシンにでも乗って集まったような錯覚さえ感じる。違うのは、集まった家族の数が増えたこと。それもまた家族の幸せの数につながっていて、恵みを数えるような感じさえした。私の心が、まだ、このケンタッキー州に、そしてアメリカにあることに、私自身驚かされたひと時でもあった。

ところで、留学や海外赴任をしたことのある人は誰しも、多かれ少なかれ、こんな出会いの体験をし、言葉や慣習の違いを超えて、いや違いがあるからこそ、貴重な絆が結ばれるだろうと思う。だから、決して珍しいことでもなく、多くの人が色々な形でこのような物語を生きていると思う。私も同様に、渡米して最初の2年間を彼らと過ごしたわけだから、“三つ子の魂百まで”とあるように、アメリカは中西部に暮らす中流社会の生活、習慣、伝統文化、マナーやエチケット、倫理観、家族観や宗教観、教育理念やプライオリティ(優先順位)などを当初から体感した。特にスペンサー家は“良きアメリカ時代の教育と指針”を持った夫婦・家族だったので、何事にも大きく偏らず、1本の、何か“アメリカらしさ”のようなものが貫かれていたため、沢山のことを学ぶことができた。1つ屋根の下で365日寝食を共にし、夫婦の娘息子と同様に生活したのだから、全ては自然体であり、勿論、私自身もそうだった。私の中に、アメリカをこよなく恋しく懐かしく思う強い気持ちがあるのも、アメリカの良き家庭教育や夫婦の向き合い方、関わり合い方の見本的なフォームがあるのも、そして、やはり“いい出会い”があり、共に時を過ごしたという貴重な経験によって培われた私の自負心、それらは、みんなみんなこのファミリーが見せてくれた、教えてくれた、導いてくれたものだったと再認識できた。これはスペンサーが残してくれた置き土産。さらに、最初に出会った頃には思春期で反抗期の青年だった子どもたちが、それぞれ結婚し3人ずつの子どもの親になっている。私は、そんな彼らの成長ぶりを見ることができたことも嬉しかった。これもまたスペンサーが残してくれた置き土産だと思う。
“サンクスギビングデー”(感謝祭=11月第4木曜日)直前のケンタッキー州は、東京より先に冬を迎えていて、あの有名なブルーグリーンの芝も霜で真っ白なほど寒いものの、心は温かさで満たされていた。「私の第二の故郷ここにあり、私の心と共に」と想いながら、私はケンタッキーを後にした。

さて、日本人でも馴染みの深い歌『My Old Kentucky Home』は、ケンタッキー州の州歌でもあり、歴史的にも文化的にも周知の歌であるばかりでなく、私にとっては、“ふるさと”の歌だ。この歌を聴いたり歌ったりすると、あの美しいブルーグラスのケンタッキー州の風景と、そこに住む“同郷”の家族・友人たちの姿さえみえてくるようで、感激と哀愁が混在し涙してしまう。ここに、その歌詞の一節を追記し、私の心にも刻みたい。そして、“私の愛するふるさと、ケンタッキーの我が家”へまた、すぐに、戻って来たい、みんなが待ってくれているうちに・・・っと呟く、さくらの独り言。
『My Old Kentucky Home』
The sun shines bright in my old Kentucky Home,
Tis summer, the darkeys are gay,
The corn top’s ripe and the meadow’s in the bloom;
While the birds make music all the day,
The young folks roll on the little cabin floor,
All merry, all happy, and bright,
By’n by hard times comes a- knocking at the door,
Then my old Kentucky Home, good-night!
Weep no more, my lady,
Oh weep no more today!
We will sing one song for the old Kentucky Home,
For the old Kentucky Home, far away.

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

今日はクリスマスイヴですね。それぞれの楽しみ方があると思います。孫たちのプレゼントを何にしようか、どんな料理にしようかと考え、準備するのも楽しいものです。にぎやかだった昨夜、BGMでこのアルバムを流していました。ジャズではありませんが、このシーズンにぴったりなアルバムです。
Celine Dionの"There Are Special Times"を紹介します。
 

"There Are Special Times" Celine Dion

01-O'Holy Night (05:21)
02-Don't Save It All for Christmas Day (04:37)
03-Blue Christmas (03:48)
04-Another Year Has Gone By (03:24)
05-Magic of Christmas Day (God Bless Us Everyone) (04:17)
06-Ave Maria (04:55)
07-Adeste Fideles (O Come All Ye Faithful) (04:44)
08-Christmas Song (04:13)
09-Prayer (04:29)
10-Brahms' Lullaby (03:32)
11-Christmas Eve (04:16)
12-These Are the Special Times (04:08)
13-Happy Xmas (War Is Over) (04:14)
14-I'm Your Angel (05:30)
15-Feliz Navidad (03:40)
16-Cloches du Hameau (03:12)
17-My Heart Will Go On [No Lead Vox] (04:41)

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

 

編集後記

私のPCは二つの液晶ディスプレイで表示できるようにできるグラフィックボードを使用しています。先日Windows10のバージョンアップをしたら、それがまったく機能せず、同じ画面が2つのディスプレイに出てくる間の抜けた状態になっていました。画面以外は問題なかったのでしばらくこのままで使っていました。先週、またバージョンアップされたのですが、今度は元に戻って以前のように2画面で表示されるようになりました。Windows10になってから振り回されているような気がします。次のバージョンアップで何が起こるかわかりませんが、まだしばらくはこのPCで乗り切ろうと思います。

雑貨屋ウィークリーをスマホで読みたい方は右のQRコードをQRコードリーダーで読み取ってください。
ホームページが出てきますので最新版をクリックしてください。
QRコードリーダーはアプリにありますのでダウンロードしてください。

雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1128

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com